八郎参上
大河が余りに陰惨なので、こんな鎌倉もいいかなと思いつきました。鎌倉殿どうでしょう。
鎌倉。鶴岡八幡宮に程近い大倉の政庁では、木曽義仲を反逆者に仕立て上げ、首尾よく粟津で討ち取ったという報告が届いていた。
「いやあ、それにしても見事に追い詰めた物ですなぁ」
ニコニコ顔で安逹盛長が報告書を隣にいた比企能員に回すと、先に目を通していた三浦義澄が如何にも、という風に頷きながら
「左様、木曽殿が先に京を押さえた時には無理にでも兵を出すべきだったかと悔み申したが、この飢饉。ロクな兵糧も無いままに平家と戦を続けるなど自分の首を絞める様な物。兵を発するを厳に戒められた佐殿の先見の明にこの義澄感服つかまつった次第にございます」
と然り気無く頼朝をヨイショする。
満更でも無さ気に頼朝は
「当たり前よ。この坂東も酷かったが西国はほぼ全ての国が餓えで苦しんだと聞く。その中で戦を起すなど以ての他。山陽道に押し出したは良いがまともに戦う事も叶わず京に戻った挙げ句、法皇様に無心し、拒まれたら家々に押し入り民から食う物を奪ったのであろう。逆賊と罵られるのは当然の事よ」
義仲を扱き下ろした。
「それにしても法住寺殿での戦、気になりますな」
北条義時が別の書を読みながら呟いた。
「何かあるのか」
父の時政が問うと義時は軽く頭を下げ
「遣いによれば木曽殿が法住寺殿に兵を向けた際に合戦に及んだとあります」
三浦義澄が義時を見た。
「それが如何かしたか?」
「いえ、聞く所によると法皇様の下には北面の者共しか武士はおりませぬ」
その通りだったので一同は頷く。
「しかし木曽殿が京に戻った時に北面は蹴散らされております。であればこの法住寺殿で法皇様をお守りしようとした者たちは一体…」
ドババァ~ン!と物凄い音を立てて政所の板戸が吹っ飛んだ。突然の事に頼朝以下、中にいた皆が半ば腰を抜かした状態で入り口の方に目を向けると、そこには6尺 (2メートル)は優にある人間離れした大男が立っていた。余りの事に誰も言葉を発する事が出来ずにいると、男はズカズカと室内に入り込み入り口の正面に座っていた大江広元の両肩をガシッとつかみユサユサ揺すぶりながら
「お前が鬼武者か!」
と割鐘の鳴るような大声で吠えた。鬼武者とは頼朝の幼名だ。髭面の大男にドデカイ声で怒鳴りつけられた広元は生命の危機を真剣に感じながら
「い、いえ、私は佐殿では御座いま「ではお前か!!」 せんが……」
かろうじて言葉を返そうとするも、男は最後まで聞かずに隣にいた和田義盛の背中を叩く。衝撃で文机に義盛の膝が当たり文机が前に倒れた。
「す、佐殿はあちらにおわします…」
義盛は烏帽子 直垂姿で政務の間の上座に座ったままの頼朝を指差して誤解を解こうとするが、頼朝の方は首をふるふる細かく振り (儂に振るな)と必死にアピールしている。頼朝の予防線は無駄な努力に終わり、男はぐりんっ、と振り向くと
「久しいのぉ、鬼武者ぁ!!」
と義盛にやった様に頼朝の背中をバァ~ン!と叩いた。
「あ、あの、ど、どちら様で…」
これまでの人生で覚えの無い強烈な物理的衝撃を身体に浴びた頼朝はケホケホむせ返りながら声を絞り出した。はっきり言って怖い。平治の乱で矢傷を受けた時だってここまで痛くは無かったし怖くも無かった。もうすぐ不惑 (40歳)に届こうという自分を捕まえて何十年来呼ばれていなかった「鬼武者」呼ばわりとは。
しかも質の悪い事に頼朝にはこの髭男に全く心当たりが無かった。相手が自分が誰か分からないらしい様子に気付いた大男は頼朝の視界が男の日焼けした顔で一杯になるまで顔を近づけ
「八郎じゃ」
と言った。
意外にも抑え気味に出された声は怒鳴っている時には想像もつかない渋みを持ち、聞いただけで心が昂る様な甘さを含んでいた。
「は、八郎……?」
せっかくの名乗りも頼朝には相変わらず心当たりが浮かばない。(九郎(義経)は西国だし八郎(義円)は墨俣で死んだ。他に誰か八郎とかいう兄弟はおったか?)
