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第一話

 僧侶キィズ・グッチスキは宿屋の一室に呼び出されていた。

 

 長く伸びた黒髪。幼さなの抜けない清楚な顔立ち。身にまとうローブは上位の僧侶用のローブに、手に持つのは回復の力を秘めた杖。

 17歳の少女だが、外見だけならそれより幼く見える。しかしその落ち着いた佇まいは、見た目通りの娘ではないと感じさせる何かがあった。事実、彼女は冒険者の中でも筆頭の、勇者パーティーの回復役なのである。

 

 彼女を呼び出したのは、パーティーのリーダーである、勇者ユウィー・シャルゼン。

 身にまとうのは立派な魔法の鎧。その腰に佩く剣は、名高き聖剣だ。

 しかし何より目を引くのはユウィー自身だろう。鍛え上げられた分厚い身体。黄金色の髪に精悍な顔にまっすぐな瞳。彼の圧倒的な存在感は、伝説級の装備ですら不足に思えるほどだ。

 

 その隣に立つのは細面の目つきの鋭い男は、最近パーティーに加わったばかりの僧侶シェン・ジョズーだ。その実力は申し分なかった。回復魔法ばかりでなく、様々な支援魔法を使いこなした。臨機応変な支援により、早くもパーティーの力を底上げしている。

 

 二人とも、信頼すべきキィズの仲間だ。しかし、今日の二人は、どこかよそよそしかった。


「……キィズ・グッチスキ。残念だが、君にはパーティを抜けてもらいたい」


 そして、決定的な一言を告げられた。

 キィズの脳裏に、束の間、勇者パーティーでの冒険の日々がよぎった。




 4年前。僧侶キィズ・スーキは回復魔法が使えるということで、ユウィー・シャルゼンにパーティーに誘われた。当時の彼は、まだ駆け出しの冒険者だった。

 

「ぐわあっ!」


 初めて挑んだ洞窟で、ミノタウロスと遭遇してしまった。駆け出しの冒険者たちである彼らには、強大すぎるモンスターだった。

 ユウィーは腹に斧の一撃を受けて吹っ飛ばされた。

 慌ててキィズは彼のもとに駆け付けた。腹の傷は深い。駆け出しのキィズの力量では、手に負えそうもない重傷だった。

 

「少しでいい、回復してくれ……! は、はやく仲間を助けなければっ……!」


 並の人間なら意識を保つのも困難な状態にもかかわらず、ユウィーは自分より仲間の身を案じていた。

 その姿に、キィズは胸を打たれた。

 だがなにより彼女を惹きつけたのは、斧で切り裂かれた腹の傷口だった。


 あふれ出る鮮血。

 切り裂かれた筋肉の筋。

 そこから垣間見える臓物。

 鍛えられ身体の中で脈打つ、グロテスクなものたち。

 そのギャップにキィズは衝撃を受けた。美しいと思った。魅せられてしまった。

 

 隠されたものというのは、それだけで人を魅惑する。

 臓物なんて、家族も恋人も見る機会などほとんどないものである。

 それを自分だけが見ているという事実に、キィズは背徳的なよろこびを感じた。

 そして思った。

 これは自分だけで独り占めしたい。他の人には見せたくない、と。

 

 だから全力で回復魔法を行使した。


 回復魔法は人体構造を理解し、傷の状況を理解するほど効率が上がる。骨は何本あってどのように組み合わさっているか。筋肉は骨とどう繋がっているか。脂肪と皮膚はどのようにそれらを包んでいるか。血管と神経は、どんな風に張り巡らされているか。それらが、どのように破壊されているのか。理解すればするほど、効率よく回復することが可能になる。

 多くの僧侶が、初めての戦闘では実力を発揮しきれない。実際の戦闘で見る傷口はあまりに無残だ。初めて知る戦闘の恐ろしさに慄いてしまうのである。

 

 しかしキィズは違った。傷口を慈しみ、じっくりと嘗め回すように見た。治す過程すら楽しんだ。

 結果、ユウィーの傷はわずか数分でふさがった。明らかに当時のキィズの力量を超えた成果だった。

 

「あの傷がもうふさがった……!? ありがとう! これで戦える!」


 この異常事態を前に、まったく動じなかったユウィーもまた尋常ではなかった。彼には勇者の資質があった。

 ユウィーはミノタウロスとの戦いに戻り、獅子奮迅の活躍をした。

 瀕死の彼が戻り、すぐさま戦いに戻って前以上に活躍したことは、おおいに仲間の士気を上げた。そしてユウィーのパーティーは、どうにかミノタウロスを討伐したのである。

 

 ギリギリの戦いだった。皆がボロボロだった。

 そんな彼らをキィズは次々と癒していった。

 そうしていると、ユウィーがキィズを呼び止めた。

 

