ビルの証言
マリーたちはペイルの屋敷へ急いだ。到着した彼らをペイル自らが出迎え、書斎へと案内した。そこにいたビルは、マリーを見てぎょっと目をむくが、伯爵の手前で遠慮したのか何も言わなかった。
「待たせたな、ビル。申し訳ないが、私に話したことを彼らにも聞かせてやってくれないか」
「構いませんとも伯爵様」
そう言ってから、ビルは申し訳なさそうにドロシーを見た。
「領主様にとっちゃ不利なお話になりますが、勘弁してください」
「わかってるわ、ビル。嘘偽りなく話してちょうだい」
ドロシーが安心させるように言うと、ビルはぺこぺこ頭を下げた。
「それは、俺が伯爵様の村での用事を終えて、船着場に差し掛かった時です。伯爵様のお屋敷の方から、誰かがもの凄いで走って来るのが見えました。俺は野盗か何かだと思ってとっさに身を隠しました。よっぽど急いでたのか、そいつは一歩も立ち止まることなく艀に飛び乗り、そこでようやく、俺はそいつの正体が領主様だと気付いたんです。領主様は川を渡ると小屋の中に隠れました。俺はこっそりと、それでも急いで艀を自分の岸に寄せてから、川を渡りました。高潔な領主様がこそこそする理由は何かと、どうしても気になったんです。けれど、俺は物見高い自分の性根が心底嫌になりました。小屋の壁に耳を付けると、女の声が聞こえて来たんです。俺は思いました。こりゃあ、領主様は身分違いの女に惚れて、逢い引きしていらっしゃるんだろう、と」
ビルは気まずそうに、マリーとドロシーを見た。
「ご婦人や小さな女の子に聞かせるような話じゃありませんね」
「いいのよ。嘘偽りなく話す約束でしょう?」
そう言うドロシーだったが、眉間には微かな皺が寄っていた。
「と言っても、俺が知ってるのは、そこまでなんです。貴族様だろうと誰だろうと、男女の都合に首を突っ込むのは野暮ってもんですから、俺は何も見なかったことにして家へ帰りました。ところが、ちょいと前の事です。伯爵様の村に行くと、おかしな噂が耳に入りましてね。なんでも昨日の晩、お屋敷の辺りで不審な人物を見かけなかったかと、伯爵様の使いの者が聞いて回っているとか。それで俺が、見たままのことを話したら、こんなことになっちまって」
「おい、ビル。お前は領主様に受けたご恩を、仇で返すつもりか?」カールがビルをじろりと睨む。「凶作続きで苦しんでた時に税を免除してくださったのは誰だ。大枚をはたいて偉い学者さんを呼んで、小さい畑でも麦がいっぱい採れる方法を教えてくださったのは誰だ。食って行けなくて親に捨てられたり死なれたりした、俺やドロシーさんのような子供を引き取って育ててくださったのは誰だ。法を破れとは言わないが、俺たちにはあの人を信じて、あの人を守る義務があるはずだろう」
「そうじゃない、カール。まさか俺の見たことが領主様の犯罪を証明することになるなんて、思っても見なかったんだ。信じてくれよ」
悲痛な面持ちのビルだが、マリーには彼がほくそ笑んでいるように見えた。
「うそつき」
思わず口をついて出る。
「なんだと、このイタズラ娘が!」
大声で怒鳴られ、マリーは首をすくめた。
「まあ、待て。子供であろうとウサギだろうと、異議があれば聞かねばならん」
ペイルは穏やかに言った。
「そりゃどうも」
ドロシーの腕の中でジローが言った。カールを除く男たちがぎょっとして彼を見た。
「悪かったな、子兎さん。こりゃあ、確かに失礼な態度だ」
カールが言った。ジローは彼に向かって小首を傾げて見せた。
ペイルは咳払いしてから、やんわりと警告した。
「威圧や恫喝で他の証言を封じると言うのは、あまり感心できない行いだぞ、ビル」
