真理子の依頼 ―その1―
第一章
五月。
桜は散り、しかし大地の花が視界に彩りを添える頃。
少々水分を含み始めた春の陽気に誘われ、授業中に船をこぐ生徒も少なくない。
授業中に少なくない、ということは、休み時間には多くなる、ということだ。特に、昼休みは皆早々と昼食を済ませ、各々仮眠の時間に入っている。
特に彩音達一年生は、学校生活における緊張もほぐれつつある頃、クラス内の睡眠率は、お世辞にも低いとは言えなかった。
「おやおや、お疲れ? 彩音も」
ご多分に漏れず、机にその身を預け、ぐったりとしている彩音に対し、どこか楽しそうにそう声をかけたのは、クラスメイトであり、幼なじみでもある遠女子、藤緑子だ。
言われた彩音は、のそりと顔を上げ、親友を見据えると、
「も、って言うけど、それは疲れてる人の表情じゃないって、緑子」
と、瞼を半分垂らしながら言い放った。
「やだなあ……こう見えても色々あるんだよ、色々と」
緑子は、彩音にとってお馴染みの、「人生満喫しています」という笑顔を顔面に貼り付け、眠そうにしている彩音を見下ろしている。
見下ろしている、といっても、背の順で並べば緑子は必ず先頭に来る。現に、緑子は座っている彩音の横に立っているが、目線の高さに大幅な差はない。
だが、本人は特に気にしていないどころか、「小さいのは小さいなりにお得なのよ」と言っている。
「色々って言われてもねー」
いぶかしげな視線を向ける彩音に対し、緑子は「まーまー」と言いながら隣に座ると、彩音の耳元に口を寄せて囁いた。
「ひょっとして、また昨日も幽霊絡み?」
彩音は、気怠げに返事をする。
「うん。昨日は二人。多いわけじゃないけど、連日複数人だとさすがに疲れるわ」
顔だけでなく、上半身もゆっくりと起こすと、緑子は少しだけ頭を引いた。
彩音はあたりをチラッと見渡すが、どの生徒もぐっすり眠っているか、それぞれのグループで話が盛り上がっている。こちらに耳を傾けている人はいないようだ。
それでも、少しだけ声のトーンを落とす。
「……最近、何か霊の様子がおかしい気がするのよ」
「おかしい?」
緑子も声量を合わせてきた。
「なんか、人数がどんどん増えてきたり、霊が他の霊を襲ったりで……」
話しながら、昨日送った男の霊を思い出す。
……確か、「魂を喰う」とか言ってたけど。
よほどの未練がある霊でなければ、人間に直接干渉することは出来ない。だから、ほとんどの霊が物に干渉する。所謂、ポルターガイスト現象だ。
もちろん、未練の対象も死んでおり霊になっている場合、襲い、襲われということはある。だが、少年の様子を見ての判断にはなるが、二人は顔見知り、というわけではなさそうだった。
……あくまで私の主観でしかないけどね。
だが、なんにせよ、「魂を喰う」、というのは初めて聞く話だった。食べる、というのが具体的にどういうことなのか、それによってどういう結果を得ようとしているのか、彩音にはわからないことだった。
「しかも、襲う側の霊に、明確な意志があったりなかったりでバラつきがあるし……」
ため息をつく彩音に、緑子は肩をぐるぐる回しながら、
「人間社会も色々あると思ったら、霊の社会も大変だねえ」
と、今度は首を回し始めた。
「人間社会? 何かあったっけ」
キョトンとする彩音に、緑子は半笑いを浮かべながら、
「……ああ、まあ、そんなことだろうと思ったけど……。最近ね、人がばったばったと倒れてんのよ」
「……倒れる?」
表情を硬くする彩音に、緑子は続ける。
「そ。なんでも、体力を根こそぎ奪われたって感じでね。半日くらい寝てたら回復するから、医者はたまたま貧血患者が多発した。って判断してるみたい。これ、ホームルームで先生言ってたよ? 最近多いから気を付けるように、って」
記憶を辿ってみるが、どうにも思い出せない。
今は五月。日射病や熱射病とは考えづらい。
つまり、
「緑子が追っかけてるくらいだから、ただの貧血ってわけじゃないんでしょ?」
そう言うと、緑子は嬉しそうにニッと笑った。
「ま、ただの勘だって、勘」
これが当たることが多いから助かったり困ったりする。が、彩音としても、あまり流せる話ではない気がしていた。
「……」
黙る彩音を見て、緑子は、
「まあ、何か分かったら連絡するわよ。……で、人間社会についてはこれくらいにして、霊関係に話戻そうか」
