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きっかけ(哀)

「・・・・ごめんね、ママ・・・(きょう)ちゃんを置いてっちゃう・・・・・ごめんね。」

「ママ、ママ!やだ、おいてかないで、ママッ!ママァー!!」

 僕の6歳の誕生日、僕のたった一人の家族であるお母さんが遠い所に行ってしまった。僕がずっと泣いている間にお母さんのお葬式は終わり、僕の隣でこそこそと親戚のおじさんやおばさん達が僕をどうするか話し合っていた。でも、その中に僕の味方はいない。みんなお金がとか、自分の子どもがとか、僕を押し付けあっている。本当は自分で行き先を決められるなら、行きたい所があった。お母さんがいなくなる前に、もし向こうが良いと言ってくれたらその人の所へ行きなさいと、そう言っていた人の家。そこはお母さんのお姉さんの所で、その家には僕にとって本当のお姉ちゃんみたいに思える従姉がいる。でも、お母さんのお葬式なのに、その家の人は誰も来ていない。だから、その人の所へ行きたいと言って良いのか分からなくて、僕は目に涙を溜めて集まっている大人達をずっと見ているしかなかった。

 そうこうしている内に、お母さんよりもっと前に死んじゃったお父さんの弟である人が僕を引き取る事になったらしい。出来れば、僕はその人の所にだけは行きたくなかった。いつも法事とかで集まった時に、その叔父さんや叔母さんは僕に笑いかけてくれるけど、どうしても僕はその人達と一緒にいるのが怖くて仕方なかった。だって、顔は笑っているのに、目が笑っていない。なんだか汚い物でも見るみたいに僕とお母さんを見て、人のいない所で僕達の事を嗤っていたから。

 でも、お母さんも大好きなお姉ちゃんも傍にいない今、まだ小学校に入る前の僕にはどうする事も出来なかった。そしてその日から、僕にとっての最悪の日常が始まった。



「おい、こっちへ来い。」

「・・・・・。」

 学校から帰って家に入ると、居間の前を通った時に無表情の叔父さんが僕を呼んだ。僕を引き取った日からもうすぐ7年経つけど、あれから今まで1度も僕の事を名前で呼ばない叔父さんに、僕も無表情のまま近づいていく。この無表情が、叔父さん達が僕を汚い物のように見る原因の1つだって言うのは、引き取られてすぐに知った。それでも、僕はこれ以外の表情は泣き顔しか出来ない。だからと言って、泣き顔を作ればこの後来る痛みは更に酷くなる。

「何だ、その目は。誰のおかげで今生きていられると思っている!」

-ドガッ!バシッ!-

 あの日から必要最低限の食べ物しか貰えない僕の身体は、もう中学生だと言うのに小学生並みの体型をしている。同級生達からは触れただけで折れそうと言われている細い身体に、叔父さん達は死なない程度に加減した暴力を、服で隠れる場所に毎日と言っていい程ふるってくる。僕はそれに、身体を丸めて耐えるしかない。でも、無表情だけれど、視線は叔父さんの手や足から外さない。長年の経験からこの辺りにこれを受ければダメージは少ないとか、そんな知恵が付いていた。それでも、さすがに同じ所を毎日蹴られたりすれば痛みが半端無い。特に最近は何かあったのか、力がいつも程加減されないし、時間も長くなっている。数日前に叔母さんがこの家を出て行ったから、振るわれる暴力が1人分少なくなったのが唯一の救いかもしれない。

 でも、僕にはそんな事は関係なくて、頭の半分では今日の晩御飯は何を作ろうかとか、それが終わったら宿題をしなければとか考えていた。だから、少し油断していたのかもしれない。気付いた時には、叔父さんがガラスの灰皿を振り上げていた。

-・・・ガシャンッ!-

 ガラスの割れる音は聞こえたのに、いつまで経っても衝撃が来ない。思わずきつく閉じていた目を恐る恐る開けると、僕は女の人に上から守られるように覆いかぶされていた。

「だ、誰だ、お前ら!」

「・・・・6年ぶりですね、岩瀬さん。私の事、覚えていますか?」

 僕に覆いかぶさっていた女の人が、僕の手を引いて立ち上がりながら叔父さんにそう言っていた。女の人は背を向けて僕より前に立っているから顔は見えないけれど、後姿と声だけで誰なのか分かった。

「・・・・蝶湖、ちゃん?」

「久しぶりね、皓君。来るのが遅くなって、ごめんね。」

 僕が大好きだったお姉ちゃんの名前を呼ぶと、こちらを向いたその人が前と変わらない優しい声で答えてくれて、そっと僕の頭を撫でてくれた。その7年ぶりの感触に、僕は思わず泣きそうになった。それを察したのか、蝶湖ちゃんは僕の事を優しく抱きしめて背中をあやすように撫でてくれる。

