やきそヴァ 兄ぃ
校舎の最果て。ほこりっぽい一室。そこには重々しいが古くさい機材と、ひょろい男達。そして、それらを牛耳るやたらと態度のでかいもやし男がふんぞり返っていた。
もやし共がぎこちない口調でしゃべり出す。
「黙れ教頭! いい加減にしないと、お前の鼻の穴……。あれ、違うな。お前の耳の穴から……。また違う……」
「だあぁぁぁぁぁぁぁ! カットだ、カット! てめえら全員死んでこい!」
もやしの頭領が声を荒げる。感情を露わにした身振り手振りで他のもやしに食ってかかった。
「うわわわわわわん。こんなの僕の理想ぢゃなあああああああい!」
一人のもやしが急に泣き出し、脱兎の如く部屋を飛び出した。室内は異様に緊迫したムードに包まれる。
小学校の学級会並みのまとまりの無さである。一人の無能な指揮官と、何のプライドもない根性無しの部下。困ったことに、また例によって空中分解である。
そのおり、また別の怒鳴り声が聞こえた。
「しつこいぞ。この、エロ男優。つか、よく生きてたな」
「黙れ! 最初に突っ込んだのはお前だろ! 確信犯め!」
二人は罵り合いながら、凄まじい速度で教室の脇を過ぎ去っていった。
「君は私をバカにしているのかね!? 生徒が暴れているのを見過ごす教師がどこにいる!?」
ひげ面の教育長は、校長に向かってあらん限りの罵声を投げつけていた。
「いや、あの、その、彼は非常に凶暴な……、違う。普通は大人しくて良い生徒なんです。バスケ部のキャプテンも務めていますし」
「ダメだ! 君の処分は決まったも同然だ」
教育長は、自らチャーターしたタクシーに乗り込もうとするが、校長が彼の腕を引きそれを阻止する。
「そこをなんとか。それに、彼は冬休みの発砲事件に関与……してませんよ。どちらかと言えば被害者だとかなんとかで」
「そんな事は知らん!」
教育長は校長を振り払い、タクシーに乗り込むべく膝をかがめた。
その時である。教育長に背後から何かがぶつかる。教育長は吹き飛ばされ、タクシーのシートに投げ出される形で車内に転がり込んだ。
「よこせ!」
「イヤだ!」
方やタクシーのボンネット側。方やタクシーのトランク側。互いの様子を二枚のガラス越しに伺い、体を痙攣させたように動かして、互いを牽制する。
「何事かね!」
教育長が叫んだ。シートに投げ出された身を起こし、車外に躍り出て怒鳴り声を張り上げる。こめかみには青筋を浮かべ、今にも爆発しそうな活火山を理性で必至に押さえている様子だった。
「校長! 君の学校は何なんだ! 生徒の暴動を見過ごすばかりか、今度は客人に暴行かね! それに、何なんだこの二人の凶悪そうな面もちは!」
彼は顔を真っ赤にして校長を怒鳴りつけ、二人を交互に指差す。二人とも飢えた獣の形相で、互いを睨み付けている。校長と言えば彼の剣幕に押され、腰を抜かしてその場にへたり込んでいた。
「おや。君は……」
教育長は、暴れる二人の内の一人が食堂での暴走の主犯であることに気付いた。何より、他に例を見ないほどの、類い希なる図体である。気付かないはずがない。
「君は食堂で暴れてた生徒だねぇ。全く、最近の若者はなってない! 何かあればすぐに『殺す』だの『死ね』だのと。命をなんだと思っておる! 人の痛みを知れ!」
教育長は大きな焼きそばパンを抱えた生徒を叱責する。叱られている本人は、急に現れたひげ面の老人の存在に戸惑っていた。
その時だった。彼の一瞬の隙を突き、トランク側の生徒が動く。バンパーに足をかけ、トランクを両手でぐっと押すと、彼は一気に車体に乗り上がる。そのまま駆け出してリアウィンドウを駆け上がり、車の屋根へ。フロントウィンドウからの思い切りの良い踏み切り。虚空へと舞う。
「よこせぇぇぇ!」
雄叫びを上げて突っ込む。
すると、叱られていた方の生徒は超人的な反射神経で身を翻し、教育長とは反対の方向へと駆け出した。
「野郎!」
飛んだ生徒は逃げた生徒の方を見ると、反射的にその反対方向にある物に踏み込む。見事な三角跳びだった。それと同時に、教育長の顔面は飛んだ生徒の上履きの底で埋め尽くされたのであった。
その男はやたらと機嫌が悪かった。
特大焼きそばパンを買おうと珍しく律儀に並んでいた所を、何者かに投げられたからである。それも、普通の投げ技ではない。身を屈せられヘッドロックをかけられたと思えば、自分の右脇に相手の頭が入っていた。直後、右足を掴まれるや否や上下が逆転し、気付いたときには全身を貫くような衝撃が襲って来たのだった。
これほどの屈辱は無かった。入学以来、長きに渡って自分に逆らう者は現れなかった。謀反を起こしそうな悪の芽も、忠実な部下の報告により、残さず摘み取っていたのに、だ。だが、そんな体制がたった一日で、それも食堂で、あまつさえほんの一瞬で崩れ去ってしまったからである。
事情が把握出来ないながらも、彼は悪の芽に報復しようとした。だが、彼の受けたダメージは甚だしく、声を出すことさえ出来なくなってしまったのである。
「白狼め……」
崩れ去った政権を愁いているのか、それとも、まだ全身に残る余波の様な痛みに打ちひしがれてか、彼は空を仰いで小さくそう言った。
まあ、良い。そろそろ忠実な部下が帰ってくる。
「兄ぃ!」
帰ってきた。
小柄な男が彼の前に現れた。両手には得体の知れない物体を大事そうに抱えている。
「買ってきやした。けど、『四川&韓国風 激辛ハバネロカレーパン』しか残ってなかったッス」
男は、手にカレーパンらしき物を持っていた。何故、らしき物かと言うと色が尋常ではないからだ。まるで、赤黒い絵の具の塊とでも言うべきだろうか。辛うじて食べ物であることは解るが、それを除くと完全に劇物扱いだ。ビニール越しのくせに、強烈な臭気が鼻を突くようだった。
「あと、飲みモンです。『ジンジャーとんがらペッパー&ガーリックマスタードリンク わさわさ』ッス」
もはや飲み物とは思えぬ異彩を放つその飲み物らしき物を、男は差し出す。
(全く、あの食堂はロクな物を売らないな)
ふと気付く。男は、両手の掌を上に向けていた。
「兄ぃ。お金。八七〇円」
(ぼったくりだろう)
心の中でそう嘆く。自分から頼んだというのに、何故だか快く代金を渡せなかった。
ここでは、何かと過去の作品の要素が組み込まれていました。気になる方は、私の過去のこのシリーズ物を読み返してみて下さい。