ハジマリ
「君を見ていると飽きないし面白いからだよ。」
新年を向かえ、明日から学校が再開されると言う日に突然呼び出しのメールが来た。大学近くにある行きつけのカフェに来た俺を、向かいに座る呼び出した本人が観察するように見てくるから何だと尋ねたら、俺にとって唯一の友人であるその男はそう答えた。
――飽きない?面白い?感情が顔に出ない俺なんかを見ていて?
そう考えてから、いつもと同じ結論に至る。この男と何でつるんでいるのか。いや、何故この男が俺と普通の友達付き合いが出来るのか。
俺は生まれてからこの20年間、冗談でもなく顔の表情が変わった覚えがない。感情の変化によって、わずかに眉間に皺がよる事や口角が上る事はあるが、親しい者以外はその違いを見分ける事が出来ないほどわずかだ。小中高の卒業アルバムのどれを見ても、その時が俺にとって楽しかろうが何だろうが、俺の顔は感情の出ていない無表情。家に有る家族写真も全て同じだ。その無表情から俺の感情を正確に理解できたのは、血の繋がった身内と実家に居候している大勢の『同居人』の中でも古くから居る者など、ごく一部のみ。
俺の無表情はどうも不機嫌な怖い顔に見えるらしく、せっかく出来た友人は何もしていないのに怖がって次第に離れていくし、街を歩いていたらその道の奴らに喧嘩を売られるのは日常茶飯事。ついには実家に居候している奴らの内、新しく入ってまだ俺の感情を読み取れるほど慣れてはいない若い奴らにまで恐れられる始末。そして、実家に大勢の居候がいる原因でもある家業も合わさって喧嘩を売ってくる奴以外は更に近づかなくなった。だからと言って、家業にもそんな事で離れていった友人達にも不満はない。何故なら・・・
「お前から見て、今の俺はどういう感情に見える?」
「そうだな、無表情のしかめっつらの後に、無表情の自嘲の笑みを浮かべたから、何ともやり切れない感じになってるんじゃない?」
「・・・・あぁ、そんな感じだ。」
というふうに、この友人には何故か俺の感情が分かってしまう。そんな奴が身内以外に一人でもいれば、こんな欠陥人間でも一般人と同じように生きていけるようだ。家業の関係で、『一般人』の前に『ある程度』と言う一言が付くとしても、だが。
ただ一度、つるむようになってすぐの頃、あまりにも的確に、それまで唯一俺の感情を正確に理解していた身内と同等に俺の感情を当てる事を不思議に思って、何故分かるのかと聞いた事がある。その時この友人は・・・
『僕の家は代々占いを生業にしてる家系でね、僕自身占いが得意なんだ。占い師には、相手の内面を的確に読む力も必要で、どうやら僕はその力がずば抜けて良いらしい。』
そう答えた。当時はこの発言の意味を理解出来なかったが、今なら出来る気がする。
この友人の占いは、俺が知っている限り外れた事がない。それに私生活でも教師の内面を言い当て、その教師のなけなしのプライドをずたずたにしてしまい、罰として大量の課題を出される事も度々あった。何故かその課題の半分以上を、俺は毎回手伝わされたが。
「今度は何を思い出していらついてるのさ?」
「・・・・・・いったいいつまで俺はお前の課題を手伝わなければいけないのか、と思ってな。」
「なるほど。」
そう短く返して、友人は温くなった紅茶を一口啜る。しかし、その声音、態度、行動、その他俺に感じ取れる全ての事から、友人がいつもの飄々とした感じとは違い、何か抱え込んでいるように思えた。
「何があった。」
「・・・・やっぱり分かっちゃったか。そうだな・・・・・・あえて言うなら最低1年間は、君に僕の課題を手伝ってもらう事はなくなりそうだよ。」
「ぁあ?」
珍しく間抜けな声を出してしまった俺に、友人は悪戯が成功したような顔で微笑する。だがそんな事よりも、意味が分からない。確かに、この友人は普段から持って回った言い方をするが、回りくどい事が嫌いな俺といる時や占いに関係する時はこんな話し方は絶対にしなかった。