「・・・・笹埜の所の娘が、何でここにいる。」

「何故って、皓君を引き取りに来たに決まっているじゃないですか。それと、仕事です。」

 僕を抱きしめたまま、蝶湖ちゃんが怖い声で叔父さんの方を見る。すると、叔父さんは顔を青褪めさせてみっともなく震えだした。蝶湖ちゃんの顔は見えないけれど、僕には分かった。蝶湖ちゃんが僕と同じような無表情の下で、本気で怒っている事が。

「あなた、6年前に言いましたよね?叔母様のお葬式に間に合わなかったけれど、今からでも皓君が望むなら私の家で引き取らせてほしいと言いに来た時に、『皓はこちらで大事に育てます。もうお母さんの死を乗り越えて、少しずつ笑えるようになってきたんですよ。皓も此方に居たいと言ってます。』と、そう言いましたよね?」

 そんな話、知らない。蝶湖ちゃんが僕を引き取りたいって言ってくれてた事、その事を叔父さんと話していた事。何より、僕はここに居たいなんて言ってないし、未だに笑顔になれた事もない。

「叔父さん、どう言う、事?僕、そんな話、知らない。」

「・・・・さい、うるさい!今さらそんな事言ったって無駄だっ!お、お前は、明日には俺の代わりに連れてかれるんだ!そんな事、今さら知ったって無駄だっ!」

 どう言う事?何で僕が叔父さんの代わりになるの?僕は何処かに連れて行かれるの?せっかく蝶湖ちゃんに会えて、蝶湖ちゃんが引き取ってくれるって言ってくれたのに。

「蝶湖ちゃん・・・。」

「大丈夫、皓君はこれから私達と一緒に暮らすの。もう痛い目には遭わなくてすむの。ね?篁君。」

 そう言って、蝶湖ちゃんは僕の斜め後ろを見た。僕と叔父さんもそっちを見ると、黒いスーツに黒いコートを羽織って、ポケットに手を入れたまま柱にもたれかかり、無表情で叔父さんを見ている男の人が居た。その無表情は叔父さんを見ている間は怖いと感じたけれど、チラッと僕と蝶湖ちゃんの方を見た時だけ、優しくなった気がした。

「初めまして、岩瀬 卓也さん。私、小野コーポレーション社長の小野 篁と言います。」

「小野コーポレーションって、まさか、あの・・・!」

「ええ、おそらく、貴方が思っていらっしゃるので間違いないと思いますよ。」

 小野コーポレーションの名前は僕も聞いた事があるし、今気付いたけれどこの小野さんの顔も何かの雑誌かテレビで見た事がある。確か、小野コーポレーションと言うIT関係の会社を中心としたいろんな分野の企業を傘下に持つ、日本を代表する企業グループのトップに立つ人だ。その人が、何で蝶湖ちゃんと一緒にここに?

「我がグループはね、末端の方では金融業もやってまして、その業界ではそこそこ有名なんですが、そうなると色々な所から様々な話が入ってくるんですよ。その中に、最近貴方がとあるヤミキンに多額の借金をし、その借金の回収に引き取っていた甥っ子を差し出したと言う噂が流れてきたんです。」

え?借金?ヤミキン?それに、僕が借金の形?どう言う事??

 小野さんの言っている事に、頭がついて行かず、思わず蝶湖ちゃんの服を握り締めると、それに気付いた蝶湖ちゃんと小野さんが優しい目を向けてそっと頭を撫でてくれた。

「それでですね、その話が来た時に私の秘書である彼女が貴方と皓君の名前を聞いて、まさかと思って確かめたところ、どうも事実でその皓君も彼女が実の弟のように思っている従弟で間違いないとわかったので、貴方が借金をした所からウチが回収権利を買い取ったんですよ。こうすれば、貴方が作った問題事に無関係な皓君が巻き込まれずにすむでしょう?と言う事で、オイ。」

 小野さんが玄関のある廊下の先へ低い声を掛けると、ガタイの良い強面の男達数人が入ってきて、叔父さんの両肩を逃げられないようにがっちり掴んだ。

「ウチの社員兼組員で、こう言う借金の回収などの荒事専門の者達です。」

「くっ、組員?!」

「広域指定暴力団、将樹会系小野組って聞いた事ありませんか?そこの組長も私なんです。」

 そう言われた叔父さんは、さっきよりも大きく震えて足に力が入らないまま、男の人達によって引きずられるように連れて行かれた。

「さて、皓君。」

 しばらく沈黙が続き、玄関の戸の閉まる音が別世界の物のように聞こえるほど呆然としていたら、背の低い僕に合わせるように膝をついた小野さんが、僕の顔を覗き込みながら声をかけてきた。

