滅びの世界の住民
上空を覆う厚い雲によって太陽は遮られ、自分がどの方向へ向かっているのかも判然としなかった。
しかし、1時間と歩かないうちに明確な足跡を見つけたことで、自分の判断が正しかったのだと確信する。
「間違いなく人間の足跡だ。どうやら日常的に往復してるみたいだけど……」
“ 一体、どこの誰が化物の徘徊する森をハイキングしているんだ? "
頭に浮かんだ疑問を押し込み、無心で小さな足跡を追う。
ようやく陰惨な森が終わりを迎える頃、目の前に広がる光景に言葉を失った。
「……ッ!? あ…ありえな……」
跡形もなく風化した家屋
倒壊したビル群
辛うじて読み取れる道路標識
原形を留めていない乗用車の数々
俺が知る世界の全てが、数百年もの年月に押し潰されたかのように横たわる。
そこはあらゆる物が徹底的に破壊され、忘却の彼方へ消え去ろうとしていた。
「ど、どうなってんだよコレ! 学校は……日本は!? ここはどこなんだよ畜生!」
受け入れ難い事実に動揺を隠せず、とうとう抑えていた感情をブチまけてしまう。
直後、奇異の目に晒され続けた背中に、何者かの視線を感じて振り向く。
「誰だ!」
恐怖による勘違いなどではない。
振り向いた森の奥、姿は見えないが確実にいる。
無言の警戒態勢が続く中、森の奥で気配が動く。
「……猫?」
草むらから出てきたのは、一匹の三毛猫だった。
異様としか表現しようのない光景を前に、どこか惚けた表情を浮かべる猫。
俺は意外な訪問者に驚きながらも、どこか日常を感じさせてくれる存在に安堵した。
「やれやれ、脅かすなよ。こんな場所で何やってんだ? 迷子か?」
どう考えてもノンビリしている暇などないのだが、生来の猫好き気質が災いした。
危険な場所に一人ぼっちは可哀想だと考え、保護を試みたのだ。
「ほらほら、おいで~」
なるべく怖がらせないように身を屈め、手招きでコミュニケーションを取る。
猫は警戒した様子を示しながらも、少しずつ近寄ろうとするが――。
「よ~しよし、一緒に避難を……ひな…………ん……」
急に暗がりが広がったのを不審に思い、顔を上げて絶句する。
そこには三頭の犬が――いや、三ツ又の頭を持つ巨大な獣が俺を見下ろす。
「バッっっ! あ、あぁ……!」
ビビって声が出ないどころの話ではない。
小便を漏らさなかったのが不思議なほどに竦み上がり、思考すら真っ白に洗い流す。
だが、出会ったばかりの猫は想像よりも遥かに勇敢だった。
黒い毛に覆われた獣の前足を駆け上り、鼻先に蹴りを喰らわせた。
頭の一つが苦痛に顔を歪め、残りの二つが真っ赤な瞳で睨みつける。
次の瞬間、獣が放つ地鳴りのような咆哮が耳を打つ。
「ああああああ!」
掛け値なしに、マジに腹の底をひっくり返された。
俺は腰が抜けて立てなくなり、両者の戦いを傍観するだけで精一杯になってしまう。
猫と獣は森の木々をなぎ倒し、周囲の地形を軽々と変容させていく。
いま見ているのは本当に現実なのか?
もしかしたら俺は既に死んでいて、ここは地獄なのではないか?
妄想に近い考えが次々と浮かんでは消える最中、ついに獣が本領を発揮する。
三ツ又の凶悪な口に炎が宿り、無慈悲にも一斉に放射したのだ。
業火は見る間に三方を焼き尽くし、徐々に猫を追い詰めていく。
最後の逃げ場が炎に包まれる中、絶対的な死が肉薄する。
その時、説明のつかない衝動が俺自身を突き動かした。
「オラァアアアア!」
獣の顔面に石を投げつけ、落ちていた木材で後ろ足を狙い打つ。
二度、三度と無我夢中でアキレス腱に強打を叩き込む。
しかし、人間相手なら間違いなく骨折を免れない衝撃を受けても、獣は平然とした態度を崩さない。
「こいつビクともしねぇ! おい、猫! 今のうちに逃げ――」
僅かに注意が逸れたのと同時に、思いもしなかった方向から毛むくじゃらの物体が襲いかかる。
気づけば俺の体は3mも吹っ飛び、なす術もなく地面に転がされていた。
痺れにも似た痛みが脳を揺らす。
「ちく……しょう……尻尾か……」
意識が遠のいていく。
偶然にも猫の近くに飛ばされたらしく、毛を逆立てて威嚇する姿が視界に入る。
俺は最後の力を振り絞って猫に覆い被さり、目を閉じた。
「離せ! この馬鹿野郎!」
誰かの声が聞こえたのも束の間、避けようのない火球が目前に迫る。
“ どう足掻いても、これから死ぬ "
死を確信した直後、先程の幻聴が内側から響く。
「死にたくなきゃ殴れ!」
「……え?」
長年の荒事で身に付いた経験なのか、それとも生存本能だったのかは自分でも分からない。
だが、声に従って突き出した拳は尋常ではないエネルギーを纏い、強大な獣を遥か後方にまで追いやったのは確かだった。
「今のは……い……しき……が……」
助かった。
そう思ったと同時に、全身から力が抜け落ちていく。
辛うじて繋いでいた意識は急速に薄れ、心地よい脱力感が更なる暗闇へと誘う。
◇◇◇




