魔王とy王女
それは玉座。
王の座す席だ。決してお誕生日席ではない。ないったらない。
そこに座すのは中肉中背、二十代中盤くらいの黒髪が特徴的な男だ。平均的イケ面で、十人中三人くらいは振り返ってくれるかもね。
静かに目を閉じ、報告に耳を傾けている男の正体は魔王を名乗る征服者。決して春の陽気に居眠りを決め込んでいる訳ではない。ないったらないのだ。
魔王の膝の上には、この国に唯一遺された王族の娘。王女が無理矢理座らされている。
非常に珍しい、水のように透通った青い髪をした愛らしい王女はしかし、魔王の腕に押さえつけられ、その顔を苦痛に歪め藻掻いている。決して退屈そうに脚をぷらぷら揺らしている訳でも、お庭に出て遊びたいなーなんて思っている訳ではない。ないったらないのだ。
魔王に報告をしているのは、征服された人間の国の大臣だ。決して、決してお隣のお爺ちゃんではない。ないったらない。
その表情は屈辱に歪み、いつか必ず雪辱を果たすと誓っている。これは本当だ。良かった。本当に良かった。
大臣の後ろに並んでいるのはこの国の重鎮達だ。『村の若い衆』みたいに見えなくはないが重鎮だ。重鎮ったら重鎮だ。
彼らも皆一様に表情を歪めている。きっと、魔王の腕の中で弄ばれている王女を哀れに思っての事に違いない。そういう風に補正して欲しい。
「で、貴女は何をしているのですか?」
まずい! 魔王の背後に控えていた、メイドに気付かれた!
陰険、根暗、爬虫類系のいけ好かない感じのメイドだ。
「ふんッ!」
「あいたーッ!?」
◇
◇
北の小国……といっても、村一つ分の領土しか残っていない、国と言うのも烏滸がましい国の王が崩御した。
だがしかし、実質村と呼ぶ程度でしかない国の長が亡くなったところで、誰も取り合わなかった。
何せ、他国と争ってまで占領する価値が全くない土地だからこそ、これまで周辺国に放置されていたのだから……。
王城……とは名ばかりの、どう見ても『村長の家』くらいにしか見えない一軒の家に彼らは暮らしている。
王女の名はアリア。つい先日、唯一の家族である祖父を亡くし、天涯孤独の身となったまだ八歳にも満たない少女だ。
祖父を亡くした翌日に、『魔王』を名乗る男を『オジサン』と呼び一緒に暮らし始めた事から、周囲の人間は彼を「いい年して痛々しい性格をした残念な男」と認識した。
なるほど、こんな残念な男が息子なら、国王が放逐したのも頷けるが……いざ、幼い孫娘を一人残して逝くのを不憫に思い、呼び戻したのだろうと皆が思った。
村の皆はアリアの面倒を見るつもりで、亡くなった王には申し訳ないが、こんな得体の知れない男に大事な王女を任せようとは思わなかった。
しかし、彼の連れているメイド姿の美少女と、鎧姿の護衛らしき美少女を見て、村の人間はほぼ全員が意見を180度変える事になった。
「あのダメそうな男には任せられないが、こっちのお嬢さん達なら大丈夫だろう」と……。
◇
「ベロ、トロ、こっちだよー」
「わんわんわん」「きゃんきゃん」
天気の良い庭で小犬達と駆けっこする、水色髪の天使のような少女。
非常に絵になる風景であるが、惜しむらくはその隅っこの木陰で、完全に寝こけているダメ野郎という汚点がある事か……。
先程の村の集会から一貫して、男は暇そうにしている。
一応、肩書きの上では新国王というか、新村長な訳だが、この男が仕事をしている姿を村の誰一人として見た事がない。
日がな一日、アリアの傍にいるだけで、どう頑張っても少女をストーキングする危ない人にしか見えない。お巡りさん、こいつです!