「お腹空かない?」

 瞬間、僕と蝶湖ちゃんの時間が止まった。

「ちょ、ちょっと、篁君?」

「まあまあ。で、蝶湖さんもお腹空いてない?」

「まあ、もうすぐ19時だからそれなりに。」

「じゃ、食べに行こう。」

「え?あ、わっ!」

 勢いよく立ち上がった小野さんは、そのまま固まっていた僕を軽々と抱き上げる。いくら栄養が足りなくて小学生並みの体型と言っても、もう中学生のしかも男なのだから、これにはちょっとショックだった。でも、無表情な小野さんの雰囲気があまりにも優しいし、あやすように背を叩いてくれる手が暖かくて、それがずっと忘れていたお母さんの手を思い出して、哀しくなって声を堪えて泣かないように歯をくいしばった。

「ガキがそんな泣き方するんじゃねえ。男でも、泣きたい時は泣いて良いんだ。それに男が声出して泣けんのは子どもの時だけなんだから、まだガキのお前が声殺して泣くんじゃねえよ。」

「・・・・うっ、ひっく、ふぅ、うぇーー。」

 中学生にもなって情けないと思ったけど、いつの間にか小野さんが言うように声を出して泣いていた。それを見た蝶湖ちゃんと小野さんの雰囲気がさらに優しい物になって、2人揃って僕が泣きやむまで頭を撫でたり、背中をさすったりしてくれてた。

「・・・・泣きやんだな。」

 結構長い間そのままでいたけれど、落ち着いて冷静になった所で小野さんにしがみついていた身体を離したら、僕の涙を親指でぬぐいながら小野さんが顔を覗いて来た。そこまでされて、やけに高い目線と目の前にある小野さんの顔から、今どういう状態なのかを思い出して僕は表情には出ないけど結構慌てた。僕はずっと抱き上げられたままで、それも小さな子がよくされる様に、今僕は小野さんの左腕に腰掛ける感じで抱っこされている。

「あ、あの、小野さん、すいませんが降ろして下さい。それに、ごめんなさい、腕疲れましたよね?」

「気にするな。それより、俺のことは下の名前、篁って呼べ。それと敬語はいらない。」

 小野さんの言葉に、でも、と言いよどむと、小野さんが哀しいと感じているのが分かった。僕は哀しみの表情しか出ないからか、他の人の哀しみの感情にだけは敏感で、これだけは絶対に間違いない。だから、優しくしてくれる小野さんを哀しませる事を言ってしまったから申し訳なくて、それ以上にどうしたら良いのか分からなくて焦って動けなくなってしまった。それを感じ取ってくれたのか、小野さんから哀しみの感情が消えてまた頭を撫でてくれた。

「ああ、じゃあ敬語は慣れたらで良いから、名前だけは篁って呼べ。俺は、お前が俺と対等な立場に立ってくれる奴としてずっと探していたんだから、名字で呼ばれたら対等な感じがしなくて俺が嫌なんだ。」

「対等な、立場?」

「簡単に言えば友達みたいなモノよ。私も肩書きは彼の秘書だけど、プライベートでは友人や協力し合う仲間として一緒にいるの。篁君は皓ちゃんと、それと同じ関係になりたいって思っているのよ。」

 蝶湖ちゃんが僕にも分かるように説明してくれる。それを聞いて小野さん改め篁さんの顔を見ると、無表情だがどこか照れたようにそっぽを向いて頬を掻いている。

「まあ、それについてはまた後で説明する。それより今は飯だ。確か、来る時にファミレスが有ったな。丁度良いからそこにしよう。」

 そう言って外に出ようとする篁さんを、僕はある事を思い出して慌てて止めた。

「あ、あの、良かったらウチで食べていって下さい。簡単な物だし、お口に合うかわかりませんが、僕が作るので。」

「俺は別に良いが・・・・。」

「・・・・僕、人の集まる所が苦手なんです。軽度の対人恐怖症と言うか・・・・・。」

 この家に引き取られる前からお母さんと交代しながら家事をしていたから、この家に来てからずっと家事をするのは僕の役目だった。料理をするのは大好きだったからそれは構わなかったんだけど、学校と買い出し以外の外出を制限されていたため、人との接触が極端に少なくなった結果、元々人見知りする方だった僕は対人恐怖症になってしまった。

