再会と出会い ―その2―
……なっ!
男子生徒が宙に浮いている。もちろん、それは霊力を持たない一般人から見える光景であって、彩音と寧々の目には、男子生徒を持ち上げている霊の姿が、はっきりと映っている。
……この霊、やっぱり存在感が半端じゃない!
表情はボーっとしていて、何を考えているかわからない。体力を吸っているわけでもなく、ただ本当に持ち上げているだけのように見える。
だがそれでも、十分強すぎる霊力を持っている。昨日の霊よりもさらに存在感が強い霊だ。であるならば、もし明確な意図を持った瞬間、かなりの脅威となる。だから、
「さっさと助けなきゃっ!」
門掌を出すのと同時に、彩音は男子生徒の下に走る。
「ちょ、待てやっ!」
後ろから寧々の声がするが、門掌が霊を掴む方が早かった。霊が光の球となると、掴まれていた男子生徒が降ってくる。それを、
「――っ」
何とかキャッチする彩音。
「あ、ありがとう……ございます……」
男子生徒は、お礼は言うものの、早くこの場を離れたいのか、そそくさと去ってしまった。
「……ま、そりゃそうよね」
仕方ない、と息を吐く彩音に、
「お、ナイス彩音っ!」
上の方で、緑子が親指を立ててくれた。笑顔で返すと、緑子の隣にいた寧々が、慌てて駆け寄ってくる。
「このアホっ! 待て言うたやないかっ!」
至近距離で怒鳴る寧々に、彩音は思わず二、三歩下がる。
「な、なによ――」
反論しようとしたが、彩音は、寧々が待てと言った理由を感知することができた。
「あれ、なんか霊達が、こっちに向かってきてるような……」
「半分正解やアホんだらっ! 出力も調整せずに門掌出すもんやから、霊が興奮してもうたやないかっ! それにのっ!」
言いながら、寧々は門掌を出し、
「ウチがしたかったんはなあ!」
彩音の後ろに来ていた霊を送る。そして、
「記憶を読むためやっ!」
叫ぶ寧々を見て、そうか、と彩音はようやく寧々が自分を止めた本当の理由を理解した。
「どうだった!?」
「前と一緒やっ!」
なら、三人目の門神が近くにいるということか。
彩音が頷いた瞬間、横の壁から泰造が顔だけ出してきた。
「おおい! あいつら、いきなり暴れ出したぞいっ! 辺り構わず物を掴んでは投げ、掴んでは投げを繰り返しとるもんじゃから、危なっかしくってかなわん!」
……それ、生徒からしたらポルターガイスト現象ってことよね。
そういえば、急に下が騒がしくなった気がする。
「私達に、何かできることはありませんかっ」
声を上げたのは、こちらに向かって降りてきている真理子だ。その後ろで、緑子も手を振っている。寧々は、そんな二人に向かって、
「生徒も教師も全員下校させるのが一番やけど……せめて一か所に集められへんか? 出来れば校舎の外、グラウンドがええ!」
言われた二人のうち、緑子はアイデアを思いついたようで、
「あ、じゃあこうすればいいやっ!」
と、階段を数段飛ばしで降りると、すぐ目の前、壁に設置されている火災報知機のボタンを躊躇いなく押した。
「あ、ちょっ!」
彩音は、緑子に向かって手を伸ばしたが、当然届くはずはないし、だからといって門掌を使うわけにもいかない。いや、使ってもよかったのかもしれないが。ともあれ、
……勢いに乗って動いてる人って、止める間がないのねー。
と、軽い現実逃避をしている間に、耳をつんざくような高音が、校舎全体に鳴り響いた。
「――っ!」
緑子以外の四人が、思わず耳を塞いだ。
「――、――」
緑子が何か言っているようだが、まったく聞き取ることができない。
「――――、――」
聞こえていないことに気付いているのかいないのか、緑子はまだ何か言っている。
恐る恐る耳を開放すると、火災を知らせるブザーの音に混ざって、緑子の声が、なんとか聞き取れるレベルで耳に入ってきた。
「これ、押してみたかったのー」
「夢が叶ってよかったわねっ!」
久々に本気で腹から声を出した気がする。ついでに、一瞬だけ本気でキレそうになった。
……確かに、押してみたくはあるけどっ!
