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【複数ジャンル】短編・完結作品

モーツァルトの楽譜~松風高校文芸部創作ノート~

 良い原稿というのは、見た目からして違う。

 目にした瞬間、音が聞こえてくる。

 まるで、モーツァルトの楽譜のように。

 文字の一つひとつが旋律となり、メロディーが鳴り響く。

 綺麗なんだ。



***ピアノソナタ第11番第3楽章 トルコ行進曲***



「冒頭から四千字、不要。短編なのに、いつまでも話が始まらない。このダラダラした説明は本当に必要? 読者は説明文じゃなくて小説を読みに来ているんです。短編小説の作法は『最初に死体』そこから何が始まるのか? であって、綺麗な夕日が沈む光景をえんえんと冒頭百字も二百字も書いていても仕方ない。二百字って、四百字詰め原稿用紙の半分だよ、半分。半分かけて夕日沈んだ後に、河原で風に吹かれて前世の記憶が浮かんできたり画面が切り替わって突然の土砂降りでトラックにひかれそうになる猫がいて死ぬ気でかばったら異世界転生? もうこの頃になると読者、夕日なんだったんだ。なんであの二百字読まされたのかさっぱりわからん。河原で『でもこの風泣いています』って言って思い出した前世なんだったんだなんでそこからあっさり死んで転生する!? だいたい夕日の直後の天候の変化が急転直下すぎて夕日か土砂降りかどっちかで良かったよね? って気が散って内容頭に入ってこなくなってるから。絶対。ぜーーーーったい!」


 放課後、西日差し込む高校の文芸部部室にて。

 由緒正しき手書きの「四百字詰め原稿用紙」を握りしめ、草野操(くさのみさお)は力説した。

 その手の中でぐしゃっと皺の寄った原稿用紙を立ったまま見下ろして、柏倉直樹(かしくらなおき)は口元を歪め、眼鏡のフレームを指で押し上げる。


「必要のないものなんて無い。部長は本当に、小説をわかっていない。たとえ人類が滅んでも夕日は沈むものだし、土砂降りくらいの理由がなければトラックはそうそう事故を起こさない。現世で前世を思い出したからこそ、異世界転生という異常事態もすんなり受け入れられる。すべての因果関係を理路整然と説明しただけです。それのどこが間違えていると?」


 途端、操はばんばん、と机を手で叩いて立ち上がる。動作がいちいち大仰で、直樹は眉をしかめた。

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と形容されて然るべき美少女であるのに、小説作法について語る操は鬼の形相で、何もかも形無しなのである。


(ところで「立てば芍薬~」は生薬の薬効からきている言葉という説があったはず。気が立っている女性には芍薬、座りがちな女性には牡丹……)


 当該会話と無関係なことを考える直樹をよそに、操は力強く直樹の言葉を否定した。


「ブブー、柏倉くんは、一切合切全部間違えてます!! トラックに轢かれて異世界転生する話を始めたいなら、そこから始めればいいだけ! 夕日が沈むだなんていまさら説明しなくても良いし、活用するあてがないなら現世に対しての前世も必要もない! そういう『これは必要だと思う』という説明は、大体作者の思い込み、すなわち独りよがりと言います!! 世の中になんでテンプレートというものが存在しているか、柏倉くんは考えてみたことがありますか!?」


1,トラックに轢かれる(前方不注意等の本人責任より、「ブラックな労働環境からくる過労で朦朧としていた」=過酷な環境や職務を投げ出せない真面目な性格、「子どもや小動物を救おうとして犠牲になった」=向こう見ずなほどの自己犠牲的正義感等、現世を離れても戻りたいと強く願わない心理状態に至るエピソードや、キャラに好感を持てる描写があるのが望ましい)


2,謎空間で超越的な存在に出会い、自分が死んだことを知る。異世界に転生するにあたり、チート的なスキルを付与される。


3,異世界到着。ストーリーが動き出す。スキル+前世の知識で開墾や内政に精を出すもよし、魔法学院などで才能を開花させるも良し、ギルドに登録して冒険者になるも良し。


4,君だけの物語を(๑•̀ㅂ•́)و✧


「テンプレート、すなわちお約束! 訓練された読者の多くはすでにこういった物語の流れについて蓄積があります! ゆえに、くどくどしく状況説明をしたり、異世界転生と前世の記憶とは何かという前段階から『俺の考えた最強設定』を書いていく必要はありません! むしろ共有されている『前提』を最大限利用しつつ、説明が必要になる独自設定の部分だけ、必要なタイミングで随時開示していく。最初に全部説明しようと意気込まず、あくまで『必要になったタイミング』で、です。極端な話、必要になるまでは明確に定義していなくても小説そのものは書けるのです! これはハリウッドの有名なストーリー作成の手法にもあり……」


