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マリーの不思議な冒険  作者: 烏屋マイニ
鏡のマリー
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囚われの天使

「よくも騙してくれたな!」

 開口一番、天使は目を三角にしてそう言った。

 その剣幕に驚いて、マリーが何も言えずにいると、天使はなおも続けた。

「おかげで俺は、今夜のメインディッシュだとよ。どうしてくれる?」

 意味が分からないと素直に言えば、天使の少年はひどく憤慨した。

「ここに美味しい物がたくさんあるよって、俺を連れてきたのはお前じゃないか。しらばっくれるな!」

 濡れ衣もいいところだ。マリーを騙る誰かが、マリーの知らないところで、妙なことを働いているに違いない。

 マリーには心当たりがあった。事情を話すと、少年は訳知り顔で頷いた。

「ははあ、なるほど。お前、自分の影に逃げられたのか」

「影?」

「そうさ。地面に映る黒いのも影だけど、鏡に映る自分の姿も影なんだ。足下を見てみろよ」

 言われるまま足下を見れば、確かに影がなかった。

「主人に愛想を尽かした影は、どこかへふらっと出かけていなくなってしまうことがあるんだ。けど、主人はスープ皿で影はスープみたいなものだから、長く器を離れていると、影はそのうち地面に吸われて消えてしまう。そして影に逃げられた主人はセミの抜け殻みたいになって、ピクリとも動けなくなるのさ」

 それは一大事だ。でも、少年の言うことには、おかしなことがあった。マリーはとうに空っぽなのだから、それなら今のようにしゃべったり、全速力で駆けたり出来るはずがない。

「簡単なことさ」と天使。「代わりに、別の何かが入ってるんだ。天使の俺には、ちゃんと見えてる」

 それはなあに? と尋ねれば、天使の少年はニヤニヤ笑いながら、鉄格子の隙間から手を伸ばし、あろうことかマリーの胸をぺたぺたと触った。

「中身と違って、お前はぺったんこだな?」

 マリーは少年の鼻にパンチをくれた。少年は派手にひっくり返り、藁が敷かれた牢の床を転がって、奥の壁にぶつかりきゅうと伸びてしまった。

 しかし、これで合点が入った。マリーの中には影の代わりに、大人のマリーが入っているのだ。鏡に映らないことを除けば今のところ支障は無いが、逃げ回る影を、このまま放っておくわけにもいかないだろう。彼女を捕まえなければならない理由なら、他にもあるのだ。

「おい、娘。小麦粉を探すのに、いつまで掛かってるんだ!」

 シェフの声と足音が通路から聞こえてきた。早く大人に変身しなければとマリーは周囲を見渡すが、食糧庫に鏡などあるはずもなく、やって来たシェフは彼女を見て目を丸くした。

「お前、いつの間に!」

 シェフは鬼の形相を浮かべて言った。実際、彼は鬼だった。マリーの目の前でシェフの人間の顔は見る間に崩れ、瞳は黄色に変り、瞳孔は猫のように縦に裂けた。

 額からは長い角が三本も伸びてきて、耳まで裂けた口の中は、ギザギザの歯でいっぱいになった。彼はマリーの首根っこを捕まえ、腰に下げた鍵で牢を開けると中に彼女を乱暴に放り込んだ。マリーは床をごろごろ転がり、逆さまになった格好で、ようやく止まった。派手に転がったわりに怪我をしなかったのは、ぶつかった壁にもたれかかって気を失っている天使が、ちょうどよいクッションになってくれたからだ。

「天使の男の子に、人間の女の子か。はてさて、いい食材がそろったぞ。これを、どう料理しようか。やっぱり、二人とも素っ裸にひんむいて、チシャ菜で飾るのが一番かな。いやいや、せっかくだから旦那様や奥様や、坊ちゃんたちにリクエストをいただこう。みんな、私なんかよりずっと残酷だから、きっと素敵な食べ方を思い付いてくださるぞ」

 シェフは下品な笑い声を上げながら、キッチンへと戻っていった。

「さすが、お子様だ。パンツに色気が無い」

 マリーの脚の間から、にゅっと顔を出して天使の少年は言った。マリーは足を揃えると、両の踵で少年の顔を蹴り、一回転して身体を起こした。

「イタタ……乱暴だなあ」

 少年は立ち上がり、ニヤリと笑ってマリーに右手を差し出した。

「俺はハリー。見ての通り、天使だ。キャラハンでもポッターでもないから、マグナムやナントカパトローナムは期待するなよ」

 意味がわからないわと正直に言ってから、それでも彼の右手を握り返して、マリーは名を告げた。

「マリーか、よろしくな。バケモノのご馳走にされるなんて、ついてないと思ってたけど、裸の女の子と一緒なら、それほど悪くはないかも知れないな」

 マリーは、いやらしい笑みを浮かべるハリーの右足を、力いっぱい踏んづけた。それから、足を押さえてぴょんぴょん片足で跳ねるハリーを放置し、脱出の方法を探り始めた。

 可能性があるとすれば、天井に近い場所にある明かり取りの窓だ。もちろん、それはこの牢の中にもある。しかし、二メートルも上では、どうすることもできない。

 マリーは、ハリーの背中の羽根に目をやった。

「俺に飛べって? 無茶言うなよ。この牢には天使の力を抑える結界が張ってあるんだ。それがなかったら、こんな鉄格子なんてバラバラにして逃げ出してるよ」

 ハリーが頼りにならないとしたら、どうにかして自力で窓まで登る方法を考えなければならない。マリーは牢の中をキョロキョロ見渡して、水盤が乗った台が壁際の隅に置かれているのを見つけた。しかし、その高さはマリーの背丈の半分ほど。踏み台にするには低すぎる。

