第2章 見えない首輪
老舗和菓子メーカー『菊屋』の会議室。
重厚な黒檀のテーブルを挟んで、九条は自信満々に身を乗り出していた。
「……つまり、このロゴのピンクは単なる色じゃない。 『伝統の破壊と再生』という僕の哲学そのものなんです」
隣に座る美緒は、神妙な顔でメモを取るフリをしながら、膝の上でスマホを操作した。
机の下、社内専用チャット『チャットワーク』の画面。
【美緒:九条さん、絶好調。「哲学」とか言い出したよ。吐きそう。10:15】
一秒足らずで、翔太から返信が来る。
【翔太:想定内です。そのまま気持ちよく喋らせておいてください。10:15】
「さすが九条先生。この若々しい感性、我が社の古いイメージを一新してくれそうだ」
菊屋の常務が満足げに頷く。
九条はさらに調子に乗った。
「ええ、実はこの色味、僕が自ら現地で紅葉の色をサンプリングして、1ミリ単位で調整したんです。ねえ、美緒ちゃん?」
振られた美緒は、わざとらしく慌てて資料を落とした。
「あ、はい! 九条先生が……その、寝る間も惜しんでモニターを凝視してらっしゃいました!」 「ははは、彼女はちょっとドジでね。でも、僕の右腕としてよくやってくれているよ」
九条の勝ち誇ったような笑い声。
美緒は床に落ちた資料を拾いながら、翔太に隠しイヤホン越しに囁いた。
「(……今、サンプリングしたって嘘ついたよ。翔太君のデータなのに)」
『……いいですよ。嘘が大きければ大きいほど、崩れた時の音も大きくなる』
耳の奥で、翔太の冷徹な声が響く。
彼は今、自社オフィスで九条のプレゼン用PCにリモートアクセスしていた。
「ところで九条さん。この新しいロゴ、今日からWebサイトに仮公開してもよろしいかな? 反応を見たいんだ」
常務の提案に、九条は二つ返事で頷いた。
「もちろんです! むしろ、僕が仕掛けた『インフルエンサー施策』と連動させれば、今日中にトレンド入りも夢じゃありません」
【翔太:美緒さん、合図です。ロゴのファイルを九条のPCからサーバーにアップロードさせてください。10:30】
美緒は「失礼します」と九条のPCを操作する。
画面上では普通のロゴファイル。
だが、その中には翔太が仕組んだ「もう一つのギミック」が隠されている。
「アップロード……完了しました」
「よし、これで世界が僕の才能に驚くことになるね」
九条が公開ボタンを叩く。
その瞬間、翔太の指がオフィスのキーボードを弾いた。
『……釣り糸は垂らしました。あとは、彼が自分でエサを飲み込むのを待つだけです』
会議が終わり、エレベーターホールに出た瞬間、美緒は翔太にメッセージを送った。
【美緒:お疲れ様! 九条さん、今夜は祝杯だって。私は体調不良で逃げる。11:45】
【翔太:了解。19時にいつもの定食屋で。第2フェーズの準備をしましょう。11:46】
美緒はスマホをポケットにしまい、前のめりに歩く九条の背中を冷ややかな目で見つめた。
その背中には、もう翔太が放った「見えない首輪」がしっかりとかかっている。




