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門神見習い榎本彩音  作者: のぐち
プロローグ
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プロローグ


   プロローグ



 深夜。

 街は静まりかえり、薄雲がかった丸い月が、淡く家々に光を注いでいる。

 見上げるような高いビルはなく、人が集まるテーマパークなどもない。名所と言えば、複数の古墳が点在する広い運動公園があり、住人達は待ち合わせに、レジャーに、散歩にとよく訪れている。それがここ、春乃江町だ。

 そんな、平凡、平和が売りの街、そのとある住宅街に、助けを求める少年の叫び声が響いた。

「だ、誰かっ!」

 声の高さから、小学校低学年ほどと想像できる。少し裏返っていて、切迫した状況がひしひしと伝わってくる、そんな声だ。

声の出所は秒刻みで移動しており、少年が何かから逃げながら走り回っていることが伺えた。

「――っは!」

 声の主である少年は、走りながら周囲の家々に視線を送る。

 だが、声に反応して助けに出る者はいない。どころか、警察に連絡しようとする者も、目を覚まし、部屋の明かりをつける者すらいなかった。

 しばらくして少年が角を曲がったところで、少年の視界にサラリーマンが映り込んできた。

少年は安堵の表情を浮かべ、言葉を発する。

「たす、けっ……」

「……」

 しかし、サラリーマンは少年には一瞥もくべず、ただ小さくため息をついて歩き続けている。その脇を走り抜けていった少年は、激しく歯ぎしりをしながらも、再び空に向かって口を開く。

「――っ!」

 だが、

「無駄無駄っ! 誰にも俺達を見ることはできねーし、声だって、誰にも届かねーぜ!」

 少年の後ろから、あざ笑うかのような声がする。少年を追いかけ回している男の声だ。

「俺たちゃもう死んでるんだからよっ! 生きてる奴らにとっちゃ、もういないも同然さ!」

 男の言葉に、少年は視線を少し落とす。

 先程から男は、ギリギリ追いつかないスピードで、少年を精神的に追い込むかのような走りをしていた。

「くそっ!」

 少年の額に汗が浮かび、息も切れ始めている。走りも、脚の運びがおぼつかなくなっていて、後ろを行く男の顔がにやけ始めた。

 そして、

「あっ!」

 少年の足がもつれ、そのまま倒れ込んだ。

「ふふ……追いかけっこはもう終わりだな」

 その後ろ、男がゆっくりと少年に近づく。

「あっ……ああ……」

 少年の顔に絶望の色が浮かび、涙が頬を伝っていく。

 男はペロリと自分の唇を舐めると、少年に向けて右手を伸ばした。

「さあ、その魂、喰わせて貰うぜっ!」

 男が少年に向けて一気に距離を縮めようと駆けだした瞬間、

「なっ!」

「え……」

 男の手が消えていた。

「なんだよ……こりゃ……」

 否。正確には、男の手は、少年と男の間に現れた光の壁に手首まで突っ込んでいた。

「あったけぇ……?」

 男は、手を突っ込んだまま視線を上に向ける。壁は大人一人分が通れるほどの大きさで、上部の角が丸みを持っており、

「壁、というより……」

 男は壁の裏側を見たが、右手の先はそこにはない。つまり、

「こりゃ、門、か……?」

 男が疑問した瞬間、

「正解よ」

 男の後ろで、女の声が肯定した。


      ●


 榎本彩音は、男の幽霊が振り向いてこちらを見る前に、男の背中を蹴飛ばした。

 足の裏には、こんにゃくに近い弾力を持った物体を、思いっきり蹴ったかのような感触。生きている人間にどう触れようと、絶対に得られないものだ。

「ぐおっ! お、おおおぉぉぉ!」

 門に向かってダイブする形になった男は、そのまま、光の向こう側に消えていく。途中体を捻ってこちらを見ようとしていたが、それは叶わなかった。

 そして、

「とりあえず、一人」

 彩音がそう口にすると、門は姿を消し、正面の足下に、腰が抜けて座り込んでいる少年の霊が見えた。年は小学生低学年といったところだろうか。

「き、消えた……どうして……」

 少年の霊は、全身を震わせ、ひどく怯えている様子だったが、

 ……まあ、そりゃそうよね。

 自分がもう「死んでいる」というだけでなく、見ず知らず……かどうかはわからないが、男の霊に追いかけ回され、さらに訳も分からぬうちにその男が消えてしまったのだから。

「……」

 丁度雲が途切れたのか、月明かりが濃くなった。少年と、はっきり目が合う。

「大丈夫? 怪我はない?」

 微笑んでそう言う彩音。

 ……って言っても、幽霊だから怪我はしないけど。

 だが、ここはそう言った方がいいのだろう。実際、少年は少し安心したのか、表情がわずかに明るくなった。

 彩音は膝立ちになり、目線を少年に合わせるようにした。そして手を差し出す。

「……?」

 不思議そうな顔をする少年に、

「大丈夫。私はあなたのことが見えるし、あなたの言葉も聞こえる」

 そして、

「ほら、手を出して」

 彩音の言葉に、少年は恐る恐る手を伸ばす。そして、彩音の手に触れると、少年はハッとして顔を上げた。

「さ、触れる……」

「ね?」

 彩音はニッコリと笑った。

 すると少年の表情が明るくなり、彩音も少し安堵した。

「お姉さんも……死んじゃったの?」

 少年の疑問に、彩音は首を横に振って、

「いいえ。お姉さんは生きてるわ。お姉さんはね、あなた達幽霊を、天国に送るために存在しているの。幽霊は、自分の力で成仏……あの世に行くことはできないから」

「天国? 僕、天国に行けるの?」

 首を傾げる少年。

「ええそうよ。まあ、本当に天国に行くか、地獄に行くかはその人次第だけど、あなたは大丈夫よ。……多分」

「多分なんだ……」

 表情が曇る少年。

 ……ああ、余計なことだったわね。今のは。

 どうにも、口が滑ってしまう。

「え、ええとね……とにかく、あなたを天国なり地獄なり、向こう側に送るのが私の役目なの」

 だから、と言って、彩音は意識を自分達の横に位置する空間に集中させる。すると、

「わっ、さっきの……」

 二人の横に、先程と同じ大きさ、形をしている、光の門が現れた。

 門からは光の粒子が飛んでいる。そして、少年が手をかざすと、

「あ、あったかい……」

「安心して、痛みも苦しみもないわ。向こうも、きっといい世界よ」

 彩音は、微笑みながらそう話す。だが、少年の表情は暗いままだ。

「どうしたの?」

 彩音が尋ねると、少年はポツリと呟くように言った。

「待ってるの……お姉ちゃん。一緒に死んじゃったから……」

「……姉さん、か」

 一瞬だけ、彩音の脳裏に懐かしい顔が浮かんだ。

「お姉さん?」

 彩音が何も言わないからだろう、少年が、心配そうに顔を覗き込んでくる。そんなに変な顔をしているつもりはないのだが、一体どんな顔をしているのだろうか。

「ううん。大丈夫よ」

 彩音は、ニッコリと微笑みながら、ゆっくり立ち上がる。

「安心して。お姉さんも私が送るわ。ここは危ないから、先に行って待ってて。……ええと」

 呼ぼうとして、名前を知らないことに気付いた。

「君、名前は?」

 少年は、不思議そうな顔をしつつも、答える。

「……タケル。深山武だよ」

 一度呼吸を整えてから、微笑む。

「そう、武君ね。私は榎本彩音」

 彩音は、再度武に手を差し出し、微笑んだ。

「門神見習いよ」


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