第5章 深淵からの招待状
九条健太の失墜は、業界にとって単なるスキャンダルでは終わらなかった。
ネット上が「偽物の断罪」に沸き立つ中、その喧騒を無機質な高層ビルの最上階から眺めている男がいた。
国内最大の広告代理店『電報社』のエグゼクティブ・ディレクター、一条響。
彼は手元のタブレットで、拡散され続ける「反転ロゴ」の画像を拡大していた。
1. 牙を隠した訪問者
数日後、翔太と美緒が今後の身の振り方を相談するために、いつもの定食屋『いなほ』で遅めの昼食をとっていた時のことだ。
店内に不釣り合いな、仕立てのいいチャコールグレーのスーツを着た男が入ってきた。
男は迷うことなく二人のテーブルへと歩み寄り、名刺を差し出した。
「……一条、響?」
美緒がその名前を見て息を呑む。
デザインを志す者なら誰もが知る、業界の頂点に君臨する男だ。
「突然失礼。
九条君の『葬式』は、君たちが執り行ったのかと思ってね」
一条の声は低く、まるですべてを見透かしているような響きがあった。
「葬式だなんて。彼は自業自得で自滅しただけです」
翔太は箸を置かず、淡々と答える 。
「面白い。あのアマチュア同然の九条に『デジタル・タトゥー』を刻んだのは、君だろう? あのロゴに仕込まれたステガノグラフィー(隠し情報)……あれは単なる意趣返しにしては、あまりに技術が洗練されすぎている」
一条の視線が、翔太のノートPCへと注がれた。
2. 「本物」の誘惑
一条は、店内に漂う油の匂いを気にする様子もなく、空いた椅子に腰を下ろした。
「美緒君、君のデザインは素晴らしい。九条のようなガワだけの男には勿体ないほどにね。そして翔太君、君の『戦術』も一級品だ。……どうだ、私の下で『本物の戦争』をしてみないか?」
「本物の、戦争……?」 美緒が不安げに聞き返す。
「九条がやっていたのは、偽造バズという名の『おままごと』だ。私が君たちに提供できるのは、国を動かし、文化を書き換えるための巨大な予算とプラットフォームだ。君たちの才能があれば、世界を欺くことさえ容易だろう」
一条の提案は、あまりに魅力的で、同時にひどく危険な香りがした。
3. 翔太の返答
「お断りします」
間髪入れずに翔太が言った。
「ほう、理由は?」
「僕たちが守りたかったのは『デザイン』であって、誰かを欺くための『武器』を作ることじゃない。一条さんの土俵に上がれば、僕たちもまた、形を変えた九条さんになってしまう」
美緒も、翔太の言葉に深く頷いた。
「一条さん。私は、このお店の唐揚げがおいしいと感じるような、そんな普通の感覚を大切にしながらデザインを続けたいんです 。世界を騙すなんて、疲れちゃいますから」
一条は一瞬だけ呆気に取られたような顔をしたが、やがて低く笑い声を上げた。
「……ふっ、ははは! まさか、この『いなほ』の定食が、私のオファーより価値があると言われるとはね。九条が負けるわけだ」
4. 新たな火種
一条は立ち上がり、最後にもう一度二人を見つめた。
「今日は引き下がろう。だが、覚えておきたまえ。君たちが今回の騒動で手に入れたのは『勝利』だけじゃない。ネットの海には、君たちのような『技術を持った復讐者』を欲しがる怪物が他にもたくさん潜んでいる」
彼はドアに向かいながら、背越しに言い残した。
「九条が最後に残した『負の遺産』……彼が裏で繋がっていた反社会的なクライアントたちが、自分たちの存在を暴かれるのを恐れて、君たちを探し始めているよ」
一条が去った後の店内には、揚げ物の香ばしい匂いと、拭いきれない新たな緊張感が残された。
「……翔太君、今の話……」
「ええ。どうやら、本当の『偽装バズの報酬』を支払わされるのは、これからみたいですね」
翔太は再びノートPCを開き、今度は「守るため」ではなく「生き残るため」のコードを打ち込み始めた。




