第二話 空回る自己犠牲
「やっぱり、お父様は来ないのね」
夜。
ベッドの上で頬杖をついて、セリーナはつぶやいた。
夜は、慣れている。
この十年間、ずっと暗闇で過ごしてきたから。
しかし、夜空に輝く月だけは、いつも慣れない。
そこだけが、穴が空いているかのように、白く光っている。
月が、他の明かりを全部吸い込んでしまったかのような、気味悪さを感じた。
「まあ、知ってたわ。分かってた――最初から、ずっと」
そう言って、自分で自分を納得させる。
父が来ないのは、いつものことだ。
だから、失望なんてしない。
ここ数日、定期的に会いに来てくれたことが、奇跡だったのだ。
――だから、これが普通。普通。
そう言い聞かせて、ため息をつく。
「勝手に期待して――馬鹿みたい」
初めは、目と耳が良くなったから、父は会いに来てくれたのだと思った。
自分が手のかかる面倒な子だったから、会いに来なかっただけで。
足以外は健常になった今の自分を、好きになってくれたのだと、そう思った。
だから、もっと好きになってくれるように、勉強を頑張った。
普通の子は、この歳ではもう読み書きはできる。
もっと父に好かれるようないい子になるためには、普通の子に近づかないと。
――勉強は、嫌いだった。
でも、そう思って、頑張った。
しかし、違かった。
父は、来ない。
自分は、父に嫌われているのだろうか。
今更いい子になろうと励んでも、遅かったのだろうか。
こんなに、頑張っているのに。
嫌いな薬を毎日飲んで。
先生の言うことを聞いて。
夜まで書き取りの練習をして。
お友達の話を聞いて。
――なのに。
「私、あとどれくらい頑張ればいいの……?」
セリーナは枕元にあった人形を抱きしめた。
父が来るたびに貰う、プレゼント。
正直、人形を貰ってもそこまで嬉しくなかった。
でも、喜んでいるふりをし続けた。
そんな人形を、セリーナは見つめる。
目が見えるようになってから、人形に拒否感を抱くようになった。
細く毛羽だった髪の間から覗かせる、ぎょろりと出っ張った真っ黒な目。
それが、じっとこちらを見つめてくるのだ。
まるで、自分の全てを見透かすような目で。
――怖かった。
でも、父からのプレゼントだからと、大切にした。
――お父様、見て。お父様がくれたお人形、全部枕元に置いて大切にしているの。
だから、お父様、私を見て。私を見てよ……。
いつの間にか朝が来て、太陽の眩しさに目を覚ます。
朝は、嫌いだ。
やかましい太陽が、一日の始まりを告げるから。
地獄のような、一日の始まり。
「御嬢様、今日は天気が良くて気持ちがいいですね」
ラーラが脳天気に言う。
セリーナにとって、この天気は悪い天気だ。
太陽が、辺り一体を支配して、時の流れを決めつけてしまう。
眩しいあいつが、憎かった。
朝食をとり、庭の花と睨めっこをしていると、先生がやってくる。
嫌いな、勉強の時間。
紙に書かれた文字を見て、「セリーナさんは飲み込みが早いですね」と先生は笑う。
嘘が下手な先生だ。
同じ歳の子は厚い本だって読めるのに、自分は一字一字書くのがやっとだ。
早く本が読めるようになりたいのに、先生は先に進めてくれない。
先生は、頭の悪い自分を馬鹿にしているのだ。
悔しくて、下唇を強く噛んだ。
「やーい、びっこが来たー!!」
嫌いな勉強が終わると、外の公園でお友達と遊ぶ時間だ。
これも、嫌いな時間。
足が不自由な自分を置いて、お友達はずんずん先に走ってしまう。
「ねぇ、待って、早いよ」
「遅いのが悪いのよ。頑張ってついてきなさいな」
遠くの方から声がする。
