第2話 ④
前回の続きです。
ほぼ雪奈の妄想の世界。
繰り出される厨二なノリにムズムズされる方、その反応で合っています。
第2話はこのパートでおしまいです。
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教師の許可を得て、桐矢は、体育館の式典用のパイプ椅子を一つ拝借し、部室へ持ち込むことにした。
前回活動日、色々あって気を遣い疲れたのだが、その他に漫研部の椅子不足を、一人切に感じていた桐矢だった。
部室のパイプ椅子は六つ。部員全員が使用したら予備は一つしかなく、非常に余裕がない。更に、活動日には毎日訪れる北上がそれに座ろうものなら、見学者などが来室した際、椅子を譲ったり譲られたり結果誰かが立席状態になったり、大変に気まずい事態が出来する。
雪奈が見学に来た日がまさにその状況だった。椅子がなくて一人壁に凭れて立っている北上が気の毒であると同時に、その姿にこちらも色々な神経を使わされた。
まあその日はその後、椅子の問題など吹き飛ぶくらいに険悪な空気になってしまったわけだが、桐矢にしてみれば、それとは別に解決しておきたいところだった。
北上の入部は拒否したいと思っているのに、結局自分が北上ありきでこういったところに気を回してしまうところが口惜しい。
何はともあれ、パイプ椅子を持っていつもより遅れて部室へ向かった桐矢。
既に他の部員は勢揃いで、更にいうと北上と、何と雪奈もそこにいて、皆で作業スペースの机を囲んでいた。
「あれ、久慈……?」
「お疲れ様です、桐矢先輩。そしてよろしくお願いします、桐矢先輩」
「え?」
立ち上がってこちらへ頭を下げる雪奈の言葉に、桐矢は困惑した。
そこへ律子が付け加える。
「雪奈ちゃん、うちの部に入ってくれるって」
そういう彼女の顔は喜々としていた。偲の隣の席に座った雪奈は、こちらへ向かって指でピースを作っている。
「マジか! 嬉しい。よろしく」
先日の出来事で彼女の入部はすっかり白紙になった話だと思っていたので、これは喜ばしい誤算だった。
弾む思いで、桐矢はパイプ椅子を持って、テーブルの入り口側短辺に広げて座った。ちょうど北上と直角に隣り合ってしまったのがやや緊張するが、まあいい。
しかし、部員が揃っている割には、机の上で作業が行われている様子はなく、桐矢は首を傾げた。
すると、北上がさりげなく横から教えてくれた。
「何でも、雪奈がみんなに見て欲しい絵があるらしいぞ」
「あ、そうなんだ。何か描いてきたの?」
「はい!」
雪奈は立ち上がって自分の鞄からスケッチブックを取り出すと、再び席へ戻って高らかに宣言した。
「お待たせしました、皆さん。前回の見学日から入部までの間に雪奈が描いてきた絵を、是非ともご覧ください。じゃーん!」
表紙を開いて雪奈が見せた絵は、人物のイラストだった。線はペンで描かれ、色鉛筆で彩色されている。黒い髪に白い肌の、華奢な少年の絵だった。白いワイシャツに黒地ベースのチェック柄のスラックスと、見覚えのあるデザインの制服姿で、年齢も部員達と同じくらいではないかと思われる。少年は右手を高く掲げ、そこへ向かって雷のような光が集まる背景まで描かれていた。宛ら異能力ものの漫画か何かのキャラクターのようではあるが――
「これ、桐矢君じゃん」
「え、俺?」
「だって、この顔そうでしょ。着ている服も、明らかにうちの学校の制服だし」
律子の指摘に戸惑いつつ、桐矢はもう一度まじまじと絵を見た。言われてみれば絵の少年の背格好は、桐矢本人にかなり近かった。更によく見ると、髪の分け目であったり、八重歯の位置であったり、細かい共通点も見られる。
「ふっふっふ……お気づきになりましたね。そうです。雪奈、お話を思いついたんです。そのテーマは『学園異能力バトルin漫研部』です」
「要するに、うちの部員をモデルにした絵を描いてきたわけだね」
得意げな雪奈の話を真っ先に理解したのは偲だった。
「で、これ俺? 雷の能力とか、何かすごい格好いいんだけど、いいの?」
