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第3章 デジタル・タトゥーの着火

 オフィス街の喧騒から少し離れた、古びた定食屋『いなほ』。

 店内に漂う醤油と油の匂いが、戦場から帰ってきた二人の神経をわずかに解きほぐす。


「……あー、生き返る。九条さんの『意識高い言葉』を一日中浴びてると、脳が脂っこいものを欲するんだよね」

 美緒が届いたばかりの唐揚げを頬張り、幸せそうに目を細めた。

「お疲れ様です。会議の録音、全部聴きましたよ。美緒さんの『無能なフリ』、完璧でした」 「でしょ? 『さすが九条先生!』って言うたびに、心の中で自分にビンタしてたけど」 「その忍耐が、最高のスパイスになります」


 翔太は自分の生姜焼きには手をつけず、ノートPCの画面を見つめていた。

 画面上では、数分前に公開されたばかりの『菊屋』のWebサイトのトラフィックデータが、脈打つように動いている。

「ねえ翔太君、唐揚げ冷めるよ? それに、もう罠は仕掛けたんでしょ? あとは待つだけじゃないの?」

「いえ、ここからが一番大事な『着火』の作業です。どんなに優れた爆薬も、導火線に火をつけなければただの塊ですから」


 翔太の指がキーボードを叩く。

 画面が切り替わり、SNSの分析ツールが表示された。

「……見てください。九条さんが買ったフォロワーと業者アカウントが、一斉に『新ロゴ最高!』って呟き始めてます」

「本当だ。不自然なくらい同じタイミング……。これ、バレないと思ってるのかな」

「彼はネットを『操れるもの』だと思い込んでいるんです。でも、今のユーザーはもっと賢い。特に、自分たちを騙そうとする『偽物』の匂いには敏感だ」


 翔太は特定のブラウザを開き、複数の匿名アカウントを操作し始めた。

「美緒さん、さっきのロゴの『電子透かし』の話。あれ、実はもう一つ仕掛けがあるんです」

「えっ、まだあるの?」

「ええ。あのロゴを特定のコントラストで反転させると、ある『文字列』が浮かび上がるようにしてあります」

「文字列……?」


 翔太が画面を操作し、ロゴを反転させる。

 すると、ピンク色のグラデーションの中に、白い砂嵐のようなノイズが走り、そこにはっきりと文字が浮かび上がった。

【PRODUCED BY SHOTA & MIO / ALL RIGHTS RESERVED BY TRUE CREATIVE】


「……すごい。これ、九条さんは絶対気づかないね」

「彼はデザインを『雰囲気』でしか見ていませんから。……さて、今からこの情報を、特定の『特定班』のアカウントに流します」

「特定班……ネットの有名人たち?」

「はい。彼らは『嘘』を暴くことに情熱を燃やすプロです。そこに、九条さんの『フォロワー買い』の証拠と、この『隠しサイン』の出し方をリークする。僕がやるんじゃなく、彼らに『発見』させるんです」


 美緒が箸を止め、少しだけ震える声で言った。

「それって、明日にはもう……」

「ええ。九条健太の名前は、検索結果のトップに『盗作』『詐称』という言葉と共に刻まれることになります。一度ついたデジタル・タトゥーは、二度と消せません」


 翔太はエンターキーを静かに押し、ようやく割り箸を割った。

「……さあ、飯を食いましょう。明日は忙しくなりますよ」

「翔太君、たまに本当に悪魔に見える」

「美緒さんのデザインを守るためなら、喜んで」


 ふいに視線が重なる。

 定食屋の黄色い電球の下、美緒が少しだけ頬を赤くして、視線を逸らした。

「……そういうこと、さらっと言わないでよ」

「事実を述べたまでです。……唐揚げ、一つもらってもいいですか?」

「あ、いいよ。……その代わり、生姜焼き一枚ちょうだい」


 二人は、九条が今この瞬間も高級バーで「勝利の美酒」を飲んでいることなど、もう気にしていなかった。

 その数分後。 翔太のスマホが、テーブルの上で短く震えた。

【トレンド:#菊屋ロゴ #九条健太 #パクリ疑惑】


「……着火しましたね」

「……うん。燃え始めた」

 二人はスマホの画面越しに、自分たちだけの「勝利の予感」を共有した。

 それは、どんなLINEのスタンプよりも深く、二人の絆を繋いでいた。

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