覚醒の時
「て、天涯ーッ!」
「離れたまえラケル氏。各自、これを機に態勢を立て直せ」
ずっと、ずっと遠く、誰かの泣き叫ぶ声が聞こえた――。
◇◇◇
痛みはない……なにも感じない……。
見回しても暗闇ばかりが広がり、先ほどの声が誰だったのかさえ思い出せない。
「お前さぁ、いくらなんでもライブ感に生きすぎじゃね?」
誰だ。
思い出せない……。
「ここまでのアホは魔界中を探したって見つかりっこないにゃ~。あっちが言うんだから間違いないね」
「……お前は……」
「そのまま寝てなよ。そうすりゃ楽に逝ける」
「俺は……死ぬのか?」
「死んだ方が楽だって言ってんのさ」
絶え間ない反響音が聴覚を乱し、ノイズまみれの静寂が続く。
それでも聞き分けられたのは、声が俺の内側から響いていたからだ。
「皆はどうなった? ラケルは……カローグは倒せたのか?」
「はぁ~~、普通は自分の心配するだろ」
「どうなったか教えてくれ!」
「な~んも。カローグは平気で、お前は無駄死に。他の候補生共も、すぐに死ぬ」
「フザケんな! そんなことさせっかよ!」
「だからぁ、お前はもう死んで……はぁ~メンドクサ!」
少しずつ状況が飲み込めてきた。
そして、俺がまだ死んでいないことも!
「酔虎、俺が初めて魔界に来た時のこと、覚えてるか?」
「そんな奴は知らにゃー。お前があっちに覆い被さった時のことも知らにゃー」
「頼む、もう一度……俺はどうなってもいい、死んでも構わねぇ!」
「人間を辞めても、か? 二度と人間界には戻れないぞ」
「それで皆を守れるなら――やってくれ!」
胸の奥深く、ずっと深い場所で、呆れ顔の三毛猫が光に向かって飛び込んだ――。
◇◇◇
「ドリアドネ氏よ、助かる見込みのある負傷者を優先したまえ。死体に構う必要はない」
「だけ……ど……」
「ラケル氏が指揮能力を失った今、ここは余の指示に従ってもらおうか」
「……天涯」
「ちょっと、ちょっと待って! 炎の中……誰かが戦ってるわ!」
候補生は互いの顔を見合わすが、濃紺の暗闇が視界を阻む。
それでなくとも多数の死傷者を抱え、混乱の極みに陥った戦場では、状況を正確に把握することは難しい。
――好都合だ。
2千年モノの骨董品を人知れず始末するには、これ以上ないほどに!
「3分間だ。それを過ぎれば、お前の身体はあっちの魔力に耐えきれずに自壊する」
「心配すんな。不思議と分かるんだよ。今なら――誰にも負けねぇってな!」
憑依した酔虎の力を借りて、カローグに渾身の蹴りを叩き込む。
衝撃はダブついた胴体を突き抜け、攻撃の余波で足元の岩盤が砕け散る。
数百倍の体重差を物ともせず、古の巨体は重力を振り切って吹き飛ぶ。
「生ゴミは土に還りやがれ!」
垂れ下がった頭にトドメの一撃を与える直前、ただならぬ気配を察した酔虎が警鐘を鳴らす。
「待て! ヤバイぜ……奴さんの特殊能力がくる!」
カローグは伸びきった咬筋を一杯に開くと、濃紫の瘴気を噴出した。
漆黒に塗り潰された宵闇に、破滅を予感させる空気が垂れ込める。
「すぐに離れろ!」
「ああ、この空気はタバコより健康に悪――ゴブッ…!?」
台詞を遮り、大量の血が口内を塞き止める。
遅れて胸に激痛が走り、焼けるような痛みが全身に広がっていく!
「ヴぉれは……毒か! やづが吐き出ず……瘴気!」
「遅ぇ! ベラベラ喋ってるから喰らっちまっただろうが!」
次第に四肢が麻痺し始め、動きが鈍ったところで尾の薙ぎ払いをもらってしまう。
手痛い反撃を受け、付近の大木に叩きつけられた直後、奥底に眠る本能が警告を発する。
「避けろ!」
考える前に身体が動く。
濃紫の閃光が走り、夜の森に一筋の直線を描く。
光の軌跡には天然のハーフパイプが刻まれ、視界の外れまで延々と続いている。
「もう残り1分を切ってんぞ!」
「ああ。しかもご丁寧なことに、避けるワケにもいかないらしい」
背後には戦線を離れた候補生達が見える。
多くの負傷者を抱えたままでは、避難すら難しいだろう。
「麻痺ってるとか言ってる場合じゃねぇ。この一撃で仕留めるぜ」
「ケルベロスの時みたく、手加減する必要はない。お前の身体が持つか、全員くたばるかの賭けってやつさ」
酔虎の魔力が全身に満ちるにつれ、俺の体は明確な変化を起こし始めた。
全身にヒビ割れが走り、皮膚の下は真っ赤に赤熱する。
カローグも次の一撃に全霊の魔力を集中させ、全てを終わらせるつもりらしい。
「上等、これで――終いにしようぜ!」
再び放たれた濃紫の閃光は、先ほどの攻撃とは比べ物にならない。
そして、俺が放った全身全霊の一撃は周囲の空気をプラズマ化させ、忘れたれた森は夜を一転させる光に包まれた。
眩い光の中で見たカローグの姿は、最後に自我を取り戻したようにも、絶え間なく続く痛みに悶絶しているようにも思えた。
◇◇◇