妙な快感をもたらす外見に全然似合わない美声と物理的な恐怖に混乱したままの頼朝を前に、まだ自分に思い当たらないらしいと見当を付けた“八郎”は、やれやれという風に首を振って噛んで含める様にゆっくりと名乗った。
「ち、ん、ぜ、い、の、は、ち、ろ、う、た、め、と、も、じゃ」
髭男が少し離れたせいで混乱しながらもようやく頭が回り始めた頼朝は、今聞いた言葉を漢字に変換して意味が通じた瞬間、またパニックに陥った。
「鎮西八郎? お、叔父上、ですか…?」
髭はニヤリ、と口の端を上げて「そうとも」という様に頷いた。仕草がいちいち色気を感じさせる。野生味というか男らしさの塊の様な漢だ。見れば居並ぶ坂東武者の首領たちも媚薬でも嗅いだ様に頬を染め見惚れている。いや、問題はそこではない。鎮西八郎為朝。頼朝の父・義朝の弟で保元の乱で頼朝の祖父・為義と共に崇徳院に付き、乱で敗北した後どこかに流され死んだはずだった。
「為朝叔父はお亡くなりになられたと聞いて居りますが」
「アホウ!!!」
また割れ鐘に戻った大声に頼朝が耳を押さえながら仰け反ると、目の端に顔色を変えて俯く北条時政が見えた。
「義時!」
「はっ!」
「八郎叔父上は亡くなられたのではないか」
「は。某が承知して居りますのは…」
「儂はこの通り生きておるわぁっ!!!」
「八郎様は保元の乱の後、大島に流されその地で謀叛の兆しありと討伐隊を差し向けられ、ご自害なさっ……父上?」
「大島? 大島とは伊豆の大島か?」
頼朝が何か問い掛けているが、北条義時は隣で彼の袖を引っ張り小さく首を振り続ける時政の方が気になった。
「何かあるのですか?」
顔を時政の耳に近付け小声で問うと時政は
「ちょっと来い」
とやはり小声で義時に言い、
「佐殿、少し外しますぞ!」
と頼朝に声を掛けてそそくさと部屋から出て行った。頼朝に無礼を詫び慌てて時政を追った義時は少し離れた板の間に入った父にようやく追い付いた。
「どういう事です、一体何があったのです」
いつもおかしい父だがいつも以上に様子がおかしいのに流石に異変を感じ義時が訊ねると
「お前は八郎様の最期を誰から聞いた」
と問い返された。
「えーと…? 随分むかしに伊東のお爺様より伺った、と思うのですが」
「偽りじゃ」
「は?」
「だから討伐隊を差し向け八郎殿がご自害なされたというのは偽りじゃ」
義時は唖然とした。
「な、何故その様な事を」
「聞け」
「はい」
「討伐隊は差し向けた。それは真実じゃ。祐親殿の叔父・工藤茂光殿が伊豆の国司を務めていたのは存じておろう」
時政が苦い物でも口に入れた様な表情をしている。義時も似たような顔になった。
義時の祖父・伊東祐親の実家である工藤家の跡目を巡ってのゴタゴタは、伊豆だけでなく南関東に散らばった血縁を巻き込んで収まるどころか年々ひどくなっている。先の石橋山の戦いの前にも闇討ち騒ぎがあり、祐親の嫡男が生命を落としていた。
揉めた原因の1つが工藤茂光だった。本来、祐親が継ぐはずだった工藤家を乗っ取り、そのままで居ればいい物の、更に異母弟に乗っ取られた事で祐親が工藤家の家長になる目は無くなったからだ。
「茂光殿が国司の時分に島からの年貢が来なくなった。大島にいた八郎殿が押領を始めてな」
「はあ? 大島だけでなく先の島も全てですか?」
「そうよ。あのご器量じゃ、真面目に都に作物を送る馬鹿がおるか、と一喝されて大島も先の島の連中もそれもそうだと納得してしまったんじゃよ」
義時は俄には信じられなかった。
