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例えばの話

作者: 唯人

 他人にとってはそれほどでもないことでも、当人にしてみれば酷く印象に残り、後の生き方に影響を与えることがある。例えば、私は小さい頃に学校の窓ガラスを割ったことがある。小学生低学年の頃だ。昼休みに私は一人で花壇の様子を見ていた。まだ青いミニトマトの野性的な匂いや、私たちと同じように一生懸命に背を伸ばそうとする向日葵の元気の良さを、理論的な考えはなしに、一種の象徴として胸の中を尊厳的な気持ちで一杯にしていた。花壇の植物と自分を同一化させ、身体と精神の向上の芽を育てさせた。呆然、ともとれる私は、足元にボールが来ていることに気付かなかった。苛立たしげな荒っぽい声で「おい、ボールとってくれったら」と催促がくる。体をビクッと震わせ、私はボールより少年達を見やる。物事が順調に運ばないことに素直に不平不満をぶつけるその姿、そしてその対象となった私がいる。混乱、あるいは焦燥、そういった類の気持ちが私の体の中を駆け巡り、痙攣したようにヒッと息を呑む。何もなしに、涙が込み上げる気がした。私は「早くしろよ」との言葉に暴力性を感じ、目を強く瞑り体全体を使い、この世の全ての理不尽を突き飛ばす思いでボールを投げた。

 

 問題はどこにあるというのだろう。児童である、という点を見るのだろうか。あるいは、少年達の粗暴な態度に注目するべきだろうか、特殊な人間にすれば、ボールや花壇に重要な物事が隠されているのかもしれない。

 とはいえ、そこにあるのは決まっている。

 私は、窓ガラスを割った。

 それが一種の能動性によるものであったにしろ、明確な事実は変わらず、いくら誰かが「それはしょうがないことだよ」とか「君はさほど悪くない」と言っても、私の中に生まれた罪悪感、行き場の無い怒りと悲しみ、そういったものは確実に、後に残るほどに心に刻まれるのだ。

 さて、これが全人類普遍の意識形成であるかは別として、私自身がこういった思いに囚われる、ということを知っていて欲しい。

 記憶は、先の窓ガラス事件より少し後のことになる。

 窓ガラスの事件以降、私はクラスの人間から虐めを受けることになる。生来の容姿がそれを助長させたのかもしれない。なんにせよ、一人の人間の精神に暗い影が射すのは当然といえた。容姿という変えがたい物に対し、幼くとも絶望や苛立ちを覚える。

 父とお風呂に入っていた。クラスの男子とは違い、私に優しく、可愛がってくれる男性というのは、救いともいえた。私は父のことが大好きで、よく一緒にお風呂に入り、一緒のベッドで寝ることもあった。

 時折感じる違和感。それを私は一生懸命に排斥した。

 浴槽の中、私は父に包まれている状態の幸せを感じる。上せ気味の頭で、私は無垢にも腰に当たるものを握り、「これ何?」と父を振り返った。

 父の目はぎらついていた。頭も洗顔も一緒にしていたはずなのに、どこか油っぽさを感じる。

「さわってみな」

 その目は少年達を連想させた。思い通りにいかなければ暴力を振るうぞ。そういっているように私には思え、否定の色の濃いであろう強張る顔を見せないため、私は父の局部に目をおろす。それはグロテスクだけど、父の顔を見ているよりは幾分、マシだった。

 客観的事実として、醜いと言われる私でも、幼い頃には愛嬌もあるし、あるいはそれ以上に娘というものが、父を興奮させたのかもしれない。

 嫌悪、好奇心、安堵感、嫌われたくない思い。優先順位はつかないし、取捨選択もできない。様々な思いを並列させて持ち、曖昧なまま結局は現状を維持する。

 そうして、こういった関係は、小学校を卒業する直前まで続く。

 その間、私は父が姉にも手を出していることを知った。

 姉はその行為を頑なに拒んでいた。

時折、父の行為を享受している私に対して侮蔑とも思える目線を投げかけてきた。

ある時ははっきりと口に出していわれた。

「あなたがアイツのすることを許しているから、調子にのって私を諦めないんだ」

 幼い私には、その言葉をどう受け取り、そこからどう行動すれば良いかなんてわからなかった。結果として、父はいつの間にか私に対して行為を及ばなくなったが、私が明確に意思を提示したわけではなく、順調な姉妹関係を築けた今でも、姉は私を異生物と接するような態度を取ることがあった。

 行為を受けなくなってから久しく、私は、窓ガラスの時と同じように、父のこういった行為が私に何を与えたのか、考えるようになった。

 私の中の他人はこう言う。

「そんなことは気にするな。窓ガラスの時のように、君しかその記憶を悪いものとして考えていないはずだ」

「聞いてみればいい。窓ガラスを割ったことを覚えているか、と。聞かれた誰かは一瞬考えた後、笑いながら、そんなこともあったね、と懐かしむように言うはずだ」

「同じように、君の父親もたいした事とは考えていない。いいか、どちらかといえば、被害者はきみかも知れないが、当事者は父なんだ。君は割られたガラスだ。いつの間にか新しいガラスとなっている。君は新しいガラスとして、その役割を果たしていけばいい」

 とても社会的な考えだ。過去に囚われてはいけない。教訓とし、引き摺らず、これからのことを考えて生きてく。恥や外聞は多少で良い。この情報過多の時代、君のことも、君の考えていることも、誰も考えてはいないのだ。悩むだけ無駄なのだ。