「キィズ、すこし休むんだ」

「わ、わたしはまだまだ大丈夫です!」

「いいや、休むんだ。気づいていないのか? 鼻血が出ている。君は無理をし過ぎたんだ」


 頬を紅潮させ、汗を流して治療に挑む彼女の姿は、パーティーメンバーにとって僧侶の鑑として映っていた。鼻血もまた、限界以上に回復魔法を使った結果と受け取られた。

 その鼻血が性的興奮によるものであると、誰も気づくことはなかった。

 

 そして、キィズにとって幸せな時間が始まった。


 魔王を倒すべく、危険な冒険に挑むユウィーのパーティーは、必然的に重傷を負うことが多かった。

 無残に裂かれた皮膚、断ち切られた筋肉、ちらりと見える骨、まろび出そうになる臓腑。そのどれもが彼女を興奮させた。鼻血が毎回のように出た。そして、回復魔法の力量はメキメキと上がっていった。


 しかし、支援魔法は駆け出しのころからまったく進歩していなかった。パーティーの傷を減らす支援魔法は、彼女にとって疎ましいものですらあったのだ。

 それでも彼女の卓越した回復魔法は、パーティーを支える極めて重要なものだった。

 ユウィーのパーティーは、やがて勇者パーティーとして世間に認識されるようになった。その快進撃はとどまることを知らなかった。

 

 キィズの幸せな冒険はいつまでも続くかと思われたが、しかし、だんだんと事情が変わってきた。

 ユウィーのパーティーは強くなった。装備が充実し、自動回復系のアクセサリも皆が装備するようになった。重傷を負うこともまれになり、彼女の活躍の機会は次第に減っていった。




 束の間の回想から戻ると、目の前のユウィーが目に入った。

 初めて会った時とくらべて、大きく、強くなった。

 しかしその純粋な瞳は変わらない。彼女にパーティーを抜けるよう告げた彼の瞳は揺れていた。彼は難しい判断をした。しかし、心は揺れている。

 ユウィーは勇者となっても、その誠実さは変わっていない。しかし自分は、変わってしまった。キィズはそんな風に思った。

 

「承知しました。わたしはパーティーを抜けます」


 キィズは一息に告げた。

 そのあまりの迷いのなさに、ユウィーは一瞬、呆けてしまった。

 我に返った時には、キィズは既に踵を返し、宿屋の部屋から出ようとしていた。

 

「い、今までありがとう! これからは冒険で危険を冒すことはない! 君は街の診療所で働いて、多くの人々を助けてほしい!」


 ユウィーの呼びかけにキィズは足を止めた。

 寂し気な笑みを浮かべ、一礼すると、宿屋の部屋を後にした。

 

 キィズは自分がもはや勇者パーティーに不要であることはわかっていた。彼女ほど卓越した回復魔法の使い手はいない。だが、強力になった勇者パーティーなら、僧侶シェン・ジョズーが回復役を十分努めてられる。彼は支援魔法も得意だ。彼女が抜けたことで、パーティーの総合力が下がることもないだろう。


 それに、キィズ自身、そろそろ限界だった。

 

 勇者パーティーは魅力的だった。誰もがみんな鍛え抜かれた素晴らしい身体を持っていた。その肉体は、しかしその素晴らしさゆえに、傷つく機会が減っていた。こんなにいい体なのに、骨も内臓も見ることができない。キィズにとって生殺しの状態が続いていたのだ。

 

 一時は彼女自身の手で、その肉体の中身を見させてもらおうと考えたこともあった。僧侶である彼女が正面から挑んで、勇者や戦士にかなうはずもない。だが薬を使うなり寝込みを襲うなり、後先を考えなければいくらでもやりようはあった。しかしそれは、彼女自身の美学が許さなかった。


 強力なモンスターが、その力を持って鍛え抜かれた肉体を傷つけてこそ、美しい傷口になるのである。それは、攻撃力に劣る僧侶では成しえない芸術なのだ。

 

 そのこだわりすらも限界が近づいていた。遠からず勇者や仲間を傷つける日が来るのは避けられないように思えた。

 だからユウィーからの申し出は渡りに船だった。自分からどう切り出すか悩んでいたほどである。

 

「さて、これからどうしましょう……」


 ユウィーの助言通り、キィズが望めば街の診療所で働くのは問題ない。彼女の実力と功績があれば、王宮で働くこともできるだろう。好待遇で召し抱えられるに違いない。

 だが、それで生活は安定したとしても、彼女の性癖は満たされない。平和な街中や城中でできる怪我や病気などたかが知れている。大きな事故でもあれば満たされるかもしれないが、それも滅多にあることではないだろう。

 

 やはり冒険。その最前線にしか、彼女の求めるものはない。

 勇者パーティーとしての名声も届かない場所に行き、名も知れない冒険者のパーティーに入れば、また楽しめるようになるかもしれない。


 金も地位も権力も興味はなかった。

 ただこの胸を突き動かす情熱に従って。

 彼女は、旅立った。


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