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アメノハラ(下)

 樹の陰から現れた男の姿に、少年と狼はほんの一瞬だが言葉を失っていた。


 何とも異様な風体の男だった。

 怜乱たちとて普通とはほど遠い格好をしていることに違いはないが、男のそれは妙を通り越してむしろ不吉だ。


 全体的に、紫と黄が奇妙に入り交じった印象がある。色()せた紫と山吹の混じった髪を長く伸ばし、縛りもせずに肩や背中に散らしている。雑然と絵の具を流したような流水模様が、ひょろりと背が高いせいで間延びした着物中を染めていた。

 長い裾に覆われて手足は見えず、辛うじて肌が覗くのは首から上。その肌さえも鼻から上は見えない。

 まるでゆうれいのようだ。


「ね、驚かれたでしょう?」


 怜乱たちの沈黙を驚愕と取ったのだろう、男は口元だけで微笑んだ。

 男の目が笑っているかは判らない。

 なぜなら、男は額から頬骨に至る顔の大部分を、布のようなもので固く覆い隠していたからだ。ただの目隠しとは違い、布を幾重にも巻き締め、軋む音が聞こえてきそうなほどに固くいましめている。

 まるで何かの刑に処せられているかのように、その覆いは執拗だった。


「ごめんね。確かに少し驚いた。……けど、どうして。邪視じゃし持ちか何かなのかい」


 怜乱は謝罪の言葉を口にする。しかし、その目は無遠慮に男の顔を見つめていた。

 邪視とは文字通り、視線を向けることで相手に害を及ぼす能力のことである。影響力の大小にもよるが、邪視持ちの人間は、古来より遠ざけられたり、人外のものとして祀られたりすることが多い。


「いいえ。私のこれは、ただ『見えるだけ』です」


 怜乱の問いかけに、男はどこか寂しげに溜息を吐いた。


「しかし、見えすぎるというのは、もう何も見えないのと同じことなのですよ。私は、もう何も見たくないのです。だから、こんなにも固く戒めているのに──あなたのことも、隣にいらっしゃる狼さんのことも、普通以上によく見えるんです」

「どういうこと」


 男の言葉に怜乱が首を傾げる。

 言葉を選んでいるのか、男は少しの間沈黙した。

 そしておもむろに口を開く。


「そうですね──たとえば、画師様。あなたは昔、飛龍ふぇいろんという名の、全く別の人間として画師をされていましたね。それ以外にもたくさんいらっしゃるようですが、主にはその方が。彼の血肉を継いで、あなたはあなたとして旅を続けている──あなた自身には使命感がないにも関わらず」

「……ちょっと待って」


 いつでも割り込めるようにと話す男を、怜乱は硬い口調で止めた。

 口をつぐんだ男を探るように見つめ、何かに気づいたように頷く。


「そうか……君は『』なんだ。けど、何か妙なものが混ざってるね。──使用者はどうしたの」


 どこか詰問調になった少年の言葉に、男はこくりと首肯した。


「確かに、私は『鬼』です──いえ、『鬼』でした、と言った方が正しいでしょうか」

「『でした』? 『鬼』は最初から最後まで『鬼』じゃないのか」


 黙って聞いていた狼が不意に口を挟む。


「はい──普通は。創られたときは確かに『鬼』でした。しかし、原型もとのすがたにも戻れず、機能も最初に与えられたものからかけ離れてしまった私は、すでに『どうぐ』として役に立たない何かなのです」


 どこか遠いところを見つめるように顔を上げて、男は地平を指し示した。その先には、小岩と短い草からなる平野が、豪雨の中漠々と広がっている。


「私は──とはいっても、正確な意味での私がどちらなのか、私には判断できませんが──『鬼』としての私は、遙か西の国で創られました。長く続いた戦の中、誰よりよく見える目が欲しいと言った、ある軍師のために。

 全能観天一切看破いっさいみとおすばんのうのめ()を与えられた私を手に入れて、彼は喜んでいました。私を使えば、戦場の一切を手に取るように見渡せるのですから。──しかし」


 男は腕を落とし、分厚い布に隠された腕で我が身を抱いた。頬から上が覆い隠されているせいで、表情は判らない。

 滑稽な一人芝居のように、彼は身をよじりながら続ける。


「ある日のことでした。彼は捕虜を尋問に掛けていました。どうしても口を割らない捕虜に苛立ちを覚えた彼は、ふと思いついてしまったのです。

 自分の右目にめられている『こいつ』は画師の創ったものだ。もしかしたら人の心くらいは読めるかもしれない──と。

 結果としてそれは間違いではありませんでした。そういう使い方をされて初めて判ったのですが、私にはその機能がありました。

 軍師は喜びました。右目わたしを使えば、たいした労を掛けずとも、目当ての情報が手に入るのですから。

 何年も何年も、彼は私を使いいくさに勝利し、その名は各国に轟きました。


 ──そうして人を見続けて、二十年も経ったころでしょうか。

 彼は右目に酷い違和感を感じました。今まで一度も感じたことのない、焼け付くような痛みを。


 眼窩がんかの中で何かがうごめく異様な痛みに耐えきれず、彼は右目わたしえぐり出しました。


 ……その時のことははっきりと覚えています。

 眼窩に刃を突き込む恐怖、金属が肉と神経を裂く焼け付くような感覚、やっと開放されるという喜び、そしてなぜこんなことになったのかという困惑。そういった全てがないぜになった感情が一気に押し寄せてきて──気付けば、私は右目を失い息絶えた軍師の目の前にひざまづいていました。


