第15章 不可視の包囲網(インビジブル・シージ)
美緒が蓮見のオフィスを去った直後、蓮見は椅子を回転させ、巨大な窓の外に広がる東京の夜景を見つめた。
彼の前には、美緒が持ち込んだデバイスから密かに「逆探知」したパケットの断片が流れている。
「……祈り、か。巫女にしては、随分と精巧な『守護霊』を連れているようだな」
蓮見はデスクのタブレットを叩き、一つの非公開回線を呼び出した。
「アルカディア・セキュリティ、第四班。……獲物の『巣』を特定しろ。物理的な接触はまだいい。まずは、彼の周囲の『空気』を奪え」
1. 予兆:0.1ミリ秒のラグ
同じ頃、品川の古びたビジネスホテル。
翔太はベッドの上に置いた数台のモニターを見つめ、眉をひそめていた。
「……おかしい」
美緒の安全を確認し、一度は安堵したはずの彼の指が、再び激しくキーボードを叩く。
彼が構築した多層プロキシ(中継サーバー)の応答速度が、わずか「0.1ミリ秒」だけ低下していた。
一般人には感知できない誤差。
だが、コンマ数秒の遅延が命取りになる世界で生きる翔太にとって、それは背筋に冷たい刃を突きつけられたも同然だった。
「潜入時の『0.5秒のブラックアウト』……。あの時、ビルのBMS(管理システム)に残したノイズの残滓から、逆算されたのか……?」
翔太は即座に、メインサーバーの物理的な電源を落とす準備を始めた。
2. デジタル・ハンティング
蓮見が放った「第四班」は、単なるハッカー集団ではなかった。
彼らはアルカディアが握るインフラ……公共Wi-Fi、スマート街灯、防犯カメラ、果ては電力消費データの変動までを統合して解析する「都市型追跡」のスペシャリストだ。
「ターゲット、港区から品川エリアへ移動。……周辺の電力パケットに、暗号化通信特有のスパイクを検知」
蓮見のモニターには、翔太の潜伏先であるホテルの建物が赤くハイライトされた。
「追い詰めろ。だが、網はゆっくりと絞れ。彼がパニックを起こしてデータを消去する隙を与えるな」
蓮見の命令と共に、翔太の部屋の周辺で「不可視の包囲」が始まった。
まず、ホテルのWi-Fiがわずかに不安定になり、次に翔太のスマホの電波が4Gから3Gへと強制的にダウングレードされる。それは、逃げ道を塞ぎながら獲物を一箇所に固める、熟練の猟師のやり方だった。
3. 翔太の決断:肉を切らせて骨を断つ
「……あと5分。いや、3分か」
翔太は窓の外を見た。
ホテルの入り口に、不自然なワンボックスカーが停まったのが見える。
彼は自分のノートPCをリュックに詰め込み、代わりに予備の「囮用デバイス」を起動した。
その中には、美緒のロゴの「偽の解析データ」と、開いた瞬間に相手の端末を物理的に過熱させるトラップコードが仕込まれている。
(……美緒さん、ごめんなさい。一度、通信を切ります)
翔太は耳元の超小型マイクに向かって、最後の一言を残した。
「美緒さん。次に会う時は、この『戦場』の真ん中です。……信じて待っていてください」
4. 激突の火花
ドンドンドンドンドンドン! 激しいノックの音が部屋に響く。
「掃除の時間ですよ」
無機質な声と共に、部屋のドアが電子ロックごと強制解除された。
踏み込んできた黒服の男たちが目にしたのは、無造作に置かれた一台のノートPCと、半分残ったコンビニのコーヒー、そして――開いたままの窓から入り込む、夜の冷たい風だけだった。
「……逃げられました。ですが、端末は確保。……解析に入ります」
その報告を本社で受けた蓮見は、不敵に口角を上げた。
「逃げたか。いいだろう。……追い詰められたネズミが最後にどこへ向かうか、見ものだな」
しかし、蓮見は気づいていなかった。
男たちが押収したノートPCの冷却ファンが、異様な音を立てて高速回転を始め、画面に「美緒のロゴ」が不気味に明滅し始めていることに。




