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学名とはなんぞやー後編ー

前回のあらすじ。




なんかやばい。







「どうやって学名って決めてるの?」




私はふとおもって須藤君に聞いた。




「細菌だと形質と遺伝情報で決めることがほとんどだよ」




そう言って、須藤君はなんだかそわそわしだした。




心なしか、すこしうれしそうな…。




「さっき16S rRNA遺伝子の話はしたよね」




「え、した?」




「16SっていうのはリボソームRNAのサブユニットの一部でSは沈降係数をあらわしていて、大体1.5kbくらいの長さで、保存性が比較的高いから遠い種の同士の比較に最適。16Sは原核生物と古細菌が持っているもので真核生物は18Sなんだ。リボソームっていうのはDNAから…転写は分かる?mRNAをゲノムDNAから合成する事なんだけれど、転写された情報を翻訳するのがリボソームRNAの役割なんだ。だから、とても大事な領域で保存性が高いんだけれど、保存性が高い領域の中にも多様性は存在していて、そのバランスが生物種を比較するときに絶妙なんだ。だから16S rRNAは微生物、というか原核生物の種の同定の際によく使われているんだよ。あ、リボソームRNAと言ってもあくまでRNAの部分じゃなくて、ゲノム上にある、つまりDNAを読むんだ。わかった?」




彼はにっこりした。




とりあえず私もにっこりすることにした。




「わかんない」




「塩基配列決定した16S rRNA遺伝子の情報から、どの種とそのターゲットの菌が近縁かを決定するときは系統樹を書くことが多い。系統樹の書き方は距離行列と階層的クラスタリング、と言えばわかりやすいかな。つまり大雑把に言えば系統樹作成の時にターゲットとその近縁種の候補の遺伝子の距離、つまり塩基配列がどのくらい違うかを計算して、それをヒエラルキカルにグループ分けする。ね、こうして言うと意外と簡単に聞こえるでしょ?わかった?」




私はもう一度、にっこりした。




多分、今年一の笑顔だ。




「わかんない」




彼は首をひねった。さも不思議そうな顔だ。




「なんで?」




「なんでって…」




「あ、なるほど。塩基配列で生物種を決定することについて、異論があるってことね」




「うん、違うね」




てかなんて?




「塩基配列の解析技術が向上することで多くの生物種の特徴やその進化の知見を得られるようになったけれど、それだけでは生物を知ることはできないって考えは確かにある。中には『遺伝子解析では生物を分かった気になるだけで結局のところ何も分からない』とか『塩基配列だけで生物を研究しようなんて生物学に対する冒涜だ』なんて言って、遺伝子解析に反対する人たちすらいるけど、そういう人たちは目的を履き違えてる。確かに塩基配列だけで生物の表現型までは『確定しない』。だけど塩基配列は生物の表現型の大元だ。どっちも重要なんだ。なのに片方だけ調べずに一体何を知るのやら。そんな人たちが科学者を名乗っていることこそ、科学に対する冒涜だと思うけれどね。というわけで、生物種の同定には塩基配列と表現型、両方とも重要だよ」




彼はにっこりした。




「わか…」




「分からないっていってんじゃん!」




「…」




「途中何か恨み節が入ってたし」




「いや、あんまりに話がわからない人と過去にやり合ったことがあって。それを思い出しちゃって」




「いや、そんな人とやりあうことなんてあるの…」




君は一体どこに出入りしているのかしら。




「近所にあるんだよ。分子生物学の実験ができるラボが。誰でも入会できる。そこで昔嫌な奴がいたんだ」




「そんなところ行ってたんだね…」




楽しそうな人生を送っておられること。




「で、とりあえず説明してみたけれど、どこかわからなかったところはあった?」




「『どこかわかったところはあった?』の間違えじゃない?」




「え、そうなの?」




本当に不思議そうに訊いてきやがる…。




「あのね、そもそも学名の話じゃないの?なんで16Sなんたらが出てくるのよ」




「確かにね…いや、要は分類を決めるのに使われる遺伝子領域っていうのがあるって話なんだけれど」




「てか学名って結局何なの?」




私は純粋に疑問だったのでそう聞いた。だが、須藤君は困った顔をした。




「えっとね…」




「別に簡単でいいからさ」




「そうだね…。じゃあ、学名がそもそも何なのかって話なんだけれど」




「苗字と名前?」




「さっきは学名が何の役にたつかって話だった。でもその本質は何か?」




「本質って…」




「学名の本質は似ているものをグループに分けて整理すること」




「??」




私は混乱した。




「それだけ?」




「そう、それが本質だ」




「たしかにさっきも整理整頓の話は出たけどさ」




「その整理整頓から、とても重要な考えが生まれたんだ」




「なにそれ」




「進化論だよ」







「はい?」




「だから、生物が進化しているっていう理論は生物の分類から生まれたんだ」




「ちょっと話についていけないんだけれど」




「つまり、生物を分類して整理して名前を付けていくっていうことが、結果的に生物は進化しているという事を示唆したんだ」




「ダーウィンの進化論?」




「実は違う。最初に進化論を発表したのはラマルクという人だよ。その人が進化論の着想を得たのは生物の分類からだよ」




「ごめん、マジでわからないんだけど」




「つまりさ、学名を付けて生物を分類するっていうのは、似た者同士を集めてグループに分けることなんだ。でもどうしてそんなグループ分けできるように生物ができているんだろう?神の思し召しだろうか?そんなはずはないって僕ら現代人は分かる。なぜなら生物が進化しているって事実を知っているし、多様に進化した結果がこの色んな種類の生き物が存在している理由だと分かってる」




ふと気になった。




「その話だと進化してるから、分類する必要があるってことにならない?」




「結果的には。でも当時はそんなことは分からないんだよ。だって進化論なんてなかったんだから。だから『生物が分類できる』という事から『生物が進化している』という事を導き出したんだ」




「うーん。つまり、生物が似た者同士でグループになる、つまりそれは、進化している結果そうなったんだって考えたってこと?少し乱暴すぎない?」




須藤君は少し難しい顔をした。




「そうだな…。片山さんと片山さんのお母さんは似てるよね?」




「興味が…」




「全然ない」




「…」




食中毒菌ってどこから分離できるんだろう?