「それじゃ、お世話になるか。おっと、忘れてたが後2人、増えても良いか?」

 篁さんの言葉にうなずくと、それを受けた蝶湖ちゃんが玄関へ向かった。残された僕は、お願いしても降ろしてもらえなくて、そのままキッチンへ連れて行かれる事となった。


 それから30分程して、完成した5人分の料理を皿に盛っている僕の耳に、玄関の方から蝶湖ちゃんと聞いた事のない声が2人分聞こえてきた。

「うぅ、蝶湖姐さん、もうちょっと手加減してや。口ん中切ってもうた。」

「すごいね、獅史樹。蝶湖さんの手形、バッチリ残ってる。」

「そこ、感心するとこか?彼氏の俺の顔が傷物になったっちゅうのに。」

「だって、自業自得だもん。篁さんに待ってるように言われたのに、勝手にドライブに行っちゃったのは私達だし。」

「マリアも止めんかったやん。」

「だから、私は仕事増やされたじゃない。そのせいで獅史樹に会える時間が減っちゃって、これでも反省してるんだから。」

「どんな理由があろうと、連絡もせずに何処かへ行っちゃったあなた達が悪いの。連絡してから戻ってくるまでに30分もかかっているし。いったい何処まで行ってたんだか。」

 そんな会話をしながら、蝶湖ちゃんを先頭に、篁さんとは違ったタイプのかっこいいお兄さんと、蝶湖ちゃんとは違ったタイプの綺麗なお姉さんがキッチンと繋がっている居間に入ってきた。後ろの2人の空気はなんだか甘い感じで、それを見た蝶湖ちゃんは怒り口調なのに何処か疲れている感じがする。

「皓君、悪いが何か冷やす物ないか?」

 会話と3人の様子を見て何があったか分かったのか、篁さんが僕に言ってきたから、僕は氷水を入れた袋とタオルを用意した。それをかっこいいお兄さんが礼を言いながら受け取って、その右頬にくっきりと残った赤い手形にあてた。

「皓君、紹介するわね。こっちの金髪が海緒乃 獅史樹。で、こっちが桜咲 マリア。獅史樹君、マリア、この子が私の大事な従弟の緋咲(ひさき) 皓君。」

「はじめまして、緋咲 皓です。」

 蝶湖ちゃんに紹介されて僕がお辞儀をしながら挨拶すると、獅史樹さんとマリアさんがじぃっと僕の顔を見てきた。その視線に居心地悪くしていると、今度は突然2人ともブルブルと震え出す。

「可愛い!顔は写真で見たから知ってたけど、実物がこんなに可愛いとは思わなかった!皓君、私は桜咲 マリア。桜に皓君と同じ咲くって言う字で桜咲。でもマリアって呼んでね?」

「マリアの言う通りや。マリアには敵わんけど、君かわええなあ。俺は海緒乃 獅史樹や。獅史樹って呼んでな。それと、マリアは俺の大事な恋人やさかい、やらんからな。」

 僕の手を片方ずつ握って口を挟む間もなく言ってくる2人に、僕は対人恐怖症の事など忘れて唖然とするしかない。その様子を見て、篁さんも蝶湖ちゃんも無表情なんだけどどこか諦めているように見えた。


「うっわ、めちゃうまあ。俺、こんな旨い飯食ったの久しぶりやわ。こりゃ、ヒジリさんの料理より旨いで。」

 居間に移動して食事を始めたところで、獅史樹さんが僕の料理を絶賛してくれて、他の3人もそれに同意してくれる。僕はその言葉に嬉しく思うし、この家に引き取られてからは僕1人での食事しかした事がなかったから、こんなに大勢での食事は久しぶりで楽しく思えた。

「うんうん、やっぱり皓君には楽しいとか嬉しいって言う感情が似合うなあ。」

「え?」

 僕の顔を見ていたマリアさんの言葉に、僕はびっくりして顔を見返す。マリアさんは確かに今、正確に僕の感情を言いあてた。哀しみの表情しか出せない、こんなに嬉しくて楽しい時でも無表情になってしまう僕の顔を見ながら。

「どうして、皓君の感情が分かったか不思議ってとこかな?」

 僕がうなずくと、マリアさんが篁さんの方を見た。

「篁さん、もしかしてまだ説明してない?」

「ああ、今から説明しようとしていたところだ。皓君、飯食いながらで良いから、聞いてくれ。」

 それから僕は蝶湖ちゃん達の補足を受けながら、篁さんの探し物について話を聞いた。篁さんの家の事。篁さんの親友から言われた占いの結果。蝶湖ちゃん達3人が僕と同じで1つの感情以外表情に出なくて、その感情には敏感だからさっきのマリアさんや僕のように無表情でもその感情は正確に分かる事。そして僕が篁さんの探している4人の内の最後の1人にあたる事。