なんとも満足そうな表情の緑子。
ともあれ、これで生徒と教師達はグラウンドに移動することだろう。
「じゃあ、二人とも避難してっ!」
彩音の言葉に、しかし二人は首を横に振る。
「ううんっ! さっきみたいに、あぶれた霊に掴まって動けない人がいるかもしれないから、見回って、救助と誘導をするよ」
「そんなん危険やっ!」
叫ぶ寧々に、
「大丈夫です。泰造さんと意思疎通はできますし、本当に危険になったら必ず避難しますので」
真理子が、そう言い切る。
隣にいる泰造も、頭を下げてきた。
……相変わらず、譲らない、ってわけか。
「坂下、霊力は大丈夫なの?」
尋ねると、寧々は鼻を鳴らして、
「はんっ。ウチを誰だと思っとるんや」
「じゃあ決まりだねっ。なんかあったらメールするよ」
言うが早いか、緑子は真理子を連れて走り出して行った。
「まったく……」
やはり、霊力のない緑子としては、こうして彩音の手伝いができることが嬉しいのだろうか。
……いい友達を、持ったのかしらね。
さて、と、彩音が振り向くと、ちょうど寧々が霊を二体送ったところだった。そのまま寧々は、校舎の対角線の方向を指さす。
「ウチらは体育館に移動や。ちいと距離はあるが、あそこなら広いし動きやすいやろ。道中、霊力を軽く垂れ流しながら走ってりゃ、ぞろぞろついて来るはずや」
「わかったわっ」
言い終わると同時に、彩音と寧々は飛び出した。
●
それからしばらく校舎内を走り、もうすぐ体育館というところで、彩音の耳に、先を行く寧々の声が届いた。
「榎本、こっちや!」
見ると、一階へ下る階段に差し掛かったはずの寧々が、ルートを変更していた。ついて行きながらチラッと階段に視線をやると、六人の霊と目が合った。
「立ち止まって相手にするより、さっさと体育館に行くのが先やっ」
「……そうね」
廊下の窓から差し込むオレンジの光が、顔を照らしてくる。
グラウンドを見ると、生徒達が集まっていた。下校している生徒も少なくないため、誰が残っていて、誰が校舎内に取り残されているか、教師側はすぐには把握できないだろう。
だが、緑子が火災報知機のボタンを押してから、もうすぐ五分といったところ。実際は火災など発生していないことに、すでに気付いているはずだ。
あの火災報知器は、どこのボタンが押されたのか分かるようになっているのだろうか。もしそうなら、教師達は現場に行って確認するだろうし、その間は、安全確保のためと言って生徒達が動かないようにするはずだ。かといって、
……あまり時間はないわね。
廊下を過ぎ、次の階段で一階に降りたところで、三人の霊がこちらを向き、ゆっくりと近付いてくる。
「なんだか時々元気な霊とすれ違うけど、基本的にほとんどの霊は覇気がないわね」
彩音が一人、寧々が二人を門掌で掴む。
「まったくや。なんや、こっちが悪うことしてるように思えてくるわ」
寧々が、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「でも、その分霊力はたっぷたぷや。きっと、今まで街ん中徘徊しとったやつらが、ここに集結しとるんやろ」
彩音は、掴んでいた霊を送ったところで、意識を校舎全体に集中させる。
「三人目の門神が呼んだってこと? なんでここに?」
「それはわからんっ。ただ、狙い通り霊がこっち向かってついて来とるんはいいことやわ。ここに来るまでで数もちいとは減らせたみたいやし……それに、あの三人も無事や」
と、こちらを見てくる。
「よかった……」
ホッと胸をなでおろすと、霊が階段を降りてきた。寧々がその霊を送り、
「さ、もうひと踏ん張りや。やるで」
言葉は元気だが、どこか表情が硬いのは、三人目の門神について考えているからだろうか。
「……そうね」
廊下の出口に視線を向けると、すぐ目の前に体育館が見えた。再び駆け出す二人。
そして、また少しだけ早く着いた寧々が、開けっ放しになっていた扉を抜け、威勢よく中へ入っていった。
「頼もー!」
「いや、それはどうなのよ」
二着で中に入った彩音。
……というか、さっきのしんみりした空気はなんなのよ。
「いや、こういうのって、なんとなく言いたなるやん?」
そう言われても。
軽くため息をつきながら、今入ってきた入り口を見つめる。
「……霊達、ちゃんとこっち来てるわね」
「さっきも確認したやないか。大丈夫やて」
