第7章 真夜中のハンドシェイク
閉店後の『いなほ』。
店主の厚意で消灯された店内に、翔太のマルチモニターと美緒の液タブの青白い光だけが浮かび上がっている。
カウンターには、差し入れの冷めた麦茶と、さっきまで二人が格闘していた形跡である空の皿が置かれていた。
1. 悪魔の「皮」をデザインする
「……できた。翔太君、見て。これが新しい『偽・副業アプリ』のインターフェース」
美緒が画面を回転させる。
そこには、詐欺グループが運営しているものより数段「信頼できそうで、かつ射幸心を煽る」絶妙なデザインの画面があった。
「素晴らしい。九条さんが泣いて欲しがりそうな、完璧な『偽物の輝き』です」
「皮肉だよね。人を騙すためのデザインの方が、真面目な仕事より筆が進んじゃうなんて。……でも、これで本当に食いつくかな?」
「彼らは強欲です。今のアプリの成約率が落ちているところに、この『劇的な改善案』が匿名で送りつけられれば、中身を精査せずにソースコードを取り込もうとする。……その『皮』の裏側に、僕の作ったウイルスが仕込まれているとも知らずに」
2. 侵入開始
翔太の指が、ピアノを奏でるようにキーボードを叩き始めた。
「……まずは、彼らの開発者コミュニティに潜入します。美緒さんのデザインを『次世代のUIテンプレート』として、彼らが使っている非公開のサーバーにアップロードしました」
画面上を、膨大なログが滝のように流れ落ちる。
「……来た。アクセスがありました。場所はフィリピンのデータセンター経由……ですが、踏み台ですね。本星は国内です」
翔太の瞳に、複雑なネットワーク図が映り込む。彼が仕掛けたデザインファイルの中には、開いた瞬間にサーバーの管理者権限を奪取する「ゼロデイ攻撃」のプログラムが組み込まれていた。
「……システム、ハンドシェイク開始。3、2、1……。ビンゴ。バックドアが開きました」
3. デジタル・カウンターの攻防
その時、翔太の端末に真っ赤な警告灯が灯った。
「っ……!? 向こうも『掃除屋』を雇っていますね。侵入に気づかれました。ファイアウォールが再構築されています」
「えっ、バレたの!?」 美緒が身を乗り出す。
「想定内です。美緒さん、あのアニメーションを起動してください!」
「了解!」
美緒が液タブのエンターキーを叩く。
詐欺グループの管理画面上に、突如として「美緒が描いた可愛らしい、しかし不気味に笑う招き猫」のキャラクターが現れ、画面中のファイルを次々と「小判」に変えていく演出が走り始めた。
「これは……?」
「目眩ましです。相手のエンジニアがこの『猫』を消そうと躍起になっている間に、僕は裏のルートから顧客データと資金洗浄のログをぶっこ抜く」
翔太の指の速度がさらに上がる。
画面には、被害者たちのリストと、それとは対照的な多額の振込履歴が次々と表示されていった。
4. 報酬と、残された火種
「……全データの回収、完了。ついでに、彼らのサーバーのOSを物理的に修復不可能なレベルまで書き換えておきました。明日の朝、彼らのビジネスは跡形もなく消滅しているはずです」
翔太が深く息を吐き、椅子の背もたれに体を預けた。
モニターの光が消え、店内に再び静寂が訪れる。
「やった……んだよね?」 美緒が恐る恐る尋ねる。
「ええ。ひとまずは。……でも、データの最後に見つけたんです。この詐欺グループに資金を流していた『大元の口座』の名前を」
翔太がスマホの画面を見せる。
そこには、ある企業の名前が記されていた。
「これ……一条さんが言っていた、あの……」
「はい。九条さんを操っていた影の主、そしてこの国最大の広告案件を牛耳る『アルカディア・グループ』。……僕たちはどうやら、虎の尾を踏んでしまったようです」
美緒は少し震える手で、自分の描いた「招き猫」のステッカーを、翔太のノートPCの隅に貼った。
「……踏んじゃったなら、しょうがないよ。次は、その虎の皮を剥いであげなきゃ」
二人は、冷めた麦茶で静かに乾杯した。窓の外では、夜明けの気配が忍び寄っていた。




