シュウィツアの特使
隣国シュウィツアの特使を迎えるため、ブラウシュテルン公爵代行のファイゲは王宮へ赴くための最礼装を整えていたが、笑みで顔がほころぶのを止めることができなかった。
「やっと、わが悲願が達成できる」
鏡で自分の姿を確認しながら彼はつぶやいた。
「長うございましたね」
妻のカルミアが感慨深げに答えた。
一か月ほど前、突然訪れたノルドベルク公子によって、ブラウシュテルン家の二人の令嬢が連れ去られ、王宮騎士団の助けを借り追跡した。その数時間後、同行した同家の騎士団長マースが傷だらけになりながら連れ帰ったのは次女のサフィニアのみであった。
マースが語った内容は以下のとおりである。
公子と令嬢たちが乗った馬車を止め、騎士団長スコルパスが質問したが公子は激高し乱闘となった。
騎士複数で公子を止めにかかったが剣技にたけた公子の激しい抵抗にあう。しかし逃げ切れないとわかると、公子は周囲に火をつけ、ヴィオレッタ嬢の方を再び無理やり馬車に載せ逃げだした。しかし、片側が崖の細い道をかなりの速度で走ったから、道を曲がり切れず馬車ごとフィリッシェ川の急流へと転落し、馬車は大破。二人の遺体も発見できなかった。
そして騎士たちは、ユーベルの剣で傷つけられていたところ、彼がつけた火で林が炎上しみな逃げ遅れ、自分だけは命からがらサフィニアのみを保護し帰ってきたという。
ファイゲたち代行夫妻が描いた理想通りの展開でマースが事を運んでくれたことに大いに満足した。
事件はフェーブル及びシュウィツアに広まり衝撃を与えた。
王族に名を連ねていた男が、隣国の有数の公爵家息女でなおかつ王太子の婚約者でもあった女性を誘拐しようとし、結果、死に至らしめたのだ。その影響で王宮直属の騎士団にも犠牲者が多数出ている。普通なら戦争、そこまでいかなくても断交にいたるほどの事件だ。
ゆえに両国の亀裂を修復するためにシュウィツアから特使がやってくる。
その特使との話し合いが終了したのち、国王陛下の名のもとに亡きヴィオレッタの父ファイゲが、新たに公爵位を得るための公式な手続きがなされる予定なのである。
一方こちらはシュウィツア側。
特使ジョアン・エルダーはこれからの交渉について思いを巡らせた。
彼の姉は先代王妃アイリスの腹心であった。
姉は持参金も用意できぬ兄弟の多い貧乏貴族の娘であったが故に、自身の能力を磨き高位貴族の女性の侍女として務めることができるようになった。最初に仕えたノルドベルク家のロゼライン嬢は不幸にも若くして亡くなったが、その後、のちの王妃、ウスタライフェン家のアイリス嬢の侍女に抜擢され、彼女が亡くなるまで結婚もせず仕え続けた。
その姉もまたすでにこの世にはいない。
兄弟の中では比較的頭の良かった彼は、姉の縁で外交交渉にかかわる部署に勤めることができ、順調に出世でき、運が良かったと自分でも思う。
「まさか引退間際にこんな難しい局面の交渉を任される羽目になるとはな……」
まったく、人生何が起こるかわからないものだ。
白いものが混じったダークブラウンの髪をなぜつけながらエルダー卿は深呼吸をした。
十八年前にも、このようにシュウィツアの王族にかかわる事件で両国の関係に亀裂が入りそうになったことがある。
先代国王の第二王子、現国王の弟であったエルンスト殿下はかつて両国の友好のため、フェーブルに遊学していた。彼は現地の王侯貴族とも親交を深め、その役目を立派に果たしていた。
そのさなか、当時体調を崩しがちだった父親のゼフィーロ王が倒れたという知らせを受け、一時的に帰国をする途中、フィリッシェ川沿いの狭い山道から馬車が崖下へと転落。エルンスト王子は若い命を散らした。
道の舗装に難があったのではないか、と、抗議するシュウィツア側と、変わりやすい山の天気や馬車を操っていた御者の腕前の問題、と、責任を認めないフェーブル側が火花を散らした。
あの時は純粋にこちらが被害者の立場で交渉すればよかったが今回はな……。
今回はよりによって、王太子の婚約者を死に至らしめた「加害者」としての立場で交渉をせねばならぬ、頭の痛いことだ。
特使ジョアン・エルダーはもう一度大きく息を吐き、いざ交渉へと王宮に向かうのだった。




