第七話 愛された少女
「セリーナ!!」
勢いよくドアが開き、車椅子の男が現れた。
両手で車輪を回し、ずんずんと部屋の奥へ進む。
「旦那様、お待ちしておりました」
慌ててラーラが駆け寄り、チャスの手を握る。
チャスは荒い息で、その手を強く握り返した。
手が千切れたと錯覚するほど、強い力で。
「__痛ッ!」
「セリーナは、セリーナはどうした?どこにいる、セリーナは、どこに……」
チャスは気が動転しているのか、何度も娘の名を呼んだ。
目を血走らせ、懸命に辺りを見渡している。
その目が何の効力も持たないことは、自分が一番知っているはずなのに。
「御嬢様は、こちらです」
ラーラはチャスの背後に回り、車椅子を押した。
セリーナは、部屋の奥のベッドに横たわっていた。
その横には、神妙な顔をした医者が立っている。
医者は、静かに首を振った。
セリーナは、静かだった。
彼女を襲っていた地獄のような苦痛は、もう消えたのだ。
そっと目を瞑り、時折思い出したように胸を上下させ、か細い息をする。
それは、真っ直ぐと死へと向かう、小さな少女のささやかな抵抗なのであった。
「セリーナッ!!!」
車椅子で連れられたチャスは、やかましく叫んだ。
べたべたと探るようにベッドに触る。
やっとのことで娘の身体を探り当て、安堵の息をついた。
ぐったりと下がった手を、縋るように握りしめる。
「セリーナ、セリーナ、俺だよ。父様だよ。
やっと帰って来れたんだ。ごめんな、忙しくて……」
そんな、言い訳がましいことを言った。
__この父親は、三日三晩娘の身を襲った苦しみを、知らない。
病身で、痛みの中、どれだけ心細かったか。
何度父の名を呼び、何度涙を流したか。
哀れな父親は、何も知らないのである。
「……ぅ、様……?」
吐息と違わぬ声がした。
セリーナが、薄らと目を開けて、僅かに口を開いていた。
「来て、くれたの……?」
セリーナは弱々しく笑った。
枕元で、父が自分を呼んでいる。
そのことが、嬉しかったから。
__やっと来てくれたんだ。私は、嫌われていなかったのだ。
自分の頑張りが、報われた気がして。
「セリーナ、セリーナ……」
しかし、娘の声は父親には届かない。
不安げにしきりと娘の身体を触り、そこにいることを、生きていることを何度も確認していた。
「お父様……私、頑張ったの。だから、ずっと側にいて……」
セリーナはずりずりと手を動かし、チャスの手に触れた。
「もう、どこにも行かないで……」
チャスは、その手を自分の手で優しく包み込んだ。
もう無くさない。離してはいけない。
自分の命よりもずっとずっと大切な__
「セリーナ、今までは寂しい思いをさせてすまなかった。父親として、俺は何もしてやれなかった。
でも、俺はもう軍を辞めた。英雄としてじゃなく、一人の父親として生きると決めたんだ。これからはずっとお前のそばにいる事が出来る。
だから、お願いだから、俺よりもずっと長生きしてくれ。お前は俺の希望そのものなんだ。俺よりもずっと、ずっと幸せに生きてくれよ……」
父の涙ながらの訴えに、セリーナは唇を緩めた。
こんなに、自分を心配してくれて。
自分のために、泣いてくれて。
側にいると、約束してくれて。
生きてくれと、懇願してくれて。
「よかった……お父様、愛してくれてたのね……」
父親の手の温もりを感じて、セリーナは微笑む。
__きっと、この時のために、今まで頑張ってきたのだ。
いい子になって、すぐ側には父がいて。
この手は、もう二度とどこかへは行かないだろう。
だって、自分はこんなにも愛されていたのだから。
「お父様……大好き」
目が見えるようになって、よかった。
自分の身を案じて、取り乱す父の姿が見れたから。
耳が聞こえるようになって、よかった。
父の懸命な訴えを、聞く事ができたから。
「……お父様、私のこと、好き?」
セリーナが弱々しく問いかける。
チャスは、その問いに答えなかった。
片手で娘の手を握り、片手で娘の頬を撫で、ただ娘の健康を祈っていた。
__ああ、私って、幸せ者だなあ……。
そうぼんやりと考えて、セリーナは目を瞑った。
それ以降、彼女の目が開かれることは、なかった。
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『ああ、__死んだのね』
冷たい、声がした。
さわさわさわ……風が優しく耳を撫でる。
その風に紛れ、誰かが啜り泣く音が聞こえた。
視界が真っ白に染まり、あまりの眩しさにチャスは瞳を閉じた。
__眩しい?
その感覚に違和感を覚え、チャスは恐る恐る目を開いた。
「あぁ、お嬢様……お嬢様ッ……」
ラーラが、ずぴずぴと鼻を啜って泣いていた。
そして、チャスの目の前には。
亜麻色の髪の、少女がいた。
小さな口を半端に開き、苦しげに眉をきゅっと寄せ、目を瞑った少女。
「……セリーナッ!!」
チャスは車椅子から立ち上がった。
彼が握る白く細い手は、だらんと力なく垂れ下がっていた。
「ご臨終です」
医師の、心にもない声がする。
チャスは呆然と、少女を見た。
戻った視力で初めて見たのは、我が子の亡骸だった。
何よりも聞きたかった声は、もうそこにはなかった。
窓際の小鳥が、無邪気に鳴いていた。