「はい、申し訳ございません。ついカッとなっちまって」
ビルは頭を下げた。
「もちろん、君も根拠があっての発言なんだろうな?」
ペイルはマリーに目を向けた。
「はい、伯爵様。だってビルさんは、どうやっても領主様の姿を見ることが出来ないんです」
「説明できるかね?」
マリーは頷いた。
「カールさんがお家へ帰った後で、伯爵様の村にビルさんがいるのを見た人がいます。だから、ビルさんが船着場に着いたのは、どんなに早くてもカールさんよりも後なんです。でもカールさんは、領主様が伯爵様に捕まったところを見ていました。捕まって、もういないはずの領主様を、ビルさんはどうやって見ることが出来たんですか?」
お話好きなマリーだが、証言は勝手が違った。お話なら、聞き手はそれが嘘か本当かなど気にはしないのだが、証言の聞き手は、彼女の言葉の中に一片でも嘘が隠されていないかと耳をそばだてている。マリーは緊張で膝ががくがく震えた。
「さて、ビル。申し開きはあるかね?」
ペイルが発言を促すと、ビルは鎖から解き放たれた猟犬のように口を開いた。
「よくもでたらめを言ってくれたな!」
恫喝はいけないとペイルに注意されてことを、彼はすっかり忘れてしまったようだ。マリーはさすがにカチンと来た。大声を出せば、子供がなんでも言いなりになると思うのは間違いだ。
「でたらめなんか言ってないわ。ちゃんと、見てた人もいるんだから!」
「へえ、そいつはどこにいるんだ?」
マリーは言葉に詰まった。ダリルがアベルを連れて来なければ、マリーが言ったことを証明することは出来ない。
「マリー。君が言ったことはとても興味深いが、裏付けは必要だぞ」
ペイルは言った。
「はい、伯爵様。もうすぐ、ここへ来てくれるはずです」
「もうすぐって、いつだ?」
ビルがにやにや笑いながら口を挟んできた。それから彼はペイルに目を向けた。
「伯爵様、俺は義務と善意のために、ここへ来たんです。それが嘘つき呼ばわりされたとあっちゃあ、さすがに面白くありません。証人を今すぐ出せないって言うんなら、俺はもう帰らせてもらいますよ」
すると、ハリーがビルに向かって指を突きつけ、大声で叫んだ。
「異議あり!」
部屋にいたみんながぽかんと見る中、彼は興奮気味に言った。
「いやあ、いっぺん言ってみたかったんだ。これ!」
「満足しましたか?」
エドが苦笑しながら言った。
「ああ、じゅうぶん楽しんだよ。けどさ、このオジサンが言うのも一理あるぜ。それもこれも、あんたの馬が遅いせいだぞ」
すると、エドは口元を引きつらせた。
「あの馬は私が仔馬の頃に見付けて、私が手ずから育てた馬です。あの子への侮辱は伯爵様のご友人であるあなたの言葉でも、聞き捨てには出来ません」
「ホントに馬なのか怪しいもんだぜ。実はロバだったりして」
「ハリー、お尻をひっぱたきますよ?」
「お前たち、いい加減にしたまえ」ペイルは二人を怒鳴り付けた。「これ以上、私の審理を邪魔するのなら、ただちに出て行ってもらうぞ」
ハリーとエドは畏まって頭を下げ、ペイルはふんと鼻を鳴らし、ビルに向き直り頭を下げた。
「すまない、ビル。私の身内が失礼をした」
「いえ、伯爵様。どうか、頭をお上げください」
貴族に頭を下げられ、ビルは恐縮した。
「いや、それがだな」ペイルは、いかにも申し訳なさそうに言った。「実は今の騒ぎで、先ほど君が言ったことをすっかり忘れてしまったのだ。全くもって申し訳ないのだが、もう一度言ってはくれぬだろうか。今度は聞き落とさないように、ゆっくり頼む」
「伯爵様、そりゃあ――」
ビルの抗議は遠慮がちなノックの音に遮られた。
扉が開いて顔を覗かせたのは、アベルとダリルだった。




