#93
ホテル・ヴォンゴラはマーセナル・タウンのそばの湖に建つホテルである。
傭兵の街からは考えられない様な静寂さや質の高いサービスなどから上流層からも客を呼び寄せていた。
「ご予約は?」
「いや」
「ではご宿泊期間は…」
「四日で」
「畏まりました」
受付でチェックインを済ませるスフェーンはそこでアンドロイドのボーイは客室の確認を行う。
後ろでは大量の荷物をバゲージカートに乗せて運ぶ制服に身を包んだ使用人が通過する。
他にもホテルのロビーにはカフェやベンチが併設され、植物もふんだんに植えられているこの場所は富裕層から人気を博していた。
「朝と夜の食事も付けてくれ」
「畏まりました」
そしてボーイは最後にスフェーンの小銃を見る。
「それでは銃器の方はお預かりさせていただきます」
「んっ」
スフェーンは頷き、小銃とホスルターから抜いた拳銃を卓上に置く。
「畏まりました。二丁のお預けでよろしいですね?」
「はい」
するとボーイはルームキーに情報を加えてからスフェーンに渡す。
「ホテルを出る際はフロントにお預け下さい」
「わかりました」
「館内のご説明などは…」
「大丈夫です」
以前に何度もここは訪れているので、今更そんなものは必要なかった。
「畏まりました。それでは、良いご宿泊を」
黒いルームキーを食事券の入った封筒に入れて渡され、受け取ったスフェーンは荷物を持って傍の階段を登る。
「お荷物をお持ちしましょうか?」
「大丈夫です」
三階建ての小さなホテルだが、従業員の数は多く。満足なサービスを提供できている。
地下にはレストランやクラブがあり、一部マーセナル・タウンから傭兵も訪れていた。
「…」
カーペットの敷かれた廊下を歩き、少し暗めの廊下を進んで封筒に記された部屋に到着する。
「相変わらずだ…」
キーカードをタッチし、レバーを倒して扉を開けると、部屋はシングルベッドに開放的な窓とバルコニー、テレビやアメニティも置かれていた。
部屋には盗聴器も監視カメラもない安心安全なプライベート空間をお届けするこのホテルは企業の密談で使われる事もあった。
「はぁ…」
バルコニーに出ると、そこは薄霧が立ち込め。その奥には湖畔に植えられた広葉樹林が広がっている。
『ここには多くの富裕層が出入りしているのですね』
「あぁ、あの女傑の努力の賜物だな」
治安が壊滅的なマーセナル・タウンと隣接するこの湖はとても大きく、地図で見れば北向きにマーセナル・タウンがあり、目の前の景色は湖の南側を見せていた。
『スフェーンは嘗てもよく宿泊されていた様ですね』
「まぁ…な」
バルコニーで煙草を一本取り出してライターに火をつけると、窓辺に置かれたガラス製の灰皿に落としながら景色を眺める。
「此処は傭兵である事を忘れられる数少ない場所だ」
煙草の灰を捨て、スフェーンは時が流れるのを眺めていた。
このホテルの値段は少々お高い価格と言える。
ただぼったくりと文句をつけるほどの値段でもなく、ホテルのサービスから考えると妥当な値段設定だった。
『しかし、宿泊をするとは…』
「良いもんだろう?」
『いえ、すぐに去った方が色々と勘繰られる可能性も低くなるかと思ったのですが…』
「気分だよ気分」
スフェーンはルシエルに説教じみた様にスーツ姿でホテルのエレベーターで地下のボタンを押す。
地上三階、地下二階の構造のこのホテルは地下には酒場兼用のレストランがあり、降りると喧騒が聞こえて来る。
夕食の食事券をカウンターで出すとスフェーンは多くの人で入り混じったレストランを縫う様に歩く。
「ん?」
そしてレストランの奥、階段の上の窓のある壁側の席が空いていたので適当に座ってウェイターが来るのを待っていた。
席の窓からは美しい夕焼けが一望でき、スフェーンはそれを眺めていた。
レストランの壁にはいくつもの写真の入った額縁があり、このホテルに来た客や風景の写真を飾っていた。
「おぅ、嬢ちゃん」
そんな光景を見ながら席に座っていたら、いきなり顔に傷のある三人の男に囲まれる。
「そこから退きな」
「どうして?」
「そう言うルールだからだ」
やや見下す様に言う傭兵達はスフェーンに言うと訳がわからないと言った表情で返す。
「そんなルール聞いてないんですけど…」
「全く、これだからガキはよぉ…」
「子供ねぇ…そんな見下しながら言われても…」
スフェーンはそう答えて煙草に火を付けると席を立って傭兵三人組を見返す。
「ルールを知らなかったのは申し訳ありませんでした」
スフェーンが言うと傭兵達は気持ち良さげな表情を見せる。
「ですが…」
しかしスフェーンの視線は傭兵の腰に移った。
「どうして銃を下げているんですか?此処は銃の持ち込み禁止では?」
「「「っ!!」」」
指摘され、三人は目を泳がせた。この反応からしていつも故意で持ち込んでいたんだろう。
「其方はホテルの規則に載っていたはずですよね?」
スフェーンが指摘すると彼らは睨んで返してきた。
周りにいた客もその空気に危機感を感じており、逃げる準備を始める者もいた。
「あら、どうかしたかしら?」
そんな一触即発の空気を吹き飛ばす様に女性の声が入ると、傭兵達は彼女を見て少し驚きながら見た。