「そしてここが重要だが、さっきも言った通り俺の本業はヤクザだ。」

 全員が食事を終えて箸を置いたところで、篁さんが今まで以上に真剣な目で切り出した。

「ヤクザで、しかもトップである俺の近くにいると言う事は、カタギの人間として近くにいるとしても危険にさらされると言う事だ。実際に、俺と獅史樹の出会いもそんな感じだしな。それでも構わないという覚悟が有るなら、俺の所に来ないか?」

 篁さんの真剣な言葉に、話を聞きながら感じていた事を僕は声には出さずに、顔を縦に振るだけで表した。



「それから僕はここに引き取られて、通信制の学校に通わせてもらっています。ただ、置いてもらうだけじゃ申し訳なくて、皆さんの食事を作る仕事をもらいましたけどね。」

 蝶湖ちゃんと再会して、篁さん達と出会って、僕が蝶湖ちゃんの身内として小野組に引き取られる事になってから半年ほど経った今日。組員さんの夕食を作っていた僕の目の前には、まだお母さんが生きていた頃に近所に住んでいたおじさんがいた。

「いや、元気そうで良かったよ。お袋さんが亡くなってすぐ、親戚に引き取られたって聞いてたが、近所連中で元気にしとるか心配してたんや。」

 おじさんの言葉に謝りつつお礼を言うと、良いから良いからと言って僕の背中をバシバシと叩いてきた。

「しかし、驚いたな。本部に組長直々にスカウトしてきた腕の良い可愛い料理人がいるって噂で聞いてたが、それがまさか皓ちゃんの事やったとわ。」

「いえ、僕も驚きました。酒井のおじさんが小野組の組員だったなんて。しかも、年度初めの4月じゃない今日から第二事務所から本部詰めになる人がいるって聞いてはいたけど、それが酒井さんだったなんて。」

 表情に出す事が出来ないから、精一杯驚きを声に表すと、酒井さんははにかんだように笑った。それもそのはず。年度初めに力を試されて所属する場所が決まる小野組において、いくつかある事務所の中でも本部と呼ばれているこの第一事務所に、他の事務所に属していた者が季節外れの異動をすると言う事は、組長である篁さんか幹部の誰かに直接実力を買われたと言う事を表す。つまり、大出世と言う事だ。

 そんな重要な所にヤクザではない僕が出入りしている理由は、ここの組員さんの食事を作ったり、事務所の掃除を始めとした他の家事を手伝ったりしているから。本部は20階建てのビルで、1階から5階までが組の事務所、それから上は全部住み込みの組員さんの住居となっているが、僕や篁さん、蝶湖ちゃん、獅史樹さんにマリアさんの5人は、数人の幹部の人と共に本部ビルの隣にある『本家』と呼ばれている大きな屋敷で暮らしている。

 篁さんの所に引き取られる事が決まってから、僕は本家に住むとともに通信制の中学に転校した。ある事情から僕は学校に行っても意味はないけれど、中学までは義務教育だから仕方ない。そしてその学費を出し後見人になってくれているのは篁さん自身で、申し訳なく思った僕が何かさせて下さいとお願いしたら、ここの家事を任される事になった。僕が来るまではまともに料理が出来る人が1人しかいなくて、でもその人は幹部だから忙しいため料理人を雇おうかどうか丁度迷っていたらしい。僕も料理は好きだったから、快く引き受け今に至る。

「おーい、皓くん、何か手伝う事ないか?」

 僕が酒井さんと話している所に、オレンジ色の派手な髪色にオフホワイトのスーツを着た男の人が入ってきた。その後には、いかにもこの世界の人間ですといった雰囲気を出す強面の男の人と、シャワーを浴びた直後なのか濡れた金髪をタオルで拭きながら来るスウェット姿の男の人がいた。

「う、わっ、え?!嘉渡浦幹部に、轟幹部、それに森幹部までっ?!」

 3人の突然の登場に、酒井さんは驚き直立不動になる。

 オレンジ色の髪の人は(とどろき) (ひじり)さんと言って、小野組の舎弟頭を務める組の№4だが、僕が来るまでここの料理人をしていた人。小野組と同じ将樹会系の轟弥(ごうみ)組前組長の実の息子で現組長の甥だが、現組長に反発して轟弥組から抜け、篁さんに惹かれて小野組に入ったらしい。とても陽気な人で、僕はヒーちゃんと呼んでいる。

