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第八話 親不孝者

 市街地の奥。

 庭の広い、大きな一軒家がある。

 ひどく暗く、じめじめとした家だ。

 その中に、英雄チャス・ビューバックはいた。


「……」

 

 黒っぽい服を着て、床にしゃがみ込み、ぼんやりと天井を見上げている。

 その周囲には花が散乱し、花びらがあちこちに散っていた。


「なあ、人を生き返らせることは、できるのか?」


 力ない声で、天井に聞いた。


『無理よ。人は死んだら、それで終わりよ』

「いつもみたいに、俺の命と引き換えにすることは?」

『それも無理ね』


 悪魔の期待外れな答え。

 チャスは顔色ひとつ変えず、ただ脱力してため息をついた。

 彼の片手は、ベッドの上に投げ出している。

 そして、ベッドで眠る娘の手を、しっかりと握りしめていた。


『人なんていつ死ぬかわからないんだから、もっと早くから父親らしいことをしてやればよかったのに。

 今更後悔しても遅いのよ。過去はやり直せないもの。

 あーあ、娘さんが可哀想だわ。

 家族との思い出もないまま死んでしまったのね』


 悪魔の言葉が、ふわふわとチャスの周囲を漂う。

 チャスは、娘の手を握り直した。

 斑点模様がまだらに浮かび上がった、醜い手。

 それは、握るとぶよぶよと気味悪く反発し、曲がった。

 ぬめぬめとした感覚が延々と手にまとわりつく。

 チャスは、再びため息をついた。

 __魔王を倒したのも、目と耳、足の自由を失ったのも、軍を抜け、英雄を辞め、自分には似合わぬ平穏な日々を送ろうとしたのも。

 全部、セリーナのためだったのに。

 それなのに、彼女はあっけなく死んだ。

 これから、自分はどうやって生きていけばいいのだろう。

 分からなくなって、娘の死体の横でぼんやりと生き永らえていた。

 

