やきそヴァ 劇物指定
「兄ぃ。なんか騒がしいよ」
風画と進矢が追いかけっこをしている、ちょうどその時の事である。校舎裏のイチョウの木の下で、二人の男子生徒がまどろんでいた。片方は小柄で人懐っこそうな顔つきの男。もう片方は、贅肉ででっぷりとした体系で、首と肩との境界線がはっきりしない。髪は無く、いわゆるスキンヘッドであり、遠目からは制服を着たダルマに見えなくもなかった。
「うるさい。そんなことより、もっと別の買って来い」
「それ無理だよお。もう売り切れとる」
「この……」
小柄な男は、どこの方言とも取れない奇妙な口調だった。彼の名は石原一輝といい、この学校の二年生である。金髪をオールバックにしており、なんとも田舎のヤンキー臭くてしょうがない。槍牙のとは違い、まるで品が無かった。入学当初からスキンヘッドの事を『兄ぃ』と呼んで慕い、彼の忠実な部下として今に至る。
一方スキンヘッドの方は、名を真鶴勝三という。全身に脂肪がまとわりつき、顔に至っては常にあぶらぎっている。傍目からは、縦の長さよりも横幅の方がいくぶん長いと見えなくもない。肉まんと言っても、強ち間違いではなかろう。ちなみに二人の間には、先程一輝の買ってきた劇物指定の物体が手つかずのままで置かれていた。
そのおり、彼らのいる所の頭上――校舎の四階辺りから二人の男の叫び声が聞こえた。
「んん?」
勝三は木により掛かったまま上を向き、声のした方向を何気なく眺める。と、その時、彼の視界は茶色く細長い物で埋め尽くされた。
「わあ。兄ぃ」
一輝が勝三の状況に驚き叫んだ。
あろう事か。風画の手から放たれたやきそばパンは、勝三の顔面に着陸したのだ。
「うおおおぉぉぉ!」
直後、凄まじい怒号が響く。地上四階の校舎の窓から、次なる落下物である。落下というよりは、校舎の外壁を地面に向かって疾駆しているようであった。二階の壁に差し掛かった辺りで強く壁を蹴り、イチョウの木に突っ込む。枝を乱雑にへし折り、いくつもの葉を撒き散らしてそれは止まった。
木の根本には、大量の枝葉の残骸と、やきそばパンを顔でキャッチした勝三。そして、その場の光景に唖然とする一輝だけがいた。
「おい。ちょっとそこどけ」
頭上の木の中から声がした。どうやら、ぼんやりと立ち尽くす一輝に向かってのものだろう。
「あ、あい」
一輝は得体の知れない声に戸惑いながらも、素直にそれに応じた。
「よっと」
一番太い枝にぶら下がり、地面に対し直立の姿勢を取ってから、それは地面に降り立つ。校舎の四階からダイブし、イチョウの木から舞い降りたのは、他でもない白狼風画であった。
「オレのやきそヴァ!」
地面に降り立つや否や、彼は辺りを見回して標的を探る。その眼光たるや、正しく飢えた狼そのものだった。
「おっ。あったあった」
風画は獲物を見つけた。それは勝三の顔に、やきそばの面を密着させる形で鎮座していた。
「ふひー。危うく全てがムダになるとこだった。終了直前にスリーで逆転された気分だ」
バスケット経験があるものにしか解らないようなネタをぼやきつつ、勝三の顔の上に乗っているやきそばパンを回収する。
「よしよし。やっと出会えた。感動の再会だ。ちょっとあぶらっぽさが増してる気がするけど、まあ良いか」
回収したやきそばパンをじっと眺めてから、彼はそうぼやく。全身脂肪、といっても間違いではない勝三の顔面に触れたやきそばパンは、普通(この場合、普通と呼ぶことは相応しくない)のやきそばパンよりも多少あぶらぎっているように見えた。
「さてさて、それでは憎きAV野郎も消えた事だし、木陰でゆっくりと……」
風画はそう言って、大口を開けてやきそばパンを受け入れる。口に入れた時、覚悟はしていたがあぶらっぽかった。しかし、気にすることなく食べ進める。進矢との攻防もあってか、みるみる内に半分は彼の胃袋へと消える。
そのおり、勝三が動いた。遠くから見れば、観光地のオブジェが動いたように見えたかも知れない。
「おい、白狼!」
「!」
勝三に名を呼ばれ、風画は勝三と向き合った。しかし、食べるのは止めない。
「貴様、オレ様を投げ飛ばしておきながら、しまいには顔面にやきそばか? これは気の利いた皮肉か? あ?」
「……。むもむも」
ポケットに手を入れ、首を大袈裟に反らし、風画の顔を下から覗き込む形で睨みを利かせる。風画の身長が常人離れしている事が最大の原因だったが、気にしてはいけない。
「何故気の利いた皮肉かというとな、オレ様もその特大やきそばパンが欲しかったからだ。しかも、珍しく律儀に並んでいたのに、だ。あのまま行けば、今頃それはオレ様の物だ」