気を取り直して私は言った。




「結構お母さんとは似てるっていわれるかな」




「ちなみにお父さんも?弟も?」




「いやどうだろ?そんなにだけれど」




「でも他人、例えば僕と片山さんよりも、片山さんのお父さんと片山さんの方が似ているよね」




「まあそうだね」




「その事をまとめると『似ている人はもともと同じ親を持っている』と言えそうだよね?」




「まあ普通に言えそうだね」




「じゃあ、家庭ごとにグループに分けしようか。片山家や須藤家だ。するとグループの同士でも似ている特徴というのがみられる。例えば、片山さんの親戚は須藤家の人よりも片山さんに似ているよね?そういった特徴でさらに大きなグループで分ける。こうやってグループ同士がどんどんつながっていく。家族をどんどん分類していく。するとあることが見えてくる」




「あること?」




「その人たちは共通祖先を持っているってことが見えてくるんだ。さっきの『似ている人はもともと同じ親を持っている』を思い出してもらうといいんだけれど、似ている大きなグループの人々はもともと同じ親から生まれてたってことになるでしょ?ねえ、これって何かに似てると思わない?」


確かに少し既視感をおぼえる。いや、視てないから既視感ではないのか。




「この話、進化論ぽいでしょ?」




「あ」




確かにそうだ。




「つまり、分類の考え方って、進化の逆方向なんだ。共通祖先から始まってたくさんの種類の生物が生まれるか、たくさんの種類の生物をグループ分けしてまとめると共通祖先にたどり着くか。その違いなんだよ」




「そうか。そのさっきのラ何とかさん」




「頭文字しか合ってない…。ラマルクね」




「ラマルクさんは分類から進化の道筋を逆戻りした人なんだね」




「そのとおり」







「じゃあ、学名とかをつけだしたのもその人?」




「いや、リンネっていう人なんだけれど」




「また新しいのが…」




「さっきも言ったんだけれど。ラマルクが進化論を最初に発表したんだけど。でもリンネの業績なしにはそれはあり得なかったと思う」




「やっぱりいまいちわからないな」




「学名ってさっき言ってた二名法で表されるんだけど、その二名法を開発したのがリンネの最大の功績なんだ」




「もうわからないんだけど。二名法?」




「さっきの、Bacillus cereusだったらBacillusとcereus、二つに分けられるでしょ?二つの言葉を名前にしているから二名法」




「あね、苗字と名前ね」




「わかりづらくなって申し訳ないんだけれど、実は、学名って苗字と名前だけじゃないんだ」




「そうなの?」




「なに目なに科とか聞いたことない?」




「ネコ科ネコ目とか?」




「そう。そういうの」




「それも学名なの?」




「そうなんだよ。さっき属名を『苗字』、種名を『名前』で例えたよね?同じように例えるなら、科名は『民族』で目名は『人種』かな」




「うん?」




「だから、例えば片山さんだったら、『黄色人種』目、『日本民族』科、『片山』属、『新』種みたいな感じ」




「なるほど、大きいグループから順に分けていくんだ」




「そのとおり。で、本当の生物の分類は大きい順に『ドメイン』、『界』、『門』、『鋼』、『目』、『科』、『属』、『種』だよ」




「へえー」




「もちろん、さっきの片山さんの分類の例は正しくないんだけれど、身近なところで例えると言う意味では割に適している。僕を分類するなら『黄色人種』目、『日本民族』科、『須藤』属、『巧』種になるけれど、カタヤマ・アラタとは『日本民族』科という同じグループに属していることがわかる。それはさっき説明したように『俯瞰的に』つまり全体の傾向をつかむような研究にはすごく役にたつ」




「まって、じゃあ、二名法は何のために使われているの?」




「便宜上、だよ。つまり便利なんだ。例えばいちいちフィルミクテス門バシラス綱ラクトバシラス目ラクトバシラス科ラクトバシラス属カゼイ種なんて呼ぶのめんどくない?呼ぶときはラクトバシラス・カゼイだけで十分でしょ?本当はちゃんと分類されているけど、呼ぶときは二名法を使うんだ」




なるほど。




「よくわかったけど」




「けど?」




「さっきの16Sなんたら?がまったくわかんなかった」




私はさっき須藤君が猛烈な勢いでしゃべった内容が全く理解できなかったのだ。




別に悔しいわけではないが、癪には障る。あれ?これって悔しいってことか。




「そうだね…ちょっと今日は遅いし別の機会にもう一度説明するよ」




須藤君は帰り支度を始めた。おや?余計な質問をしたら10倍返しをしてくる須藤君なのに、やたらおとなしくなった。




「どうかしたの?」




「ん?」




「いや、いつもなら夜を徹して語りあかそうとか言いそうなのに」




「まあ、とりあえず帰ろうよ」




いつもと違う様子の須藤君に違和感を覚えていたが、やがて気を取り直した。




私はこの時、知らなかった。このときの違和感があんなおそろしいことの遠因になるなんて。




夕日は徐々に沈んでいく。




-茜色の教室と食中毒season3に続く(かもしれない)-

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