世界の書
作業自体は簡単なものだった。マリーが散らばった資料を分類ごとに集め、それをハリーが彼女の指示に従って、書架の所定の場所へ収める――それだけだ。二人は地道に作業を続け、ほとんどの資料を書架へ収め終わり、最後に「世界の書」と表題が打たれた五冊の本が残された。いずれも背ラベルが無く、どこにどの順番で収めるかもわからない。手掛かりらしいものと言えば、それぞれ表紙の色が異なることくらい。
「どうしたもんかな?」
途方に暮れるハリーに、マリーは言った。
「中身を読んでみましょう」
それでわかったのは、扉に書かれた文章が五冊とも全て同じであることだった。
「これは世界の書がひとつである。世界は神と天使と人と悪魔と魔王によって成り、神の左に全てが立ち、魔王の左に立つものは無い。人は全ての間に在って、右に天使を、左に悪魔を従えるだろう。神と天使は真実のみを話し、魔王と悪魔は全てにおいて嘘をつき、人は真偽を気まぐれに操る。この書を手にした者は心せよ。誤った並びは、それを為した者に災いを与えるだろう」
マリーは読み上げ、ぱたんと本を閉じた。
「なんだか、不吉な感じがするわ」
「けどさ、並べて見ないことには始まらないだろ。とにかく、空いてる場所に入れて見ようぜ」
本を収める場所はすぐに見つかった。書架の一角に、ちょうど五冊が収まりそうな隙間があったのだ。マリーは、恐る恐るそこへ本を押し込んだ。不意に辺りが暗転し、本と本の隙間から平たく真っ白な手が伸びてきて、マリーの身体に絡み付いた。
「あっ……!」
と、マリーは思わず声を上げた。白い手が彼女の敏感な場所に触れ、そこでもぞもぞと指をうごめかしたのだ。マリーは懸命に口を押さえるが、その声は指の隙間から漏れ出した。そうして耐えきれなくなった彼女は、ついに大声で笑い出した。
脇腹をいやと言うほどくすぐられ、マリーはぐったりと床に倒れ伏した。白い手はするすると本の隙間に戻り、五冊の本はその場所を拒むかのように、書架から勝手に滑り出して、ごとりと床に落ちた。
「わかったぞ、マリー。あと一一九回試せば正解が見つかる計算だ。さあ、続けてくれ!」
目を輝かせるハリーの顔に、マリーはパンチを叩き込んだ。膝ががくがくしていたので精彩は欠いていたが、それでも威力はじゅうぶんだった。
「そんなにくすぐられたら、おなかがよじ切れちゃうわ。続きはハリーがやって」
「遠慮しとくよ。たぶん、そんな需要ないと思うし。それより、ちゃんと考えた方がよさそうだな」
二人は頭を突き合わせ、手掛かりは無いかと赤い本のページをめくった。
「我は魔王なり」
マリーは読み上げた。
「意味わかんないな?」
ハリーが首を捻る。
「そうね。他のも読んでみましょう」
マリーは黄色の本を開き、そこにあった文を読み上げた。
「我は神の左に立つ」
これも、さっぱり意味がわからない。仕方なく、彼らは残った本も片っ端から開いて読んだ。
「赤が『我は魔王なり』、黄色が『我は神の左に立つ』、白が『我は天使と手を携え黒を真実と告げる』、緑が『我は人に触れることはない』、黒が『我が左に魔王は立つ』か」
ハリーはそれぞれの本に書かれていた言葉を並べ立てた。二人は頭を抱えた。これをどう解釈すればよいのか。
するとハリーが、何かを思い付いたようにぽんと手を打ち鳴らした。
「多分、この五冊は神様と天使と人と悪魔と魔王の本なんだ。神の左に全てが立ち、魔王の左に立つものは無いってことは、両端に神様と魔王の本があるって意味じゃないかな。つまり、このヒントを元にして、正しい順番に並べろってことなんだ」
なるほど、とマリーは納得する。
「たぶん、どれかが嘘を言って、どれかが本当のことを言ってるのね。神様と天使様は本当のことしか言えないんだから、彼らの本には本当のことが書かれてるはずよ。そして、悪魔と魔王の本は嘘しか書かれてなくて、人の本はどっちかわからない。はっきりわかってるのは、赤い本が嘘っぱちだってことね」
「なんで?」
「だって、神様や天使様の本に『我は魔王なり』なんて書かれてたらおかしいでしょ。彼らは本当のことしか言わないって書いてあったもの」
