6頁 別に何だって
春になると
死神になってから、どうやら僕の身体は眠らなくてもいいようだった。中国の仙人を倒してから、丸1日。やることもないので、湖(蘇理湖と言うらしい)に浮かぶ湖に乗ってひたすら口笛を吹くか、取り留めのない思案をする限りだった。桜と言うらしいこの花が、散っては風に乗りこの舟に積もっていく。しかし、結構な量の花弁が散っているというのに一向に、散り終える気配はない。それに風があるということは、ここにも大気の流れがあるのだろうか?何ていうことが、昨日から僕の流行りのネタだ。それにしてもここは本当に、静かだ。
「新入りぃ~」
と思ったが、案外エネルギッシュな方もいるようだ。
「どうしたんです?」
「どうしたもこうしたもないよー。昨日隠れん坊するって言ったのに、なんで丸1日隠れたまま放置されんのさあ」
しまった、空返事をしたからすっかり忘れていた。
「すみません、先輩が隠れるのがあまりにお上手なので見つけられなくて」
「そー、そんなに~。そっかあ、上手すぎたかあ」
なんとか機嫌を直してくれたようで安心安心。
「あ!それはそうと、新入りぃ新しい仕事だって」
「あー、分かりました。じゃあちょっと行ってきます」
重い腰を上げて行くとしよう。
「違うよー新いりぃ~、今度は2人で一緒に行くんだよぉ」
「え」
弥生さんの話によれば、今回は2人行った方がなにかと都合がいいらしい。
「寒いねー、新いりぃ」
シベリアに向かう列車からは雪に埋もれた景色が見える。
「そうですねー」
勿論、僕たちは常人に比べて遥かに気温の変化に強いのだが、雪を見たら寒いと言いたくなる気持ちはやはり同じなのだろう。先輩は座席に膝立ちし、窓に鼻が着きそうなほど景色に夢中だった。
「そんなに近いと、窓が曇って不審に思われますよ」
「大丈夫だよー、どうせ誰も私たちのことわかんないんだし」
笑顔で振り向いたけれどそれは少し、寂しげに聴こえた。
「...鼻でもぶつけたら、とんでもなく痛いですよ」
「大丈夫だってー、そんn」
その時、電車はガタンと大きく揺れて、先輩は案の定窓ガラスに顔面を強打した。
「あだーっ、///」
そのまま後ろ向きに倒れこみ、後頭部も強打。
「だ、大丈夫ですか先輩?」
「んん~、はいほうふ」
「ほら~言わんこっちゃない」
見れば前に座っている男性が、窓ガラスにできた変な跡と謎の衝突音に首をかしげていた。
「あ、もう降りますよ先輩。大丈夫ですか、立てます?」
「んぬ~」
そう見上げた顔は、包帯が少しほどけいつもより青い瞳と、金色の前髪が大きくなっていた。
「ああっと、見るでないぞ新入りぃ」
「あ、はいはい、見てません見てません」
あせあせと、包帯を結びなおす先輩を横目で見ていると何処か懐かしい感じがして、目の奥が熱くなった。
「先輩ってなんでいつも包帯巻いてるんですか?」
「何でってそりゃ、新入りに顔を見られたくないからだよぉ~」
何というかその答え、
「あれ、もしかして僕嫌われてます?」
「え、ええ?ち、違うよ~断じて違うー」
「そうなんですか、ならいいんですけど」
「うん、そう」
そうして、タイガに向かって歩き始める。
市街地の外れに出た。
「あ、新入りぃ~。帰りにあのカフェに入ろうよー」
ふーん、新装開店なのか。
「いいですね、僕もティラミスって何なのか気になっていたんですよ」
「ふふーん、ティラミスは美味しいよぉ」
「へーえ、楽しみだなあ」
「うん、食べたことないけど」
「あれれ」
「でも、本当に美味しそうだよぉ~。以前見かけたときにそう思ったんだあ」
ほどなくして、ほとんど目的地に着く。
「ここら辺みたいですね」
「うん、そんな気がするよー」
言うや否や、目の前に人が現れた。大男、それもとんでもない。身長は8フィート9インチもありそうで一目見たら忘れないような風貌だ。毛皮のコートを被り、猟銃を両肩に下げている。
「お前ら、死神か?」
テレパシーを使うことなく言葉が分かった。ということは僕はロシアの出身だったのか。
