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マリーの不思議な冒険  作者: 烏屋マイニ
マリーと天上の国
18/40

天使長ミカエル

 そこは、窓ひとつない石積みの狭い部屋だった。片隅に置かれた机の前に、灰色のローブをまとう白髪の老人が一人。ちっぽけなランプの灯りを頼りにして、黄味をおびた紙に何やら熱心に書き付けている。

 そんな、以前に訪れたときと全く変わらない風景を見て、図書室に通じる赤い扉の前に立つマリーは、一瞬、時計が巻き戻ったのかと思った。

「意外に早かったな」

 老人は手を止め、マリーに目を向けた。

「お久しぶりです、おじいさん」

 マリーがお辞儀をする。

「聞きたいのは、お前の連れについてだな? 生憎と魔物の子については、わしにも居場所は掴めておらん。ハリーは今、捕らえられて牢の中にいる」

 どうしてと聞こうとしたマリーを、老人は止めた。

「わしに理由を聞いて時間を無駄にするな。詳しいことを知りたければ、ミカエルに聞け」

 しかし、マリーにはもう一つ、どうしても聞きたいことがあった。

「ウサギのハロルド?」老人はきょとんとした。「やつなら心配はいらん。元気にしているぞ。ただし、居場所は教えられんがな」

 マリーは理由を尋ねるが、老人は「そう言うルールだ」と、にべもなかった。

「わかったら、さっさと行け。出口は青い扉だ」

 そう言って、彼はまた仕事に戻った。

 マリーはあきらめ、青い扉のノブに手を掛けた。


 老人の部屋を出ると、マリーは雲の上に立っていた。足元の地面はふわふわとゆらめいているが、爪先で突いてみれば、見た目とは裏腹に意外としっかりしていることがわかる。ふと振り振り向けば、ずんぐりとした石造りの塔が建っていた。老人がいたあの部屋を収めるにしては、ずいぶんと大げさな建物である。

 地面が雲であることを除けば、辺りは普通の街並みだった。公園があり、通りがあり、カフェや新聞売りの屋台もある。ただし、行き交う人々はもれなく美しい顔立ちの天使ばかり。マリーはカフェのテラス席で新聞を読む一人の天使に声を掛けた。

「ミカエル様? ああ、彼なら役所じゃないかな。けど、忙しい方だから会えるかどうかわからないよ」

「お役所って、どこですか?」

「向こうに見える、あの大きな建物さ」

 天使が指さした先には、四階建てのアパートメントがあり、その屋根の向こう側に、四角いガラス張りの塔がにゅっと飛び出している。

「大して遠くないから、真っ直ぐ進めばすぐに着くよ」

 マリーは天使に礼を述べてから、お役所を目指して歩き出した。しかし、通りを進み路地を抜け、最短距離を進んだはずなのに、ガラスの塔は大きくも小さくもならなかった。まるで月を追い掛けているような気分だ。

 ほとほと疲れ果て、ため息をついたマリーは、ふと天使が言ったことを思い出した。彼は、真っ直ぐに進めと言っていたではないか。それならばとマリーは、行き先に壁があるのも構わず、真っ直ぐお役所の方へ歩き出した。すると周りの建物はくるくる回転しながら、マリーの進む道から勝手によけ始め、ほどなく彼女はお役所にたどり着いた。

 入り口の前に立つと、ガラスの扉が勝手に開いた。建物の中へ入るとそこはロビーになっていて、その真ん中に「総合案内所」と書かれた丸いカウンターがある。カウンターの中にいた女性の天使に、ミカエルに会いたい旨を伝えると、彼女は笑顔で聞いてきた。

「お約束はございますか?」

 マリーが首を振ると、天使は笑顔のままこう言った。

「申し訳ございません。お約束のない方は、ご案内出来ないルールとなっております」

 ちっとも申し訳なさそうに見えないので、マリーは少しばかりムッとした。

「それじゃあ、どうやったら会う約束を貰えるんですか?」

「市民課の窓口で、手続きをお願い致します。市民課へは、右の廊下をお進みください」

 マリーは案内された窓口へ向かい、そこにいた職員の天使に要件を告げた。

「総務課で、天使長への会見許可請求の手続きはお済みですか?」

 マリーが首を振ると、職員は「総務課は三階です」と言って、それっきり口もきいてくれなくなった。仕方なく三階の総務課へ向かうと、そこの職員は申し訳なさそうにこう言った。