緑子は、胸ポケットからミニノートを取り出すと、ぺらぺらとめくり始めた。
「前に聞いた話の確認なんだけどさ、死んだ後、霊として出てくるタイミングって人によって違うんだよね」
緑子の質問に、彩音は頷く。
「そうね」
「じゃあさ、人数に関しては、今がたまたま大量発生するタイミングってことは考えられない?」
彩音は、しばらく考えるように上を向くと、
「まあ確かに、それはあり得ない話じゃないけど……って、何書いてるのよ緑子」
下ろした視線の先、緑子は、ミニノートに何かを書き込んでいるのだが、よく見ると、表紙には「NO.34」と書かれている。
「え、いや、メモは大切よー彩音」
しれっと言う緑子。
「三十四って……そんなに、まさか全部霊がらみでその冊数じゃないわよね」
彩音の質問に対し、緑子は、そのまさかだよ、と答える。
「そりゃ、手当たり次第にメモしてたら冊数も増えるよー。霊に関しては彩音も分からないこと多いって言ってたからね。たとえば……霊を送らずに放置した場合、その霊はどうなるのか」
言われた彩音は、考えるように小さく唸ってから、
「そうねえ。霊の存在感が増すことはあっても、無くなることはほとんどないから、外的要因がない限り自然消滅っていうのはないわね」
だから、
「ぶっちゃけると、『正直わからない』ってのが、今のところの結論ね。まあそこら辺も、研究所で実験とかやってたのかもしれないけど」
「研究所かあ……確か、もう住宅地になってるよね、あそこ」
そうね。と彩音は空を見て続ける。
「私が九歳の時に研究所が爆発。その場にいた所員全員が死亡。私の両親も、手伝いに行っていた姉さんも。派手に爆発したせいで、研究に関する資料はほとんど残っていない。両親とも少なくとも私の前では仕事の話をしないタイプだったから、何をやってたかはほとんどわからないわね」
ただ、と彩音は続ける。
「あの日、爆発が起きると同時に感じた、強力な霊力の波長。私が研究所に向かっている最中、ずーっと感じていたけど、結局研究所に着く前に消えちゃった。あんなに強い霊、今まで会ったことも感じたこともなかったわ。……あれはなんだったのかしら」
物思いにふけるように、軽くため息をつく彩音に、緑子はあっけらかんと、
「……ま、わからないことは、少しずつわかるようになっていけばいいよ。私もさ、親友としてできる範囲でサポートするから」
親友のためと言うのはおためごかしで、本心では楽しんでいるようにも見える、というか、そうとしか見えないような笑い方をする緑子。
だがまあ、助かっている面も多いので、とりあえずお礼を言うことにする。
「ありがとう、緑子」
すると、緑子は彩音の肩に手を置いて、ニッと笑った。
「ふふ、そこでね彩音、あんたに良い話があるの」
「ええと……あ、うん。ごめんなさい。その日は予定が入っているの」
立ち上がろうとするも、肩をがっしり捕まれて動けない。
「あらあら、まだ日付の話はしてなくてよ?」
急に口調を変えてきた。怪しさしか感じられない。が、
「あーうん。わかってるわよ。また霊絡みって言うんでしょ?」
「なによ、その投げやりな感じは」
「だってねえ……」
これまでも、その手の依頼が緑子経由で来ていた。だが、大半が依頼主の勘違いや妄想が過剰になった結果、というものばかりで、正直彩音としては「任せて頂戴」とはすんなり言えなくなっているのだ。
すると、緑子は急に真面目な声を出し、彩音の耳元で囁いてきた。
「まあ聞きなさいって。……今度は本物だから、さ」
「あんたね……信用してもらう気ないでしょ」
信用度のレベルで言うと、通販でよくある、「幸運のブレスレッド」並みでしかない。
「でも、引き受けてくれるんでしょ?」
ニヤつく親友の顔がグッと近づいてくる。でこピンでもしてやろうかと思ったが、後が怖いので代わりにため息をついておく。
「ま……ね」
どうせ、いつも通りの返事をすることになるのだ。
●
放課後になり、彩音は緑子先導の元、保健室へとやって来ていた。
室内には彩音と緑子の二人。保健医の教師は職員会議に参加するからと席を外している。
緑子が言うには、依頼人とは保健室で知り合ったため、待ち合わせもわかりやすくここで、とのことだ。