「そうです。あなたの命をもらいに来ました」
「新いりって、普通に会話するんだね」
「してもあまり困らないでしょう」
「まあそうだけど」
大男は、表情を変えず、ためらうことなく猟銃で発砲してきた。しかし、すんなりと躱せる。前回の件で、完全に感覚はつかめた。
「失せろ、お前ら俺が生きていて何が悪い」
「すみません。僕にもその理由がわかりません。けれど、それが与えられた仕事なので...」
それを聞いて、低く声を唸らせる。
「死神には、死は普遍であり、平等な祝福と考えられています」
先輩が説得に掛かる。
「じゃあ、望まないなら断れるはずだ!」
「...いいえ、それでは他の物も祝福を受け入れられなくなってしまう」
「死なない人間がいるのが、都合の悪いだけだろ!」
臆せず先輩が話しかけるが、そうはいかない。
「死に対して、恐怖を抱いているのなら杞憂ですよ(魂は循環するし、意外に自由だと弥生さんが言っていた)この世から存在が消えるわけじゃありません」
「死神からの、お墨付きです」
いや、これでは寧ろ怪しい宗教の勧誘の様だ。
「そんな理由じゃない。俺は“あいつ”にもう一度会わなきゃならない。だから、邪魔をするなら100年前と同じように追い返してやる!」
薪割り用の斧で切りかかってくる。右手で柄を掴み、動きを止める。しかしすごい力だ。足がめりめりと永久凍土に沈んでいく。力を込めて斧をへし折り、瞬時に猟銃も奪う。
「誰を待ってるんです?」
「お前に言って、どうする」
それはそうだ。それはさておき、この男髭や髪が伸び放題で、大分みすぼらしい身なりをしてはいるものの顔つきや、体格を見る限りまだ20そこそこと言った感じで、若さに満ち溢れている。
「じゃあ、それとは別に。あなたは何故200年も生きていて体は最盛期のままなんですか?」
「知るか、そんなこと。死にたくないと思ったからそうなっただけだ」
あの仙人とは違って、本人に特別な力がないのか。そんなことはを考えていた時、先輩の手に引力のようなものが発生した。それはやがて、か細い光の線になる。幾本かのその光は、まるでさっきのとがった鉛筆の様だった。
「てめえ、何しやがる」
それらは、絡まりあい、鎌を紡ぎだす。線が動くたび、鎌が震えるように見える。
「何をっ...」
言わせぬまま、振り切った。男はがくんと膝をついて倒れ、その頭を先輩に支えられていた。
「新入り、これが死神の“鎌”だよ」
「はぁ...」
「相手の潜在意識レベルまで眠らせる。それがこの力」
ああ、精神攻撃とはこのことだったのか。
「この人、幼いころに戦争で別れた友人を待っていたみたい。必ず戻るから、ここで待っていろって言われて」
戦争から逃れるため、あの人の友人は去って行ったのだろう。しかし、それ以上にもっと何かが脳裏をよぎる。待っていてほしい、約束、雪の中。そんな断片的な映像がフラッシュバックして眩暈がする。
「でも、でもそれって、もうずっと昔のことだから...」
「うん、会えないことは分かっていたんだろうね。だから本当にこの人は、そのお陰で年を取らなかったのかなあ」
「それじゃあ、呪いになって...」
包帯の中に見える先輩の目が、いつもよりずっと垂れ下がって見えた。
「けれど、待つべきものがあるっていうのはよかったんじゃないんですか」
「え?」
「だって、待ち遠しい時って活力が漲るじゃないですか」
「...うん、そうだね」
そう言って、優しく放された男の顔は200年分の疲れが刻まれたようで、それでいて少し満ち足りたようにも見えた。雪が彼に被さっていく。きっと今はもう、会えただろう。
凍った湖を見る先輩の横顔は、吹雪で余計に白くなっていた。包帯とは表情を隠すにはえらく不向きらしい。そんなことがまた一つ分かった。少し躊躇いかけたが、一歩踏みしめ
「先輩、ティラミス...待ってますよ」
また一歩振り向く。彼女は今にも泣きだしそうな空の下、遠くを見つめながら微笑んでいる。
「うん。行こうか、新入りぃ!」
近くの公園の桜が凄い