#238
その日、永遠の荒野が広がる大地を一機の水上機が飛んでいた。
「…」
そのコックピットでジェロームは操縦桿を握って飛んでおり、眼下に広がる一面の茶色い荒野を見ていた。
大災害で根こそぎ剥がれて流れていったこの星に植えられていた植物達。不思議な事に、ほぼ全ての植物が失われてもこの星の酸素濃度は低下することは無かった。
「…」
また津波となって世界中に押し寄せたエーテルだったが、不思議なことに水に関するものは影響が現れなかった。
故に海洋生物に関して大災害の影響はほぼ皆無。生物が死に絶えることはなかった。
この星は、学者達の話によると地表の陸海の割合が四:六であると言う。その海の中で海藻などの植物が光合成を行っていたことからこの星は人が生きられる酸素があるという話だった。
「…見えた」
そして空高く舞い上がったエーテルは、人類から空を奪った。
外界と隔絶され、百年以上が経った今。飛行機と言うものは低空を飛ぶことが余儀無くされていた。
故にこの世界では歪なことに鉄道技術が異様に発展する事となった。
「…」
そして家から水上機を飛ばして向かった場所は、かつて仕事場だった所にほど近い湖である。
湖は広大で、水上機ですら離着陸できる大きさがあった。視界の端には空高く聳え立つビルが立ち、湖の近くには浄水場が建てられていた。
湖畔には木々が生え、公園に開発が行われている。
「こちらWRY01。着水許可を求む」
『こちら管制塔、WRY01着水を許可する』
そんな湖のど真ん中の小島に立つ小さな建物、ホテル・ヴォンゴラである。
誘導灯に従って水上機は水飛沫を上げて着水すると、そのまま回転数を落とすと遠くで着水を見ていた管制塔から無線が入る。
『WRY01はそのまま二号桟橋に移動し、そこで誘導員の指示に従ってください』
「WRY01、了解」
そこで彼はそのまま水上を滑走して桟橋に近づく。
桟橋では両手にライトを持った係員が腕を大きく動かして待っており、ジェロームはその桟橋に近づくと、桟橋から縄を投げられた。
「長旅お疲れ様でした」
キャノピーを開き、そこで係員の手を貸りながら桟橋に降りる。
このホテルは水上機で訪れるような上流層の客も訪れるヴァイナハルテ誓約同盟有数の高級ホテルである。
かつてマーセナル・タウンと呼ばれたその都市は、今は黒鉄市と名を変えて傭兵ギルドの本部を構える一大都市に変貌をした。
ヴァイナハルテ誓約同盟は極めて小さな小国だ。周りには大国であるパシリコ・アリアドール・かつてサブラニエの一つだったユクレイン共和国。三方を囲まれ、自国産業に乏しいヴァイナハルテ誓約同盟では傭兵ギルドが文字通り国の命綱となっていた。
「ようこそ。ホテル・ヴォンゴラへ、ご宿泊ですか?」
アンドロイドのボーイが出迎え、ドアマンが紳士に階段を登ってきたジェロームを迎えた。
「あぁ…招待を受けている」
そこでジェロームは持ってきたホテルからの招待状を見せると、
「…畏まりました、ジェローム・サックス様ですね。お待ちしておりました」
するとボーイがジェロームの荷物を預かると、そこで彼はボーイから夕食券を受け取る。
「食事付きのご一泊でよろしいですね」
「えぇ」
「畏まりました。では、銃か何かをお持ちでしょうか?」
「あぁ」
「当ホテルでは、銃火器の持ち込みは原則禁止となっております」
「分かった」
そこでジェロームは持っている拳銃を卓上に置くと、そこで銃は回収され、代わりに札が帰ってきた。
「お帰りの際、こちらの札をお持ちください」
そこで札を受け取ると、ジェロームは夕食券の時間を確認した後にボーイの後をついて行く。
地下二階地上三階建のバロック建築のホテル。ホテル層では多くの上流層の人々が歩いていた。地下にはバー兼レストランがあり、渡された夕食券はそこで使えるものだった。
「こちらがお部屋となります」
「…」
そして案内された部屋を前にジェロームは中に入ると、そこで整えられたベットメイキングなどを一瞥する。
招待されたのは、本来であれば大人数用の部屋で、ホテルの中では上のランクに相当する部屋だった。
「(高い部屋だ…)」
ジェロームはその部屋にやや呆れながらベッドに座ると、そこで部屋の時計の時間を見る。
「そろそろか…」
長く飛んだ後で疲れている。ここら辺でいい食事をしてみたいものだ。
そう思って彼はベッドから立ち上がると部屋を後にした。
エレベーターで地下に降りると、そこから騒いでいる声が微かに聞こえ始め、ホテルのレストランに着くと、そこでは多様な客層が席に座っていた。
傭兵やホテルの宿泊客、商社マン。本当に多様な人材が一緒くたになって席に座って食事をとっていた。
ジェロームは夕食の食事券をカウンターに立っていたアンドロイドに渡すと、
「どうぞこちらに」
待っていたと言った様子でアンドロイドは近くの者を呼んでジェロームを案内させた。
「…」