「喉でも渇いたのか?」

 ハリーが肩越しに覗き込んで来た。彼の整った顔が、水盤に張られた水面に映し出された。

 マリーは急いでポケットから懐中時計を取り出した。案の定、水面には大人のマリーが映し出された。懐中時計の蓋をパチンと開き、マリーは変身した。大人になってハリーを見下ろすと、彼は口をぽかんと開いて、しばらく彼女を見つめてから、親指を立てて見せた。

「いいね。大き過ぎず小さ過ぎず、実に俺好みのおっぱいだ」

 マリーは蹴り飛ばしたくなる衝動を抑えた。いくらなんでも、大人の力で蹴ったりしたら、ひどい怪我をさせかねない。

「変身中に真っ裸なのが、お約束な感じで実にいい」

 ハリーはマリーの容赦の無い蹴りを食らって、派手に吹っ飛んだ。

「イタタ……本当に乱暴だな、お前」

 意外に平気そうなハリーを見て、マリーは少しムッとした。

「さっきはパンチで伸びたのに」

「素敵なおっぱいを前に、気絶なんてしてられるか。ちょっとクラクラするけど」

 見上げたスケベ根性である。構っていても時間の無駄なようなので、マリーは台に乗り窓枠に手を伸ばした――が、届かない。目一杯背と右手を伸ばして、ようやく窓枠の上側にある留め金に指が届いた。どうにか留め金を外すと、窓は外側にパタリと倒れて開いた。しかし、これでは窓枠まで身体を引っ張り上げるなど、とても無理だ。それに、どうにか登れたとしても、窓が小さすぎて大人のマリーでは、胸やお尻がつかえて出られそうにない。

 マリーは妙手を思い付いた。彼女がハリーを、窓まで抱え上げれば良いのだ。そして、ハリーにロープのようなものを探してきてもらって、マリーも脱出する。早速、その案をハリーに伝えようとするが、彼はマリーが乗った台のそばに屈み込み、真剣な表情でこちらを見上げている。何をしていると問えば――

「決まってるだろう。パンツを覗いてるんだ」

 マリーはスカートの裾を押さえ、ハリーの顔を思いっきり踏みつけた。その拍子にバランスを崩し、彼女はハリーの上に倒れ込んだ。台がひっくり返り、水盤は床に落ちて中身をぶちまけた。マリーは子供の姿に戻り、彼女は変身の手段を失った。

 万事休す。

「なにやってるんだ、人間?」

 牢の前に子兎がいた。

「ジロー坊ちゃま。お部屋を出て大丈夫なの?」

「母上に見付からなけりゃ、どうってことないさ。それよりも忘れてないか。ジェームズがどうなったか話しをする約束だぞ」

「ちゃんと覚えてるわ」

 マリーはにっこり笑って言った。状況はどうあれ、約束は果たさなければならない。

「今から話すから、他のみんなにはジロー坊ちゃまが話してあげて」

 しかし、ジローは首を振った。

「おやつは分ければ減るけど、お話は独り占めすると面白さが減ってしまうんだ。俺は何をすればいい。人間は賢いんだから、何か思い付くだろう?」

 マリーは先ほどあきらめたアイデアを、ハリーとジローに話して聞かせた。

「鏡があればいいんだな」

 ジローは辺りを見回し、調味料の棚からオリーブ油の瓶を取って、マリーの元に持ってきた。

「色付きガラスの瓶だから、鏡の代わりになるはずだ」

 懐中時計を手にすると、オリーブ油の瓶には大人のマリーの顔が映しだされた。こんなもので変身して、顔がゆがんだりしないかしらと心配になったが、贅沢は言ってられなかった。無駄だとは思いつつ、ハリーにこっちを見るなと命令してから懐中時計の蓋を開け、彼女は再び大人に変身した。

「こりゃ驚いた」

 ジローが言った。マリーは彼に片目を閉じて見せると、ハリーを背負って台に上った。それから彼を窓まで押し上げ、台を降りて子供の姿に戻り、待った。

「あの天使、一人で逃げたりしないだろうな?」

 ハリーが出て行った窓を見上げ、ジローがつぶやいた。もちろん、その可能性もあった。しかし、疑ったところでどうにもならないので、マリーは信じて待ち続けた。

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