最終話 君が世界を滅ぼすまで
第3章-最終話
「本当に、これで良いの?」
病室を立つ直前、ベッドサイドの繭純さんは僕にそう聞く。
ベッドの上、酸素マスクをつけた僕はもはや、それに頷くことしかできなかった。
緩慢に、けどしっかりと、繭純さんを見て頷く。
「…….ありがとう。本当にありがとう。」
繭純さんはそう言って、深々と頭を下げる。
こんな風に繭純さんに頭を下げられるのは、初めて宇宙で実験をしたいと打ち明けられてからもう何度目になるかわからない。
そういえばその時、繭純さんが言っていた。自分たちは、オイラーのような功績を為さなければならないのだと。
オイラーは200年間虚数を無視し続けた数学界で、虚数に向き合い、その必要性を世界に知らしめた人なんだそうだ。
200年止まった科学を進めるためには僕の協力が必要、なんて言われたら悪い気はしなかった。
けど、今は少し、罪悪感がある。
この科学の未来を信じる研究者に、僕たちは『作戦』のことを秘密にしているのだから。
ベッドの上で眠ったまま、僕はベッドごと病室を後にする。すると廊下には、よっちゃん、せっちゃん、お父さんの姿があった。
多分、3人に会うのは、これが最後になる。
みんなは泣いていた。それを見て僕も泣きそうになった。けれど、それ以上に嬉しかった。
いつも病室に置いてかれてばかりの僕が、初めて家族を置いていくことが。
僕の家族には、明日があることが。
「お疲れさま、茜。」
お父さんのその優しい声に、堪えきれず、涙が溢れてしまった。
泣きたくなかったんだけどな。けどやっぱり、寂しかった。
ただ唯一の救いは、この「寂しい」って気持ちを、僕がもう言葉にすることすらできない、ってことだろう。
よっちゃんとせっちゃんは、涙を流したまま何も言わなかった。
けれど2人は、僕の枕元へと近づくと、あるものを置く。
それは、握れるほどの小石だった。
『作戦』は、上手く行っている。
2人が口に出さずとも、それを見ればわかった。
2人に笑いかけたかったけど、顔が上手く動かなくて。けれど僕を見て、2人は泣きながら笑った。
ベッドが、ガラガラと音を立てて進む。
家族との距離が離れていく。
愛しい日々が、今、終わる。
この選択は、正しいと思う。
家族に迷惑をかけず、研究者達の夢を壊さず、僕は死ぬ。
これは、あなたの言う『良い子』の選択だったでしょう。
あなたにとっての『良い子』は、きっとこう選ぶはずだから。僕は『良い子の母親』であることを幸せと言ってくれたあなたに、幸せなままでいて欲しかったのだから。
けれど、僕はもう知っている。
僕も、この『作戦』を考えたあなたも。
本当は、これっぽっちも、良い子なんかじゃないってことを。
だから、大丈夫。
ーーーーーーー
あれから、3年が経った。
私と世界は高校1年生になった。
けれど、相変わらずの学力差から私達は別の学校に通っているし、相変わらずお父さんは忙しそうにしていて家を空けることが多い。その分、帰ってくると迷惑なくらいずっと一緒にいるんだけどね。
あれ以来、世界が部屋に篭りっぱなしになるようなことはなくなった。
たまに『作戦』が上手く行っているかの確認をしているようだけど、特別何か私に言ったりしないと言うことは、問題ないということなのだろう。
世界が何かを隠している、なんて今更思わなかった。
茜のいない日々が、1日1日と過ぎていく。
穏やかで当たり前な、家族の日常は、明日も続く。
私と世界は今日、クリスタルピアノがシンボルの、海を見下ろす高台へと来ていた。
すっかり夏の暑さも薄れ、心地よい気温が秋の訪れを知らせる。そして、いつでも目の前の海は青く輝く。
ここに来ると、色々なことを思い出す。
ママと茜と初めて出会った時のこと。
世界が茜の核爆弾を爆発させようとした時のこと。
「……そろそろね」
世界はスマホの時計を見ると、神妙そうな顔でそう言う。
「世界、緊張してるの?」
私はそうやって世界の顔を覗き込み、茶化すようにそう言う。
すると世界は私に隠すこと無く、私を見て緊張した面持ちで頷く。
「そんな心配しなくても大丈夫大丈夫!だってママの作戦だよ?」
「それはそうだけど……茜、上手くできたのかな。」
その言葉に、茜の最後の姿を思い出す。
茜の最後の姿を見たのは、私たちが深夜の病室に忍び込んでから、たった1週間のことだった。
ついこの間まで緩慢ではあったものの話せていたのに、少し会えないうちに、茜は自発呼吸も弱くなり、話すことは無くなっていた。
だからもし私達に後悔があるのだとしたら、『作戦の準備』のせいで最後に茜と他愛のない話をたくさんすることができなかった、ということだろうか。
そんな茜が、『作戦』をしっかり遂行できたのか。
その世界の不安につられ、心なしか私の心拍数も上がっていった。私が「それ」を握る左手の力も、無意識に強くなる。
時刻はもうすぐお昼の12時。
世界の計算では、『そろそろ』らしい。