 そうなのだろう、と私は思う。社会に生きる私にとって、それが正しい道だ。

 とはいえ、私の精神は社会には組み込まれていないのだ。組み込まれているのは体だけで、他の部分は適応できないのだ。

 いつか壊れる。いつしか出会う事実として、私はその思いを持ち続けた。


 学校は嫌いだった。

 勉強に意味を見出せず、見出す必要もないけど勉強をするという気概もなく、勉強をするという気概のなさは学校への意欲を失わせ、けれども私の社会的な体は、精神を無視して学校へと向かわせる。もっぱら、授業中は自分の趣味へと私を走らせた。絵を描くのは好きだった。

 全ては父のせいだ、と中学時代の私は、自然とそう思うようになってきた。遺伝的な部分もさることながら、意識的な面にしても、性知識の増えた私は、あの風呂での行為をレイプに近いものと考え、精神を荒廃させた原因として位置づけた。もちろん、理由は他にも多々ある。容姿に関するコンプレックス。小学の時に受けた虐め。そういったものから生まれた異端的意識から発する奇異とも取れる行為。その行為に侮蔑的、嘲笑的な視線。そして疎外感。それはさらに私を異端者に仕立て上げ、特殊な優越感を持たせると同時に、普通の人々に対する羨望と、羨望を抱える自分へと苛立ち。

 悪循環の人間。自分を表現するのにそれが適しているように思えた。

 それをそのまま自分に当てはめるのは酷い苦痛だ。

 そこで、父を根源的な悪にした。

 解放感に近かった。全てを父のせいにすれば全てが解決された気になった。と、同時に父へ対する嫌悪感は極大までに膨らんだ。

 狂っている。腐っている。まして、よくネットでも取り上げられる最低な警察機構に所属している。間違いない。そんな父に私は狂わされた。

 いつか、私は父を殺すだろう。いつか壊れる、昔から抱いていた思いは、きっとそういった形で成就するだろう。

 

 父が母のことをどう思っているかは知らない。けれど、他の女性に目を奪われているのは知っている。

 学校の帰り道。私のことをよくからかう女子達が、珍しく小道を歩いていた。そこはよく私が通る道だった。どけよ、と大声で言いたい気持ちを抑えて、俯きながら距離を取って歩いていた。こちらに気付かれないように、ちらちらと彼女達を窺っていると、煙草を吸っているのがわかった。風によって臭いがこちらまで流れてきていた。父に言いつけてやる、と考えると、小さな嫌悪感は生まれたが、それ以上の優越感を覚えた。

 パトカーが私の脇を通り抜けた。父だ。中を見ることはできなかったが、すぐにそう気付いた。私には気付かない。女子達はパトカーに気付かない。成り行きを見守っていると、パトカーから降りてきたのはやはり父で、女子達は一瞬逃げる素振りを見せたが、諦めたようだった。父の明朗な声が聞こえ、私はにやつく顔を抑えきれず、物陰に隠れて様子を見続ける。休学か、退学か。なにしろ、学校に行くのが楽になる。女子達の必死の言葉が私を一層うきうきとさせた。弁解しても無駄だ。煙草を吸っていたのは事実なのだ。事実には相当の報いが科せられる。

 様子がおかしかった。父を見ると、何も言わずにじっくりと女子の体を一人一人見回し、また女子達は何かを相談するように顔を見合わせていた。父が女子達の一人に人差し指を向けた。その集団で一番可愛らしい子だ。彼女は体を震わせたが、周りの女子は助かった、といった表情をしている。

 囃し立て、肩や背中をぽんぽんと叩きながら、女子達はその場を後にする。父が後部座席に女子を乗せ、そして何事もなかったかのようにパトカーは発進した。

私は勘が鋭いほうだった。

 あのときのお風呂場が脳裏を過ぎる。嫌がる姉の姿を思い出す。

 吐き気がした。父の局部を思い出す。浅黒く、醜い。

 私は帰りにホームセンターにより、手斧を買う。店員は流れ作業のように処理をする。きっと、この店員は煙草を買っても、親に頼まれたのだろう。と考えて売るに違いない。そんなことを考えながら、私は鞄に手斧をしまった。


 月の綺麗な深夜。

 父は何食わぬ顔で食事を取り、風呂に入り、そしてテレビを少し見た後、普段どおりに眠りにすいた。

 私は自室で、ベッドの下に隠しておいた手斧を取り出す。少し自分の肌に押し付ける。

 冷たい鉄の感触と、背中の冷や汗。

 引けば皮膚が裂け、血がにじみ出るだろう。押し付けるだけではきれないのだ。とりあえず、勢いよく振り下ろそう。

 耳をそばだてる。物音はしない。かすかに、車の走行音が聞こえるのみだ。

 緊張のせいか、お腹の辺りが苦しい。息を細く、長く、吐き出す。

 いいのだろうか。よくはない。ではなぜ? そうしないといけなから。他に方法があるんじゃないの? 私にはわからない。そう決めたのだ。もう何もいらない。何も望まない。別に法律とか、刑罰とか、倫理や道徳なんて関係ない。私は、原始時代として、この行為に及ぶのだ。国家や、法や、警察のいない時代として、ただの行為としてこの行為に及ぶ。

 父は眠っていた。気付かれたならそれで良い、なぜか思った。自室から出た時点で、全ての気持ちは決している。廊下も普通に歩き、扉も普通に開けた。起きたならそれはそれで良い。 むしろ、止めて欲しいという思いさえもわきあがってきた。

 とはいえ、寝ている。残念だ。

 父の寝ている姿は醜かった。もう少し綺麗な寝方があるだろう。そんなどうでも良いことを考えながら、私は斧を振り上げた。


 初投稿作品には適さない気がするタイムリーな作品。

 とはいえ、事実関係に関してほぼ何も知らない状態なので、純粋なフィクションの作品として考えてもらって良いと思います。

 心理描写や精神形成に影響を与えた出来事は、作者らしさ、というものが99%をしめています。

 面白い、と少しでも感じ取っていただけるのなら、僥倖。


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