 次に現れた強面の男の人は嘉渡浦 大護さんと言って、僕は大ちゃんと呼んでいる。大ちゃんは小野組組長補佐、つまりヤクザとしての篁さんの補佐をしている組の№2。もう50代なのに30代にしか見えない若々しい人で、普段はその強面に似合わずとても優しい人。現役の組員の中では唯一篁さんに説教できる人だ。

 そしてスウェットの人は(もり) (しょう)さんと言い、僕はショウちゃんと呼んでいる。組では若頭を務めていて組の№3の地位にいるらしいが、篁さんが僕の護衛の仕事を任せたらしい。それを申し訳なく思っていたら、ショウちゃんはヒーちゃんと同じくらい性格も言動も陽気なのに、仕事以外では事務所の地下の武道場に引き篭もっちゃうからそれを改善しようと思ってやった事だと、蝶湖ちゃん達が教えてくれた。僕が来るまで秘密にしていたらしいけど、大の甘党で今では僕のケーキ屋巡りにもつきあってくれる茶飲み友達だ。まあ、それでもほとんど武道場にいるから、前と変わらず組の人達からは『武道場の主』と呼ばれているけど。

 とにかく、そんな幹部3人が揃ってしまったから、酒井さんは緊張してしまってか冷汗をかいている。でも、3人に慣れている僕はお構いなしに会話を始める。

「ご飯は作り終わったから大丈夫。」

「おおっ!今日はまたなんや豪勢やなあ、皓くん。」

「やりぃ!皓ちゃんのケーキが有る!」

「今日は獅史樹さんの誕生日だし、ケーキは僕のしか食べれないからって頼まれたの。」

「ああ、俺やボンと一緒で獅史坊も甘いもん苦手やったな。それでも、皓坊の作ったもんだけは食べれるから不思議や。今日も旨そうやな。皓坊お疲れさん。」

「ありがとう。」

「ところで、皓くん、このおっさん誰だ?」

 大ちゃんに頭を撫でられて照れていると、初めて居るのに気がついたって感じでヒーちゃんが聞いてきた。後から抱きついてきたショウちゃんも、相変わらず僕の頭を撫でている大ちゃんも誰だこいつ、と言った感じの顔をする。

「僕がまだお母さんと暮らしてた時、近所に住んでいた酒井さん。今日から本部詰めになった人だけど、篁さんから聞いてない?」

「は、初めましてっ。今日より第二事務所から、ほ、本部詰めになった酒井ですっ!」

 僕の言葉を聞いて、酒井さんはどもりながらも慌てて挨拶をして頭を下げる。だから酒井さんは気付かない。3人が無表情になって、敵でも見るように酒井さんを睨んでいる事を。そして、僕が無表情のまま何を考えているのかを。ご飯を作り終わった僕に残った今日やらなきゃいけない仕事は、哀しく思いながらも、篁さんのために言葉を紡ぐ事だけ。

「・・・・ショウちゃん、この人を捕獲して。」

「え?うわっ!ぐっ!!」

 僕が言葉を告げると共に、いつの間にか僕を守るように一歩前に出ていたショウちゃんが酒井さんの腕を捻り上げ、床に引き倒す。その無駄のない動きのおかげで、並べられた料理がホコリを被る事なく全て終わる。

「な、何で?!」

 何故、自分がこんな目にあっているのか分からないって顔をした酒井さんが、僕の方へ問いかけるような目を向けてくる。それに、僕は仕事の時の口調になって答える。

「何故、こんな事になっているのか、ご自身で分かっていらっしゃるでしょう?酒井さん。」

「い、いや?何のこっちゃ?」

「しらばっくれんでええで、酒井。お前、あのクソ野郎が送り込んだスパイやろ?」

 なおも知らないふりをする酒井さんに、目線を合わせるようにしゃがみこんだヒーちゃんが告げる。

「小野組第二事務所所属、酒井 喜一。お前さんを呼んだのは、本部詰めに異動させるためやない。組長専属の情報屋から、今敵対しとる轟弥組の組長自ら送り込んできたスパイであるお前が、近々ウチの組にとって不利になる事をすると情報が入ったからや。」

「ちょうど、良い所に戻ってきたか?」

 大ちゃんが酒井さんを呼び出した本当の理由を言い終わったところで、今までここに居なかった人の声が入り口の方からした。その声に引かれるように入り口に目を向けると、そこには篁さんを先頭に蝶湖ちゃん、獅史樹さん、マリアさんが立っていた。

「「「お疲れ様です、組長。」」」

 大ちゃんとヒーちゃんが頭を下げて、ショウちゃんは酒井さんを引き倒した体勢のまま、幹部3人組が声をそろえて挨拶する。その顔は、さっきまでとは違って、ヤクザの顔だ。そう言う僕も、たぶんいつもとは違う、仕事の時の顔をしてるんだろうけど。