燕尾服のホテルレストランの制服を見に纏った従業員はジェロームを案内すると、階段の上の側に小さな窓のある座席を用意された。その席には唯一窓際に紫苑の花の挿された花瓶が置かれていた。
一部ジェロームを見た者はやや驚いた様子であったが、腫れ物を見るようにすぐに視線を逸らしていた。
ジェロームは何せ数日前まで何かと話題になっていた男。傭兵ギルドは軍警察の判決に胸を撫で下ろし、傭兵達は判断に困った様子で触れざるもののような扱いをしていた。
「なぁ…あれって」
「間違いねぇぞ」
そんな小声がジェロームの耳に入って来た。
そんな様子を前に軽くため息を吐いて彼はポケットから煙草を取り出すと、マッチ箱を取り出して火を付ける。
その席に座ったことに周りの客は驚いていたが、従業員が誘導していた事もあってどういう事だとざわついていた。一部の傭兵は注意しに行こうかどうか困っている様子だった。
「…」
いつも吸っているハイライトの紫煙が昇り、帰って来てからは孤児院の事も考えて禁煙をしていたジェローム。
メニューが出てこないことに疑問を覚えながら数分待っていると、
「待たせてしまいましたわね」
階段を登って来た一人の女性。このホテルの支配人にして、傭兵の聖母とも呼ばれるマダム・プエスタその人だった。
「いえいえ、私も今し方着いた所です」
ジェロームは定型文で席に座るプエスタに会釈をすると、そこで彼女は席に座った。それと同時にジェロームは吸っていた煙草を灰皿に押し込んで消した。
現れた彼女に、彼女を現人神のように扱う他の傭兵達は納得した様子で姿勢を元に戻した。ここでは彼女が全てであった。
「まさかご招待してくださるとは思いませんでした」
「そうね、私も来てくれて嬉しいわ」
プエスタはジェロームを見ると、そこで二人は夕食の注文をする。
この場所は多くの人々が出入りをするので夕食もそれほど固いものではなく、鮭の香味ソテーとラムの赤ワイン煮込みが出て来た。
「あの後すぐに?」
「そうですね。貴方直々にご招待を受けて断るわけもありませんよ」
ナイフを手に取り、ラム肉を切るジェローム。
ジャガイモやえんどう豆、ニンニクなどの香辛料とともにじっくりと煮込まれたラム肉はとても柔らかい。
「ふふふっ、そうね…ここに来る人はみんなそういうことを言うわね」
プエスタも鮭のソテーを切る。
オリジナルの香辛料を使った付け合わせはレストランの人気メニューだった。
周囲では多くの客が出入りをしており、間も無くバーがメインとなる時間である。
そんな中で腫れ物のように扱いにくい人物とホテルの支配人であり、傭兵の聖母とまで言われる御仁との会食に気づいたとある記者がインタビューをしようとして、近場にいた傭兵達に首根っこを掴まれて静かに取り押さえられていた。
ーーインタビューをするなら後にしておけ。
首根っこを掴まれた記者は傭兵達からそのような目線を向けられており、その視線を前に記者も萎縮した後にコクコクと頷いていた。
そんな傭兵達の行動に気付きながらも、プエスタとジェロームは話す。
「貴方、人殺しの容疑があったって話だけど?」
「そうですね…まぁ業務上過失と言うことになりましたが」
平然とした表情でジェロームはプエスタに返すと、そこで彼女も少し微笑んだ。
「傭兵でも仕事として認められるようになったのね…」
「血生臭いですが、普段から我々は命をかけて仕事をしていますからね」
時代は変わったものだと、彼女は思った。
このホテルに出入りする客層は昔と変わらないが、傭兵ギルドという確立された組織が出来上がった事で彼らの中に曖昧な感覚としてしかなかった『傭兵の誇り』というものが表面化したような気がしていた。
「貴方のおかげで、ここに来る人たちもみんなもっといい子になったわ」
「いやいや、プエスタさんを貶めようとするものなどこの世にいるはずがありませんよ」
そんな世間話をしながら二人は食事を進めており、二人の話に聞き耳を立てる周囲の人々。
ジェロームに対する疑念は未だ傭兵の中にあり、何を話しているのかの記者達は固唾を飲んで見守る。そしてメモ帳に話している内容を記していく。
その後は、食事が終えるまで世間話で終わり、拍子抜けした傭兵達。記者は食事を終えてレストランを後にするジェロームに声をかけた。
「インタビューをさせてもらってもよろしいでしょうか?」
「すみません。生憎、今日は疲れていますので」
そう言ってエレベーターを登ると、そのまま一階のロビーを歩く。
ホテル層には傭兵の姿はほぼない。ここの階に傭兵が来る時は大半がPMCに呼ばれての商談や依頼料の話をする時である。
客室の盗聴器や振動盗聴器の類の心配もいらない防聴の設備が整ったミラーガラスの部屋故にこのホテルでは今まで多くの取引が行われて来た。
「…」
そしてそんなホテルの中庭を抜けてジェロームは人目を避けて進むと、
「お待ちしていました」
そこでは先ほどレストランで分かれたプエスタが待っていた。