自分をモデルにしという異能力バトル世界のキャラクターに、こそばゆさを覚えつつも、桐矢は内心興奮気味だった。日頃控えめにしている所謂厨二の精神が疼くのである。
「はい! 主人公は桐矢先輩に決まりです。ちなみにこれは雷っぽいですけど、光系全般の能力を扱いますし、対極の闇系能力も使います。雪奈の世界で光と闇は直線状にあるものなので。でもこの主人公、物語の序盤は自分でも能力に気づいていないタイプですかね」
「すごい……いいよ、それ。俺、その話大好き」
「お前、珍しくテンション高えな」
図らずも顔が緩み、食い気味の姿勢になっているのを北上に指摘され、ちょっと恥ずかしくなるが、雪奈のハイクオリティな絵とツボを得た設定に、桐矢の心の高ぶりは抑えられなかった。
「続いて、ヒロインの珠里先輩です。どーん!」
口で効果音をつけながら紙を捲る雪奈。
次のページには、確かに珠里によく似た少女が描かれていた。ややきつめの顔の、美しい少女だった。一つに束ねた長い髪や身につけている制服をはためかせ、軽やかに跳躍しているような動きをしており、風に乗っているかのような疾走感のある絵だった。
「律子先輩とどちらをヒロインにするか迷いましたが、個人的な趣味で珠里先輩にしました。サーセン。珠里先輩は、自分の体重を自在に操る能力者です。百倍まで軽くも重くもできます。したがって、戦い方は能力で補強しつつの肉弾戦です。守られる感じではなくとっても強いので、主人公のサポート役も兼ねるヒロインです」
「宮古、いいじゃん。美人だし、格好いい感じ、すごい宮古っぽいよ」
「え、そ、そうかな……?」
桐矢から、率直な思いが口をついてでてしまい、珠里をリアクションで困らせてしまった。とはいえ、言わずにはいられなかったほどに、雪奈の描いた絵に夢中になって引き込まれるのだ。
「あと、肉体を直接使うヘビーな異能力は一見あまり可愛くないように思うけど、だからこそ敢えて美人のヒロインに付与するのも、逆にいいよね」
「今日の桐矢君は本当によく喋るねえ」
提示される絵に逐一本気で反応している桐矢に、偲も笑っているが、それすらもどうでもいい。
「久慈、次は?」
「はい! どんどんいっちゃいますよー。次は律子先輩です。どーん!」
促す桐矢に、ノリノリの雪奈。
次のページのイラストはその宣言通り、律子と思しき少女だった。先程の珠里をモデルとした人物よりも、背が高いがその一方で細身だ。珠里に比べて瞳を大きく描かれている。制服の上に白衣を身につけており、両手に注射器を三本ずつ指に挟みながら持っていて、腕をクロスさせながらポーズを決めている。
「もしかして、回復役ポジション?」
「桐矢先輩、鋭いですね! そうです。律子先輩は『再生』と『荒廃』の異能力を使います。ですので、専ら補助役ですね。でも、それ故に自分の立場、ひいては存在意義に疑問を感じて闇堕ちし兼ねないキャラなので要注意です」
「私、闇堕ちするように見られてるの……?」
「や、山田は結構繊細なところあるから、極端に見るとそう見えなくもないのかも……」
雪奈から見た自分の印象を気にする律子に、桐矢はフォローを入れたが、彼女はなお釈然としない顔をしていた。
「きっと、物語中盤かスピンオフで大々的な出番があって、人気出るタイプじゃないですか。期待しましょう」
追加で投入された倫の励ましの方が、余程効果的なようである。
「そうですね。雪奈もこのキャラ大好きです。動き次第ではヒロインよりヒロインらしいというか、愛おしさを感じます。あと、この子を脱がせてエロい絵を描きたい」
「ちょっと!」
折角キャラクターの在り方に納得しかけていた律子が、雪奈の最後の一言で憤慨する。
自分をモデルにした人物がそういう対象になると思うと、本人は全力で拒否したいのだろう。
興味本位で見てみたい気持ちもないわけではないが、何だかお互いにとって怪我をするような事態が出来しそうなので、桐矢は俯いて黙っているより他なかった。
その他の面子もリアクションに困っているようで、若干気まずい空気が流れた。
気づいているのかいないのか、ひとまず仕切り直すように、次の絵を提示する雪奈。
「次は……偲部長と倫先輩です! 色々考えたんですが、お二人はコンビで戦うタイプのキャラにしました」