「皓、怪我はないか?」

 入ってきた篁さんは、すぐに僕が無事か確かめてくる。呼び方が少し変わっても、篁さん達の僕への過保護な態度は変わらない。逆に、蝶湖ちゃん達と同じように篁さんのために仕事をするようになってから、その過保護な言動は多くなった気がするけど。

「大丈夫、この策を提案した時に約束した通り、僕が危険になるような話の運び方はしてないよ。それより・・・」

「ああ。・・・・酒井、立て。」

 僕の言葉を受け、篁さんの雰囲気が冷たい物へと変わる。合わせるように、蝶湖ちゃん達3人も仕事の時の顔になった。それを見た酒井さんは、ショウちゃんに引きずられるようにして立たされながら、息を飲み、顔を青ざめさせる。

「酒井、今日の所は無事に帰してやる。そのかわり、お前の所の組長、(とどろき) 誠二(せいじ)に伝えておけ。小野組を潰すためとはいえ、組の関係者ではなく、私個人の関係者であるこの4人、そして『あいつ』に手を出した事、許せる事ではない。確かに、この4人は私の近くにいると決めた時に、組関係の仕事を請け負う事を了承し、組の人間として揉め事に巻き込まれる事を覚悟しているが、同じ将樹会系の人間には、将樹会会長であるオヤジからどんな理由であっても手を出すなと指示されていたはずだ。そのオヤジの命令に反したため、今日オヤジからこいつを預かってきた。これを轟に渡すとともに、小野組はこれから全力でお前を潰しに行くから覚悟しろ、そう伝えておけ。」

 篁さんが離縁状と書かれた封書を差し出すとともに、篁さんから一歩下がった所に僕と蝶湖ちゃん、獅史樹さん、マリアさんの4人が横一列に並ぶ。それは、傍から見たら篁さんに付き従う従者のように見えていたかもしれないが、僕らにとっては同等の仲間として、共通の敵に宣戦布告する時の決まりのような物だった。

「今篁君が言った事を轟弥組組長に伝える時、小野組の名前と一緒にこれも言っておいて下さい。元同僚を使って近づいた相手である私、梓維 蝶湖は喜ぶ鬼と書いて『喜鬼(きき)』。」

「不良時代の元ライバルを使って近づいた相手である俺、海緒乃 獅史樹は怒れる鬼と書いて『怒鬼(どき)』。」

「昔、母とやっていた料理屋の常連であるあなたを使って近づいた相手である僕、緋咲 皓は哀しむ鬼と書いて『哀鬼(あいき)』。」

「ホステス時代の仲間である組員を使って近づいた相手である私、桜咲 マリアは楽しむ鬼と書いて『楽鬼(らくき)』。」

「そして将樹会系筆頭、小野組組長である私、小野 篁は4つの鬼を繋ぐ糸である『糸鬼(しき)』。これがどういう事か分かるよな?」

 僕達がこの世界での仕事の時に使う名前を告げると、酒井さんの顔色はさらに悪くなった。それを見て、蝶湖ちゃんは喜びを、獅史樹さんは怒りを、僕は哀しみを、マリアさんは楽しみを、そして篁さんはどれでもない無表情を顔に出す。

 『喜鬼』、『怒鬼』、『哀鬼』、『楽鬼』、そして『糸鬼』。この5つの名は、この半年の内に小野組が親を務める将樹会の中でとても重いものとなっていた。この5つの鬼の名が出るのは将樹会の中で、あるグループがある目的の為に動く時。そのグループの名は『執行部』。その執行部において、喜鬼は糸鬼を守る『右腕』として、怒鬼は糸鬼のために動き戦う『左腕』として、哀鬼は糸鬼に策を提案する『頭』として、楽鬼は糸鬼に情報を提供する『耳』として、将樹会内で不義を働いた者やカタギの人間に大きな迷惑をかけた者に制裁を与える糸鬼をサポートするために存在している。この執行部を動かせるのは将樹会のトップである篁さんの父親、現将樹会会長と、当事者である5人だけ。

「小野組は轟弥組を潰すために、私達『執行部』は轟弥組組長、轟 誠二を潰すために動く。ただし、会長と私達からの慈悲だ。今回の事に関わっていない組員のみ、その気があるなら小野組で引き取る。轟 誠二を始めとした主犯は、明日から背後に気を付けろ、そう伝えておけ。・・・・・ショウ、こいつを外に放り出してこい。」

 糸鬼としての顔をしていた篁さんが、小野組組長としての顔に戻って指示を出す。それを受けて、恐怖で立っている事も出来なくなった酒井さんを、ショウちゃんが引きずって外へと引っ張っていった。

