終わりと、始まり
「母さん、ここにご飯置いとくね。」
「・・・・」
コトリと、準備した朝食を机に置く音が響く。
私の声に母は返事を返さない。
その事を悲しく思いながらも、学校に行く時間が迫っていたので、私は静かにリビングから出て行った。
部屋へと戻りスクールバッグを肩に掛け、部屋に1つだけあるクローゼットの姿見で身だしなみを確認する。
「よし」
そしてカレンダーを見て、ため息を吐いた。
11月15日。今日は自分の16才の誕生日だが、祝ってくれる者は誰も居ない。
そう。
リビングにいる、母でさえ。
「・・・・・っ」
一気に暗くなってしまった自分の気持ちを上げるように、ニッコリと鏡の中の自分に笑いかける。
(大丈夫。母さんも、いつか)
胸に秘めた、小さな願い。
それが今年こそ叶う事を願いながら、学校へと先を急ぐのであった。
「ふうっ。やっと、終わった」
時は放課後。窓から射す光は橙色に染まりつつあった。
6時限目も終わりHR後帰ろうとした時に、先生に仕事を頼まれてしまった。
それがやっとの事で終わって、カバンに荷物を詰めていた時だった。
『ピリリッ、ピリリ』
「・・・っ!」
突然メールの受信を告げる音が静かな教室に鳴り響き、ビクリと体を震わせる。
誰なのかと、メールを開いてみる。
「母さん・・・?」
アドレス欄には―今までメールをくれた事の無かった、母のアドレスが。
内容は、『貴方が帰ったら、出かけるわ。早く、家に帰ってきなさい。』と2行と短め。
しかしそれでも。「・・・母さんからの、初めてのメール」
私に携帯を渡してから、一度もくれなかったメール。
それが自分の誕生日に、初めてくれるとは。
ただそれだけの事なのに、何か特別なことに感じてしまう。
(早く帰ろう。母さんが待っててくれてるんだ!!)
嬉しさを胸に募らせ、足早に家の道を駆けるように帰って行った。
「母さん、ただいま!」
玄関を開け、一番にそう言った。
「・・・帰ったの。―出かけるわよ、来なさい」
私を迎えた母は、「おかえり」とは言ってくれなった。私が帰ったのを確認し、メールにあった通りの事を言う。
「う、ん・・・分かった。じゃあ、荷物置いて」
「そんなもの、いいわ。・・・早く来なさい」
そんな私の言いかけた言葉を遮り、苛立ちを見せる。
「・・・ごめんなさい」小さく謝罪し、これ以上母を怒らせないよう、カバンはそのまま玄関口へと置いた。
母が行くまま、着いて行くと家の駐車場にたどり着く。
そこには母が仕事で使う、白い軽自動車が停めてあった。
「・・・乗って」
短く言い、自分は素早く車へと乗り込む。
「ねぇ、何処行くの?」
そう問いかけたが、母は口を噤んだままエンジンをかける。
やがてゆっくりと車は動き出した。
車内から外の景色を見ていると、見覚えのある景色が見え始める。
(あれ、ここって・・・)
いつだったか、一度だけ小さい時に両親と共に訪れた事のある場所。
ちらりと母を盗み見る。その表情には、何も浮かんでない。
(・・・何で、母さん)
今日この場所に訪れる母の真意が分からないまま、車は目的地へと到着した。
車から降りると、母は振り返らずに着いて来いとでも言うように歩いて行く。
母の後ろを着いて行くうち、脳裏によぎった微かな記憶の断片。
私はここへ来た事がある。幼い頃に、ただ一度だけ。
車の中では来た事しか思い出せなかったが、少しずつ、その記憶は長い眠りから醒める様に頭の中で形を成してゆく。
『あなたの所為よ』
『あなたが居なければ』
(・・・っ!!?)
脳内で再生される【声】につい足が止まる。
気が付くと母も立ち止まっていた。
その場に立ち尽くす母の視線は、何処か遠くを見つめていて―心が此処には無い様に見えた。
「・・・・ここに、来た事があるでしょう?」
不意に母が口を開く。
その言葉は質問してるにも関わらず、私が此処へ来た事があると分かっている口調だった。
「・・・う、ん」私は頷く事しか出来なかった。
それはこっちを見た母の目が、「憎悪」に染まっていたから。
「かあ、さん?」
私の口から震えた声が出る。
「『かあさん』?・・・そんな風に呼ばないでくれる?」
吐き捨てるように、顔を歪めながらなおも睨みつけてくる母。
「あなたの、あなたの所為で私はあの人から捨てられた。あなたが、『生まれた所為で』」
「・・・・っ。」
何故?母は私を、恨んでいるの?
「分からない、って顔してるのね。本当に、忌々しいわ」
一歩、母が私に近づく。
「あの人は、子どもなんて欲してなかった。なのに、あなたが生まれた」
「最初は、上手くいってたのよ。毎日が楽しくて、幸せで。それが崩れた」
「あの人は、あなたが生まれると、離れて行ってしまった。―お前が、私の幸せを奪ったのよ」
あの人とは、私の父親の事?
私が生まれて、何処かに行ってしまった?