「それには天使長への会見にまつわる注意事項確認証明を、警備課で取っていただく必要がございまして……」

 マリーはため息をついて警備課の窓口へ向かった。

「では、こちらの書類に記入をお願い致します」

 女性職員はピンク色の用紙をぞんざいに置き、マリーはイライラしながら必要事項を記入した。職員は書類に目を通し、何やら色々と書き連ねたプリントをカウンターに置いた。

「こちらのプリントに全ての注意事項は記載しておりますが、ルールですので口頭での説明も行います。天使長様は、この天界においてとても重要な方です。会見許可が下りた際、保安上、会見の時間については秘密厳守としてください。また――」

 長々と説明を受けた後、マリーはようやく解放され、軽い目眩を覚えながら役所の廊下を歩いていた。次は総務課だったかしらと辺りを見回していると、天使長室と書かれた室名札が目に入る。彼女は、ためらうことなくその扉をノックした。

「入れ」

 声がしたので、マリーは扉を開けて中へ入った。

「今は忙しい。用件は手短に頼む」

 マホガニーの机の向こうから、甲冑を身にまとった天使が書類の山と格闘しながら言った。彼は書類からふと目を上げ、マリーを見るなり目を丸くする。

「驚いたな。どうやってここへ来たのだ?」

「こんにちは、天使様」マリーはお辞儀した。「歩いてたら、たまたまお部屋を見付けたんです」

「ミカエルで結構だ。お茶はどうかね?」

 ミカエルは席を立ち、身振りでソファへ座るよう勧めた。歩き通しだったマリーは遠慮なくそれを受け、柔らかなソファに身を沈めてほっとため息をついた。

「ずいぶん、くたびれているようだな」

 ミカエルは戸棚の前でちょっと思案し、抽斗を開けて湯気を立てる二つのカップを取り出した。それからカップの一つをマリーの前に置き、自分もソファに腰を降ろした。マリーが、くたびれている理由をミカエルに告げると、彼は笑い出した。

「大抵の天使は、ここまで真っ直ぐに飛んでくるからな。まさか、君が歩いて向かうとは想像もしなかったのだろう。そして役人たちは、ただのミカエルではなく、天使長に会うためのルールに従って君を案内してしまったのだ。どちらも悪気があってやったことではないから、許してやってくれ」

 マリーは頷いた。

「わかってくれてよかった。おっと、茶菓子を忘れていたな」

 彼はいそいそと戸棚へ向かうが、抽斗を開けてため息を落とした。

「どうやら、菓子を切らしているようだ」

 マリーは大丈夫ですと言って、エプロンのポケットからルクスに貰ったクッキーを取り出し、テーブルに置いた。ソファに戻ったミカエルはクッキーを一つ摘まみ上げ、問うようにマリーを見る。マリーは「召し上がれ」と言って、彼にそれを勧めた。クッキーを口に入れると、ミカエルは目を丸くした。

「これは美味(うま)い」

「ルクスさんって人にもらいました」

「ルクス・フェロか?」

「はい。知り合いですか?」

「まあ、家出した兄と言ったところかな」

 ミカエルは苦笑を浮かべ、もう一つクッキーを食べた。

 マリーは本題を切り出した。

「ハリーか。彼はルールを破り、その罰を待っているところだ」

「ルール?」

「天使の力は強大だから、我々はルールに従って行動しなければならないのだ。ルールを守らず好き勝手なことをすれば、そこら中に稲妻や燃える硫黄の雨が降り注ぐことにもなりかねん」

 マリーはその場面を想像して、思わずぞっとした。しかし、ハリーをこのままにはしておけない。なんとか許してはくれないかとミカエルに頼み込むが、彼は難しい顔をして考え込んでしまった。しばらく経って彼は「ちょっと待ってくれ」と言うと、ソファーを立って机へ向かい、抽斗から書類を一枚取り出した。それに素早く何かを書き付けて、再びソファーへ戻ってくる。

「物であれ心遣いであれ、人間から何かを受け取った天使は、必ずお返しをしなければならないルールなのだ。美味(おい)しいクッキーのお礼に、君にはこれをあげよう」

 マリーは書類を受け取るが、難しい言葉だらけで何が書いてあるのかよくわからなかった。

「地下にいるラグエルと言う天使に、それを渡すといい。ハリーに面会させてもらえるだろう」

「ありがとう、ミカエル様」

「どういたしまして。ところで、もう一つもらっても構わないか?」

 もちろんマリーは「どうぞ」と言って、立派な天使に美味しいクッキーをすすめた。

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