「そんな無表情でしかめっつらなんてしないでよ。僕も、こんな持って回った言い方なんて本当はしたくないんだから。」
気持ちを切り替えるかのように、また一口紅茶を啜り、俺もつられるように冷めてしまったコーヒーを飲む。
「俺は、回りくどいのは嫌いだ。」
「ハイハイ、元々無表情なのに、わざわざ意識してまでさらに無表情になって睨まなくても分かってるよ。」
「さっさと話せ。」
「あー、うん・・・分かってる・・・・そのぉ・・・・・・。」
どうも今日の友人は歯切れが悪すぎる。
「実は、1週間前にイギリスのばあ様から電話があってさ。」
「イギリスって事は、おばさんの方か。」
「そうそう、そっちのばあ様。」
この友人は、その彫の深い顔立ちや髪色、肌の白さや目の色を見ればすぐに分かるが、いろんな所の血を引いている。確か、母親がイギリス人とトルコ人のハーフで、父親が日本人とブラジル人のハーフだとか言っていた。その結果、中東辺りで見られる彫の深い顔立ち、雪のように白い肌、たれた眦に宝石のような蒼と翠のオッドアイ、銀に近い金糸の髪なんていう物を持っているが、これで名前が日本風の名前でなければ、この男が日本人のクウォーターで日本国籍を持っているといったい誰が信じるのだろうか。
「それで晴明、そのイギリスにいる婆さんが何だって?」
今頃になって悪いが、この友人の名前は晴明。名字も付けるとその名も安倍乃 晴明。下の名前の読みを変えれば、そのまま平安時代の有名人だ。まあ、俺も人の事を言える名前ではない。何故なら、俺の名前が小野 篁だから。これも読み方を変えれば大昔の有名人だ。たまたまこんな名前の奴がそろったが為に、つるむようになった中学の時から二人そろうと『偉人コンビ』なんて言う、なんとも不本意な呼び名を付けられてしまった。1度として、面と向かって言われた事は無いが・・・・・。
晴明は男でも見惚れるほど顔が良く、俺は顔つきが悪かったため喧嘩を売られても虐めとかはなかったし、からかわれたりしてもお互い10倍返し出来る力も毒を吐ける口もあったから、一週間ばかりかけてこの名を考えてくれた両親と大勢の『同居人』に文句を言うつもりはこれっぽっちもない。
「篁、回想してるところ悪いけど、話を続けるよ。そのばあ様が、新年早々不吉な夢を見たとかで占いをしたらしい。その結果、僕に最低1年間は日本を離れろ、と言うお達しが来た。それで、僕は君がいない学校になんか行っても面白くもないし、そんな学校にも興味がない。だから、昨日の内に学校と教授に退学届けを出してきた。」
「・・・・・・・は?」
急展開すぎてさらに意味が分からず、なんとも間抜けな声を再び出してしまった。晴明の家は父方も母方も狙ったわけではないらしいが、どちらも古くから続く占い師の家系だ。だから、何か予感があって占いをしたら不吉な結果が出たから学校を休む、なんて事は出会った中学の頃からよくあった。たとえ出席日数が足りなかろうが何だろうが、テストの点さえ取れていたら良いと学校側が放置してしまう程よくあった。今回も、おそらくそう言う事なんだろう。だが、何故そこで学校を退学する事になる。
「どうして休学じゃなく退学なんだ。」
「だから、さっきも言ったように僕は君がいない学校になんて行くつもりはない。それに、君も僕も大学の卒業資格なんて今さら必要ないから、別に良いじゃない。」
まあ確かに、今行っている大学の卒業資格なんて全く必要としていない。俺も晴明も大学の留学制度で去年行ったアメリカの某有名大学にて、いつの間にか卒業資格と博士号なんて物を貰ってしまった。だから、留学から帰ってきた時点で今の学校を辞めても良かったんだが、俺の家の事情と言うより親父個人の事情から多方面から却下され、こいつもそれに付き合ってくれていた。
「それはそうだが、俺にお前がいない状態であの学校に行けと?」
「何?僕がいないと寂しい?」
「全然。」
「そこは嘘でも寂しいって言おうさ。」