呆れ顔の寧々が、彩音の隣にやってきた。
と、その時、
『――あら、やっぱり彩音ちゃんね』
ノイズ交じりの言葉と同時に、冷たい息を、後ろからかけられた。
「なっ!」
反射的に、彩音と寧々は振り向きながら距離を取る。
「な、なんやいきなりっ! 気配しとらんかったぞ!」
寧々の言うとおり、二人とも全く気付かなかったが、いつの間にか、一人の霊に後ろを取られていた。
そして、振り返った彩音は目を見開いた。それも、これ以上ないくらいに、だ。
『ふふふ……』
驚いたのは、すぐ後ろまで近付かれたことでも、そこまで来ている相手に対し、気配を感じ取れなかったからでもない。それが、その相手が、彩音のよく知っている人物だったからだ。
「ね……姉、さん……」
「なんやてっ!?」
『久しぶりね……彩音』
彩音をまっすぐ見つめ、微笑む少女の霊。背丈は彩音より低く、彩音達と同じ制服を着ていて、三年生であることを示す赤いリボンが、胸元で揺れている。
『どうしたの? 彩音』
表情も、声色も、しぐさも、彩音の知っている榎本澄香と一致している。
だが、
「気を付けい榎本っ! アレの霊力、禍々しい上に半端ないでっ!」
寧々の言うとおり、尋常ではない強さの圧が、全身にのしかかってくる。しかも、外見は澄香そのものだが、放っている霊力の波長が、昔感じていたものとは全然違う。
だが、彩音はこの波長に覚えがあった。
「この波長……六年前に感じたものと同じっ! あんた、姉さんに何をしたのっ!」
叫ぶ彩音に対し、その少女は、ふふふ、と笑うと、
『あら、気付いちゃった? でもね、ワタシも榎本澄香なのよ、一応だけど』
「……何を言っているの?」
ジロリと、射殺すような視線を向ける彩音。
『……まあ怖い目。そうねえ……どうしても呼ぶのを躊躇うって言うのなら、カスミ、って呼んで頂戴。あ、カタカナでね。漢字だと、上下入れ替えただけでパッと見わからないから』
「ふざけないでっ!」
反射的に、門掌を出していた。
だが、彩音の門掌がカスミに届く瞬間、
「なっ!」
門掌が何かにぶつかる感触があった。
『駄目よ彩音ちゃん、もっと力をコントロールしなきゃ。澄香ちゃんがガッカリしちゃうわよ』
「――っ!」
見ると、彩音の門掌は、カスミの手前で動きを止めていた。もっと伸ばそうと力を入れるが、これ以上動かない。
「なん、で……」
強大な霊力は感じた。だが、霊である以上、門掌に対抗する力はないはずだ。
『彩音ちゃん、門掌を出せるようになっているのは嬉しいわ。澄香ちゃんが生きている間は、結局出せなかったものね』
動きを止めた門掌の向こう側から、カスミの声がする。
『けど、門の時と同じ。大きすぎるわ、もっと絞りなさい』
次の瞬間、彩音の門掌が弾けて消えた。
『大きければいいってもんでもないのよ。中身がしっかり詰まってないと』
「嘘やろ……」
隣で寧々が冷や汗をかいている。それも仕方ないことだろう。彩音達の正面、カスミは、胸の前で十五センチ四方ほどの門を開いており、そこから、普通の人間と同じサイズの門掌を出していた。彩音の門掌を止めていたのは、どうやらあれのようだ。
「まさか……霊が門掌を出すなんて……」
「しかもあの門掌、ちっこいけど、ものっそい力の圧縮率や。ウチらのとは密度や強度の桁が違うで」
驚愕する彩音と寧々。
だが、カスミはなんてことない、という表情で、
『まあ、驚くのも無理はないわ』
けどね、とカスミは続ける。
『門神は死んでも門神よ? どうあがいたって、その血は変わらないわ。違うところと言えば、力を使うと、ダイレクトに霊としての存在感を消費する、というところかしら。肉体がないって言うのは、不便よね』
「姉さんの体を……乗っ取ったって言うの?」
その問いに、カスミは自分の胸に手を当てて、
『あら、肉体はないって言ったでしょ? どちらかというと、ワタシと、榎本澄香は、混ざり合って一つの存在になったの』
「何を、ふざけたことをっ!」
もう一度門掌を出そうと、力を練り始める彩音、だが、カスミがそれをたしなめるように、
『そう興奮しないで。そもそも、ワタシはただ食事に来ただけだから』
「……食事?」
そうよ、と、あっけらかんとしているカスミ。そして、
『街に放った働きアリ達がね、蜜を集めたみたいだから』
……働きアリ……って、まさかっ!