『はやく埋めてあげないと、腐って虫がたかるわよ。

 っていうか、もうたかってるわよ。

 ほら、死体も変色して、ものすごく臭いわ』


 悪魔はわざとらしく鼻を摘んで見せた。

 吐き気を催すような異臭も、チャスにとっては大したものではなかった。

 ただ、娘が自分の遠くに行ってしまう事が、耐えられなかった。

 やっと軍を抜けて、落ち着いた生活を送れるようになって。

 娘と、もう二度と離れたくなかった。

 たとえ、それが物言わぬ死体だとしても。


「それに、死んだ後も、暗い場所に一人埋められるだなんて、可哀想だろ」

『別に。誰にも弔ってもらえずに、こうやって朽ちるのを待っている方が、可哀想じゃない?』


 チャスの独り言のような呟きに、悪魔はずけずけと文句を言う。

 __確かに、そうかもしれない。

 チャスは他人事のように納得した。

 暗い土の中に埋めるか、朽ちるのを待つか。

 どちらの方が可哀想なのだろうか。

 セリーナは、どちらを望むのだろうか。


「……ははっ」


 そこまで考えて、チャスは自嘲気味に笑った。

 可哀想?望み?何を馬鹿なことを考えているのか。

 娘は、もうどこにもいないのだ。

 自分が握っているのは、変色し、虫が集り、蛆が湧き、カビが生え、異臭を放つ、ただの屍の手だ。

 考える頭も持たぬ、空っぽの屍。

 そんなもの、戦いの中で飽きるほど見てきたではないか。

 敵の、民衆の、味方の、仲間の、友の死体を。

 それらの死体は、自分達の邪魔にならぬよう、乱雑に端へ追いやっていたではないか。

 __死体は死体だ。もう人だと思わずに扱え。

 そう、部下に何度も言いつけていたのは、他でもない自分ではないか。

 それなのに、それなのに。

 自分は、娘の死体と決別できずにいた。


 これは、きっと悪い夢で。

 何かの拍子に、娘が起き上がるのではないかと。

 にっこりと笑って、「お父様」と呼んでくれるのではないかと。

 そう期待して、そんな自分に失望する。


「……」


 何のために、この目は元に戻ったのか。

 何のために、この耳は元に戻ったのか。

 何のために、この足は元に戻ったのか。

 セリーナの笑った顔が見たい。笑顔で庭を駆け回る姿が見たい。楽しげに友達と遊ぶ声が聞きたい。何の不自由もなく、元気に過ごすあの子を。__

 しかし、それはもう、叶わない。

 チャスの目の前には、窓から映る美しい外の景色が広がっていて。

 草木が踊り、鳥が歌い、風が笑う声が聞こえる。

 そこにあるもの全てが、憎たらしかった。

 娘を奪ったこの世界の、そこに存在する全てを嫌悪した。


 あの子はどんな顔をしていたのか。

 どんな表情で、声で、笑っていたのだろうか。

 消えていく。記憶が、遠くへと消えていく。

 娘が消えた後の世界に、上書きされていくように。__


 それでも、世界は刻一刻と動いていて。

 可哀想な娘を置き去りにして、太陽が沈み、昇り、また沈んで行く。

 花は何度も咲いて萎んでを繰り返すのに、娘はただただ朽ちていくばかり。

 穴という穴から体液を垂れ流し、歯茎を剥き出しにして笑っている。

 __そんな顔は見たくなかったな、とチャスはため息をついた。




_____




 じりじりじり

 太陽がぎらぎらと世界を照らし、雨露が草木を伝ってぴとぴとと地面を濡らす。


 ザッザッザッ……

 どこか遠くで、鈍い音がする。

 それは、だだっ広い庭の隅で、チャスが土を掘る音。

 彼は、無心に、ただひたすらシャベルを動かしていた。

 身体が、重い。

 それは、気の進まなさからか、単に疲労が回ってきただけなのか。

 それでも、チャスの掘る穴は徐々に大きくなっていく。

 人一人入る大きさになったことを確認して、一旦家に戻り、長持を抱えて再び戻って来た。

 息を整え、長持を開ける。

 中には、腐った遺体が入っていた。

 美しく咲いた花と、可愛らしい人形と、綺麗な洋服に囲まれた、醜い骸があった。

 チャスは、それの頬に、そっと触れた。

 そして、歪な形となった顔を、両手で優しく包み込む。


「ごめんな、ごめんな、セリーナ。

 俺はずっと、お前を悲しませてばかりで、結局幸せになんて、出来やしなかった……」


 そんなこと、今更言って何になるのか。

 娘は死んだ。

 謝罪も後悔も、何もかも遅過ぎたのだ。

 娘を憐れもうと、愛そうと、彼女はもうどこにもいない。

 狭い長持の中に押し込められ、土の下に眠るのだ。

 チャスは可哀想な遺体の頭を撫でた。


「この洋服はな、お前の母親がよく着ていたものだ。

 前に俺たちが住んでいた家は壊れてしまったが、この服だけは奇跡的に綺麗なままでな。こうして取っておいていたんだ。

 いつか、お前が大きくなった時に着られるように」


 娘と一緒に長持にしまった衣服を指して、チャスは言った。

 勿論、相手の返事はない。

 それでも、チャスは続けた。

 幼い子どもを寝かせつけるように、優しく遺体の胸を叩きながら。


「お前の母親の話は、一度もしたことがなかったな。

 __俺よりもずっと、強い人だったよ。

 自分の命を犠牲にして、幼いお前を守り抜いたんだ。英雄とは名ばかりの、娘の命一つ守れない俺とは違って、ずっとずっと、強い人だ」

 

 それは、娘が生きているうちに話さねばならぬことだったと思う。

 強く、優しく、誰よりもセリーナを愛していた、誇るべき母がいたことを。

 もし彼女が知っていれば、今ほど愛に飢えることはなかったのではないか。

 __いや、どうせ生きている親がこの様なら、変わらぬか。

 そう自問自答をし、チャスは俯いた。


「せめて、死んだ後ぐらいは、母親と一緒に居られるように……」


 妻の遺品は、これだけだった。

 後は、何も残してはくれなかった。

 娘が土の下で寂しくないようにと、唯一の形見を長持に入れた。

 そうすれば、妻も娘も、少しは報われるだろうという、安直な考えで。


「さようなら、セリーナ。

 あまり一緒には居てやれなかったが、俺はお前を愛しているよ。これまでも、これからも、ずっと__」


 遺体に別れを告げて、チャスは長持の蓋を閉じた。

 長持をそっと穴の中に入れる。

 その上に土を被せ、こんもりとした盛り土の上に種を蒔いた。

 生前のセリーナがよく見たいとせがんでいた花の、種。

 それを蒔き終え、一仕事を終えたとため息をつく。

 額の汗を拭い、呼吸を整えて顔を上げる。


 目の前には、盛り上がった土があった。

 __ああ、あの子は土になってしまった。

 もう二度と、会えることはないのだ。

 自分は、これからはどこに帰れば良いのだろうか。


 突然現実を突きつけられ、チャスは一人で泣いた。

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