「……入るのは初めて」
丸椅子に座り、あたりを見渡しながら彩音はそう言う。
初めてとはいったものの、室内に立ち込める薬品のにおいは、小、中学とほぼ大差ない。
ベッドが二台しかないというのは、高校にしては少ない気もするが、緑子の「ここ数年でいきなり生徒が増えたみたいでね、設備が追いついてないのよ」というのが理由らしい。
「まあ、入学して一ヶ月だもんね。私みたいに保健委員になるか、エキサイティングな学生生活送ってないと、ほとんど縁はないでしょ」
と言った後、こちらを見てくる。
「まあ、例外もあるけど」
横の椅子に座る緑子がこちらを見てくる。身長のせいで、常に下から覗かれる目線になるのだが、緑子のくりくりした目に直視されると、なんともむず痒くなる。
彩音は、それを隠すように一度咳をしてから、
「が、学校では大人しくしてるでしょ」
彩音の返答に、緑子はクスリと笑う。
つまり、その依頼人は、例外に含まれる。ということなのだろう。
そしてしばらく経った後、控えめな音を立てて入口の戸が開いた。振り返った緑子が、入口に立つ人物を確認して明るく声をかける。
「お、真理子ちゃーん」
彩音が視線をやると、そこには落ち着いた表情の女生徒が立っていた。制服のリボンが緑色なので、同じ学年であることがわかる。
身長は自分より少し低いくらいで、恐らく一五〇後半だろうか、軽くウェーブがかかった髪が肩の下まで伸びている。おっとり系、と言われるような垂れ目が特徴的だ。
が、
……なんか、ちょっと違うわね。
緑子からは「霊がらみ」と聞いている。緑子からのそういった依頼は、今回が初めてというわけではない。だが、これまでの依頼主とは少し違うように感じた。
「遅れてしまってすみません、遠藤さん。ちょっと先生に頼まれごとをされまして」
緑子が「真理子」と呼んだ生徒は、ぺこり、とお辞儀をしてから入って来たのだが、扉を閉める時、彩音はその腕に視線が行った。
……なるほどね。
違和感に関しての結論は出ていないが、少なくとも、緑子が言っていた依頼内容については把握することができた。
しかも、今回は本物だ。
表情に出ていたのか、緑子がこちらを見てニヤリとしたが、お互い自己紹介もせずに話を進めるのはなんだと思ったのだろう、
「いーよーいーよー。真理子ちゃん真面目だし、先生も頼みやすいんでしょ。あ、もしかして、職員会議だからって全部押し付けられた?」
一気に話す緑子に、真理子は慌てて否定する。
「い、いえ、そんな押し付けられただなんて……」
だが、緑子の言うとおり、頼まれたら断れなさそうな上に、やると決めたらきっちりやりそうに見える。
恐らく押し付けられたのでなかったとしても、きっと「残りはやっておく」と、自分から提案するような人なのだろう。
「ほら、ここ座って」
緑子が椅子を引き寄せ、ぽんぽん、と笑顔でシートの部分を叩いた。
「あ、はい。ありがとうございます」
再度お辞儀をして座った彼女は、緑子、彩音の順に視線を移した。そして、
「一年二組、四ノ宮真理子です。よろしくお願いします」
と、三度目のお辞儀をした。
その瞬間、
……あ、いい香り。
真理子の髪が揺れた時、フローラル系の甘い香りが彩音の鼻をくすぐった。距離が近いとはいえ、保健室で、ここまではっきりと匂いを感じさせる。それも、決して不快でない程度に。
思わず目を閉じそうになった瞬間、脇の緑子が軽く肘を入れてきた。
視線をやると、半目でこちらを見つめている緑子。さらに視線で正面を示してきたので、誘導されるように向くと、不思議そうな表情でこちらを見ている真理子の顔があった。
「え、あっ! え、榎本、彩音です……」
慌ててお辞儀付の自己紹介をする彩音。
……まずい、変な人だと思われたっ。
横で緑子が笑いをこらえているが、これは後でフォローしてくれるのだろうか。
「榎本さん、ですね。榎本さんも、遠藤さんと同じように楽な話し方で構いませんよ。私のは、癖のようなものなので」
言われて、彩音は横の緑子を見る。
「彩音、ほらほら、ピース」
……無理だ。
というか、緑子の「楽」は「話し方」じゃなくて「生き方」にかかってる気がする。
「ええと……とりあえず、よろしくね。四ノ宮さん」
接客系バイト初日レベルのぎこちなさで笑顔を作る。この辺りが自分にとっての限度だろう。
