5頁 うだつの上がらない日
やっと
僕の前に現れたその人物(果たして人なのかは聞いても答えてはくれなかったが)は、何処かへ案内してくれるようだった。10分くらい歩いているが、特に会話は無い。不思議なことにそれはあまり気まずい時間ではなかった。単に俺が無神経なだけなのか、けれど見た感じ包帯を巻いた人物も特に嫌な顔をしているようには見えなかったのでまあいいだろう。しかし、こうなっている状況が一切分からない上に、記憶が無いのは多少なりとも不安だ。
「あの...」
「うん?」
何だろう、初対面の人間と話す鴇の緊張がない。
「俺は今自分がどういう状況にあるのかさっぱり分からないんだ。君は何か知っているの?」
少し目を細めた(といっても包帯の上からなので想像である)後に
「うーん、それは体知っているけれど言えない状況にあるんだよ。でももう少ししたらある程度説明をしてくれる人が来るから」
「へえ、有難う。少なくとも俺が完全な身元不明人でないことが分かっただけで嬉しいよ」
「えへへ、そう」
案内してくれる包帯さんは、真っ黒なローブをフードまで被っている。高い声でカリンカをハミングしながら俺の肩までしかない背丈で身軽にスキップしながら歩いている。まだ幼いのだろうか。子供が歌うには難しいリズムだろうに、なかなか心地良い歌声だ。
「あー、でも」
「うん?」
「確かに新入りは身元不明人ではないね」
「...うん」
そうして本当に少しの間歩くと、霧の先から人影が現れた。
「やあ、目覚めはどうだい?新入り君」
まだ20代であろう女性が待っていた。髪は俺より少し薄いものの、鮮血の様な赤色をしていて、包帯さんと同じように真っ黒なローブを着ていた。
「あの...」
「ああ!挨拶がまだだったね。初めまして、新入り君」
「あ、初めまして、よろしくお願いします...」
「そんなにかしこまらないでよ~」
「あ...はい...よろしくお願いします」
「もしかして新入りは人見知りぃ~?」
「わざわざ韻を踏まなくてもいいよ」
「おや、もう随分打ち解けているみたいだね。それならもういいだろう」
「あの、何を?」
「単刀直入に言おう、君は今“死神”だ」
まあ大してショックを受けたわけではなかったが、しいて言うなら骨だけにならずとも死神は務まるのか、と言う驚きだった。
「はあ、それで何をすれば」
「決まっているだろう、命を刈り取るんだ」
「成るほど、確かに死神ですね」
「ついでに言うと、君はもう死んでいる!」
「はぁ...」
「おや、あまり驚かないねえ?というか何であなたが驚いてんの」
隣を見れば、包帯さんが口をあんぐり開けて驚いているような気がした。
「いやなんと言うか、もう死んでしまっている以上あまり未練とかがないというか。そもそも俺、記憶が全然無いのですが」
「うーん、君はそこの湖を渡ってきたでしょう?そうしてここへ来る人間は、全て魂があの川によって洗われるんだよ」
「それで、記憶も無くなっていると」
「うーんまあ、死神になるときは誰しも記憶を一度失くすんだけどね。君は川べりでなくなったから湖から出てきたんだけど、あそこに浸かると皆枝垂桜の花の色に染まってしまうんだ」
「そ、そうなんですか。それで、俺は誰なんでしょう?」
「教えることはできないよ、君が使命を果たし終えるまではね」
「それが、命を狩ること」
「そうだねー、まあ大体そんな感じだよ。使命を果たす中で記憶も次第に戻るよ」
まあ、早い話沢山働けばいいということか。
「記憶が全部戻れば、このまま死神を続けるか、それとも死んだときの年齢から人間として生活を始めるか選べるからねー」
「それで、えっと。あ、」
「“弥生”でいいよ」
「あ、弥生さんは記憶が戻られたんですか?」
「うん、戻ったね。けど、この仕事を続けることにしたんだ」
「そうなんですか」
「新入りも直ぐに記憶戻るよぉ~」
「う、うん。頑張ります」
「じゃあ、もう行ってほしいんだけど。いいかな?」
「新入りぃ~、張り切って行こう。私も途中までついって行ってあげるから」
「有難うございます。その、先輩」
「うん、うん」
電車に揺られること、2時間。景色は大分田舎になってきた。中国のとある霊峰に上ることになっている。しかし、国内に入るまでは不思議な石扉を開けるだけでよかったのに、まさか山まで電車移動とは思わなかった。向かいに座っている親子の目には俺は映っていな。死神の特性だろう。赤髪に黒いローブという奇異な見た目をしているからその方が都合がいい。記憶が無いと言っても、物や社会的制度についての生活的な知識は残っていた。けれど、こんな汽車を見るのは初めてだった。
「新入りぃ、これは汽車じゃないよ。“電車”っていうんだよ」
「へー、どういう意味なんです?」