「おい、ちょっと待てや」
寧々がカスミの話を止めた。彩音としても、確認したいことがある。それはつまり、
「霊に命令して若者を襲ってたのって、カスミ、あんたなのっ!?」
彩音の質問に対し、カスミは、さも当然のように、
『そうよ』
と、ニコリと笑った。
つまり、彩音達が追っていた三人目の門神は、このカスミというわけだ。
町の若い人達が次々と倒れたのも、霊が真理子の腕を掴んだのも、すべて、このカスミが命令したことで、彩音と寧々が、倒し、浄化しなければならない相手である。
「くっ!」
反射的に飛び出しそうになった彩音。だが、それを止めるかのように、周囲の空気がさらに重くなり、カスミの周囲に、胸の前にあるのと同じサイズの門が複数、次々と開いていく。
「おいおい、一体いくつ出るんや……」
隣の寧々が冷や汗をかいている。
『本当はもう少し静かな場所で食べようと思ったのだけど、彩音ちゃんのつよーい霊力を感じたから、顔を見たくてこっちに来ちゃったっ』
……私の……さっき屋上で坂下に移そうとした時のっ!
つまり、それだけの霊力を漂わせていたということか。
だが、考えている余裕はなく、門の数が十を超えたとき、同時に細い門掌が現れ、彩音と寧々を通り過ぎ、そのまま後ろへと伸びて行く。
「なっ!」
二人が振り返ると、こちらに向かっている霊達が、次々と門掌に掴まれ、球体となっていく。
しかし門掌は、その球体を掴むと門の中ではなく、カスミの目の前に戻り、掴んでいた球を浮かせる。そして、そこに他の門掌が掴んでいた球を加え、一つにまとめ始めた。
「え、な、何をしてるの……」
光の球は、少しずつ大きくなり、手が空いた門掌は、また別の霊を捕まえては、球を追加しさらに肥大化させる。
『言ったでしょ? 食事だって』
そして球がボーリングサイズにまで大きくなると、カスミは、ニコリと微笑み、
『じゃ、いただきます』
その球を自らに近付ける。
「――っ! させるかっ!」
寧々が門掌を出し、球に向かって伸ばす。だが、
『あら、食事の邪魔とは感心しないわね』
カスミの門掌が寧々の門掌をはじき、そのまま伸びると、寧々の鳩尾にアッパーを決めた。
「がはっ!」
体をくの字に曲げ、後ろの壁に向かって飛ばされる寧々。頭をぶつけたのだろう、鈍く、低い打撃音が、体育館に響いた。
「坂下っ! 坂下っ!」
駆け寄った寧々が名前を呼ぶも、返事が来ない。どうやら、気を失っているようだった。
『駄目よ、人の食事に手を付けようとしちゃ』
彩音は、寧々をそのまま寝かせておくと、カスミの方に向き直った。
だが、
『取られるのが嫌だから、早食いしちゃったじゃない。……ちょっと苦いのもいたけど』
カスミの言葉通り、先程の球が見当たらない。しかも、今こうしている間も、カスミの霊力が増していくように感じられた。それも、急速に。
「吸収したって言うの……人を……」
ふふ、と笑うカスミ。
彩音は、改めてカスミの顔を見て、放っている霊力の波長を読んでから、再び口を開いた。
「あんた……六年前研究所にいたわよね。その時、研究所にいた人たちの霊力を、魂を、吸ったの?」
思えばあの日、彩音が爆発した研究所に向かっている最中、数多くいた門神の気配が次々と消え、逆に一人の霊力が増していくように感じられた。あれは、門神達は爆発の影響で死亡し、強く感じた霊力については、距離が近付いているからそう感じるのだ。と、そう思っていた。
だが、今の『食事』を見てそれが間違いだと気付いた。
近付いたからそう感じたのではない。カスミが、あの霊が、爆発に巻き込まれて死にかけていた門神達の魂を吸い、自身を強くしていたのだ。それだけじゃない。恐らく、門神ではない、ただの人間だった所員達も、吸われたに違いない。
そしてあの日、彩音が最後まで感知できたのは二人。
一人は、今目の前にいる霊、今はカスミと名乗っている彼女のもの。
そしてもう一人は、榎本澄香。彩音の、姉の霊力だ。
二人の霊力は、彩音が研究所に到着する直前、二人同時に消えた。彩音は、瀕死状態の澄香が、その霊を送り、その瞬間力尽きたのだ、と、そう思っていた。だが、その霊は、今こうして目の前にいる。
つまり、
「姉さんも、吸収したのっ!? 答えなさいよっ!!」
彩音は、カスミに向かって足を踏み出したが、
『――まあ待ちなさいよ』