対して、正面の真理子は完璧な微笑みで返してきた。それに若干気圧されながらも、彩音の視線は少しずつ下へと下がり、そのまま彼女の右腕を見つめる。当然制服は冬仕様のため、見えるのは制服の袖だけだ。
……けど、腕から霊の残気を感じる。
彩音の目は鋭くなっていく。真理子は、彩音がただ単に制服を見ているわけではない、ということが視線でわかったのだろう。左手を右腕に被せるように持ってきた。
「……遠藤さんの、言うとおりですね」
真理子は、納得したかのように、そう言った。
不思議に思った彩音が、横の緑子を見ると、
「ああ。彩音が本当に視えるのか、信じてもらうにはこれが早いと思って。あ、門神については、どういうもんなのかってことをチョロっとだけ話したよ。あとは彩音が補足して頂戴」
なるほど。と彩音は納得した。
であるなら、確かに話は早い。彩音は、背筋を伸ばして真理子を見据える。
「じゃあ、改めて。榎本彩音、門神見習いよ」
すると真理子は、少し首をかしげて、
「見習い、ですか」
そう言う声色は、馬鹿にしたり、不安に思ったりするものではなく、単純に疑問しているものだった。
それでも、
「……やっぱり、見習い、っていうのはアレ? あんまり頼みたくない?」
少々自虐的な言い方にはなってしまう。が、
「あ、いえっ、そういうことではなくてですね……ええと、見習い、ということは、モンシン、というのは職業として捉えてよろしいのかと、そう思いまして……」
……ああ、そういうことね。
彩音は、苦笑してから「ええと」と前置きしてから尋ねた。
「緑子から、門神についてどれくらい聞いてる?」
真理子は、少し考えるように上を向いてから、
「……霊をあの世へ送るための、門を管理している人。と伺っております」
言いながらも、飲み込めていない。という感じだ。
とりあえず、彩音は一度頷いておく。
「そうね……正直、門神についての説明としては、それで以上、としてもいいくらい」
「……え、そうなんですか」
さすがに投げやりな気もするが、これ以上の話となると、
「ええとね……そうだ。霊についての大前提、という話をするとね?」
「は、はい……!」
正面で姿勢を正す真理子に、彩音は続ける。
「霊っていうのは、自力で成仏、つまり、あの世に行くことができないのよ」
その言葉に、真理子は目をパチクリとさせる。
「え、そ、そうなんですかっ。ええと……では、あの世自体は存在するってことなんですね?」
……ああ、やっぱりそうなるわよね。
あの世の存在について。誰であろうと、一度は考えたことがある話だろう。
「ええ。そうよ。といっても、門神が送るのはその入り口まで。そこから天国に行くか地獄に行くかは、その人次第よ。……とまあ、私はそう教わったわ」
「教わった、というのは、モンシンには学校があるのですか?」
彩音は、首を横に振る。
「いいえ。基本的には親から子へ、技術と知識と血を受け継いでいくものよ」
「では、榎本さんのご両親も、モンシン、なのですか」
興味津々、という表情で、真理子は聞いてくる。
「ええそうよ。両親もそうだったけど、特に姉は凄かったわ。私の憧れよ」
「あら、お姉さまがいらっしゃるのですか」
真理子の言葉に、彩音は頷く。だが、
「正確には、いた、ね。私が九歳の時に、三人とも死んでしまってね。師を失った私は、永遠に見習いってわけ」
……おかげで、色々と分からないままのことが多いし。
死後の世界についても、門神の歴史についても、力の使い方にしても、何もかも、だ。
特に、彩音の両親は書物等に情報を残すようなこともしていないため、本当に手探り状態である。
「そ、そうでしたか……すみません」
謝られた。
が、
「――あ、大丈夫。別に気にしなくていいわ。ずいぶん昔のことだから」
それに、
「両親も、姉も、本当に立派な門神だったわ。私にとって自慢の家族よ。だから私は、家族にとっての自慢になれるよう、独学ではあるけど修行を頑張ってる最中なの」
悲しむことではあっても、それで気を落としているわけにはいかない。いつ三人が彩音の前に姿を現すのかわからない上に、その時は彩音が向こうに送らないといけないのだから。
ここまで話したところで、右脇を誰かにつつかれた。まあ、右には一人しかいないが。