「で、ですが、茂光殿?、の、時の事ですよね?、それでは伊豆からの年貢の帳尻が合わなくなってしまうではありませんか」
時政は益々顔をしかめた。
「その通り。始めの内は伊豆本土の作物を回して足りない分を誤魔化しておった。しかしそれは伊豆本土から持ち出して負いがきつくなるという事よ。その方も存じておろうが伊豆はさして豊かな土地ではない。どうにもならなくなった茂光殿が都に事情を話し、討伐せよという事になった」
義時は嫌な予感がした。
「それでどうなったのです」
「話にならんわ。300程の兵を差し向け全滅した」
「はあ?」
「八郎殿の弓の腕は聞いておるか?」
「はぁ、保元の戦の折りには鎧を着た武者を3人射通したとか…」
時政が深い溜め息をつく。
「それ以上よ。小舟に載って押し寄せた茂光殿の勢は片っ端から沈められて上陸さえかなわなんだ」
「?」
「矢で小舟の横腹を射ぬいたのよ」
「は? はぁぁあぁあ?」
時政が呆然とする義時を見やりながらまた溜め息をついた。
「儂は祐親殿より八郎殿の使うた鏃を見せてもろうた事がある。そうさな、この位であった」
時政が示したのは己が腕の肘から指先までだった。
「そ、れは真に、鏃、なのですか?」
つっかえつっかえ何とか声を絞り出した義時に、どこか投げ遣りに見える表情を浮かべ時政は述懐した。
「祐親殿に他言するなと念押しされて見せて頂いた。討伐隊にいた家人が持ち帰った物だとな。どちらかと言えば“鏃”というより“鑿”か“脇差”かと思うたが」
想像を絶する“戦”の様相を思い浮かべ義時は身震いした。父の言う通りならば、舟板すらブチ抜く強弓に茂光らの乗った水上戦力は、大島に辿り着く事も叶わず舟ごと次々に沈められてしまったという事ではないか。
「まぁの、それで本土に攻め上り神田明神(平将門)の真似をされても困ろう。幸い八郎殿は島から出る気配は無かった。それで…」
「無事討伐した、と都を謀ったのですか」
よくもまあ、と思いながら義時は時政を見た。
「都の奴らは昔の戦で敗れた流人がどうなろうと知った事ではあるまいよ。実際、首を送れとの沙汰も無かったからな」
それで通ってしまう僻地の治安の悲しさよ。
眩暈のするような事態に首を振りかけて義時は肝心な事に気がついた。
「その八郎様が何故ここに?」
時政は腕を組んで軽く首を傾げ
「島に飽きたのかのう」
と呟く。
「飽きたって…」
「いずれにせよあれはまごうかたなき本物の八郎殿よ。これからどうするのか、本人に訊くしかあるまい」
北条親子が政所に戻ると、何故か為朝は上座に上がり込んで頼朝の頭をグリグリ撫でており、無礼を止めようと両腕両足に義澄や八田知家らが二人ずつ取り付いていた。為朝は大の男八人 (中原親能や広元ら武家でない者は余り戦力になっていない様子だが)を全く気にせず
「お主がまだ赤子の時に~」
などと昔話を始めている所だった。
「各々(おのおの)方、お控えを! このお方は紛れも無く鎌倉殿の叔父 君鎮西八郎殿にございます」
気を取り直して義時が制止すると頼朝は
「真であるか! 皆の者、叔父上から手を離せ」
と近臣たちに命令する。尤も烏帽子をぐしゃぐしゃにされ半ばはだけた姿は寝込みを襲われた様な締まりも威厳も無い物であったが。
正直、この場にいる誰もがこの突然現れた“主君の叔父”をどうにか出来る気がしていなかったので、内心ほっとしながらも一応
「宜しいので?」
と誰かが問う。比企殿だろうと思えたが義時には判別がつかなかった。