「俺が嘘でもそんな事言うと思うか?ただ、お前がいないと教授から押し付けられる面倒事が増えるし、お前の取り巻き連中が五月蠅くなるなと、そう思っただけだ。」
こいつには、中学の頃から顔の良さと外面の良さにつられて女だけでなく、男の中にもファンクラブと名乗るとても煩わしい取り巻きがいる。家業を知られていた中学高校の時は、面と向かって何も言われる事はなかった。しかし、あまり家業を知られていない今の大学では、昔からの知り合いだからって馴れ馴れしいとか何とか、『安倍乃 晴明の親友』というポストが欲しいと思っている『友人未満』の取り巻きの男達がなんとも五月蠅い。
それに加えて最近、何故か俺達の所属ゼミの教授から後輩の指導やら試験問題の作成なんて言う仕事を言いつけられる。後輩の指導はともかく、試験問題の作成なんて学生の俺達の仕事じゃないだろうと思うが、教授が俺の親父と茶飲み友達なせいで断る事も出来ない。1度断ったら、その日の内に親父に話が伝わって、家業の仕事を寝る暇も無いほど増やされたから、そんな事になるよりは教授を手伝った方がましだった。
「あの教授、篁の事を気に入ってるからね。退学届け出した時も何か頼みたそうにしてたから、今日中に連絡来るかもよ。」
「それなら、今朝メールが来た。休み明けの学会にお供しろ、だとよ。」
俺が今朝来た教授からの最悪なメールを言うと、晴明はとても楽しそうに声を上げて笑う。あまりにもムカついたので、テーブルの下で脛を蹴ってやったら涙を浮かべながら謝ってきたがまだ肩が震えてやがる。
「・・・・おい。」
「ゴメン、ゴメン。・・・・・さて、もうそろそろ帰って荷物整理しないと。」
しばらく俺が無言で見続けると、軽い謝罪を口にしながらコートを手にして晴明が立ち上がったので、俺もコーヒーを飲み干して同じ様に立ち上がった。
「1年間日本にいない事も、退学した事も分かった。それで、イギリスの本家にでも行くのか?」
「取り敢えずはね。」
「取り敢えず?」
「本家でばあ様に詳しい事を聞かないと、どう危ないとか全然分かんないから。前に言った事あるでしょ?占い師は自分や自分に近しい者の事は占えないって。占えるのは他人だけ。ばあ様が今回僕の事を言ったのは、僕自身じゃなくて僕の周りの環境について占った事から朧気に分かった事らしいし。つまり、最低1年って言われてるけど、場合によっては1年も経たない内に帰ってこれるかもね。」
つまりそれは、1年以上経っても戻ってこれないかもしれないという事。言葉の裏に隠されている現実を、俺は無意識に拾ってしまい自分でも分からない暗い思考に捕らわれかける。それでも・・・・
「大丈夫。僕も、君も、変わる事はない。」
「・・・・・そうか。」
何かに気付いた晴明の言葉を聞いて、暗い思考の海から掬い上げられ暖かい気持ちになる。それを感じ取ったのか、晴明は嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、唐突だけど君に餞別の言葉をあげる。」
「餞別の、『言葉』?」
「そう、餞別の言葉。さっき君の事をずっと見てたのは、これを言うため。」
「・・・・・俺の事を占っていたのか。」
ふと気付いた。さっきのカフェで俺をじっと見ていたこいつの目が、いつもこいつが誰かを占う時の目付きと同じだと言う事を。こいつは筮竹、水晶、カードなどなど、どんな方法で占っても百発百中だが、その一端を担っているのは、どんな方法で占い結果を出したとしても、最終的には本人の顔を見て結果を判断すると言う所だ。晴明は俺が知っている限り、その決まりを変えた事がない。
「That's light!君を占うのは初めてだから、結構楽しかったよ。」