『その時』はここで迎えようと、茜が旅立った日から2人で約束していた。
世界のスマホから、12時を知らせるニュース番組の音声が流れ出す。
冒頭の聞き慣れた音楽が流れる。緊張のせいか、私たちはその画面を見ず、ずっと海を見つめていた。
数秒の後、軽妙なオープニングが終わる。
しかし、なかなか、アナウンサーの声は聞こえてこない。
挨拶すら聞こえない時間が、1秒、1秒と経っていく。
それに、私たちはゆっくり顔を見合わせる。
……まさか。
世界は急いでスマホの画面を見る。急いで私もそれを覗き込んだ。
するとスマホの画面では、何やら騒がしくアナウンサーやスタッフが動き回っている。ただごとで無いのは一目瞭然だった。
私と世界は、再び顔を見合わせる。
まさか、まさか……
心臓がバクバクと高鳴る。
手に汗が滲み、それを強く握りしめる。
そして、とうとう。
困惑した表情のアナウンサーが口を開いた。
「……えー、たった今入った情報です。
先程、太陽系の小惑星帯に存在する小惑星番号7919『プライム』が原因不明の爆発を起こしました。
国際小惑星連盟によりますと、その謎の爆発による破片の殆どは軌道に乗って地球へ近づくと考えられており、そしてその殆ど全てがーー」
私たちは、息を呑む。
「ーーおよそ100年後。地球へ衝突し、世界中に甚大な被害を及ぼす、と予想されます。」
世界の手を握る。
世界も呆然としたまま、私の目を見つめる。
『………茜が、やったんだ』
私と世界、同時に呟く。
私たちの目からは、同時に涙が頬を伝った。
「……よかった。茜、ちゃんとできてた。」
そう言って世界が私に笑いかける。それを見て私にもやっと現実感が湧いてきて、私の目から益々涙が溢れる。
「やった……成功、したんだ。」
そう呟く。
そして私はすぐ、左手で握っていたそれ、「トランペットケース」からトランペットを取り出した。
そのまま、高台の端、海の方へと駆け出す。
大きく、息を吸う。
演奏するのは、私があの年、この茜のトランペットでやったソロ。
大昔の人が未知の大陸へ挑戦した時をイメージした曲だという。
それが、この偉業を成し遂げた茜へ届くように。
その音は、高らかに響き渡った。
どこまでだって届くような、そんな気がした。
私がトランペットから口を離すと、再びあたりには波の音だけがこだまする。
たまらず、私はまた大きく息を吸った。
「茜ー!! ありがとうー!!」
その私の声は、広い海に吸い込まれる。
清々しくて、誇らしくて、寂しくて、嬉しくて。
…茜と私たちは、100年後、この世界に『復讐』する。
家族に理不尽を強いたこの世界は、100年後、私たちの居なくなった後、隕石で滅ぶ。
世界は叫ぶ私を見ると、一緒に私の横へと走り寄る。
「茜ー!! ……っ、よくやったー!!」
その声は随分鼻声で、私も世界もつい吹き出してしまう。
そして私達は手を繋ぎ、海を見つめた。
冷たい海風が、私達の火照った頬を撫でて気持ち良い。
私達の『作戦』は、成功した。
茜の私達を守りたいという気持ちも、世界のこの世界へ復讐心も、そのどちらも叶うのだ。
家族の幸せは、私の幸せは、実現する。
茜の核爆弾が、この地球に小惑星を衝突させる。
君が世界を滅ぼすまで:あと100年
ーーーーーーー
『よく聞いて、今から作戦を説明する。
やることは一つ、いわゆるカオス理論を利用する。
もしこれを世明も一緒に聞いてるなら、詳しいことは茜か世界に聞いてみて欲しいんだけど、簡単に言えば少しの差で全然違う結果になる、みたいなことかな。
それで、結果を変える。
多分最後に、繭純くんは茜のこと宇宙で爆破させるとか言うんじゃないかな。繭純くんの宇宙好きはお父さん仕込みだからね。
だからとりあえずそう仮定して、作戦を立てた。
まず発射台か何か、茜を宇宙に飛ばす台に仕掛けをして欲しい。
できれば台の右端に、手のひらサイズくらいの石か何かを、その発射台の右脚っていうのかな、一番右の支柱に4回、世明がぶつけるのがちょうどいいかな、と思う。
正直この理論を完全に掌握するのは私だけじゃ難しいから、ここら辺は世界が手伝ってくれるのが理想かな。
次は茜にしかできないこと。
最後、宇宙船に乗せられるとき。重心を正中から右に15°傾けて欲しい。可能であれば、大気圏を突破するまで。
これはかなり体力勝負だと思う。けど、茜にしかできないことだから、どうか頑張って欲しい。
ここまで言えば、何が起きるか茜ならわかると思う。
けど「茜が世界を滅ぼしたくなった時」って、きっとそういうことでしょ?
それがあなたの、家族の幸せなら、ママも幸せだよ。
例えそれが大犯罪だとしても、ママは茜と、世明と世界のママだって、胸を張って言いたい。
うん。それじゃ、じゃあね!
……またいつか。』
Q.E.D.
ここまで読んでくださりありがとうございました。
もしかしたら登場人物まとめみたいなの出すかもです。