こんな男が新しい長になっても、村がちゃんと回っているのは二人の美少女の働きによるところが大きい。
一人はメイド服姿の赤味がかった金髪美少女。
理性と知性溢れる鋭い美貌の持ち主で、見た目の通り、一切の家政と村の統治を取り纏めている。
掃除、洗濯、炊事を完璧にこなし、村の運営も大臣こと隣家のご老人を顎で……もとい、上手に使って治めている。
もう一人は鎧姿の銀髪美少女。
愛嬌と愛嬌と……あと愛嬌がある、ちょっとおつむが弱いのが珠に瑕だが、全身鎧を着込んだ上に、両手剣を片手で振り回せる膂力が示す通り、戦闘力は申し分ない。
モンスター討伐や野生動物の駆除など、村の防衛力は彼女一人によって格段に上昇した。
「オジサ~ン♪」
何が楽しいのかは分からないが、木陰で寝ている魔王の腹の上に、ボディプレスを仕掛けるアリア。
追い駆けっこをしていた二匹の小犬達もそのまま魔王にじゃれつく。
若干鬱陶しそうにしながらも、一人と二匹の頭を撫でてやる魔王。
「えへへ~」
「走ってもいいし、転んでもいいし、泣いてもいいが、ちゃんと自分の足で立ち上がるんだぞ」
「自分の足で?」
「ああ。出来るな?」
「うん♪」
魔王の問いかけに、嬉しそうに頷くアリア。
何せ、大臣は「もっとお淑やかにして下さい」と口うるさいのだ。
「腕白でもいい、元気に育てよ」という方針の教育は、アリアにとって望むところ。
再度、小犬達との追い駆けっこをはじめます。
「うぅ、酷い目に遭った……」
そこへ、首をさすりながらやってきたのは、集会の席でのお茶目を見咎められた、鎧姿の銀髪美少女だ。
「魔王さま~、ジーナの奴が容赦ありません」
「知らん」
「うわ、バッサリですか?! 慰めてくださいよ~。私頑張りましたよね? ちょっとでも魔王っぽくなるように、頑張ってナレーションしましたよね!?」
「頼んでない」
「うぇ~ん、そんなぁ~」
首尾一貫して寝転がり続ける魔王に縋り付き、力いっぱい揺さぶって甘える女騎士。ユラちゃん派の若い男衆の「爆発しろ!」という心の叫びが聞こえてきそうだ。
「おやめなさい、ユラ」
「いったぁ~ッ?!」
ゴスッ! という鈍い音がしたと思ったら、頭を抱えて転げまわる銀髪美少女ことユラ。
「申し訳ございません、魔王様。どうやら、仕置きが足りなかったようです」
「この程度は些事だ。それに、ユラのおつむは残念仕様。叱るよりもジーナが褒める方があいつには余程堪えるだろう」
「それはそうかもしれませんが……そちらの方がダメージがあると申しましても、あの娘に褒める所が……」
「お前には苦労をかけるな」
「そんな、勿体無いお言葉!? 魔王様の御為とあらば、このジーナいかような事も尽くす所存です」
ふてぶてしく寝転がり続ける魔王に対して跪き、恥らう乙女のように頬を朱に染めるメイド。ジーナ様派の若い男衆の「お願いだから死んでください」という呪詛が聞こえてきそうだ。
「ジーナぁ……今日と言う今日は私も頭にきました……」
「それはこちらの台詞です……魔王様に縋り付いて甘えるなどという羨まけしからぬ所業……」
「「泣いて謝らせますッ!!」」
激突する金と銀の美少女。
一応、アリアに害が及ばぬように抱えて保護するものの、今日も長閑だなー……と眠りこける魔王。
魔王に抱えられながら、二人のお姉ちゃんの戦闘を特等席で観戦するアリア。
今日の晩御飯は何だろう……という態で、二人の戦闘に見向きもしない二匹の小犬。
これが、魔王こと『オジサン』と一緒に暮らすようになってからの、アリアの日常だった。
◇
◇
その日も普段と同じように、お庭で遊ぼうと玄関を出たアリア。
しかし──
「きゃぁーーッ!?」
という幼い少女の悲鳴が村に響き渡る。
何事かとジーナとユラが駆けつけてみると、アリアを背後から抱き上げる大臣こと隣家のご老人がいた。お巡りさん、こいつです!!