小さな頃から、思ってた。「何故自分には父が居ないのだろう」、と。
それが、私の所為。今初めて知らされた事実に、愕然とする。
いや。
初めてではない。もっと前に、私。
(・・・あぁ、そうだ。私はここで)
本当に小さな頃だった。
『お前なんて生まなければよかった!!』そう母に言われてそして―首を絞められた。
自分の頬を冷たい雫が伝う。
(かあさんは、ずっと。私を疎んでいた。そんな私が、かあさんに『笑って』もらえる訳が無かったんだ)
ずっと、ずっと願っていた。いつか、母が自分に『笑いかけて』くれたらと。
好かれようと、家では友達と遊ばずに家事をこなし、学校ではいい成績を取ろうと頑張った。
そんな事をしても叶うはずが無い。だって母は私に。
「ずっと、死んでほしかった?」
カクリと膝から力が抜ける。
「えぇ。だから、死んでちょうだい」
母が近づいてくる。
私が座り込んだ場所は、海へ突き出した展望場所。柵も無く、開けたその場所は一歩踏み出せば海へと落ちる。
すぐ後ろには、底の見えない水面が波打っている。
首に手をかけられる。その指が、ゆっくりと絞まっていって、私は抵抗もせずにただ受け入れた。
「やっと、終わるわ。これで、あの人が」
母の言葉を聞き終わらない内に、私の体は海の上へと投げ出される。
一瞬で海面へと到達し、体が直ぐに水の中へと呑み込まれる。
(苦しい、苦しい。息が、『心』が)
私の、人生は、何だった?
母に疎まれているとも知らず、いっそ滑稽な程に好かれようと頑張って。全て、母のためで、自分自身には何も無い?
(全部、全部。無駄だった?)
16年間過ごしてきた日々が、まるで走馬灯のように駆け巡る。イヤだ、まだ死にたくなんてない。まだ、何もしていない。
(何もしてないんだ。だからこそ)
生きたい。
母のためではなく、今度こそ自分の人生を。
絡みつく海水から逃れようと、必死に手足を動かす。口からはゴボゴボと空気の泡が漏れ出て、酸素が無くなり意識が遠のきかける。それでも無我夢中でもがく。
しかしその必死の思いとは裏腹に、無常にも体はどんどん水底へ沈んでいく。
『私を生かして』
しかしその願いが口にされる前に、少女の体から力が抜けた。水上へと上がる力を失った体は、静かに海の底へと落ちてゆく。
あとわずかで、光も届かぬ海の闇へと消えようとしたその少女の体が、突如淡い輝きを放ち始める。
その輝きはやがて少女の体を覆いつくし、暗い水中から少女の細い体を連れ去った。ただ一つの光の塊となって、何処かへ消えた。
そしてこの瞬間から。少女、『北見涼香』は魂も、体も。
この『世界』から消え失せた。
*****
目が覚めると、そこは白い空間だった。
床も、天井も、全てが真っ白で加えて何にも無い、そんな空間。
ここは天国だろうか。ならば結局、私は死んでしまったのか。
あの人が、母が願ったとおりに。
何にも、出来ないまま。
「生き、たかったなぁ。私まだ何もしてないのに」
パタリ、パタリと。
死んでいるはずなのに、真っ白な床には次々と透明な滴が落ちていく。
ポロポロと出てくるのは、なにも後悔の言葉ばかりではなかった。
そうして泣き続けていると、ふと目の前に誰かが降り立つ気配がした。
「生きたいのね、あなたは」
誰だか分からなかったし、そもそも怪しすぎる。
それが分かっていても。自分は答えを返さずにはいられなかった。
「生き、たい。私はまだ、何もしていない。このまま終わるのは、イヤだ」
母の目を気にして、愛想笑いばかり浮かべて、自分を押し殺して。
そんなまま終わりたくなどない。
「分かったわ。あなたが生きたいと、そう望むのなら、次の生をあげる」
耳を疑い、思わず俯いていた頭を上げそうになった。
しかしそれを目の前の不思議な存在に制される。
どうやら自分の姿を見られたくないようだ。
「そのままで聞いて。あなたは、次の生を望むのね?転生した先で、どんな困難があろうとも」
困難?そんなもの、望む所だ。
「私は、もう一度生きたいんです。何があったって良い。今度こそ、自分らしく生きることが叶うのならば」
私の決意を込めた言葉が真実だと分かったのだろう。
スッと、光を帯びた掌を差し出された。
「じゃあ、この手を取って。そうすれば、次に目を開いた時には、世界は変わっているわ」
迷うことなく、差し出された手に自らの手をのせる。
すると光が体を包んでいって、間もなくそこに存在していた『私』は音も無く消えた。
*****
真っ白な空間に残された光りを帯びる手の主は、少女が転生先へ旅立っていくのを見ていた。
そして願いを口にする。
自らが叶える事の出来ない、願いを。
「どうか、あの子を。あの方を助けて。そして今度こそ、幸せになってね」
(私はあなたであり、あなたは私なのだから。私はもうあの人の傍には行けないの。だから代わりにあなたが支えてあげてちょうだい)
願いを口にして満足したのだろうか。
少女と同じく、その場から淡い光となって消えていった。
小説を自分で書いていて、他の作者の方の凄さを実感しました。長すぎず、短すぎない読みやすい。私は1話目から長くなりました。読んでいて疲れるよね、そう思われた方。それ間違いじゃないです、あってます。こんな長い感じで今後も書いていきます。
でもここまで読んでくださった方に感謝を。
ありがとうございました。