【その1】 非日常の風景
早朝。
障子越しに伸びる、淡い春の光が闇をはらい、俺の眠りを覚ます。
「おはよう、妖精さん」
上体を起こし、目にかかって少しうっとおしくなってきた前髪をかきあげると、俺は腕の中の妖精さんに語りかけた。次いで、ぐるりと部屋を見回し、好き勝手に散らばっている、他の妖精さんを確認。
今日も変わりなく、俺の狭い部屋で描かれる非日常。
「妖精?……どう見てもキモカワ物体だろ」
ガラリッと襖が開かれた。
挨拶もなく、中学の制服姿の従兄弟が、ズカズカ入って来る。
スカイブルーの涼やかな瞳と、陽だまりのように輝くふわりとした金の髪に、見る者の息を止める端整な顔立ちは、さながら、おとぎの国の王子様……しかしその実態は、こうるさい生意気なマセガキだった。
清清しい一日のはじまりには、顔を合わせたくない相手だ。
「勝手に入って来るなよ、カルラ」
俺は幾度となく繰り返されたセリフを、溜息と一緒に苛立ち紛れに吐き捨てた。
「それに、キモカワ禁止な。デリケートな妖精さんが気に病んで、ストレスハゲでもできたら可哀想だろ」
「そのピンクのサボテンにハゲ? むしろキモカワ倍増で、感謝してほしいね」
カルラの物言いは、何かバカにされているようで、怒りが沸いてくる。
しかし、朝から中学生相手に口喧嘩もないだろう……怒り鎮火。
「大学生にもなって、そんなキモいサボテンと添い寝なんて……叔母さん泣くぜ」
こら、キモいだけになってるぞ……。再着火。
俺は言わなくてもいい口火を切る。
「色欲に溺れてる息子よりは、健全だろ」
「美しいものに惹かれるのは、いたって健全だよ。でも、アスラの美的センスが選んだ結果は‘それ’なんでしょ」
さらに、見下したスマイルで燃料投下。
ついに俺の脳内大爆発。
「あれ?! サボテン膨らんでる?! アスラ、ちょ、ストップッ!!!」
慌てるカルラが見えたと思った途端……視界がピンクに早変わり?!
「ミヨ、ごめん。アスラ暴走しちゃった」
「んもう、分かってやってるでしょっ! アスラ様、毎度ごめんなさい。急速冷凍しますね!」
突然、部屋に侵入してきた少女の声と同時に、凍てついた空気が俺を飲み込んでいった。
俺の怒りに同調して、膨張し出した妖精さんを鎮める為に、冷気が俺の意識を停止させていく……
……確かにね。中坊相手にマジ怒りな俺が、人間小なのは認めますよ。
でもね、ガチガチの冷凍マグロにされるのは……正直、寿命がざっくりやられます。
◇ ◇ ◇ ◇
「どうですか~ 解凍具合は?」
まだ意識の混濁する俺に、くるくる巻き毛の美女が微笑みかける。
純白のワンピ-スが眩しい。
「……危うく凍死だよ。リノ、ありがとう」
「大げさだなあ。ミヨのは精神作用の力ですよ。体にダメージありませんよぉ」
けらけらと明るい笑い声。
いやいやいや。悪夢みて死んじゃうこともあるって聞きかじった俺は、精神攻撃を甘くみないよ。
「でも、ずっと放置されてたら、ずっと俺は冷凍マグロ化なわけだろ」
想像したくはないが。
「う~ん。それでは~ 次回試してみましょうか。もしも~ 命に別状ありでも、そこは恨みっこなしで」
待て、俺そんなのリクエストしてないから。
「3時間パックぐらいがお勧めですよお。放置場所はどこにしましょうか?」
おお~い、頼むから、これ以上話をひろげないでくれ。
「リノ、アスラ様がお困りよ」
ほっとして振り返ると、戸口に立っていたのはミヨ……その黒目が際立った瞳にぶつかった。
すると、ミヨは俺の視線を外し、伏せ目がちにうつむいてしまう。彼女の足元までまっすぐに届く黒髪が、純白のワンピ-スの影で微かに揺れていた。
「あの…急を要すとはいっても、御不快な思いをさせてしまって、ごめんなさい」
「いや、ミヨは悪くないよ。あの子が膨らんで破裂する方が悲惨だから」
「ですよね~。大惨事ですよね~」
一同沈黙。
◇ ◇ ◇ ◇
俺の一日の始まりは、こうしいて騒々しく明けていく。
小生意気な子供に振り回され、妖精さんは膨張。冷凍マグロ化の暗示をかけられたり、解かれたりで、寿命がダメージを受ける。
いつしか、俺の日常は、非日常が日常になり……?
非日常であることに、何か意味はあるのだろうか?
俺はその答えに、いまだ辿り着いていない。