「アリア様、お静かに! 手荒な方法で申し訳ありませんが、これも国の御為です!」
「年端もいかない少女を後ろから抱きすくめて、国の為とは面白いですね。大臣?」
「変態だ! 変態だよ、ジーナ! どうしよう?! 斬る? Kill?」
「誰が変態だ、誰が!?」
騒ぎを聞きつけ、村人達も何事かと集まってきました。
「皆も聞け! あの頭のおかしな男はアリア様の叔父などではない! ワシは長年陛下にお仕えしてきたが、陛下にあのような子息はいなかった!!」
大臣の告発にざわめく村人達。
「アリア様。アリア様はあの連中に騙されておるのです。あの男はアリア様と血の繋がりなど欠片ほどもない赤の他人なのです」
「そんな事ないもん! オジサンはオジサンだもん! 私のオジサンだもん!!」
イヤイヤと全身で抗議するアリア。
確かに、古くからこの村で暮らしていた人達には魔王を自称する男の記憶はありません。
それでも、この村は長閑なド田舎で、人の良い人間ばかりが暮らしている事もあって、「アリア様が『オジサン』だと言うのなら、そうなのかな」と考えていました。
「それで、お前はどうしたいのだ?」
「オジサン!」
そんな言葉と共に姿を現す魔王。
魔王に道を譲る二人の美少女。
「そんな事、決まっておる! 貴様らの魔の手からアリア様を救い出し、ワシらの手でアリア様を立派に育てるのじゃ!」
大臣の目に宿っているのは義憤の炎。疚しい気持ちなど一片もありません。
「なるほど。確かにお前の言う通り、俺とアリアに血の繋がりなどない。叔父でもなければ伯父でもない」
「聞いたか、皆の衆!」
魔王の告白にざわつく周囲。
「だがな、アリアの言っている事も真実だ。俺は確かにアリアの『オジサン』だ」
「な、何を世迷い言を?!」
学のある人間など殆どいないド田舎の人間が、魔王の言う事がどういう事なのか一生懸命に考えますが、当然その二つの言が両立する関係など思い至りません。
「まぁ、アリアの人生。最終的に決めるのはアリアだ。アリア、お前はどうしたい?」
「私はオジサンがいい! 私が寂しくて悲しかった時に来てくれた、オジサンと一緒にいるッ!」
寂しくて悲しかった。
その一言にショックを受けた大臣。緩んだ一瞬の隙を突いて大臣の腕を振り解き、魔王に駆け寄るアリア。
「だ、そうだ。どうする?」
必死に魔王の腰にしがみ付くアリア。
唯一の肉親が亡くなったその日。小国とは言え王族の体面を気にし、最後の別れと二人きりにしたのだが……。
まだ七歳の少女にその心遣いは過酷過ぎたのだ……。
「ここで引くと言うのなら、些か詰まらん幕引きではあるが、俺から咎めはせん。……だが、あるのだろう? 今日、この日、この時を選んだ理由が? それを出さずに終わって良いのか?」
そうだ、自分達の、いやさ自分の落ち度は認めざるをえない。
だが、だからと言ってこの男が幼いアリア様の傷心に付け込む事を是認する理由にはならない。
むしろ、今度こそ間違えぬように、この男の魔手からアリア様を取り戻さねばならない!