興奮している彩音に冷水をかけるがごとく、ノイズ交じりの声が体育館に響いた。
声と供に来る霊力の重圧に身を震わせた彩音が、正面、カスミを見つめる。
カスミは、一歩ずつ、ゆっくりと彩音に向かって歩きだす。それを見た彩音は数歩下がり、寧々の前に立つ。
『三つ、いいことを教えてあげる』
そんな彩音を見て、カスミは楽しそうに微笑むと、人差し指を立てて見せてきた。
『一つ。この姿についてだけど、元はと言えば榎本澄香が望んだ結果よ? ワタシが無理やり奪ったわけでも、乗っ取ったわけでもないわ』
「嘘よ……」
これが、姉の望んだことだとは、思いたくない。
だが、カスミは微笑むだけで、それ以上補足することもなく、また一歩こちらに近付きながら、今度は中指を追加で立てる。
『二つ。今日はもう吸わないわ。一応、さっきのでお腹は膨れたからね』
カスミの物言いに、怒りで歯ぎしりする彩音。
『もちろん、どうしてもって言うなら、デザート分くらいは入るわよ?』
「……冗談じゃないわ」
腹に力を入れて、自分を奮い立たせるように言う彩音。
正直なところ、先程補給した分もあるのだろうが、カスミが、こちらにぶつけてくるプレッシャーがきつい。昼の話で例えるなら、普段彩音が横山に圧を与えているというのは、この状況に近いのだろうか。
……だとしたら、そうとう悪いことしてるわね、私。
心の中で謝っておく。そして、
『そして三つ目』
薬指を立てたカスミは、そこで立ち止まった。とはいっても、彩音との距離は、もう残り一歩分もない。
そこまで近付いているのに、彩音は動けずにいた。蛇に睨まれたカエルとは、このことを言うのだろう。
そしてカスミは、半歩ほど足を前にだし、残りの距離をゼロにすると、彩音の肩を自然な動きでグッと下げ、彩音の耳元で囁いた。
『大丈夫。アナタは最後だから』
「――っ!」
澄香の言葉が終わるのと同時に、カスミの存在感と、押しつぶされるような重圧が消えた。
目を見開き立ち尽くす彩音。たった今言われた言葉を、何度も何度も頭の中で繰り返す。
……最後、って……どういうこと……?
その意味を考えようとした瞬間、後ろから声がした。
「ん……榎、本……」
声に反応して、彩音は、慌てて振り返る。
「え……あ、坂下っ!」
すると、寧々が目を開けていた。ゆっくりと体を起こそうとしていたので、彩音は慌てて駆け寄り、
「まだ動いちゃだめよ! あんた、思いっきり頭打ってたんだから」
言いながら、寧々を寝かしつけようとする。だが、
「こんぐらい平気や。もう十分寝たて」
聞かない寧々は、立ち上がりこそしないものの、壁に背中を預けて座る体勢になった。
「……すまん榎本、やられてもうた。榎本は……無事か」
「ええ、大丈夫よ。カスミならどこかへ行ったわ」
そう言った瞬間、体育館の入り口から二人を呼ぶ声がした。
「彩音っ! 寧々タンっ!」
「お二人とも、大丈夫ですか!?」
彩音が立ち上がって入り口に視線をやると、
「あ、彩音っ! 大丈夫?」
緑子と真理子、二人の上には、消耗しているのか、少し存在感が薄いが泰造も見えた。
こちらに近付いてきた緑子が、座っている寧々を見て叫んだ。
「おーい……って、寧々タン死んでるっ!?」
「生きとるわっ! 勝手に殺すなやっ!」
「遠藤さん、まずは坂下さんを保健室に」
「あ、待て……まだ動かさんといて……」
座っている寧々の脇に、緑子と真理子がしゃがみ、触ったり持ち上げようとしたりしている。緑子は保健委員のはずだが、明らかに楽しんでいるようにも見えるのは、付き合いの長さのせいだろうか。
そして、時間差で後ろから、担任の横山が走ってきた。
「榎本さん、坂下さん。怪我はっ!」
「先生……どうしてここに……」
尋ねると、横山は申し訳なさそうに頭をかいた。
「いや、凄い霊が一人いるのと、他の霊がここに集まっていたのはわかったんだけど……知っての通り僕は何もできないからね。せめて人払いでもと思って、こっちの見回りを引き受けていたんだ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
頭を下げると、横山は驚いたように背を伸ばし、
「い、いやいや。いいんだよ。僕にできるのはこれくらいだから。……けど、さっき感じた霊の波長……あれは……」
思い出そうと悩んでいる。というより、言おうか迷っている。という表情の横山。