確かに俺は今までこいつに占ってもらった事はない。別にこいつの占いを疑ってたわけではなく、何となくこいつに占ってもらうと俺達の関係が変わってしまいそうだったから。それ以上に占っている時のこいつを見ると、知人を占う事に苦しんでいるように感じたから。俺が何故俺の感情に気付くのかと聞いた時に、こいつも何故占ってほしいと言ってこないのかと聞かれたからそう答えたら、理由は言わなかったが何処か悲しそうだったが嬉しそうに笑っていた。その顔から何かあったんだろうと感じ取って、それ以降も俺はこいつに占いを頼む事はなかった。頼む必要も感じなかったしな。
「前に君が言っていたように、僕にとって知っている人間、特に自分のテリトリーに入れている人を占う事は苦痛だ。何故なら、僕ら占い師は結果を偽ってはいけない。それがどんなに悪い結果だろうと。つまり、見た相手に死の結果が見えたのなら、それをそのまま伝えなくちゃならない。・・・・・・でも、今から言う事は自分から進んで占って見えた事じゃなくて、偶然見えた事。言おうかどうか迷ってたんだけど、さっき君の顔を見ながら占ったら、言わないと余計に悲惨な事になるって結果が出た。」
カフェを出てからずっとこっちを振り返らずに、一歩前を歩いていた晴明が急に立ち止まってゆっくりと振り返る。
「気が向いたらで良い。でも、出来ればこれから3年の内に探した方が良い。」
「何を?」
「君と同じ様に、感情の表現で問題を持っている4人。」
同じ高さにある晴明の顔は、いつも占い結果を言う時と同じ無表情。でも、その瞳にはいつもとは違い、有無を言わせない力強さが有る。
「その4人は、喜怒哀楽のどれか1つしか表情に出せない。その1つ以外の感情の時には、君と同じような無表情か作り物の表情。ただ、その1つの感情に関してはとても敏感で、君の感情に正確に気付いてくれる。それに月日が経てば、僕やおじさん達、それに『彼女』と同じ様に君の全ての感情にも気付いてくれるようになる。その4人が、君に幸運をもたらしてくれる。どんな幸運なのかは分からないけれど、その4人がそろってからしばらくして、君はとても辛い状況に立たされる。でもごめんね、その辛い事については話せない。だけど、3年以内に探さないと君を中心に、その辛い事を発端として周囲の人間を巻き込んで良くない事が起きる。だから必ず4人を探して。ただ、哀しみの感情の子は時期に気を付けてあげて。時期を外せば、その子はいなくなる。」
「・・・分かった。」
俺が了承を示せば、晴明の表情は普段の柔らかい笑みに戻った。
「大丈夫、1人見つかれば自然に皆集まるし、辛い事は回避できるはずだから。」
「ああ。・・・・・これからまっすぐ帰るのか?」
「うん。本当は君の家に行って『彼女』やおじさん、大さん達に挨拶したかったけど、時間なさそうだからやめとく。それと、空港までの見送りなんかいらないから、君とはここでお別れ。なんとなく、イギリス行って全貌が分かったら音信不通になる気がするけど、空港まで見送られたら本当に今生の別れみたいで嫌だ。て事で、元気でね。もろもろの『祝い事』出れなくなったけど、俺の知らない内につまんない死に方するなよ。もしそんな事になったら、『彼女』と一緒に君のお墓の前で大笑いしてやるから。」
「ああ。だがお前もそんな死に方してみろ、『あいつ』と一緒に俺もお前の墓の前で大笑いしてやるよ。・・・・もし、日本に帰ってくる事になったら連絡しろ。お前と再会するまで、番号もメアドも変えずにいてやるよ。」
俺がそう言うと、1度頷いてから家に向かって歩き始めた。俺もそれを見てから、反対方向にある家に向かって歩き始める。ふと、俺の名前を呼ぶ声が聞こえて振り返った。
「篁!さっき言い忘れたが、1年経って僕が帰ってこなかったとしても、4人が揃うまで探そうとするなよ!探せば、逆に悪い方向に行くからな!」
そう叫んでから手をあげて大きく振り、そのまま走っていった。それが、俺が晴明の姿を見た最後。半年後に『ごめん。』とただ一言送られてきたメールを最後に、さらに1年半経った今でも、俺の携帯にあいつから連絡は入っていない。