魔王に挑発されたと気付かず、更に義憤を固める大臣を見て「あーあ……」と哀れむジーナとユラ。
何が出るかなー? と楽しみにしている魔王に対し、大臣はくすんだ首飾りを突きつける。
「……なんだ、その古びた首飾り……うん? この気配は?」
「今でこそ村一つという有様じゃが、かつては神の血を継ぎし大国じゃった! そして、長き歴史の果てに、ワシにもほんの僅かだが王家の血が流れておる!! 見よ、これがワシの、この国の最後の切り札じゃッ!!」
大臣が叫ぶと、古びてくすんだ首飾りから神々しい光が溢れ出し、周囲を白一色に染め上げる。
次の瞬間、周囲に集まっていた村人達が立っていられないほどの圧倒的な存在感を放つモノが顕れた。
「私の名はエクスタシア。愛と美の女神、エクスタシア。我が遠き愛し子よ、私に何用ですか?」
肉感的な肢体を誇り、男を蕩けさせるような美貌を持つ、まさに愛と美の女神と呼ぶに相応しい存在が大臣に微笑み語りかける。
「おぉ……おおッ! 言い伝えは真実じゃった……我が国は神に見守られし国じゃった……女神よ、我らが遠き母よ、今一度貴女様の大いなる愛を以って、我らをお救い下され。我らが王女、アリア様を、あの悪漢どもの魔の手からお救い下されッ!」
ドゥゲーザを披露して女神に頼み込む大臣。
それを酷く落胆した様子で眺める魔王。
「その願い、聞き届けましょう」
「おぉ、それでは」
「丁度、この依代も限界を迎えてきたところ。その娘は神の依代として非常に優れた資質を持っている様子。私の新たな依代としましょう」
「…………は?」
艶然とした微笑を湛えながら、おぞましい事を口走る女神。
「な、何を仰っておられるのですか、女神様……ま、まだまだお若くお美しいお姿ではありませぬか?」
「いいえ。私は愛と美の女神。これ以上依代が老いてしまっては美を損ない、世界中に愛を振りまく事が適いません。そこの娘アリアであれば、多少の無理をして体を成長させても、私の依代として十分に耐えられます。その後、私自らが現界し、貴方達を導き、この田舎村を発展させましょう」
ともすれば、女ですら聞き惚れるほどの艶を見せつけ、アリアを見つめる女神。
完全に怯えて、魔王にしがみ付くアリア。
「な!? そ、そうではありません! 私が望んでいるのはそういう事ではなく!」
「なんですか? いいでしょう、貴方は私の趣味ではありませんが、アリアの肉体を依代とした暁には貴方とも臥所を共にしてあげましょう。あぁ、それとも、幼い姿のままの方がよいですか?」
「んなッ?!」
自分の思惑からどんどんとかけ離れていく事態に、遂に開いた口がふさがらなくなった大臣。
「女神エクスタシアですか……」
「知ってるのか、ジーナ?」
あまりにもバカバカしい展開に、溜息がこぼれるジーナ。
こいつバカだなー……と呆れて見ていたユラが尋ねる。
「本人が言う通り、愛と美の女神ですが、数多の神々と関係を持ち、更には多数の人間とも一夜を共にし、多くの英雄の母となっています。酷い時には、異形のモンスターとも関係を持ちます」
「うぇー……それって……」
「まぁ、愛と美の女神なんて、大抵どこもビッチと相場が決まっている。その証拠に、髪がどピンクだ!」
ジーナの解説した内容に呆れ果てるユラ。トドメに魔王が一方的な偏見で決め付ける。
この場にいるアリア以外の人間が、望む望まずに関わらず神の威に伏している中、平然と会話する魔王達を見咎めるエクスタシア。
「貴方達は何故神を前に頭を垂れないのですか?」
「何故と言われてもねぇ?」
「私がお仕えするのは魔王様ただお一人です」
「当然、魔王たる俺が神に頭を下げる謂れはない」
エクスタシアの問いに三者三様の答えを返す魔王達。
魔王の腰にしがみ付くアリアを見て……。
「あぁ、なるほど。新たな依代を壊さぬ為に、そちらに我が威を向けていなかったからですね。ならば、改めて命じます。跪きなさい、下郎」
その命を聞き、大臣を含む村人達が潰されたカエルのような声を上げて這い蹲るものの、一向に気にしない魔王達。
「な?! 神である私が命じても聞かないなんて、そんなバカな!?」
今までに経験した事のない事態に慌てふためくエクスタシア。
「はぁ……つまらん。せめて、軍神や武神が出てくれば面白かったものを……」
「致し方ありません。魔王様。神の力で大国にのし上がったとは言え、今はこの通り。察するに、依代とした王女や妃の肉体外交で領土を広げたのでしょう。軍神等が庇護していたならば、このような半端な残り方はしていなかったかと」
「あー、だからこんな村一つ分の領土だけ残ったのか。一応、飽きた後もちょっとくらいの庇護は残ってたんだね~」
「所詮はただの色狂いのビッチか。おい、もう飽きたから還っていいぞ。今なら見逃してやる。さっさと失せろ。弱い者虐めを愉しむ趣味はないからな」
女神を捕まえてボロクソな批評をする魔王達。
保護者達の余裕な態度に、安心感を覚えるアリア。
そして、いよいよもって黙っていられなくなった女神は、遂に実力行使に及ぶ。
「黙って聞いていれば好き放題に! 神の怒りを受けるがいい!」
高まる神威。
戦闘向きではないとは言え、腐っても神。
嫉妬した女神が、人間の娘に神罰と称して呪う事も珍しくはない。
「はぁ……ベロ、トロ、ジーナ、ユラ。やれ」
──Woooooooon!