 どうしてこんなところに自分がいるのだろう、とそんなことまで思いました。

 自分のからだはなぜかこんなところで息絶えている。なのにどうして自分は生きているのだろうと、そう思ったのです。

 ですが同時に、私は私がれっきとした『鬼』であることも理解していました。

 『鬼』である自分の意識と、軍師としての主の魂を持った、訳のわからない混ざりもの。それが自分を把握したときの感触でした。


 ──そう、私は、軍師の躰を苗床に、軍師の魂を己が身に吸い上げて育っていたのでした。『鬼』である私は、主を喰い殺して己の形を手に入れたのです」


 ざあざあという単調な雨の音は場の雰囲気を決して盛り上げはしなかった。

 高くもなく低くもない淡々とした男の声は、ただ辺りの空気を揺らしては沈鬱ちんうつに消えていく。


 『鬼』とは彼の話のとおり、人の不可能を可能とするため、画師達が作り出した道具のことである。特殊な合金で作られた紙に描かれるそれらは、画師が魂魄の断片を与えることにより形を成す。

 そうして『鬼』に与えられた魂は、能力を行使するための燃料でもある。

 しかし、それが足りないからといって、他から吸い上げるなどというのは、本来ありえない事象のはずだった。


 それを理解している怜乱は、昔語りをする男の顔を、難しい顔をして見つめていた。


「──私は、そのとき初めて自分の意思で世界を見ました。使用者ひとの意志で視界を定められるのではなく、ただ景色全てを初めて認識したのです。


 その瞬間、私の中の人の魂は悲鳴を上げ、私の『鬼』としての部分を掻きむしりました。


 私がただの『鬼』ならば、情報に特別な感情を抱くことはなかったでしょう。

 私がただの人ならば、もとよりこの景色に気付くことすらなかったでしょう。


 しかし、私はすでに『鬼』でも人でもない、何か別の()()でした。

 足元から地平に至るまで、視界に入る全てのものの過去から現在、そして記憶や感情に至るまで。およそ人の視界とはほど遠い、それが私の視界でした。


 私をつくった画師は、『見える』という言葉の意味を広く取りすぎたのです。

 本来、私の使命は膨大な情報を整理し、使用者が必要とするものを選別し渡すことでした。

 しかし、融合してしまった人の魂はすでに、私と同じものでした。情報を認識する、その段階ですでに人の魂が許容できる情報量を超えてしまっていたのです。


 それに気づき、私は悩みました。

 主を喰い殺したとはいえ、形を得た私は、すでにその形を保ちたいと願っていました。それなのに、私の意識は目を開けているだけで、端から崩壊してゆくのですから。

 身の内を掻き毟られ、生きながら腐っていくような感触に、私は耐えられず目を閉じました。


 最初は、目を閉じてさえいれば何も見えませんでした。しかし、能力というのは磨かれるものらしく、そのうち目を閉じただけでは情報を遮断できなくなりました。結界を織り込んだこの布も、焼け石に水でした。それどころか、封じれば封じるほど、能力が強化されていくように感じられて」


「……そうか。それで何もないところを探したんだ」


 怜乱がぽつりと呟く。


「はい。人の多いところ、生物の多いところはそれだけで情報量が多いですから。

 もう何も見たくない、それだけを思って、私はこの場所を探し当てました。

 それまでに七年ほどかかったでしょうか。この場所を見つけたときにはすでに、私は『鬼』としての私と、人から引きずってきた私とのせめぎ合いで、どうしようもなく消耗していました。

 私は最後の力で結界を張りました──いつの日か私の存在を何とかしてくれる画師がこの地を訪れたときに、それを招き入れるための仕掛けを」

「仕掛け?」


 怜乱が怪訝けげんそうに首を傾げる。


「特にそんなものはなかったと思うけど……」

「結界は、気付かれないことも目的の一つですから。そう威力もない、単純な機能のものなので、余計でしょう」


 思案に沈黙した少年の代わりに、隣で話を聞いていた狼がはたと手を打つ。


「……もしかして、この雨か!」

「はい。これだけの雨が降れば、見渡す限り唯一の大木に、きっと雨宿りに来てくださると思いまして」

「成程な。ということは、この雨はお前さんを何とかしない限りは降り続くという訳か?」


 狼の疑問に、男は首を横に振る。


「いいえ。そこまでは力が及びません。あと半刻もすれば綺麗に晴れてしまいます。──あの、画師様」

「……僕にできることは、君を『鬼』として封じるか、それとも人の魂と分離して今の君を殺すか、二つに一つだけれど」


 安心したように微笑んで、男は己の末路を口にした。



             *  *  *



「……なんだかなぁ」


 すっかり晴れ渡った空の下、不満げな様子で尻尾を振り回しながら狼が歩いていく。


「泥が飛ぶんだよ、泥が」


 二歩ほど先を歩いていた怜乱がくるりと振り返り、歩調は緩めないまま狼を軽くにらんだ。


「じゃあ、全身びしょ濡れなのとどっちが良いんだよ」

「そりゃまあ、足下だけの方がいくらかはましだがなぁ……」


 気持ち悪いだとか毛皮が汚れるだとかの愚痴をひとしきり垂れ流し、狼は不満げに尻尾を振り回した。


「濡れていないところがたちどころに見つかる目玉があればいいんだが」

「……そんなものがあったって、この平原に濡れてないところがあるとは思えないけどね」


 怜乱の言葉に、狼はさもありなんと溜息をついた。



     ──────【アメノハラ/樹下鬼譚─きのしたのきのはなし─・了】

 このたびはご高覧ありがとうございました。

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