「よい。この方は儂の叔父上に間違いない。」
そう言いながら上座に座り直し襟元を整える頼朝の右後ろに立ち、為朝は吠えた。
「そうとなれば宴ぞ! ありったけの酒を用意せい!」
「「「ははっ!」」」
一同は一斉に平伏した。立ち位置も、放たれたよく通る大音声も、為朝 (認定済み)こそが全くこの場の支配者であるようだった。誰も逆らえない、という意味ではそれも事実なのかも知れなかった。
「沈んだ?」
頼朝が何を言われたのかよく分からないという表情で報告する北条義時に問い返した。西国から届いた書状をもう一度読み返し、義時は頷いた。
「梶原殿からの報せです。義経殿と共に壇之浦に出た八郎様は、能登守教経殿と一騎打ちとなった九郎殿が船から船へ飛び移るのを見てご自分も平家方の舟に飛び移ろうとなさり…」
「ちょっと待て、小四郎。九郎が何だと?」
「はあ。義経殿が船を飛び移って能登守と切り合いをなされたと」
頼朝はあんぐりと口を開けた。
「それはその、海の上に浮かんでいる船を、じゃよな」
「そのように書いてございます」
俯いてこめかみの辺りをしきりに揉んでいる頼朝を見ながら義時も溜め息をついた。鎌倉殿の気持ちはよく分かる。何故、海の上で行われた決戦で総大将が一騎打ちをしなければならないのか。そしてあろうことか、船から船へ飛び移り追い掛け回されるなど、本当に人間なのか。尤も追い掛けて来る教経もおかしいが。
「で、叔父上は」
本題を思い出した頼朝が報告の続きを促す。
「は、手近な舟に飛び移ろうとなさり、ご自分の載っていた舟の底板を踏み抜いて舟ごと沈んで行ったとの事です」
頼朝は片手で顔を覆った。
「浮かんでは来なかったのだな」
「そのようです」
ため息をつく二人の脳裏に為朝が大倉に乗り込んで来た後、西国に送り出すまでの荊の日々が甦った。
鎌倉に貯えてあった酒という酒を一晩で飲み干し、追加で普段の50倍もの米や酒を買い占めねばならず、近隣の農民からしばらく恨まれた事。
自分に乗れる馬を用意しろと言い出したので坂東中を探したが7尺 (2メートル超え)の人間を乗せて走れる馬などいる筈もなく、恥を忍んで奥州の藤原秀衡に頼み込みやっと調達した事。
為朝と言えば剛弓だという事で前代未聞の「12人張り」を作らせ、職人から「鎌倉の仕事は今後受けない」と通告されかかり、拝み倒して西国へ送り出す他の武士たちの分をようやくそろえた事。
「5人分じゃものなぁ」
頼朝が誰に言うでもなく呟いた。
鎧を誂えろと言うから手配した所、色見がどうの形がどうのと散々注文を付け、しかも普通に作っても並の鎧の3倍の鉄を使うので支払いは見たこともない金額になった。
そして通常の5人分の重さ、為朝以外は着たら動けもしない“鎧の形をしたナニカ”が出来上がったのだった。
「一応戦が終わった後に辺りを探したそうですが」
「見つからなかったか」
そんなモノを着たまま海に落ちれば助かる筈もない。突然舟が沈んで大将気取りの道連れにされるハメになった者たちこそいい迷惑である。
ふと頼朝が気になった事を口にした。
「叔父上は幾つじゃったかな」
少し考えて義時は
「鎌倉殿の八つ年上でありましたから四十七かと」
「四十七…。まだまだ生きる事も出来た年よの」
「はっ」
頭を下げる義時を見てふいに頼朝は小さく笑った。
「案外どこぞの島に流れ着いて王にでもなってしまうかも知れんぞ」
有りそうな無さそうな。そんな気持ちが義時の胸に湧き起こった。
そしてあの名作に続く……?