「どうしたの? 緑子」
右を向くと、小さな親友は半目でこちらを見て、
「彩音、後半、ただの身の上話になってた」
言われて、顔が赤くなるのを感じた。
「――っ! あ、ご、ごめんなさいっ! 私ったらついっ」
謝ると、正面の真理子は慌てた様子で否定のポーズをとった。
「いえいえ、大丈夫ですよ! 門神について気になっていたことは理解できましたし、そもそも話が逸れる原因を作ったのは私の方です」
「それこそ気にしなくて大丈夫よ。こっちとしても、門神について知ってもらった方が話が進めやすくなるから。……じゃあ、本題の方、ね」
彩音の言葉に、真理子は真顔になり、ひとつ頷く。
真理子の表情が変わったのを確認してから、彩音は少し身を乗り出すようにして、真理子に近付く。そして、真理子の右腕を指さして、
「見せてもらっても、いいかしら」
「……はい」
真理子はゆっくりと袖を持ち上げた。すると、
「これは……」
真理子の腕には、赤い、誰かに掴まれた跡がくっきりとついていて、跡からは霊の気配が感じられた。服の上からでも十分感じ取ることが出来ていたが、今はさらに強く、だ。
「……三日ほど前です。帰宅中のことでした。習い事から帰る途中で、男性の声に話しかけられたのですが、そこには誰もいなくて……」
キョロキョロしていたところ、いきなり腕を掴まれた。と、真理子は続けた。
「なんて言ってたか、わかる?」
質問に対し、真理子は、
「……おそらく、『こっちにおいで』だったと思います。ただ、ノイズというか、声がぶれて聞こえたので、はっきりとは……」
「そう……」
霊から、「おいで」と言われるのは、あまりいい気分にならないだろう。
「どう? 彩音」
横の緑子が心配そうに尋ねてくる。
彩音は、顎に手を当てて、
「そうね……存在が濃い――あ、存在の濃さは、未練の強さで変わるんだけど、それがかなり濃い霊なら、物理干渉できるわね」
その点で言うと、昨日の霊は弱い方だ。だから本人が言っていた通り、触れないし、生きている人間には声が届かない。
そして、
「例えば、家族とか親友とか、深い繋がりがある場合は、声が届く、触れることができる、というケースも増えてくるわね。稀に、姿を見たって人もいるけど」
「そう、ですか……」
状況をもっと把握するために、質問をする。
「四ノ宮さん、その手の主に心当たりはあるの?」
真理子は、少し考えるように下を向いてから、ゆっくりと首を横振った。
「……いいえ。親戚の不幸はここ数年ありませんでした。あとは、友人関係ですと……」
真理子は、手の跡を隠すように袖を下ろしながら続ける。
「すみません。昔から、あまり友人が多い方ではなかったので」
「そう……」
交友関係の広さについては、彩音もあまり大きな声で言えない程度しかない。
「父にお願いして、小学生の途中から友達と一緒に登下校できるようにはなったのですが、輪に入りそびれた感じがありまして」
「お願いって、それまではどうしてたの?」
「いつも、車で送り迎えを……」
若干恥ずかしそうに言う真理子。すると、横から緑子が補足を入れてきた。
「ああ、真理子ちゃんね。お嬢様なの。送り迎えしなくなってからも、こっそりボディガードは付けてたみたい」
「え、そうだったんですか?」
言われて、なぜか目を丸くする真理子。
「……どうして四ノ宮さんが驚くのよ」
「いえ、私も初耳だったので……」
ちらっと横の緑子を見ると、片手でピースを、もう片方の手は例のミニノートを持っている。
……アレ、何が書いてあるのよ。
通報とかした方がいいのだろうか。
「やーね。友達が困ってるときは、色々と手助けするじゃない。それよ」
なにがそれ、なのだろうか。
ともあれ、当の本人は特に気にしていないどころか、目を輝かせて緑子を見ているので、彩音も気にせず話を続けることにした。
「……ええと、四ノ宮さん? 他に何か気になることとか、気付いたことってある?」
尋ねると、少し時間をおいてから、返答が来た。
「そうですね、ひとつだけ……」
「どんなこと?」
彩音が聞き返すと、真理子は一つ頷いて、
「声、なんですが、聞いたことはある気がするんです。けど、どうしても思い出せなくて……」
そう言うと、考え込んでいるのか、真理子はそのまま俯いてしまった。




