第7話 ①
第七話、開始です。
夏休みに入りました。
この話は全編珠里視点です。いつもと雰囲気が違うかもしれませんが、どうぞお付き合いください。
七月末日は、県立赤嶋高校漫画研究部――漫研部の夏の部誌の原稿締め切り日である。
既に夏休み中ではあるが、そういうわけなので、直接部室に集まって原稿を確認するための活動日になっている。
作画編集担当の宮古珠里は、この段階では別段役割もなかった。完成原稿に対して、今更細々とした修正点を指摘するわけにもいかないだろう。したがって、この日の活動を欠席しても差し支えはないのだが、同じように役割のない前沢桐矢が出席するということだったので、珠里も何となくそれに倣うことにした次第である。
原稿自体は、全員から概ね滞りなく提出された。
概ねというのは、部長の金ヶ崎偲だけは、未完成の状態で原稿を持参して午前中二時間ほど作業し、その場で仕上げて提出したのだった。しかも、他の部員達の手を借りた上で。
それでも偲に関しては、過去にも締め切りに間に合わなかったという前科があるため、当日の午前中に完成したならば努力賞といったところだ。
何にせよ、各部員から提出された原稿は、間違いなく揃っていることを確認したうえで副部長の山田律子が取りまとめ、顧問の教師に提出された。
それで、ちょうど正午を回る頃に、次の活動日を決めてこの日は解散という流れとなる。
「倫君さあ、この後暇だったらうちに来ない?」
偲が、帰り支度をしている平泉倫に話しかけていた。
「ああ、いいですよ。この間言っていたゲームですね」
あっさりと承諾した倫は、偲の意図を汲んだように頷いた。
「そうそう。俺、楽しみにしてたんだよ。倫君と一緒に遊びたくて、まだ始めずに待っていたんだ」
「ええっ何ですかそれそんなに面白いゲームなんですかっていうか倫先輩とプレイするために始めないで待ってるって部長どんだけ倫先輩好きなんですかこれはもうあれですねフラグっていうかもはや結婚ですねこれというわけで雪奈も見守り隊として必ずや現場に同席させていただきたく候」
会話を耳ざとく聞きつけた久慈雪奈が、ノンブレスで妄想兼思いの丈を垂れ流した。最後の方の言葉は、何故か古典調になっている。
しかし、彼女はすぐにはっと我に返って思い止まる。
「あっ。でも雪奈が現場に同席したら、邪魔極まりないですね。二人きりだからこそ、意義のある展開だというのに」
「何わけの分からないこと言ってるんですか。そんなに興味あるなら、雪奈さんも一緒に来たらいいでしょう」
雪奈の的外れな気遣いを一蹴するように、倫が誘いかける。
偲も、その横で追随していた。
「雪奈ちゃんもおいで。まあ、ゲームといってもギャルゲーだから、一緒にストーリー進めていくだけになっちゃうけど、それでも嫌じゃなければ」
「雪奈、ギャルゲーも守備範囲です。後学のために是非とも見せてください」
「十年以上前の作品だから、絵柄はちょっと古いですよ。でも、ストーリーは評判いいですし、キャストが豪華です」
雪奈の「後学」とは、大体絵に関することをいう。彼女は絵描きなので、ゲームの作画やグラフィックから学びたいものがあるのだろう。
それを察した倫が、予め断りとフォローを入れた。そのために、出演している声優の名前を列挙している。然程詳しくない珠里でも聞いたことのあるような有名どころばかりだった。
作品の年代は雪奈にとっては大した問題ではないようで、「楽しみです」と浮足立つようなそぶりを見せている。
そして、いそいそと自分も帰り支度を済ませ、偲、倫らと共に、部室を後にしたのだった。
壁にかかってある時計を見て、動きづらい時間だと、珠里は感じた。
昼食を挟まずこの時間に解散するのは妥当ではあるが、その後何をしようかという迷いもある。とりあえず、腹が減っていることは確かだ。
それは、他の者も同様に感じていたらしい。
北上稔貴が、律子に誘いかける。
「なあ、律子。ラーメン食いに行こうぜ、ラーメン」
「ラーメン? この暑い時に?」
誘われたことに嬉しさを隠しきれていない声のトーンではあるが、メニューのチョイスに面食らっていることも確かな律子。
北上が言う。
「すぐそこの国道沿いにさ、無料で食える店があるんだよ」
そんな店があるものかと一蹴しそうになったが、心当たりを一つ思い出し、珠里は堪らず口に出した。
「それって、あのすごい激辛の店じゃん!」
「あぁ、『極紅』とかいう店だよね。最近テレビで取り上げられてた」
それだけある程度知られている店で、前沢桐矢も自然に会話に加わってきた。
「何だっけ? 看板メニューの激辛のラーメンを、制限時間十分以内に食べきったら無料になるんだっけ?」
「そうそう。まあ失敗したら、全額払うんだけどな」
その店が売りにしている一杯八百円程度の辛味噌ラーメン。しかしそれは、スープに通常の五倍量の豆板醤とニンニク、七倍量の七味唐辛子、その他胡椒や山椒、ラー油といったスパイス類をふんだんに使用している激辛メニューである。そして、麺の上にひき肉やもやしがたっぷりトッピングされているため、全体として量が多い。それでいながら旨味も十分に感じられるほど出汁も濃厚にとっており、辛いもの好きといわれる味覚の者からは美味いと評判のようだ。ただ、そこに制限時間がつくと、チャレンジメニューとして十分に成立するものであることは明らかだ。