 直樹は、そこで腕を組み、聞こえよがしなため息で操の発言を遮った。

 眼鏡を光らせて、操を正面から見て無表情に告げる。


「はい、部長、ダウト。それは素人が陥りがちなミス! ハリウッドとか言っても騙されません。設定あやふや、プロット作らず見切り発車、小説を書きながら考えるから、いざ書こうとして何時間かけてもいっこうに文字数が増えない! これぞすべてエターナルへの序曲!! エターナル、すなわちWEB投稿小説などで『エタ』と呼ばれ、一部の読者さんからは蛇蝎のごとく嫌われる作者の姿勢のことを言います。広げた風呂敷をたためない! そもそもたたみ方なんて考えていなかったから広げるだけ広げてしまっただけ! 後は知らん! こうして冒頭だけ生み出されては放置されていく数多の物語たち……。それもこれも作者が『完結』を見据えて小説を書き始めないからです! エタを憎む読者とエタられた物語のキャラたちの憎悪を部長は思い知るべきです!!」


 ここぞとばかりに盛大な断罪めいた言いがかりを披露した直樹に対し、操は「すん」と鼻を鳴らしてそっけなく告げた。


「わかった、一度お茶にしよう」



***2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448 (375a)***



「柏倉くん、君はいつもそんな風にガチガチに世界観もエピソードもキャラも全部固めてから小説を書き始めるわけ?」


 部室で美味しいお茶を飲むのは部活物の定番である。年代がかった湯沸かしポットとお茶のセットが隅に揃えられており、議論がヒートアップした場合は熱々の紅茶で休憩。

 お気に入りの猫キャラのマグカップを持ち込んでいる直樹と、「昔少女マンガで読んで以来どうしても憧れていたのでやらずにはいられない」と理科の実験用具のビーカーでお茶を飲む操。ビーカーに直接ティーバッグをいれた絵面が、とても美しいという。好みはひとそれぞれ。

 喧々諤々の議論を一度中断し、お茶で口を潤したところで、あらためて創作談義へ。


「俺は書く前に全部決めます。そうしないと、読者さんに不誠実だと考えています。地球で言えばどういう気候の地域で、育つ植物や生息する動物はどういう種類で、どんな家に住み、どんな食べ物を食べているか。文化レベルは何世紀くらいで、移動手段は何で、主要な産業は何か。言語にはどういったルーツがあり、その結果キャラのネーミングはどこの国に準じるか。人口は、国土の面積は、平均寿命は。たとえば地図帳やウィキペディアでイメージする国を開き、上から必要項目を確認して、モデルにする年代を調べて、面積や人口等あまり乖離しない数値を設定していく。そうすると、書きながら困ることが格段に減りますよね? 架空の地方都市が舞台でも、首都との距離を実在の都市と同じに設定しておけば『馬車で10日』等妥当な数値も調べてすぐに書けますし、『地方都市というわりに移動時間半日だなんて王都と激近では?』なんて疑問を抱かれる余地もなくなります。創作はそこまでやらなければ。すべて曖昧、適当、何も調べていないだなんて、小説を書く資格がありません。あ、このクッキー美味しい」


 お茶請けに用意されていたクッキーを食べた瞬間、直樹の意識はそちらに持っていかれてしまった。既製品らしい包装紙ではなく、赤と白のチェックのラッピング紙が、そのまま皿のように広げられている。


(どこのクッキーかと思ったけど、これもしかして手作りでは……!? いや、落ち着け。買ったものを包みなおしただけかもしれない。部長がまさかそんな手作り菓子が得意だなんて裏設定は……)