理由は分かっている。だから、彩音はこちらから言うことにした。
「……先生。あれは、さっきのは、六年前、研究所にいた霊です。私の記憶が正しければ、姉さんがこと切れるのと同時に、消えたはずです。それと――」
そこで間を置いた彩音は、少し迷いつつも、外見が澄香だったことも伝えた。
「彩音、それって……」
横で、緑子が驚いてる。そして、
「……そう、か……」
重苦しい表情で息を吐く横山。だが、
「……わかった。だけど、とりあえずここを離れた方がいい。四人とも点呼の時にいなかったわけだからね。……ああでも、坂下君は保健室行った方がいいかな」
と、手を伸ばす横山に、寧々は手をヒラヒラさせて答える。
「や、大丈夫ですわ。少し休めばええんで」
「そうか。まあ、無理はしないでね」
すると、横山はこちらを向いて、
「……とりあえず、僕は報告に戻るね。カスミ、と名乗る霊については……僕もできる限り調べてみるよ」
「はい。私も、家の中をもう一度探してみます」
言われて、頷く彩音。
そして、じゃ、と、横山はそのまま小走りで校舎へ戻っていった。
「……で、何があったの?」
と言う緑子に続いて、
「突然泰造さんの姿が見えなくなったので、お二人に何かあったのかと……」
眉を下げる真理子に、
「あ……ああっ!」
と、突然寧々が大声を上げた。そして、
「シンクロっ! す、すまんっ。さっき、切れてしもうた……ごめん……ホンマにごめん」
ひたすら謝罪し続ける寧々。さっき、というのは、澄香に殴られたとき、寧々の気が飛んだことを指しているのだろう。
だが、よく見ると、寧々の頬を、すーっと、涙が伝っていた。
……え、泣くほどのことなの?
緑子も、真理子も同じことを思ったのだろう。
「い、いえっ、謝らないでくださいっ。それだけのことがあったと、こちらとしても考えて行動することができましたから――」
「ちゃう。違うんやっ……」
真理子の言葉を遮るように、声を荒げる寧々。
「シンクロはな、とっても、とっても微妙な調整が必要なんや……特に、繋ぐ時より切る時の方がな。……ウチ、それ爺ちゃんにキツく言われとったんに……」
「ちょ、ちょっと待って、切る時の方がって、どういうこと?」
寧々は、声を震わせながら続ける。
「たとえばな、イヤホンで音楽聞いてる時、再生中にジャックから抜いたら、ブチって言うやろ。アレやられるとな、人間だったら、ちょっと気が抜けるというか、軽い立ちくらみ程度で済む。けど、霊の場合は、そんなんじゃ済まんのや」
言われてハッとなった彩音は、瞬時に視線を泰造に向けた。
「そんな……」
無言でこちらを見つめる泰造。もはや霊力はほとんど感じられず、その輪郭が、二重三重にブレて目に映った。
彩音の表情を見て理解したのだろう。真理子は、
「……そういうことでしたか」
と言いながら、制服の内ポケットからハンカチを取り出し、寧々の涙を拭いた。
そして、優しい口調で、寧々に話しかける。
「大丈夫です。あいさつは、先程済ませましたから」
言われて、目を見張る寧々。真理子は続けて、
「泰造さんがおっしゃったんです。体育館に凄いのが現れた、って」
恐らく、カスミのことだろう。
そして、真理子はスッと立ち上がり、微笑んだ。
「だから、もしものことがあるかもしれない、と」
寧々は、悔しそうに歯を食いしばる。
「ウチが、自分から解除すればよかったんや。それなのに、まだ大丈夫や、て、何かあった時に繋がってる方が連絡が取りやすいからって、自分を過信しとった……」
「……いや、お嬢ちゃん、お主が気に病む必要はない」
彩音と寧々は、思わず顔を上げた。上から聞こえる、泰造の声が歪みをはらんでいたからだ。
「ジイ、さん……」
泰造は、ニッコリ笑うと、続けた。
「その、カスミという霊が現れた時、衝撃波か何かかのう、ワシの体にぶつかってきたんじゃが……それが思ったより響いての。その時、もう無理じゃろう、ということはわかったんじゃ」
じゃがの、と、泰造は言った。
「ワシは、昨日真理子ちゃんと再会できた時に、元気な姿を見れたときに、『ああ、もう思い残すことはない』、と、本気でそう思ったんじゃ。それなのに、また一緒にいることができて、しかも最後に直接会話もできた。……もう十分じゃよ」
「……」
寧々は、泰造、そして真理子の順に視線を移す。
二人とも、微笑み、無言で寧々に頷いた。
「……すまん」