偲と倫は背丈が似ており、両者とも男子としては小柄である。体型は偲がどちらかといえば骨太で、倫がそれよりもやや薄いのだが、雪奈の絵はそこまで表現されていた。ヘッドホンを身につけている人物が偲、眼鏡をかけている人物が倫なのであろう。互いに背中合わせに立ち、前方に手を伸ばしている。背景は人物の間で二色に分かれていて、偲の方は炎をイメージしたような赤、倫の方は氷をイメージしたような青だった。
「お二人は『熱』に関する異能力を使うのですが、他のキャラと違って両極を扱うのではなく、片方ずつ二人で補う感じです。偲部長は高温側、倫先輩は低温側ですね」
「あー、それもいい。あり、あり」
「いいとは思いますけど、部長と二個一っていうのがちょっと……コンビ変えられません?」
桐矢は相変わらず高評価を下すが、倫本人は思うところがあるようだった。
「お二人の二個一設定は外せません! ついでにいうと、二人揃って完全なので、物理的に二人が離れれば離れるほど異能力の威力は弱まるし、近づけば近づくほど強まります。これ思いついた時には、ホント自分が天才かと思いました。だってそれって、あれじゃないですか。あれな展開につながるじゃないですか。そういうことですよね? えへへ。腐っててすみません」
まどろっこしい雪奈の騒ぎ方に、誰か気づいてやるべきだろうかとも迷いつつ、桐矢は切り出す勇気が持てなかった。
だが、幸いにも倫が、呆れつつもその意図を汲み取ってやっていた。
「BLとかいうんだったら、それは本当に勘弁してください。関係が暑苦しすぎます」
倫の突っ込みに、偲も苦笑して同意する。
ちなみに、極々小さく「どっちが受け?」と聞いている律子の声は、雪奈には届いていなかった。律子本人も聞き直さないので、その話題はそこまでで打ち止めになる。
そして、雪奈の様子がどことなくそわそわと、何かに駆り立てられているような雰囲気を見せ始める。
「それでそれで……いよいよ次、見てください。ホント、次。もうね、雪奈これを見て欲しくて今日ここへ来たといっても過言ではないです。これです!」
性急な動作で捲った次のページに描かれていたのは。
「――――これって……」
「北上君、なんだろうけど……」
「何か、雰囲気が……」
紫色を基調とした背景からしておどろおどろしいその絵の雰囲気に圧倒されて、桐矢、律子、倫の反応は図らずもどぎまぎしたものになってしまった。
絵の中央には、北上と思われる少年のような青年のような人物が描かれていた。実際の北上同様に黒目がちの相貌だが、その瞳は血のように赤く彩色されているし、本来白目といわれている部分は黒く塗られている。更にいうと、身体の右半分が鬼や悪魔のような人外のものを彷彿させる色調で構成されている。
「……完全に敵役じゃん、これ」
珠里がぽつりと言うのに対し、雪奈は声のトーンを上げて答える。
「はい! 敵役……まさに雪奈の性癖でもある、エモい敵です! 死ぬ敵です!」
「え、ちょっと待って……何? 俺死ぬの?」
思わぬパワーワードに触れて、珍しく北上が動揺を見せている。
そんな彼に、雪奈は言う。
「大丈夫です。本物の北上先輩は是非とも元気に生きてください。でも、雪奈の妄想の世界では……ああん! 恥ずかしいです、これ以上は! 生まれながらにして持つ力が『創造』と『破壊』の両極で、戦えば戦うほどその力が『破壊』側に振れて、やがては自分の精神や肉体まで蝕んで、滅ぼされるだなんて! 死んだ妹の敵討ちで始めた戦いだというのに、いずれはコントロールを失い、自らの力によって異形となり殺戮破壊を繰り返してしまう。そうしないと自分を保てないから。でも先程言った通り力を使えば使うほど、自分が力に支配されてしまうので逃げ道がない。ああ、しんどい! しんどいけど、好き!」
「……妹も死んでるのかよ」