「そうなると魔王も同じだな。嘘しか言えない魔王が『我は魔王なり』なんて本当のことを言ったら、やっぱりおかしなことになる。ちょっとわかってきたぞ。メモがいるな?」
マリーはカウンターから紙とペンと取ってくると、それをハリーに手渡した。
「黄色い本はどうだ?」
「神様以外が言うと本当のことになるから、これが悪魔や魔王の本だとするとおかしなことになるわね。天使様か人の本になるから、これには本当のことが書かれてることになるわ」
「なるほど」
ハリーは床に腹ばいになってメモを取っていく。
「白い本は、よくわからないわ。天使と手を携えって書いてるから、天使様以外の誰が言ってもおかしくないもの」
「緑の本の、人に触れることはないって意味はなんだろう?」
「真ん中にある人の本と隣り合ってないって意味じゃないかしら。こんなことを言えるのは、神様と人と悪魔だけよ。これも、嘘か本当かわからないわね」
「黒の本は本当のことだよな。だって、魔王は一番左端なんだから?」
しかし、マリーは首を振った。
「それが魔王の本なら、嘘よ。だって、魔王の左には何もないんでしょ?」
「そうだ。忘れてた」
ハリーは書き掛けの一文を横線で消した。
結局、赤と黄色の本以外は、真偽不明のままだった。解き明かすには、もう一つヒントが必要だった。二人で頭を捻るうちに、マリーは気が付いた。
「白の本って、黒を本当だって言ってるけど、これってちょっとおかしいわ」
「なんで?」
「だって、白の本が本当のことを書いてるなら、黒の本も本当ってことになるでしょ。そうすると、魔王の本が、どこにもないってことになるわ。赤も黄色も緑も魔王が言うと本当になってしまうもの」
「つまり、白も黒も嘘っぱちってことか」
「ええ、そして緑は神様の本ってことになるわね」
ハリーは首を捻った。
「わかんないや。ちゃんと説明してくれよ」
「五冊の本の中で、嘘が書かれているのは多くて三冊までなの。人と悪魔と魔王ね。赤と白と黒が嘘っぱちなら、残りは本当のことが書かれてるってことでしょ。そうして、黄色が天使様か人の本のどっちかだとしたら、天使様の本ってことになるわ。すると緑は神様の本以外にないってことにならない?」
「ジローがいたら、賢いな人間って言われそうだな」
二人は顔を見合わせ、くすくす笑った。
「けど、嘘つきの三冊はどれがどれになるんだ?」
と、ハリー。
「黒から考えましょう」
マリーは言った。
「この本に書いてあることを人や悪魔が言うと本当になっちゃうから、魔王の本で間違いないわ。白は天使の隣りにいない誰かの本ってことになるから、悪魔か魔王になるんだけど、魔王にしちゃうと黒の本は誰の本でもなくなってしまうの。だから、白は悪魔の本。そして、残った赤が人の本ってことになるわね。答え左から黒、白、赤、黄、緑よ。ハリー、その順番で並べてくれる?」
ハリーは頷き、書架の空いたスペースに本を押し込んでいった。最初に魔王、その右に悪魔、人、天使。しかし、最後に神の本を収めると白い手が伸びてきて、ハリーを散々くすぐり倒した。ハリーは床の上で、しばらくぴくぴく痙攣してからがばっと身を起こし、げらげら笑い転げるマリーに詰め寄った。
「どう言う事だよ!」
「右と左は本から見ての方向なの。だから、正解はこうよ」
マリーは左から順に神、天使、人、悪魔、魔王と本を収めた。本は書架にぴたりと収まり、白い手は現れなかった。
「だったら最初に言ってくれよ」
ハリーは唇を尖らせた。
「私がくすぐられてる時に、助けてくれなかったお返しよ」
マリーが意地悪く笑って言うと、ハリーは突然、彼女に飛び掛かり脇腹をくすぐり始めた。きゃあきゃあ叫びながら二人がじゃれ合っていると、扉が開いてラファエルが顔を覗かせた。
「おやおや」
床の上で絡み合う子供たちを見て、彼は目を細めた。マリーは急に恥ずかしくなって立ち上がり、乱れたスカートの裾を引っ張って直した。
「どうかしたの、ラファエル様?」
ハリーが聞いた。
ラファエルは笑顔をわずかに曇らせ、言った。
「それが、ちょっと困ったことになってね。とにかく、一緒に来てくれる?」