「……。もんもん」
風画のやきそばパンを指差し、皮肉たっぷりに言い放つ。その間にも風画はやきそばパンを食べ続け、咀嚼しながらこくこくとうなずいていた。
「喰うのを止めろ!」
「……。ぐむぃ。ふう、旨かった。メシ終了。ごっそさん」
最後の一切れを押し込み、咀嚼して飲み込む。そして体の正面で左右の掌を合わせて、そう言い放つ。食事を終えた風画は、そのままその場を立ち去ろうとした。しかし、勝三は何とも腑に落ちず、彼を呼び止める。
「おいぃ。ちょっと待てぇ!」
「何だよ」
「お前、オレ様の話を聞いていたか?」
「いや、全然」
「このぅ……」
こめかみに青筋を浮かべ、怒りで強く握った拳をわなわなと振るわせる。勝三の目には、復讐の炎で燃えていた。あたらさまな皮肉も、その表れだろう。餌を与えられず、生産業者にブーブーと不平を漏らす豚のようであった。
「じゃ、オレは帰るわ。次、大磯ちょんの授業だからさ」
『大磯ちょん』とは、大磯教諭のあだ名である。以前、風画達の間で話題となり、なんやかんやでこの名がついた。誤植ではない。
「ほほう。ならば、それなりに復讐のしがいがあるな」
じわじわと怒りに満ちた口調が、その濃度を増す。それは、誰の目にも明らかだった。
「もう一度勉強すること?」
風画はその場の空気を和ませるためか、それともだた単に馬鹿にしているともとれる返答をする。
「それは復習」
一輝が横やりを入れた。
「貴様、ヤルか……」
「上等だ。食後の運動に丁度いい……」
風画と勝三は、互いに闘志と復習の火花を散らす。
そのおり、風画が動く。
「その前によ。そこの金髪、何か飲み物くれ。喉が渇いた」
そう言って一輝を指差す。いきなりの指名に当惑し、彼はその場でうろうろした。しばらくうろたえてから、一輝は風画に手近にあったドリンクを手渡す。
「はいッス」
「ん、サンキュー。いやね、昼休み中走り回ってるとどうもね、喉が……」
そう言って、風画は劇物指定ドリンクの容器を逆さにし、天を仰いで口を開けた。容器の中身は直ぐさま重力に従い、彼の校内へと吸い込まれた。
「ぐっ!!」
風画は顔をしかめる。口の中に広がる凄まじい辛みと刺激。焼けた針で刺されたかの様だった。顔がみるみる赤くなり、苦痛に悶える。
(ナイス)
(当然の事さね、兄ぃ)
身悶えする風画をよそに、勝三と一輝はひそひそと耳打ちする。
「チッキショォ〜。げふっ……。舐めたマネ……、げはっ……。ひーひー……」
未知なる刺激に咳き込みつつ、風画は二人を睨み付ける。大口を開け、大袈裟な呼吸で口内を冷まそうとしている姿からみて、相当な辛さだったのであろう。そんな中、一輝はまたもやパシリ根性を働かせる。
「これも食べぇい」
そう言って、風画の口に、例の赤黒い絵の具の塊を投げ込んだ。冷却目的で口を全開にしていた風画には、それを受け流す余裕など無く、半分ほど彼の口内に収まる。
次の瞬間。
「ぐはぁっ!!」
血の塊を吐くように劇物カレーパンを吐き出して、風画はエビ反りになって倒れる。白目をひん剥き倒れる様は、ホラー映画の死体さながらであった。
「フフ。これで欠課は免れられなくなったな、白狼」
ぴくぴくと痙攣する風画を見下し、勝三はねめるように言った。
「兄ぃ、どうする?」
「屋上に持ってけ。お楽しみはそれからだ」
「わかっち」
二人が陰湿な笑みを浮かべているおり、校舎裏に新たな客が現れる。
「風画ぁ! 死んでる! どうしよ、死んでるぅ!」
校舎の四階から駆けつけた進矢であった。ダイビングは直接の死因では無いが、一連の流れを知らない彼は右往左往して慌てふためく。
「おい、お前ら。ぼけーっとしてないで手伝え!」
風画を運び出そうとするが、慌てていることと風画の体格もあってかうまく行かない。そんな状況を打開すべく、進矢は勝三と一輝を促した。
「おい、石原」
「へい」
「アイツもやっちまえ」
「わかっち、兄ぃ」
勝三に指示され、一輝は即座に動いた。風画の食べかけの劇物カレーパンをつまみ上げると、忍び足で進矢に近付く。
「あんちゃん、あんちゃん」
「ん!?」
「これあげる」
一輝は素早い動作で、進矢の口に劇物カレーパンを突っ込んだ。
「っぷ!!」
進矢の口内に収まるや否や、数千の針で刺されるかの如き痛みが襲う。進矢はその超絶たる刺激に驚き、じたばたともがき暴れる。
「うまく行ったよぉ」
一輝は声高らかに言った。その声の直後、進矢もまたばたりとその場に倒れる。
「よくやった」
死体の如き二人と、それを作り上げた二人。被害者と加害者が同居する校舎裏に、昼休み終了を告げる鐘が鳴り響いた。
はい、次回完結です←短っ