と、寧々はそれだけ言うと、制服の袖で顔をこすり、そしてゆっくりと立ちあがると、一歩、二歩と前に進んだ。
「ちょ、ちょっと! 何してんのよ」
近付こうとすると、手のひらをこちらに向けて止められた。
「ケジメ、つけなあかんやろ」
「ケジメって……」
寧々は、泰造と向き合うと、
「ウチが、送ってええか」
寧々の言葉に、泰造は真面目な顔で寧々を見つめ、一つ頷いた。
「ああ、頼む」
言われた寧々は、真理子に視線をやる。
すると真理子は、寧々に対し、深々とお辞儀をした。
「ありがとうな」
寧々はそうつぶやくと歯を食いしばり、正面に立つ泰造の後ろに、少し小ぶりの門を出した。
すると泰造は、寧々と彩音に一度振り返り、頭を下げた。
「……それじゃ、すまんがワシは先に行く。最後まで手伝えず、申し訳ない」
「いえ、元々私達がやるべきことですから。むしろ、お手伝いいただき、ありがとうございました」
彩音に続いて、寧々も、鼻をすすりながらではあるが、
「絶対にウチらが解決するさかい、安心したってや」
と、声を張る。
それを聞いて満足したのか、泰造はニコリと笑い、彩音の隣にいる真理子と緑子にも、一度笑顔を向けた。その時、泰造は少し驚いたような顔をしたが、再び笑顔を作った。
そして、泰造は振り返って門の前に立ち、ゆっくりとその中に入っていった。
「ジイさん……」
寧々のつぶやきは、門の光とともに空に消えて行った。
そして、
「……行かれたんですね」
初めに口を開いたのは、真理子だった。
「え、わかったの? 真理子ちゃん」
驚く緑子に、真理子は一つ頷く。
「はい。最後、門をくぐる前に、こちらを見て微笑んでくださいました」
「見えてた……ってこと?」
彩音が尋ねると、真理子は笑顔で答えた。
「はい。何となくですが、目が合ったのは覚えています。そして、門をくぐるその瞬間まで、暖かい気持ちも感じました」
……急に切れたせいで、シンクロが残っていたのかしら。
それとも、泰造と真理子の気持ちが、通じたというのか。
「榎本さん、坂下さん」
急に、真理子が二人の名前を呼んだ。
「え、な、何かしら」
「な、なんやろか」
寧々は、少し肩を狭めながらも、まっすぐと真理子を見つめる。
真理子は、柔らかな笑顔を顔に浮かべると、二人に向かって、そのまま頭を下げた。
「ありがとうございます。大切な人の、最後に立ち会えました」
「え、いや……」
「――っ! そ、そんな……ウチは……」
狼狽える彩音。その隣で、寧々は、少し下を向いて、語尾をすぼめる。
そんな二人を見て、真理子は小さく微笑んでいる。
……けど、まだ終わったわけじゃない。
霊の記憶に手を入れ、人間を襲わせていた犯人であり、どういう理屈かわからないが、『自分は澄香と混ざっている』、と言っていたカスミ。
カスミを止めなければ、この事件は終わらない。
なにも、依頼主である真理子だけではない。緑子だって、他の生徒や、街の若者達が危険であることに、かわりはないのだ。
彩音は、誰にも気づかれないよう、背中で握り拳を作り、しかし顔には笑顔を浮かべ。
「もう、お礼なら最後にでいいのよ。それに依頼完了ってわけじゃないし、もうしばらくの間、よろしくお願いします、でしょ」
そう言って、彩音は真理子に笑いかける。
「あ……それもそうですね。では、こちらこそ、よろしくお願いします」
真理子も、こちらに微笑んできた。そして、彩音の隣でも、
「横からですまんが、ウチも協力させてもらうで。今度こそ、最後までキッチリやったる。ジイさんと約束したからの」
と、ようやく顔を上げた寧々がそうはっきりと宣言した。それを受け、真理子は嬉しそうに、
「はいっ!」
と、寧々に笑顔を向けた。
「そうねっ! 真理子ちゃんの腕に痣を作った原因。犯人ぶっ飛ばさないとあたしも気が済まないわっ!」
威勢よく声を上げる緑子。すると、隣にいる寧々が、ちらりとこちらを見てきた。
「……? どうしたの彩音、顔色悪いけど」
どういう顔をしていたのか、自分でもよくわからない。もしかしたら、緑子は付き合いの長さがあるから、目ざとく見つけただけかもしれない。だが、
……隠し事は、できないわね。
それに、隠していても仕方がないことだ。必ず話す時が来る。なら、と、彩音は息を吸って、
「実はね……その犯人と会ったのよ。私達」
「え、誰々っ!」
緑子と真理子が近付いてくる。