「マ、マダム…」
濃紫色のドレスに身を包んだその女性は傭兵達とスフェーンを見ると全てを理解した様子でスフェーンに話しかける。
「見た事ない顔、此処に来るのは初めてのお客さんね?」
「…えぇ、」
スフェーンは少し緊張しながら答えると彼女は納得した様子で短く頷くと
「今日は良いけれど、明日からは別の席を使ってね」
「は、はい…」
「いっ、良いんですかマダム?」
傭兵の一人が驚いた様子で聞くと彼女は薄く微笑む。
「えぇ、態々来てくれたお客さんに不便をかけちゃいけないもの」
そう答えると彼女は傭兵達を見て言う。
「あなた達も、今度からはちゃんと荷物は預けてちょうだいね」
「「「はい…」」」
罰が悪そうに萎れてその場を後にしていく傭兵達。
「運が良かったな。ガキ」
「次は無いぞ!」
そんなテンプレのような捨て台詞を吐いた後にレストランを後にした彼らを見送ると、スフェーンは女性に頭を下げた。
「有難うございます。お陰で助かりました」
するとその女性は微笑んで返した。
「大したことはしていないわ」
彼女はスフェーンを見た後、下のフロアに続く階段を降りていく。
「じゃあ、今晩は楽しんで行って頂戴」
そう言い残し、彼女は下のピアノの置かれた場所に戻った。
『今の方は…』
「(あぁ、此処の支配人のマダム・プエスタその人だ)」
又の名を傭兵の聖母と呼ばれたさる彼女はホテル・ヴォンゴラの支配人であり、
「(まぁ、俺の元カノさ…)」
かつてレッドサンと秘密裏に付き合っていた女性だった。
彼女との詳しい出会いは実を言うとあまり覚えていない。
ただ刺激的なものであった。
まだ傭兵をやり始めた頃、心の休息として訪れた海辺の観光地で崖の上から自殺を試みようとしていた一人の女がいた。
慌てて自殺を止めた後にひたすらに絶望している女性を夜が開けるまで酒場で話を聞き続けていた。
その時は仕事終了直後で羽振りが良かった時期だったので彼女の分の酒代も払っていた。
こう言う自殺未遂は軍警に任せても碌な対応をしてくれない。
かと言って目の前で人に死なれるのは気分が悪いので、色々と話を聞いていた。
「オイルパスタで。あとパンの追加を」
「畏まりました」
注文をし、待っている間は煙草に火をつけて窓の外の夕焼けを眺める。
初めて出会った時もこんな夕焼けだった。
結局そのまま成り行きで付き合う事になり、一時は同じ屋根の下で暮らしていた。
本気で傭兵を辞めようかと考えた事もあった。
「…」
しかし、イケイケで傭兵の名声が鰻登りだったあの時、自分は傭兵を取った。
家を後にし、自分の世話をしなくなり、暇になった彼女が始めたのがこのホテルだ。
開業資金は俺が出し、従業員は孤児院にいて就職難だった孤児院の奴等を斡旋した。
「懐かしいな…」
そして傭兵の仕事の合間、人目を避ける為に密かに通い続けていた。
『貴方ほど名の知られた人物は居ないでしょうね』
「顔は隠していたんだがな…」
傭兵として名を売っている自分はフルフェイスヘルメットを常に被っており、パパラッチやらもその素顔を捉えようとしていたが、次第にヘルメット姿がデフォとなり、誰も興味を示さなくなっていた。
『よくよく考えると、貴方の名前も知らない人ばかりですね』
「芸名が一人歩きしすぎてんだよ」
『そもそも本名を知る人間がほぼ居ないではありませんか』
「誰もそんなこと求めていなかったからな…」
そう言いスフェーンは傭兵時代を振り返る。
あの頃、民衆が欲していたのはレッドサンと言う傭兵としてのブランドであり、個人を求めていることはなかった。
赤砂傭兵団はそんなレッドサンのブランドについて来た小判鮫であり、それを跳ね除けたのが自分で、受け入れたのがジェロだった。
「その時点ですれ違っていたか…」
たが、彼が撃った動機にしてはそれは弱いと感じる。
『彼がスフェーンに敵対した動機がやはり分かりません』
「その場のノリと勢いじゃないのか?」
『それはあり得ませんよ』
ルシエルとそんな事を言っていると、テーブルに給仕がパスタ皿を持ってきた。
「お待たせいたしました」
注文したのはナスやトマトにオクラ、ズッキーニなどの夏野菜を使用したオリーブオイルのパスタだ。
茹で上がったアルデンテの麺はオリーブオイルを絡めてフォークで巻き上げる。
滴る程のオリーブオイルには香りが移った茄子とトマト、ニンニクの香りが鼻腔を過ぎる。
巻いたパスタをそのまま一口、口にしてパスタの歯応えとオリーブオイルの味を楽しむ。
下の席ではプエスタがシャンソンの『愛の讃歌』を歌っていた。
彼女の少し重く、それでいてレストラン中に届くその歌声は、レストランの喧騒が収まるほどであった。
「〜〜〜♪」
そんな彼女の歌を聴きながらスフェーンは夕食を摂る。
相変わらずの歌声だ。本人は至って下手の横好きと言っていたが、本職でも食っていける腕前だ。
「…」
そんな彼女は傭兵の街の近くに住んでいる事から、ホテルができてから少しした頃から傭兵の聖母と言われるようになった。
夜のレストランを通る彼女の歌声は、傭兵の汚れた心を洗う聖水の様だった。