「妄想の話です。本物の妹さんも是非とも元気に生きてください。でも、もう……もう、雪奈、この設定だけでご飯三杯はいけます! 初めは大事な人を守りたい、敵を討ちたい、ただそれだけの人として自然な感情だったはずなのに、執念に取りつかれ、やがては人ならざるものへと変貌して、悪として討伐される。討伐っていうか、自分の異能力なんですけどね、とどめは。まあとにかくそういう苦悩たっぷりの末に救われず、皮肉に終わる感じ、愛おしいじゃないですか! 北上先輩ならそんな役も見事に演じ切ってくれるはずだって、雪奈気づいたんです! いかがですか?」
「………………とりあえず、死にたくない」
尋ねられて、何とか絞り出した北上の答えがそれだった。真っ当である。
話を聞いているのかいないのかは分からないが、思いの丈を出し切った雪奈は、満足そうな顔をしている。
「正直に言って雪奈、最初は北上先輩怖かったですよ。だから、入部躊躇ったくらいですし。大きい声出されたり睨まれたりしたこと、何回も思い出しちゃって怖くて怖くて、怖さがカンストしたと思ったら、この絵を描いていました」
「無意識でその絵を描いたんだとしたら、君の心理状態が心配だなあ」
偲が困ったように告げたが、雪奈は話を続ける。
「でもこの絵のおかげで、雪奈、北上先輩が怖くなくなったんです。というか雪奈、昔から、ストレスが限界突破すると自分のなかでお話を考えて絵を描いて、楽しむものとして消化してるんです。だから、怖い思いをした漫研部は学園異能力バトルの世界に、北上先輩は雪奈の趣味をぶっ込んだ設定の敵キャラにして、自分のなかで好きな場所に変えちゃいました」
「あー……そういうことなら、まあいいか」
偲は少しの間考えたが、やがてぱっと笑顔になり、雪奈に向き合う。
「しかし、このクオリティの絵を二日で、この枚数描いたの? すごいね」
背景付きの人物を六人、紙はA4サイズで五枚。ペン入れあり、色鉛筆による彩色。日中は学校にいるのであろうから、恐らくは家で夜に描いたものと思われる。二日で仕上げたと考えると筆の速さは十分に証明される。
「確かに雪奈、描くの速いって言われます。まあ絵描くの好きすぎて、家でそれしかしないからですかね。ご飯とトイレ以外は、基本的に絵描いてます」
「……一応言っとくけど、風呂は入りなね」
「歯も磨きなよ」
少々引き気味だが、珠里と律子が念のために、昔のコント番組のエンディングのように小言を言った。
「あと珠里さんはともかく、一度会っただけの僕達のことまで、資料もなく記憶だけでここまで特徴を再現できるのって、雪奈さんの才能ですよね」
「ああ、確かに。よく描けてると思うよ」
倫と北上の評価も上々だった。
珠里以外の漫研部員や北上と、雪奈が前回会ったのは一昨日の見学時、時間にして一時間弱だった。その短時間でこの人数の顔や背格好の特徴を捉え、正確に絵に起こすのは簡単にできることではない。
漫研部員は皆、単なるイラストや漫画が好きな集まりで、絵の上手さ自体は然程重視していなかったため、これまで競い合うこともせずにのんびりと活動していたが、そこに敢えて順位をつけるとするなら恐らく雪奈が断トツであろう。
だから何だという話だが、彼女には何だか底知れぬ頼もしさを感じる。
それとは別に、桐矢には気になることが一つあった。
「――ところで久慈。この絵に久慈はいないの?」
「へ?」
きょとんとする雪奈に、桐矢は言う。
「漫研部をモデルに、折角好きな世界観でストーリー考えてたんだろ? そこに久慈がいないの、おかしくない?」
桐矢なりの、歓迎の言葉のつもりだった。
「そうだね。雪奈もその世界の一員じゃないと」
珠里もあとに続く。
「雪奈さんが異能力バトルの世界にいたら、どんなポジションなんでしょうね」
「まず初回の登場は主人公サイド? それとも敵から味方になるパターン? そこ重要だよ」
「というか、自分のこともちゃんと可愛く描かなきゃ駄目だからね、雪奈ちゃん」
倫、偲、律子も口々に言う。
北上も、暫く遠慮がちに黙っていたが、暫し間を置いてから、駄目を押すように口を開いた。
「…………描いてみたらいいんじゃねえの?」
全員から後押しを受けた雪奈は、
「――はい!」
と、嬉しそうに返事をした。
そして彼女は、自分の鞄からペンケースを持ってきて再び着席し、次のページに鉛筆の先をつけたのであった。