 ひそかに動揺する直樹をよそに、「そうだねぇ」と操が口を挟む。


「異世界が舞台で、この世界とは違う要素が明確にあるときは、厳密に設定してもずれてくることはあるよね。魔法が存在していて、社会に組み込まれていたら、それだけで文明の発展も人間の考え方も違ってくるはず。瞬間移動が可能なら、『魔法の連続使用をすることで長距離でも半日で移動可能』は全然アリだし。しかも、これが一般的な魔法だった場合、世界中の街道がほとんど整備されていないかもしれない。どんなに戸締まりしても意味がなければ、家の構造も変わってくるし、プライバシーという概念も無いかも。そこまでの世界は想像しにくいし、世界観の説明がストーリーを食ってしまうから、もし瞬間移動が存在している設定でも『一部の魔法使いにしか使えない』等の制約を設けて現実世界と著しく違わないイメージに近づけたりするよね? 近づけても、現実には存在しない手段が存在するだけで、そこはすでに異世界だよ。自分が世界の創造主であっても、その世界には自分の知らない部分があるのも不思議じゃない。だいたい、私たちは自分たちが住むこの世界だって、すべてを説明できるわけじゃない。いまだに未知の部分だってたくさんある」


「創造主が世界を把握していないだなんて、そんな無責任なことありますか! クッキー噴きそうになりましたよ、もったいない!」


 激しく咀嚼して飲み込み、すかさず操の発言につっこんでから、直樹はクッキーの残数を目視で確認。6枚。話に夢中になって食べそびれないよう手元に確保したい気持ちをなんとか抑えて、操に対して切々と訴えかけた。


「小説で、人間を書くとして、ですよ。ある程度この世界の人間と同じ存在として書くなら、脳や心臓は致命傷になるだとか、出血多量であれば死ぬとか、そういった仕組みは敢えて大幅に変えないですよね? つまり『その世界の人間の心臓は足にあるから胸を撃たれても大丈夫』などと設定しないのであれば、この世界での常識を適用しますよね? この世界の常識に寄りかかるつもりなら、そこを真剣に調べてから書くべきなんです。人体や物理法則にしてもそうですし、言葉であっても地名や人名をフランス語寄りにすると決めたならフランス語読みのレオナールとスペイン語読みのレオナルドが同国人で別キャラとして出ているのはどうかと思います。読者はフランス語なんてわからない、なんてことは絶対に無いです。わかっていて、気になるひとだってたくさんいます。むしろわかっていないの作者だけ、みたいな。そういう読者さんに、余計なところに気を取られないで作品を読んでもらうためには、作者は自分が書くことについて物知りであるべきだし、つっこみどころは潰しておきましょうって話ですよ。世界観はゆるふわです、魔法があるからなんでもオッケー★じゃないですよ!! そのなんでもってなんですか!?」


 ビーカー紅茶を机に置いた操は「あ~、ゆるふわ」と独り言のように呟いて、うんうんと頷いた。


「男爵が公爵にタメ口なんてありえないとか、王子妃に対して名誉毀損どころか暗殺未遂したのに笑っておしまいとか、そこはさすがに『世界観はゆるふわです』で済ませられないよ~。貴族社会について書いているなら、少しくらいは貴族制度について調べてから書こう、みたいな話?」


「それはそうです! お姫様が女子高生みたいなノリで城から一人で抜け出して森で狼獣人に襲われて番認定されてエロ展開になだれこむとかあれはなんですか!? 狼×ヒロインが森で☓☓ならもうお姫様じゃなくて赤ずきんでいいじゃないですか! いやそもそも赤ずきんは☓☓なんかしないですけどね? そもそも俺の赤ずきんにエロ展開とかありえない」


 立ち上がって力説してから、ハッと直樹は息を呑んだ。操は、ことここに至って、表情をほとんど動かさずに厳粛な面持ちで頷いてから口を開いた。


「柏倉くん。『君もしかして高校一年生にして十八禁的な話してるんじゃないかな?』なんてお姉さんそこは深く追求しないでおいてあげるけど、次は黙認できない。ついでに、お姫様の話をしたいのか赤ずきんの話をしたいのかよくわからなかったけど、そこも含めて童話赤ずきんを大切に思っている気持ちもわかった。それはそれ、創作は創作。落ち着いて。クッキーどうぞ、全部食べて良いから」


