プロローグ 『既読』の向こう側の温度
画面の中の九条健太は、最高に「映えて」いた。
高級ホテルのラウンジ、シャンパングラスを掲げる九条。
その背景には、俺と美緒が三日三晩不眠不休で作り上げた『老舗和菓子ブランド・再定義プロジェクト』のロゴが堂々と掲げられている。
【九条@クリエイティブ・ディレクター:若手の感性を僕が『翻訳』してあげたら、最高の化学反応が起きた。伝統は、壊すためにある。 #仕事 #イノベーション #成功】
投稿からわずか10分で、いいね数は1000を超えていた。
「……翻訳、だって」
隣のデスクから、乾いた声がした。
佐々木美緒だ。
彼女のデスクの上には、コンビニの袋に入ったままの冷めたパスタと、修正指示で真っ赤に染まったデザイン案の束が散乱している。
「翔太君、これ見て。さっき九条さんから来たLINE」
美緒が差し出したスマホの画面には、九条からの無機質なメッセージが並んでいた。
【九条:あのロゴ、色味をもっと僕好みの『エモい』感じにしといて。クライアントには僕が説得しといたから。あ、あと明日の朝までにプレスリリース案もヨロシク!】
謝辞も、労いも、報酬への言及もない。
そこにあるのは、自分を「有能な演出家」に見せるための、俺たちという『部品』へのメンテナンス指示だけだ。
「……既読、つけちゃった?」
「うん。つけないと、明日また『コミュ力不足』だって説得(という名の説教)が始まるから」
美緒は自嘲気味に笑った。
その瞳の端に、隠しきれない疲労と、それ以上に深い「諦め」の影が差しているのを俺は見逃さなかった。
俺は自分のモニターに向き直る。
画面には、九条が投稿した写真の裏側――拡散ルートの解析データが走っている。
「美緒さん」
「なあに?」
「九条さんのこの投稿、不自然だと思いませんか」
俺は特定のグラフを指し示した。
九条のフォロワー数に対して、『いいね』の伸びが速すぎる。
そして、拡散しているアカウントの多くが、ここ数ヶ月で作成された、中身のない『卵』たちだ。
「これ、買ってますね。九条さん、自分で自分の『映え』を偽装してる」
「えっ、それって……」
美緒が身を乗り出した。
彼女の髪から、微かに洗いたてのシャンプーのような、この殺風景なオフィスには似合わない香りがした。
「九条さんは、数字を甘く見すぎている。数字は嘘をつかないけれど、嘘をつくために数字を使う人間は、必ず足跡を残すんです」
俺はマウスをクリックし、一つのフォルダを開いた。
そこには、九条がこれまで俺たちの手柄を横取りしてきた証拠、そして彼が関わった過去のプロジェクトにおける「不適切なデータ操作」のログが、日付ごとに整理されている。
「美緒さん、俺と一緒に『正しい翻訳』をしませんか?」
「正しい……翻訳?」
俺は美緒の目を見つめた。
友情よりも少しだけ熱く、けれど仕事の相棒としてこの上なく冷静な視線で。
「九条さんが壊した『伝統』を、俺たちが『現実』で上書きするんです。彼が一番大切にしている、その綺麗なタイムラインごと」
俺のスマホが、机の上で短く震えた。
美緒からのLINEだった。
【美緒:了解。最高のデザイン、用意するね】
隣にいるのに、あえて送られたメッセージ。
画面に浮かぶ『既読1』の文字が、暗いオフィスの中で、反撃の開始を告げる信号弾のように青白く光った。




