第19章 偽装バズの報酬
「……翔太君!」
非常灯が赤く明滅する舞台袖の搬入口。
ドレスの裾を大胆に引きちぎり、スニーカーに履き替えた美緒が、闇の中から現れた影に飛びついた。
「遅いですよ、美緒さん。階段、3秒巻けました」
息を切らしながらも、翔太は不敵に笑う。
その手には、世界を引っくり返した『プロジェクション・ダガー』が握られていた。
1. 有明脱出
「あそこだ! 逃がすな!」 背後から、蓮見の息がかかった警備員たちの怒号と足音が迫る。
「美緒さん、僕の左側に。……教授、今です!」
翔太がスマホの画面をスワイプした瞬間、ホールの巨大な防火シャッターが重低音を響かせて猛スピードで降り始めた。
警備員たちが飛び込む寸前で、鉄の壁が彼らを遮断する。
「地下通路へ! 100メートル先に、教授が手配したバイクがあります」
二人は雨が降りしきる有明の埠頭へと飛び出した。
最新鋭の監視カメラは、すでにハッカー仲間たちによって「別の場所のループ映像」に書き換えられている。
アルカディアが誇った鉄壁のセキュリティは、今や二人を逃がすための「透明なトンネル」へと変貌していた。
2. 境界線を越えて
「……ふう、ここまで来れば大丈夫ですね」
品川を抜け、古びた商店街の入り口でバイクを捨てた。
振り返れば、遠くに見えるアルカディアの本社ビルは、システムダウンによる異常点滅を繰り返している。
それは、一つの時代の終わりを告げる篝火のようだった。
「ねえ、翔太君。私たち、本当にやっちゃったんだね」
美緒が、雨に濡れた髪を拭いながら笑う。
「ええ。明日には、アルカディアという名前は『嘘』の代名詞になっているでしょう。……行きましょう。お腹が空きました」
二人は、都会の喧騒から切り離されたような、あの細い路地へと足を踏み入れた。
3. 聖域の味
ガラリ、と引き戸を開ける。
そこには、いつもの醤油と油が混じった、安心する匂いがあった。
「おー、おかえり! 随分と濡れたなあ。テレビでやってたぞ、あの派手な騒ぎ。……お前さんたちの仕業か?」
店主が、タオルを放り投げながら、すべてを察したような優しい目で見つめてくる。
「……ただいま、おじさん。お腹、ぺこぺこだよ」 美緒の声が、ようやく少女のような柔らかさに戻った。
カウンターに並ぶのは、特別なフルコースではない。
山盛りの千切りキャベツ。
少し濃いめの色に揚げられた唐揚げ。
そして、照り焼きのタレが食欲をそそる生姜焼き。
「はいよ、特製『勝利の定食』だ。今日は二人とも、飯代はいらねえよ」
4. 本物の報酬
美緒が、揚げたての唐揚げをガブリと頬張る。
「……んんーっ! これだよ、これ! 液晶画面の光じゃなくて、この油の輝きが欲しかったの!」
「……マヨネーズ、今日は僕も多めでお願いします」 翔太も珍しく、生姜焼きを大きな口で運ぶ。
ネット上の数百万の『いいね』や、蓮見が提示した巨額の報酬。
そんなものは、この一口の幸福感には到底及ばない。
「翔太君。……私たち、これからどうなるのかな?」 美緒が、味噌汁の湯気の向こうから尋ねる。
「九条さんは消え、アルカディアも崩壊した。……でも、世界から『偽物』がなくなることはありません。また誰かが、都合のいい嘘をバズらせようとするでしょう」
翔太は、箸を置いて美緒を真っ直ぐに見た。
「その時はまた、ここで唐揚げを食べながら作戦会議をしましょう。……美緒さんのデザインが、正しく世界を彩るその日まで」
美緒は満面の笑みで、自分のご飯茶碗を翔太の茶碗に軽くぶつけた。
「……了解。その時は、マカロニサラダも大盛りでね!」
店内に流れる、時代遅れのラジオの歌謡曲。
窓の外を通り過ぎる、何の変哲もない人々の足音。
それこそが、二人が命を懸けて守り抜いた、何物にも代えがたい「本物の日常」だった。