「畏まりました」
「らじゃー♪」
魔王の足元に二つの魔法陣が展開し、中から三つ首の巨大な魔獣ケルベロスと、二つ首の巨大な魔獣オルトロスが遠吠えと共に現れる。
金髪のメイドが返事をすると、背中には蝙蝠のような翼が生え、スカートの中から蜥蜴のような尻尾が生える。世間ではドラゴンメイドと呼ばれる異形だ。
銀髪の騎士の許には、影のような首のない馬が現れ、それに跨ると愛嬌たっぷりの可愛らしい頭を小脇に抱える。これまた、世間ではアンデッドと認識されているデュラハンと呼ばれる存在だ。
「な!?」
エクスタシアの顔が驚愕に染まったその隙に、まずはベロが三つの首から業火を吐き出す。
咄嗟に防御障壁を展開して防ぐものの、その代償に視界が炎に遮られた挙句、障壁にヒビが入る。
「そんな!? 私の障壁にこれほどの負荷がかかるなん」
ベロの攻撃が止み、耐え切ったと安堵した次の瞬間。
ヒビだらけの障壁をトロの首の一つが噛み砕き、更には残ったもう一方の首がエクスタシアに噛み付く。
そして、激痛に喚くエクスタシアを力一杯投げ飛ばすと、その先には既にユラが影のような大剣を構えて待ち受けている。
「でぇぇぇりゃぁぁぁッ!!」
勢いよく真っ直ぐ飛んできた女神を、これまた力一杯掬うように斬り上げ、上空に打ち上げるユラ。
為す術もなく打ち上げられたエクスタシアの目に映ったのは、遥か上空から翼を畳んで急降下してくるジーナの姿だった。
「我等が主の寛大なご処置に感謝なさい」
すれ違う瞬間にそう告げると、自身の攻撃力に落下エネルギーと更に遠心力を加え、自慢の尻尾を叩き付けるジーナ。
当然、エクスタシアにこれを防ぐ事はできず、地面を割るほどの衝撃で大地に叩き落される。
「これで分かっただろ? さっさと神界に還るんだな」
散々攻撃を受けて、衣服も何もかもがボロボロなエクスタシアに、最後通告する魔王。
一応は神の座にあるエクスタシア。
総合的に見ればジーナ達全員を一度に相手にしたところで、負けるはずはないのだが、そこは戦闘に向いていない愛と美の女神。
障壁を破られてしまえば、ご覧の有様である。
だが──
「えぇ、私の負けを認めるわ……だから、神界に還る為に助けて下さらないかしらぁ?」
割れた地面からほうほうの態で這い出す愛と美の女神。
いや、衣服が破れ、肌の露出が増えた上に、傷を負って弱弱しく見える美しい娘の姿は、むしろ雄の獣欲を掻き立てる。
品を作り、媚を売り、色を含んだ声音。一つ一つに自らの持つ権能を行使する。
それ即ち──
「……良いだろう。それで、どうしてほしいんだ?」
『全ての男を魅了する』という愛と美の女神としての権能。
男であればこの通り、目から意思の光を失い、エクスタシアの奴隷と成り果てる。
欠点があるとすれば、四六時中付き纏われる事くらいだが、辛うじてイケ面と呼べなくもないから、傍に侍らせてイケメンをGetするまでの繋ぎとして、相手をする分には良いだろう……という判断の下、魔王を魅了した女神。
何より、女神の目を以ってすれば分かる事だが、あの異様に強力なモンスターどもは全てこの男の支配下にある。
いくら配下が強かろうが、頭であるこの男を私が支配してしまえば、連中に手を出す事は不可能。
その証拠に、連中には諦めの気配が漂っている。
……なんて事をエクスタシアが考えるのも無理はない。
「あはん♪ 嬉しいわぁ♪ それじゃぁ、まずはー、あの化物どもに自害するように命じてー? その後に、そこの小娘を差し出してぇ♪ 勿論、その後はたぁっぷりとお礼してあげるからぁ、愉しみましょう? あ、それとも、貴方もちっちゃいままの方が良いのかしらぁ?」
「そうかそうか。分かった。少し待っていろ」
──ふわり
