第11章 0.5秒のブラックアウト
「……セキュリティチーム、到着まであと15秒」
翔太の声が、美緒の耳の奥で今までになく鋭く響いた。
ホテルの薄暗い一室で、翔太の指は猛烈な速度でキーボードを叩き、モニターにはアルカディア本社の電源系統図が火花を散らすように展開されている。
「美緒さん、動かないで。逃げれば逆に怪しまれる。……蓮見の目を見て、デザイナーとしてのプライドだけを演じてください」
「……わかった。やってみる」
美緒は喉の奥までせり上がってきた心臓を飲み込み、目の前に立つ蓮見を見据えた。
フロアの奥から、グレーの制服を着た二人の警備員が、ハンディタイプの電波検知器を手に近づいてくる。
彼らが持つデバイスが一度美緒の胸元をなぞれば、ブローチ型カメラも、耳の奥の通信機も、一瞬で暴かれる。
1. 翔太の「外科手術」
「……アルカディアのセキュリティは多重構造だ。正面から破ればアラートが出る。……狙うのは、ここだ」
翔太が見つけたのは、ビルの管理システム(BMS)と、35階のクリエイティブ・フロア専用の「無停電電源装置(UPS)」のわずかな同期ラグだった。
「蓮見の野郎……最新鋭の設備に頼りすぎだ。それがアダになる」
翔太は、以前の詐欺グループから奪ったバックドアを足がかりに、ビルの受変電システムへ一気にパケットを流し込んだ。
モニター上のゲージが、緑から黄色、そして真っ赤な「CRITICAL」へと変わる。
「……3、2、1……過負荷、開始」
2. 混沌のシンフォニー
その瞬間。
35階のフロアを照らしていた数百のLED照明が一斉に、断末魔のような音を立てて消灯した。
「……っ!?」 蓮見が眉をひそめ、周囲を見渡す。
真っ暗闇になったフロアに、非常用電源の赤いランプだけが不気味に点滅を始めた。
「停電か……!? 予備電源はどうした!」
蓮見の怒声が響く。
スタッフたちが混乱し、立ち上がる。
「今です! 美緒さん、右ポケットにイヤホンを、ブローチは裏返して!」
翔太の叫びに、美緒は闇に紛れて電光石火の動きを見せた。
だが、警備員は止まらない。
彼らは暗視ゴーグルを装着し、訓練された動きで美緒のもとへ歩み寄る。
「停電時でも、検知器は独立電源です。スキャンを開始します」
無機質な声と共に、検知器の赤いレーザー光が美緒の胸元をなぞろうとした。
「……まだだ、まだ終わらせない!」
翔太は歯を食いしばり、最後のカードを切った。
「ビルの防火扉、およびスプリンクラー制御システム……強制再起動!」
3. 0.5秒の奇跡
美緒の頭上で、突如として「ガコン!」という巨大な金属音が響いた。
翔太が仕掛けた偽のアラートにより、フロア全体の防火シャッターが数センチだけ降り、凄まじい風圧と騒音がフロアを支配した。
その衝撃で、警備員の手がわずかに震え、検知器が美緒の体から逸れる。
「……今だ!」 翔太がエンターキーを強打した。
ビルの通信ハブに、強力なジャミング信号(電磁ノイズ)をわずか0.5秒間だけ、ピンポイントで放射させる。
『ピーーーーーー!』
警備員の手元のデバイスが、異常な高音を発してフリーズした。
「……故障か? 磁気嵐のようなノイズが入ったぞ」
「予備機を出せ! いや、それどころじゃない、防火扉が降り始めている!」
フロアは阿鼻叫喚のパニックに陥った。
翔太が「やりすぎ」なほどのノイズをシステムに叩き込んだおかげで、セキュリティチームの関心は、一人のデザイナーの私物検査から、ビル全体のシステム障害へと完全に移った。
4. 静寂の帰還
十数秒後、照明がパッと復旧した。
何事もなかったかのように静まり返るフロア。
だが、美緒は既にイヤホンをポケットの奥深くに隠し、ブローチも「単なる飾り」に見えるよう位置をずらしていた。
「……蓮見さん。すごい歓迎ですね。このビル、デザインは立派だけど、中身はガタガタみたい」
美緒は、わざとらしく肩をすくめて見せた。
冷や汗でシャツが背中に張り付いているが、声は震えていない。
蓮見は、フリーズしたままの検知器を持つ警備員を一瞥し、忌々しそうに吐き捨てた。
「……失せろ。システムの不備は私の管轄外だ」
彼は美緒に歩み寄り、至近距離で彼女の瞳を覗き込んだ。
「……運がいいな、美緒。だが、アルカディアで二度同じ幸運は続かない。……明日までに、さっきのロゴの最終案を上げろ。一分でも遅れたら、その時は君の身元を指紋一つまで洗い直させてもらう」
蓮見が去っていく。
美緒は、誰もいない方向を向いて、小さく、しかし深く息を吐いた。
「……翔太君。……生きてる心地がしなかった」
「……お疲れ様です、美緒さん。……僕も、キーボードが汗で滑りそうです」
ホテルの暗闇で、翔太は震える手を握りしめた。
勝利は掴んだ。
だが、アルカディアという怪物の「胃袋」に飲み込まれた美緒を助け出すには、さらなる嘘と、さらなるハッキングが必要であることを、彼は痛いほど悟っていた。




