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第14章 硝子の檻の心理戦

 アルカディア本社最上階、通称『黒鏡ブラック・ミラー』と呼ばれる蓮見の個人オフィス。

 壁一面がスモークガラスで覆われ、外界の光を拒絶したその部屋で、美緒は一人、革張りの椅子に座らされていた。


 机の上には、美緒が提出したロゴが巨大なホログラムとして浮かび上がっている。

「……座ったままでいい、美緒。君に聞きたいのは、この『ゆらぎ』の正体だ」

 蓮見は影の中から現れ、ホログラムの線を指先でなぞった。

 彼の背後にあるモニターには、ロゴを数学的に解析した複雑なグラフが、まるで心電図のように波打っている。


 1. 暴かれた「不自然な自然」


「君はこのロゴに『体温』を込めたと言ったな。

 確かに、一見するとそれは手描きの温もり、自然界の1/fゆらぎに見える。……だが、私の目は誤魔化せない」

 蓮見がパチンと指を鳴らすと、ホログラムの色が反転した。

 ロゴの曲線が、数式へと変換されていく。

 $$f(x) = \sum_{n=1}^{\infty} a_n \sin(n \omega x + \phi_n)$$

「この曲線のフーリエ変換(複雑な波形を単純な波形に分解する作業)を行った結果だ。……見てみろ。君が『偶然の産物』として描いたはずのノイズの周期が、ある一定の間隔で完璧な素数列を描いている」

 蓮見が美緒の背後に回り込み、耳元で冷たく囁いた。

「偶然で素数が並ぶ確率を、君は知っているか? ……これは、野生の動物が、地面に完璧な正円を描くような不自然さだ。美緒、君はこのデザインの中に、何を『埋め込んだ』?」


 2. 視線のナイフ


 美緒の心臓が、早鐘のように打つ。

(……バレてる。数学的に、完全に裏を取られてる……!)

 しかし、ここで動揺すればすべてが終わる。

 翔太と交わした「秘密の合言葉」を思い出し、美緒はゆっくりと蓮見の方へ顔を向けた。

 その瞳には、恐怖ではなく、狂気的な「表現者のプライド」を宿らせて。

「……蓮見さん。あなたは、恋に落ちた時の心拍数に、数式を求める人なんですね」

「……何?」

「私が描いたのは、素数じゃありません。……それは『祈り』です。この冷たい都市で、バラバラに生きている人たちが、いつか一つのリズムで繋がり合いたいと願う、その無意識の鼓動。……それが、たまたまあなたの機械には、数字として見えただけじゃないですか?」

 美緒は立ち上がり、蓮見との距離をゼロにするまで詰め寄った。

「それとも、アルカディアは……美しさにさえ『許可証』が必要なんですか? 完璧すぎて不自然だと言うなら、今すぐこの場で消してください。私は、自分の魂に嘘はつけない」


 3. 沈黙の天秤


 蓮見の冷徹な瞳が、美緒の瞳の奥を覗き込む。

 0.1ミリの動きも見逃さないという、蛇のような観察眼。

 美緒は、呼吸さえもデザインの一部として、一定のリズムを保ち続けた。

 沈黙が、永遠のように長く感じられる。

 部屋の隅で、解析サーバーのファンが虚しく回る音だけが響く。

 やがて、蓮見の口元に、微かな……しかし、獲物を逃したときのような歪な笑みが浮かんだ。

「……ふっ。祈り、か。……宗教家のようなことを言う。デザイナーというより、君は『巫女』だな」

 蓮見はホログラムを消し、再び椅子に深く腰掛けた。

「いいだろう。その『不自然な美しさ』こそが、大衆を魅了し、ひれ伏させる力になる。……疑って悪かったな。だが忘れるな、美緒。君が何を祈っていようと、そのロゴが街に掲げられた瞬間、それは私の『支配の印』に変わるのだ」


 4. 偽りの停戦


「……失礼します」

 部屋を出た瞬間、美緒は崩れ落ちそうになるのを必死で堪え、エレベーターホールまで歩いた。

 トイレの個室に駆け込み、鍵を閉めた途端、全身から汗が噴き出した。

 ポケットの中で、翔太のデバイスが一度だけ、優しく震えた。

 それは、一部始終を「影」として見守っていた彼からの、無言の抱擁だった。

「……翔太君。……もう、ギリギリだよ」

 美緒は震える指で、鏡に映る自分を見つめた。

 そこには、自分でも見たことがないような、冷たくて鋭い「嘘つきの顔」があった。

 一方で、蓮見は自室で一人、消えたホログラムの残像を眺めていた。

「……祈り、か。……嘘をつけ、美緒。君の背後には、もっと冷徹な『計算機』の匂いがする」

 蓮見の疑念は、消えたわけではなかった。

 彼は、あえて美緒を泳がせ、その背後に潜む「本星」を釣り上げようとしていた。

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