目を閉じ、悦に浸って思うがままに命じる中、不意にエクスタシアは浮遊感を覚える。
何事かと目を開けると、魔王に胸倉を掴まれて宙吊りにされている。
ついでに、破れた衣服から豊満な胸が丸見えになっている。
そのせいで、エクスタシアは魅了し過ぎたかと勘違いしてしまった。
「えー、なにー? 先に報酬を寄越せって事ー? それとも、痛め付けられた女に興奮し過ぎちゃった? まぁ、たまにはそういうシチュエーションもいいけれど、今は言われた事をさっさと」
「黙れ喋る猥褻物」
「……は?」
エクスタシアの目の前に立つ男は、意思の光を失った目……ではなく、感情が怒りに振り切れた目をしていた。
「お前は存在それ自体がアリアには有害だ。もう口を開くな」
「な?! なんで? なんで私に魅了されていないの!?」
「口を開くなと言った」
一瞬の無重力。
そして、抉り込むように放たれた右の拳がエクスタシアの顔面を捉え、想像を絶する破壊力を以って大地に叩き付けられた。
◇
◇
俺は厭いていた。
力こそが全てという魔界において、俺は最強となり、魔王を名乗った。
魔界最強の座に君臨する王者。それが魔王だ。
だが、俺は君臨すれども統治せず、魔界を放置した。
だって、統治とか面倒臭いし、弱者の理論は正直理解不能だった。
これまでも、統治する者などいなかったのだから、適当に上手く回るだろう……。
それが間違いの元だったのかもしれない。
いつしか、弱者の中から頭角を出した者達が現れ、群れを率い、軍を形成し、国を興し、魔王を名乗り始めた。
この時はワクワクした。
魔界は力こそが全て。
魔王を名乗るのならば、この者達の中から俺が放置した魔界を纏め上げ、やがて俺の場所まで辿り着ける者が出るやもしれない!
そう思い、彼らの勢力拡大を楽しみにしていた。
やがて時は過ぎ、拡大し続ける数多の勢力は邂逅の時を迎える。
当然、自分こそが魔界の頂点だと思っている彼らはぶつかり合うだろうが、何、それも数多の集団が一つに纏まるには必要な過程だろう。
……それから、長い長い時が過ぎた……。
俺の期待は見事に裏切られ、数多の小集団は、幾多の大軍団程度までにしか纏まらなかった。
残った集団はそれぞれが魔王を名乗り、魔界の覇を競い合ってはいるが、そのどれもが小競り合いに終始する有様。
まるで醜く肥え太った豚だ。
だが待てよ?
弱者も群れれば数の力を発揮する。
もしかしたら、このままでも十分俺を愉しませ、それどころか討ち取れる者がいるやもしれん。
そう思い、俺は残っている集団の中でも、最も大きな集団に単身殴り込みをかけた。
……まぁ、結果は散々だった。
ドラゴンロード率いる竜の国は真っ向から俺とぶつかり、ドラゴンロードは俺のグーパン一発で戦闘不能になった。
あまりにも弱かったので、兵隊の一人たりとて命は奪わなかったのだが、最強と目されていたドラゴンロードが当時無名の俺に倒された事で、色々と騒ぎになった。
まぁ、これで最強王者決定戦が加速するもよし、全ての勢力が手を結んで俺の排除にかかるもよし。
どちらに転んでも俺に利がある展開となった! ……と思った。
…………当然、そうはならなかった。
その後の魔界は、弱者がより弱い者を見つけては、憂さ晴らしをするかのように痛め付けるだけの世界と成り果てた。
俺という脅威を前にして、自己の研鑽でも他者との協力でもなく、奪う奪われるの小競り合い。
まるで意味が分からない。
強者を打ち倒す事こそが享楽ではないのか?
力こそが全てではないのか?
何故不必要なまでに弱者を狩るのだ?
生きる為に弱き者を糧とするならば頷けよう。
だが、肥え太る為に弱者を食い漁って何とする?
そこに何の利があるのだ?