 すっと着席して咳払いをし「すみません」と謝罪をしてから、直樹はクッキーに手を伸ばした。

 いただきますと厳かに宣言し、すべて美味しく頂いた。

 そのあげく、気になったのでやっぱり確認した。「これ手作りですか?」と。

 返事はなかったが、さっと操の頬が染まった。それを見て、直樹も言葉を詰まらせた。



***アイネ・クライネ・ナハトムジーク K. 525***



 翌日。

 直樹が家で書いてきた原稿用紙を一通り読み、操は一言。


「内容云々以前に、読みにくいんだよね、柏倉くんの原稿。字が汚いし、文字が書いてあればいいんだろ感がすごくて、この原稿を読む人が自分以外にこの世に存在しているなんて全然考えていないように見えるんだ」


 一言というには若干多い。

 黙っていれば美人なのに、顔面崩壊レベルの大変なしかめっ面で言うので、直樹もつい戦闘態勢になってしまう。


「そもそも、いまどき手書き原稿が読者の目に触れることなんてありません。広く一般に開放されている小説投稿サイトだって、画面上はすべて入力された文字です。新人賞はだいたいがメール応募可ですし、原稿を郵送する賞も手書きNGが要項に書かれていることが多いです。その原稿だって、部誌にするときはパソコンで文字を入力して印字します。原稿用紙なんて、誰も見ませんよ」


「私が読んでる。私が読むとわかっているなら、もっと読める字で書いても良いんじゃない?」


 操は譲る気がないらしい。

 直樹もまた渋面となり眼鏡のフレームを指で押し上げた。


「そういうマッチョな精神論で小説がうまくなると思っているなら部長は部長なんかやめてくださいよ。パワハラですか」


 座っていた椅子の背にもたれかかり、操は腕を組んで遠くを見ながら「精神論かなぁ」と言った。


「たとえばサービス業に従事するにあたり『A.お客様が見ていないところでの手順は簡略化。そのほうが効率的だから』と『B.簡略化で稼げる時間などたかが知れている。それなら、きちんと手順を踏んで丁寧な行動を積み重ねるべきだ』という考え方があるとしたら、君はどちらが優れていると思う? もっと言えば、AとB、どちらを選ぶ?」


(なんだこれは。ひっかけ問題か? Bを選ばせたいんだろうけど、Aの考え方だって普通じゃないか?)


 出題意図、裏の裏の裏の裏……たっぷり一分間ほど考えて、直樹は腹のさぐりあいを放棄した。


「Bが立派なことを言っているのはわかるけど、Aが現実的だと思います。お客様は従業員の『自分はきちんとやっている感』を押し付けられるより、単純に待たされない方が嬉しいんじゃないですか」


「ほほぅ。小説作法に関してはあれだけ『俺の考えた最強設定』の重要性を説く割に、いざお客様に料理を提供する段階になったら、『自己満足より効率』と言うのか、柏倉くんは。へえええええ」


 煽られ

 た。


「小説と料理は別だと思いますけど、百歩譲って何か通じるものがあるとしても、考えは変わりません。料理を作るときは手を抜きませんが、提供するときは効率重視であるべきです。それこそ手書きであれば気持ちが伝わるなんて考え方は時代錯誤です」


「それはさ、逆じゃないかと思うんだよね。私は今回、手書き原稿しか受け付けていない。『私』というこの小説の最初の読者に合わせることを考えたら、手書きの状態で最良の原稿を出せるように、もっと気を使っても良いんじゃないか? どうせ他の人が読むときには印字するとかじゃなくて、まず最初の読者を喜ばせる方法を考えてみようとは思わない?」


「だから、そういう精神論は……」


 なんのこだわりなのか、と。

 うんざりしたのを態度で示したかったが、食い下がられたせいで、引っ掛かりを覚えている。


(最初の読者に合わせた、最良の原稿……?)