「えー、私、辛いものあんまり得意じゃないんだけど」
「別に普通に頼むなら、辛くないメニューもあるらしいよ」
桐矢からそんな情報を聞くと、律子は一瞬安堵したものの、すぐに眉を潜めて難色を示す。
「でもそういう無料チャレンジって、スープまで完食しなくちゃいけないんだよね。無理だよ、北上君。絶対具合悪くなるよ。やめなよ」
「お前までそういうこと言うのかよ」
律子の善意の忠告に、北上はむっとした面持ちで反応した。
「キョウにも、そんなこと言われたわ。あいつ、食べきれるはずがないとか、そんな辛いだけのメニューを頼むのは食材を粗末にしているに等しいとか言いやがってさ。その店のラーメン食ったこともねえくせに」
キョウというのは、北上の友人の一関恭介のことである。少し前に、同じように彼を誘ったが、断られた上に何故か北上の食に対する態度をまともに説教されたという。
「腹立ったから、あいつが謝ってくるまで、一緒に飯食うのはもうやめることにしたんだ」
「あれ……もしかして私、一関君の代わりっていうこと……?」
「そんなことない、そんなことない」
怪訝な顔を覗かせる律子を、桐矢が慌てて宥めている。
律子は何かにつけて自己肯定感が低く、誰かの代わりにされたり、踏み台や出しのように扱われたりすることに対して非常に敏感なのだった。
「馬鹿野郎。キョウの代わりなんかどこにもいねえよ」
「……今そういう話してるんじゃないと思う」
いまひとつ会話の趣旨を理解していない北上に対し、珠里は致し方なくて指摘した。北上が一関大好き人間であることは周知の事実だが、それを表出するのは時と場合を考えて欲しい。
「……一関君まで敵に回したら、もう私、勝ち抜ける自信がないよ」
「何わけの分かんねえこと言ってるんだよ、律子。ラーメン食いに行くのか行かねえのか、どっちなんだ、おい」
「――それは行くよ! 行きます!」
物申したいことは数多あるのだろうが、北上が迫るように選択を急ぐので、律子はそういったものは二の次に、結論だけをはっきり告げた。
相変わらず強引な北上に呆れたような顔はしている律子だが、それでも時折頬が緩みそうなのを堪えているのが、珠里や桐矢にも分かった。
そうと決まれば話は早いと言わんばかりに、北上は、勝手に律子の持ち物を彼女の鞄に詰め始める。
だから、律子も帰り支度を急がざるを得なくなり、慌ただしくそれらを済ませて珠里と桐矢に戸締まりを頼み、二人に別れを告げるのだった。
「山田楽しそうだったね」
廊下から響く足音が聞こえなくなったところで、桐矢が言った。
返す言葉が咄嗟に出ず、反応が遅れる珠里。
すると、桐矢はその意を見透かしたように、とはいえ気まずそうに珠里の顔色を覗う。
「……宮古、ちょっと嫌?」
「――え!?」
その指摘にどきっとさせられたが、珠里はなお平然を装う。
「……そんなことないよ」
「あ、そう……ごめん」
桐矢は、口調こそ穏やかだが、時々痛いような突き方をしてくる。その代わり、深追いはしてこない。そして、最後には謝る。
今も、こちらが否定したことに対してはあっさりと退いてくれ、珠里はこっそり安堵した。
嘘と言いきれるほどはっきりとした感情ではない。
ただ、ほんの少しチクリとした胸中。
「――それより、桐矢はこの後どうするの?」
とにかく話題を逸らしたくて、珠里は、余計なお世話とは承知でそんなことを尋ねた。
「え? ああ……どうしようかな」
そんなつもりはないのに、何故か今度は桐矢が動揺している。
もとより彼は、他人からするとよく分からないタイミングで狼狽えていることがある。
本人は、コミュ障だから想定外の話を振られるとテンパってしまうのだと日頃言っているが、予定を尋ねられることくらい想定していて欲しいものである。
「あ……その、宮古は、この後暇……?」
「暇、だけど?」
なお動揺を拭いきれないままの桐矢の問いに、珠里は答える。
実は正式な活動終了時刻も明示されないままに集まった本日なので、そのために丸一日、予定を空けていたのであった。
「え、じゃあさ、宮古がよかったらだけど……俺達も一緒にご飯食べに行くの、どうかな、なんて……」
「何で語尾を濁しちゃうの」
いまひとつ歯切れの悪い桐矢の態度を指摘はしたものの、そんな彼を微笑ましくも思う珠里だった。
食事を「飯」ではなく「ご飯」と言うのがいい。
強引に決定するのではなく、相手の都合を覗う姿勢がいい。
少々ぼそぼそとしているが、柔らかく遠慮がちな声が、押しつけがましくなくていい。
だから。
「いいよ、一緒に行こう」
逃げ腰になりやすい桐矢が自分から提案を取り下げないうちに、珠里は頷いて意思を示した。
桐矢と部活動以外の時間に、二人で過ごすのは初めてだった。
「え、あっ、いいの……やった」
しかめるように緊張していた桐矢の顔が、漸く緩んだ。開いた口元から覗く八重歯が、少しだけ可愛く見える。
「でも、激辛ラーメンは嫌だよ」
冗談めかして珠里が付け足すと、桐矢はぷっと噴き出して、そののち言った。
「うん。それは俺も嫌だ」