何時から魔界はこんな紛い物が蔓延るようになったのだ?
それからの俺は、魔界中を駆け回り、全ての勢力を一度は殴り倒していった。
ここに貴様等が狩る事を愉悦とすべき強者がいると知らしめる為に。
だが、その全てが徒労に終わった。
あぁ、いや、ジーナやユラといった見所のある者もいたので、全てとは言わぬか……。
だが、それでも俺は魔界の有様に厭いていた。
そんなある日、地上から強烈な負の魔力を感じた。
俺は震え上がった。
これほどの負の魔力を出せる者が地上にいるとは!
この者ならば、俺を愉しませるに十分なはずだと、魔力を辿って急いで地上に現界した。
「ふははははは! さぁ、この俺を愉しませる強者は誰だッ!」
「ふぇ?」
……そこにいたのは、老人の亡骸を前に、悲嘆にくれていた幼い娘だった。
当然、俺はorzな感じになった……。
魔王を名乗ってから、初めて膝を着いた瞬間であった。
「オジサン、誰?」
しかも、オジサン呼ばわりされて、精神的ダメージまで負わされた。
その瞬間、俺の魂が焼き出された。
しまったと気付いた時には遅かった。
この娘の魔力を辿って現界し、ダメージを負わされた上に名前まで付けられた。
魔界の住人との契約が成立するには十分な条件が揃ってしまった。
そう、生まれた時から名前がなく、名はなくても唯一無二の魔王となる事で自己を確立していた俺は、この瞬間『オジサン』というとんでもない名前をこの娘、アリアに付けられてしまったのだ……。泣きたい。
その後、流石に物を知らぬ小娘との対等な契約を結び続けるなどという、弱者を食い物にするような関係になる訳にもいかず、アリアの方からいつでも一方的に契約を解除できるテイム状態へと下方修正した。
世界で初めて本物の魔王をテイムした人間の誕生だ。
まぁ、長くてもアリアが寿命で死ぬまでの100年程度だ。
それまでなら、暇潰しに地上でアリアの保護者代わりに暮らすのも良いだろう……。
◇
◇
「魔王様。女神エクスタシアを魔界に放り込んでおきました」
今日も今日とて、庭でごろ寝を決め込む魔王。
その近くでは、小犬の姿でアリアと追い駆けっこに興じながら護衛をするベロとトロ。
そこへ、簀巻きにした女神を魔界に放逐したと報告しに来たジーナ。
「そうか。ご苦労」
「いえ。それより、よろしかったのですか?」
「あぁ、構わん構わん。あれなら、女神をやるよりも、淫魔の王でもやってる方が相応しいだろう。案外、他の自称魔王を誑し込んで、魔界を統一できるかもな」
「そして、派手に一戦交える訳ですね?」
「まー、期待はしていないがな」
あの後、どでかいクレーターを作り上げたものの、幸か不幸か村人達はビッチ女神の神威に気圧され全員が気絶しており、魔王達の正体を知る者はいなかった。
更に、気絶しているのをいい事に、村人達の記憶を改竄。
現れた女神は魔王達の身分を保証し、神界へ還った事となった。
クレーターも、女神現界の証拠として残される事となったが、国王宅の眼前にある為、「正直邪魔だから埋めようぜ?」という意見も多い。
大臣は自分がやらかした一件なので、何とか残す方向で村人達を説得して回っている。
まぁ、どうなるかは見ものだ。
こんな感じで、概ね以前と変わりなく過ごしている。
まぁ、今後、愛と美の女神を魔界に墜とされた神界がどういう行動に出るかは分からないが、喧嘩を売ってくれるならむしろ望むところであった。
「オジサ~ン♪」
今日も今日とて、可愛らしい笑顔で魔王にボディプレスを決めるアリア。
「だーい好き♪」
ごろごろと甘える子猫のようである。
「おう、ありがとうよ」
まぁ、こういう退屈さなら、アリかと思う魔王は、アリアの頭を撫でてあやす。
「えへへ~♪」
頭を撫でられて、ご機嫌なアリア。
それを微笑ましく眺めるジーナとベロとトロ。
実に平和である。
「ちょっと?! 私は!?」
平和ったら平和である。
拙い作品にお付き合いくださり、ありがとうございました。