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第16章 電脳の深淵(アビス)と最後の牙

 品川のホテルから非常階段を駆け下り、翔太は雨の降り始めた街へと消えた。

 追っ手のワンボックスカーが放つ赤外線センサーや、街中に張り巡らされた顔認証カメラ。

 それらを回避するため、彼は事前に用意していた「アナログの逃げ道」を辿る。


 1. 浮浪するサーバー:地下の住人たち


 数時間後。翔太が辿り着いたのは、新宿の古い地下通路のさらに奥、地図にも載っていない廃管区だった。

 そこには、スマート社会の「最適化」から漏れた人々や、かつてITバブルで敗れたエンジニアたちが身を寄せ合う、通称『グリッチ・シティ』が存在していた。

「……翔太か。また随分と派手な『怪物』に追われてるみたいだな」

 出迎えたのは、白髪混じりの浮浪者に見える男、通称「教授」。

 かつては国家レベルの暗号開発者だったが、今は廃棄された電子部品を組み合わせて、独自の「暗号化メッシュネットワーク」を地下に構築している男だ。

「教授。……『いなほ』の店主に、これを届けてほしい。中身はただの『お礼』だと言って」

 翔太は、店主の顔写真が入った封筒を教授に託した。

 万が一の際、彼を守るための資金と、一条響に繋がる緊急連絡先が入っている。

「で、これからどうする? アルカディアの式典は明日だ。あそこは全方位、最新のAI検知器で固められているぞ」

「……あいつらの『目』が良すぎるなら、その目を狂わせるだけの光を叩き込むまでです」


 2. 「最後の武器」:プロジェクション・ダガー


 翔太は、教授がゴミ捨て場から拾い集めた古いレーザーポインター、高出力のLED素子、そして美緒のロゴを解析するために自作した特殊なレンズを、ハンダごてで繋ぎ合わせ始めた。

 彼が作っているのは、ハッキング用の端末ではない。

 美緒のロゴに仕込まれた「視覚的トリガー」を、遠隔から、かつ物理的に起動させるための『光学的干渉装置プロジェクション・ダガー』だ。

  • 機能: 特定の波長の光を、美緒のロゴが映し出された巨大モニターに向けて発射する。

  • 効果: ロゴの0.01ミリの「揺らぎ」と光を干渉させ、アルカディアの基幹システムへ直接「管理権限奪取」のコードを視覚情報として流し込む。

「これなら、ネットワークに繋ぐ必要さえない。会場の隅から、僕がこのスイッチを押すだけでいい」


 3. ハッカーたちの連帯


「おい、翔太。俺たちも一枚噛ませろよ」

 地下に潜んでいた若手ハッカーたちが、手垢にまみれたノートPCを持って集まってきた。

 彼らもまた、アルカディアが推し進める「データの独占」によって、自由なインターネットを奪われた被害者たちだった。

「アルカディアの式典中、俺たちが都内の全デジタルサイネージに『ノイズ』を流してやる。式典のライブ配信、視聴者数は1000万人を超えるはずだ。……監視カメラの映像をパッチワーク(つぎはぎ)にして、お前の会場入りを『透明人間』にしてやるよ」

「……ありがとうございます。でも、これは僕たちの、美緒さんとの戦いなんです」

「わかってるさ。……美緒とかいう嬢ちゃんのデザイン、地下の掲示板でも評判だぜ。……『偽物の中に、本物が混じってる』ってな」


 4. 決戦前夜:冷めた握り飯


 作業の合間、翔太は教授が差し出した冷めた握り飯を口にした。

『いなほ』で食べていた、あの炊きたての米の香りが、ひどく遠い昔のことのように感じられる。

(……美緒さん。明日、すべてを終わらせます。アルカディアが作り上げる『偽りの楽園』を、あなたが描いた『体温』で、焼き尽くしてやる)

 翔太は、リュックの奥から一枚のステッカーを取り出した。

 美緒が最後に貼ってくれた、あの「不気味に笑う招き猫」。

 その猫の目は、真っ暗な地下通路の中でも、未来を睨みつけるように鈍く光っていた。


 翌朝。

 新宿の地下から、一人の男が地上へと這い上がった。

 その手には、世界をひっくり返すための、粗末で、しかし最強の「武器」が握られていた。

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