彩音は、やはり一度言い淀んでから、
「……さっき先生に言った、カスミって霊よ」
「それって、六年前に彩音が感じたって言う、あの霊だったんだよね?」
そうよ。と、彩音は言った。そして、
「けど、どうしてまだここにいるのか、何が目的なのか、詳しいことはわからないわ。ただ、外見や声は姉さんなんだけど、中にいるのがカスミって霊で、霊力の波長も姉さんのとは違った……でも、姉さんの記憶を持ってるみたいだから……姉さんが、どういう風に関わってるのかわからない。けど、もしかしたらって思うと……」
まだ情報が整理しきれていない上に、どういう形であれ、姉が事件に絡んでいるのは確かである。その上、カスミは、『これは榎本澄香が望んだ結果』と言っていた。あれはどういう意味だったのか。今この街で起きている事件は、姉が望んでいたことだというのか。
「もしかしたら、なんて、絶対にないっ!」
緑子が、そう声を上げた。
「み、緑子……」
驚く彩音の手を、真理子がいきなり握ってきた。
「え、し、四ノ宮さんっ!?」
あたたかい。いや、違うか。だが、本当に真理子の手はあたたかかった。それこそ、彩音は、自分の手がとても冷たく、そして震えていると、はっきりわかるほどに。
「大丈夫です」
そう、キッパリと言い切る真理子。
「な、なにが?」
「榎本さん、以前私に言いましたよね。私にとって自慢の家族だ、姉に憧れている、って。榎本さんが憧れているお姉さんは――」
そこで、真理子は自分の右袖をまくった。そして、手の形をした痣を彩音に見せつける。
「このようなことを、するお方なのですか?」
彩音は、ハッとして、真理子を見た。
……そうよ。私の知っている姉は、こんなこと、絶対にしない!
「しないわ……絶対に、絶対にしないっ!」
それを聞いた真理子と緑子は、優しく微笑むと、
「きっとすみ姉は、そのカスミってのに、体乗っ取られただけだって。あ、幽霊だから体っておかしいのか」
なんだかデジャブのような気がするが。
「……そうね、悲観してても仕方ないわね」
小さく微笑む彩音に、隣で、寧々がホッとしたように声を出した。
「なら、あとはやるしかないわな」
「そうね。やるしかないわね」
四人が、決意に満ちた表情で、お互い頷き合う。
すると、疲労が急に襲ってきたのか、寧々は、そのまま崩れ落ちそうになった。
「ちょ、ちょっと!」
彩音が、慌てて手を伸ばすよりも先に、
「はいはーい。保健委員が支えるよー」
と、緑子が素早く肩を貸した。
「ああ、すまんの、遠藤」
「いいっていいってー。やっぱ保健室行く? 消毒して、包帯巻いて、薬飲ませてベットに転がすよ? 大丈夫大丈夫、あたしそういうのめっちゃ得意だから。ね? ね?」
……なに、あの溢れ出るヤブ医者臭は。
怪我しても、緑子は頼らない方がよさそうだ。
「い、いやいや、やめとくわ……どうせ今行ったところで落ち着けんやろし。それに、センセが言うとった通り、ウチらは点呼に参加しとらん。はよう帰るんが一番や」
寧々の言う通りだ。ならば、
「帰りましょう。坂下が転ばない程度に、ゆっくりとね」
「あぁ!? なんや榎本! ウチはこのくらい平気やっ!」
と言って、緑子の腕を振りほどいて歩き出そうとするが、
「あ、やっぱアカン」
と、フラついてしまった。
「ほらーもー。いいからこっちに体預けるー」
言いながら、緑子は素早く寧々の腕を掴んで自分の首にかけた。
「くそー。明日には回復したるからなっ!」
「だったら叫んで体力使わないのー」
「この程度で減るかいっ」
二人のやり取りに、思わず吹き出しそうになる。
「いいコンビ、って言うんですかね」
隣、真理子が微笑ましく二人を見ながら、そう言ってきた。
「……そうね、ウマが合うんでしょう」
そう言って、二人で笑い合う。
真理子から依頼を受けたのは昨日の放課後。
たった一日とはいえ、色々なことがあり、様々な出会いがあった。
記憶を弄られた霊、こちらの霊力を吸う霊。同世代の門神との出会い。
そして、カスミとの出会い。
カスミについては、まだまだわからないことだらけだ。しかし、やらなければならないことは決まっている。
……姉さん。もし緑子の言う通り乗っ取られているなら、必ず、私がカスミから解放するわ。
決意を胸に、彩音は、ゆっくりと空を見上げる。
オレンジの夕日は、もうすぐ沈もうとしていた。