「原稿用紙に限らず、WEB小説でも同じことは言えると私は思う。WEBでは行間を空けた方が慣例的に読みやすいとわかっていても、市販の書籍から乖離する形態に抵抗があって切り替えられない作者も結構いるよね。WEB小説に慣れた読者には読みにくくても『面白ければ読んでくれるはず』という謎の自信で、『自分の形式に合わせてもらう』ことに作者は固執してしまっているんだ。書籍は書籍。WEBはWEB。書籍になったときにはその形式に合わせればいいだけで、最初の読者がWEB上にいるならWEBに合わせるのは全然、折れたことにも信条を曲げたことにもならないと私は思う。だって、最初の読者が良いと思うかどうか、そこが小説のすべてでもあると思うんだ。そういった『読みやすい小説』はね、ある種の美意識から生まれるはず。つまり、読む人にとって目に優しくしたいとか。そう考えれば、自ずと原稿は、手書きでもWEBでも『見た目が綺麗』になるはず。見た目の綺麗さというのは実際に重要だよ。面白い小説は見た瞬間にわかる、って昔偉大な小説家が言ってた。まるでモーツァルトの楽譜のように、完成された見た目をしているものだって。そして、ひとたび完成された文章は、WEB・雑誌・書籍と媒体が変わってもその美しさを変わらずに維持しているんじゃないかと私は思う。疑うなら君の好きな小説を読み直してごらん。きっとそれは、文章だけではなく、見た目が綺麗だから」


 口を挟まずに聞いていた直樹は、そこでほっと息を吐き出した。


「部長が俺より長台詞」

「ときにはそんなこともある」


 差し戻しとなった原稿を受け取り、直樹はしげしげと見直した。


(たしかに、どうせパソコンで打ち出すときに見直すからと、誤字脱字もそのままだ……。効率を考えず、面倒がらずに見直せば、違う表現の方が良いと考え直して変更した文章もあるかもしれない。この作品ももっと面白くなったのかも……?)


 一番最初の読者に向けて、手書き原稿でも綺麗に書く。結果的にそれが小説の内容をも変えていく。


「モーツァルトの楽譜か……見たことないな」

「音楽室に行けば何かしらあるんじゃないか」


 さらっと返されて、直樹は操をちらりと見た。


「部長は好きな曲ありますか? モーツァルト」

「『マックの女子高生が言ってた構文』にこんなのがある。クラシック不人気について『だってベートーベンは全然新曲出ないじゃん』って」

「ベートーベンはひとまず置いておいて。モーツァルトで好きな曲ないんですか?」


 訝しむ直樹に対して、操は顔をそむけてぼそりと言った。


「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

「ありがとうございます。じゃあ、その曲みたいな小説書いてみます」

「べ、べつに私の好みの小説を書く必要はないからっ」



***交響曲第41番ハ長調 K. 551 ジュピター***



 空に月が二つ。

 それで、そこが異世界であることがわかった。



「ここ。どうしても、空に月が二つあることの必然性が思いつかない上に、二つあったときの地上への影響が調べきれないので、書けないんです」


 異世界転生小説(現代日本からの転生につき、知識は標準日本人)を書く上で、どうしても悩んでいる箇所。

 書いては話し合い、ダメ出しをもとに書き直し、書き続けてきたが、その部分だけ直樹はいまだに答えが出せない。

 思い余って、操に相談してしまった。


「地上への影響、とは?」


 きょとんとした操に促され、そこまで考えていたことが堰を切ったように溢れ出す。


「たとえば、月の重力が地球上の海の満ち引きに影響を与えている点ですね。その世界における重力を地球程度で想定している場合、月が二つあったらどう設定を作れば良いのか気になって……。あとは満ち欠けの周期がどうなるのか。地球の暦は太古、多くの地域で月の動きから作られていたはずですが、月が二つあれば暦の作り方が変わってくるはずで、つまり独自の周期性を持つ暦を作る必要があるのではないか? と考えているとキャパオーバーで。月が二つあるって、そこが異世界だって問答無用で説明するすごくわかりやすいモチーフだと思うんですけど、整合性を考えると書かない方が良いのか……」


「君が得意の『実際にあるものを参考にする』で良くない? つまり、月が二つあって人類に近い生命の存在する惑星を調べてみて、それに近い形で書けば良いんじゃないかな」


 平然と答えられて、直樹はほんの少し落ち込んだ。


(俺が面倒なこと言い過ぎたのか、適当に流されてしまった……)


 その落ち込みを悟られないように、わざといつものような不遜な態度でしれっと返す。


「へ~……って、そんな惑星いまのところ発見されてませんよね? 実在しないものは参考にできません!」

「うん」


 操はやはり平然と頷いてから、「わかってんじゃん」と軽い口ぶりで続ける。


「月が二つで生命が地球並に活動している惑星は、いまのところ発見されていないから、理論上の仮説は立てられても『仮説』の域を出ない。君がどれだけ読者に誠実であろうとその『仮説』をひねり出すために天文学を勉強したとしても、君がいま書こうとしている小説はその知識を長々と披露するには適切じゃない。それよりも、小説の中身を面白くする勉強をした方が、よほど読者さんには良いと思う。よって、月が二つある世界が書きたければ、まず月が二つあると書けば良い。小説は、それだけで読者さんを異世界に連れていけるよ」