「ふう、久しぶりに見たからやろか、執行部の顔したお前さんらは怖いわ。」

 僕らが普段の穏やかな空気に戻った事を感じたヒーちゃんは、疲れた顔をして近くのいすに座りこんだ。

「そんなに普段と違いますか?」

「言葉にすんのは難しいが、全員空気が裏の人間が出すもんより、さらに暗い闇の人間が出すもんに近くなる。特に、ボンは桁違いやな。まあ、それでこそわしらが付き従う事を是とした奴やと思うけどな。」

「叔父貴いつも言うがいいかげんその『ボン』はやめてくれ。」

 大ちゃんの言葉に、いつも通り篁さんが反論した事で、完全に普段の僕達に戻った。

「さて、若、これからどう動く?」

 ちょうど戻ってきたショウさんが、不毛な言い合いをしていた篁さんに問いかける。プライベートな時に、篁さんの事を大ちゃんが『ボン』と呼んだり、ショウちゃんが『若』と呼んだりするのは、篁さんがヤクザとして小野組に関わりだすより前から組に所属していた2人の名残らしい。そして篁さんが大ちゃんの事を『叔父貴』と呼ぶのは、実際に母方の叔父であると言うのもあるが、元々大ちゃんが今は小野組に吸収されている『嘉渡浦組』と言う組の組長をしていて篁さんのお父さんと兄弟の杯を交わしていたかららしい。

「たぶん、轟弥組の組員はほとんどウチに移るだろう。そしてあの組に残るのは執行部の標的になる奴らだけ。酒井には小野組も動くと言ったが、俺達執行部だけで動くから組は動かさない。叔父貴とヒジリさんは組員の受け入れの手はずを、ショウさんはいつも通りそいつらの力量を測って最適な場所に振り分けてくれ。まあ、どっちにしても、動くのは明日からで良い。」

「明日で良いの?」

「ああ、マリアの情報と皓の読みから考えて、それで良いと確信している。」

 篁さんの口から僕とマリアさんの名前が出た事で、皆納得してしまった。

「元関西一の情報屋『スピカ』の姫ちゃんの情報と、IQ200以上で大学教授以上の知識の宝庫である皓くんの読みなら間違いないな。」

 ヒーちゃんの言葉に皆もうなずくが、僕はそれでも不安になる。確かに僕は、お母さんと暮らしていた時に海外の大学の通信制度などを使って博士号を取得したし、状況予測とかは得意だけど、それはただの知識であって現実の全てが知識通りに進むわけじゃない。だから、僕はいつも哀鬼として予測をして策を立て、それが当たっても不安は拭えない。

「っ!!」

 考えに浸っていたら、突然頭を撫でられてびっくりした。僕の頭を撫でていたのは篁さんで、ゆっくり周りを見回したら皆が暖かい目で僕を見ていた。僕の顔には不安な表情は出ていなかったと思うけど、こうやって何も言わなくても察してくれる皆がいるから嬉しい。

「不安が取れたっぽいから良かった良かった。・・・・ところで、皓ちゃんよ。さっきから何に対してふつふつと怒りを感じてんの?」

 篁さんと交代するように、僕に抱きつきながら頭を撫でてきた獅史樹さんが、さすが怒鬼と言いたいほど正確に僕が密かに感じていた怒りを指摘する。

「それは・・・・ヒーちゃん、悪いけど目の前にある鍋のシチュー、全部捨てちゃって。」

「え?これ、全部?美味しそうなのに何で?」

 そう言ってヒーちゃんが指差した先には、僕が昨日から下準備して付きっきりで半日煮込んだ20人前ほどのシチューがある。

「さっき酒井さんが正体の分からない薬を入れた。どうなっても良いなら、ヒーちゃん1人で全部食べてね。」

 無表情で明らかにイラついていると分かる声音で告げた僕の言葉で、何に怒りを感じていたのか皆が理解したようだ。ここに居る人は全員知っている。僕は料理屋をしていたお母さんから、『食材を無駄にする料理人は、それを作った人も食べてくれる人も馬鹿にしてる。そんな奴に料理をする資格はない』と教え込まれていたからか、料理を無駄にする行為は許せない質になっていた。

「なるほど、さっき執行部の顔しとった皓坊が、いつもより怖い空気まとってたのはそのせいか。」

 大ちゃんの言葉に、皆がうなずく。

「さ、一品減っちゃったけど、他の人達も呼んでご飯にしよう。」

 僕のこの言葉で、いつもの食事風景が始まる。それを見ながら、僕はやっぱりここに来て良かったと、心の中で笑った。


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