「電気で動く車両だよぉ」
「凄い、最新鋭って感じですね」
「でしょう?でも別に走って行ったっていいんだよ」
「え!40マイルもあるんでしょう。俺生前はマラソンランナーか何かだったんですか」
「そ、そういうわけじゃないのだけれど。でも、折角だし乗ってみよっか」
というやり取りを経て、只今外の景色を眺めているのだった。
目的地の駅で下車してから、20分。時刻は午後2時を回っていた。既に山の中腹まで登っていたところ、次第に霧が濃くなってきた。長時間の移動と、登山をしているものの疲れは全くない。あと一息、そう思った時誰かの声が聞こえてきた。やまびこかと思ったが、違う。明確な俺へ向けての発言である。すると、目の前の崖に生える大木の上から緑色の髪をした人がこちらを向いて、不敵な笑みを浮かべていた。まあ、何となく想像がつく通りあれが今回の標的だろう。
「もう、100年も経ったのかあ。光陰矢の如しとはよく言ったものだねえ」
チャイナドレスに、白い綿の武道着ズボンを履いたその人物が、
「一応確認するけど、貴方がこの山の仙人?」
「ふふん、そうだねえ。それにしても驚いたわあ、1500年も生きてきて、まともに会話をしたのはあなたが初めてよ」
「随分な数の死神を追い返してきたみたいですけど、今回も余裕って感じです?」
「うーん、そうだねえ。でも、折角人が訪ねて...まあ人じゃないけど来客がいるんだゆっくり話したいものだけどねえ」
「じゃあ、人里降りてくれば沢山話せると思いますよ」
「それは億劫だよー。不老不死の術を教えてくれーだとか直ぐに来るんだからさッ」
「ご家族には教えてあげなかったんですか?一家揃って長生きした方が楽しいでしょう?」
「それは、また別さー。この力を得るためにした修業は、私の勝手だったからさあ」
「死ぬのは、怖くないんですか?」
「怖くないよー、だってもう死なないからねぇー」
それが合図のようなものだ。
「寿命を超えて生き続ける者の魂を狩る。それが死神の仕事。もし失敗すれば、また百年後に頂戴しに行くのさ」
「あの、なにか鎌とか武器は無いんですか」
「あーあ、無いよ。死神には技があるんだ。精神攻撃のね。それに、君ならある程度徒手空拳でも問題ないだろうしさ」
その会話を思い出し、念じてみるものの、何も起きず。そのまま突っ込んでくる仙人の攻撃を何とか受け流す。
「驚いたー、精神攻撃してこない死神がいるなんて。おまけに顔も見せてるし。本当に君は意外性に溢れているよ」
また、踏み込んでこちらへ飛び上がってくる。その叩きつけるような拳を躱すと、地面に大きな陥没が出来た。若い見た目とは裏腹にやはり、仙人たる力を持っているようだ。
「あー、そこは崩れると危ないよー」
「え?」
そういった直後、崖がパンチの衝撃で滑り落ちた。焦る。しかし、上を向きありったけの力で跳躍を行うと、信じられないことに山頂まで飛び上がってしまった。
「道理で、走った方が早いわけだ」
「へーえ、お見事」
そういった仙人がその仙術で火球を飛ばしてきた。左腕でそれを薙ぎ払うと、炎の後ろから追撃が来た。考えずとも反応するので、なすがままに受ける。
「結構やるじゃない」
火球を3つ隙間なく飛ばしてくる。跳躍して躱すも、空中でもう一発飛んでくる。正拳で吹き飛ばし、そのまま近接戦へ。
「うそ...」
あちらの攻撃速度も相当だが、及ばなかった。腹部に正拳2発、上段に蹴り一発をいれたところで倒れた。
とどめを刺そうと、手を振り上げた瞬間急に罪悪感にかられた。自分は今一つの命を奪うのだ。
仙人は、土の付いた姿で敗走している。無様だ、見る影もない。一瞬の間に距離を詰め寄り檜に押し付ける。
「お願い、見逃して」
と消え入りそうな声で、すすり泣きながら懇願してくる。
「よりによって死神に言うんですか」
「お願い」
手を首筋へかざす。走馬燈が流れているのだろうか。家族のこととか、思い出とか、色々駆け巡っているのだろうか。でも、それでも。
「やっぱり怖いんじゃないですか、死ぬの」
一度頭を撫でてやる。意外だったのだろう大きく目を見開いた。その瞬間僕は目をそらすことなく、心臓を貫いた。
舟の上で、目を閉じて物思いにふける、今日のこと。気分はこの場所の様に晴れないでいる。僕はこのまま...そんな風にしていると、
「新入りぃ~」
そんな風に先輩が水の上を渡ってきた。そろりと船に乗り込むと、少しだけ水面に波紋が出来る。僕が目を合わせられないでいると、水面に映った僕の顔を覗き込んで、
「大丈夫、上手くいくよ」
そう言ってくれた。はっと先輩の方を振り返ると目が合って、はにかむように笑っていた...と思う。
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