「それは……。わからないことをわからないからと放棄しただけで、設定を詰めないで、世界観ガバガバなまま見切り発車で書くだけで、全然読者のことなんか考えていないんじゃ」


(つっこみどころのある小説は、読者に不誠実で、きっと読んでもらえない……)


 操は強いまなざしで、直樹をまっすぐに見ていた。


「月が二つある世界、というのは格別珍しい設定じゃない。これまで多くのひとが書いている。気になるなら、既存作品でどういう設定が採用されているか、自分で確認してみるんだ。そのときに柏倉くんは気づくはずだよ。『自分は月が二つある世界を理論的に正しく書ける自信がない』というだけで、書きたいものを諦める必要はないと」


「俺は設定ガバガバの小説は書きたくないってだけで……!」


「設定ガバガバになりそうだから、書きたいものを書かない。それは戦略としてアリだ。でもね、先人たちはそこで思い切って、書いているんだ。『その世界には月が二つある』って。書けばそれがその世界での景色になる。君もその景色が書きたいんじゃないの? 書きたいのに、『設定がガバガバだからだめだと思う』という自分の声に負けて諦めて良いの? それを言っていたら、『君は』この先いろんな小説を書く前から諦めることになるよ。書く前から諦めた小説は、冒頭すら存在しない。エターナルでなければ読者さんからも責められないし、キャラクターだって怒らない。そして君はどんどん自分の可能性を削っていく。私はね、柏倉くん。大切なのはその一行を恐れずに書くことだと思うんだ」


 ああ、むかつく。

 このひとは本当にむかつく。

 黙っていれば絵になる理想的な美人なのに全然黙っていてくれないし、平気でえぐってくる。考えが全然合わないのに、クッキーは譲ってくれる(あれはやっぱり手作りだと思う)。

 いやだ。いやだ。俺は、設定ガバガバのかっこ悪い小説を見切り発車で書いて、エタって、その程度の作者だなんて言われたくないのに。


 月が二つある世界なんて、その先どう書けば良いかわからないんだ。

 だけど、この世界には月が二つないから、二つある景色を見てみたいと思ったんだ。

 それがたぶん、小説を書く理由。


「書けそう?」


 操は試すというほど挑戦的ではなく、「明日の締め切りまで間に合う?」とごく軽く聞いてくる。

 葛藤、逡巡の末に、直樹はほんの少し、前に進むことにした。


「月が二つあっても、良いような気がしてきました」

「私もそう思う」

「締切には絶対に間に合わせます。それで、間に合ったら、そのときはちょっと俺の話も聞いてもらって良いですか?」


 直樹が笑顔で言うと、操は狼狽したように視線を泳がせ「話はいつも聞いてる!! 変なフラグは立てるな。そういうこと言っていると、間に合わなくなるぞ」と答えてきた。

 その表情がいつもとは違っていやに可愛く見えてしまって、直樹は思わず声を上げて笑った。


「フラグを立てて、フラグを回収するために、今から月が二つある世界を書いてきます」






★最後までお読み頂きありがとうございましたー!

 ★★★★★やブクマで応援頂けるとすごく嬉しいです!

 今後の励みになります(๑•̀ㅂ•́)و✧


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― 新着の感想 ―
[一言] あくまで持論ですが、小説は面白さが全てだと思っているので、設定を凝ったほうが面白くなるのであればとことん凝ったほうがいいでしょうし、逆にゆるふわなほうが面白くなるのであれば、とことんゆるふわ…
[良い点] 拝読させていただきました。 恋愛要素がチラチラ見えるWEB小説談義。 こういう青春もいいですね~。 それこそ現実ではないでしょうが。
[一言] すごく好きです。 なろうでは滅多に見ない、文字行間ギッチギチの見た目。それも計算なのでしょうね。お見事。 二人の、どちらの説も頷き倒して読みました。私は直樹くんが想定している読み手派ですね…
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