置いていかれる恐怖から、セリーナは焦って車輪を回した。
小石につまづき、車椅子が横転する。
遠くで、お友達の笑い声がした。
きっと、自分を笑っているのだ。
足が遅くて、よく転んで、一人で立ち上がれもしない自分を、笑っているのだ。
「知ってるか?あいつ、芋虫も知らないんだぜ。
うねうね動く芋虫を捕まえて、これは何?って聞くんだ!気味悪いだろ」
「あの子と遊んでも、楽しくないわ。
あれは何?何?ってうるさいし、何より足が遅いもの」
「発音が変だ!なに言ってるかさっぱり分からない!」
「やーい、びっこの馬鹿女!ここまでおいで!」
お友達は、怖い。
そうやって、馬鹿にする声が、耳の中でこだまする。
転んで、うつ伏せになり、水たまりに映る自分の顔を見る。
泥に汚れ、涙でぐしゃぐしゃになった顔。
それは、目を逸らしたくなるほど醜かった。
――なんで、聴力が戻ってしまったのだろう。
――なんで、視力が戻ってしまったのだろう。
自分と入れ違いになるように、視力聴力を失った父。
彼に、自分の健常な目と耳を、譲ってあげたい。
そうすれば、またベッドの外を知らぬ自分に戻れる。
それに、我が身を犠牲にして父を救ったいい子として、父に好かれるかもしれないから。
――いい子になるって、難しいなあ。
――――――――
「バルヤード、南の英雄の具合はどうだね?」
軍の中央。
総司令官が、煙草を吹かしながら言った。
「は。一週間経っても体力の方は戻らず、前線に復帰するのは厳しいかと。
それに、幻覚障害があるようで、精神病棟への推薦も考えています」
アレン・バルヤードは敬礼しながら言った。
「推薦は、いい。
あやつには、なんとしても前線に戻ってもらわねば困る。
――後三日だ。それまでに復帰させるよう励め」
「――え?」
総司令官の予想外の言葉に、アレンは目を丸くした。
それは、いくらなんでも無謀すぎる。
「で、ですが、吐き気も収まらず、食欲も未だないようで……」
「バルヤード」
必死に弁明を試みるアレンの声を、総司令官が遮る。
その鋭く冷たい瞳に、アレンの背筋は震え上がった。
気分は蛇に射すくめられたうさぎだ。
「お前は、魔王討伐における南の英雄の重要性を、わからないと見る」
「はあ……」
そりゃ、南の英雄くらいは知っている。
魔王を三体倒した、神話のような男。
彼の活躍が描かれた伝記「南方英雄伝記」は七年連続売り上げ一位の偉業を達し、彼の偉業を知らぬものはない。
かく言うアレン自身も、「南方英雄伝記」第二章までは暗誦できる程度には読み込んでいる。
都会の女子も、田舎の女子も、一度は彼に恋をする。
国王よりも支持率がありそうな、伝説を生きる男だ。
「彼がいるといないでは、討伐隊の士気に大きく差が出る」
「しかし、彼は目と耳が――」
アレンは再び口を開いたが、再び総司令官が睨みつける。
慌てて、手で口を覆った。
「目と耳が、なんだ?
その程度で、英雄の名が揺らぐとでも?」
総司令官がアレンに身体を寄せる。
ふうーと、白い息がアレンの顔に吹きかかる。
むせたくなるのを堪え、アレンは硬く目を瞑った。
「魔王は、化け物だ。
そして、南の英雄もまた、化け物なのだ。
目と耳を失って尚、彼の強さは揺るがない。
魔王を倒せるのは彼だけだ。
南の英雄抜きでの魔王討伐は、不可能だ」
「……ッ!?」
総司令官の言葉に、アレンは息を詰まらせた。
英雄の凄さを、嫌でも実感させられる言葉だった。
――しかし。
彼は、知ってしまった。
南の英雄は伝記の記述とは異なり、黒髪黒眼の陰気臭い男であると。
誰もが目を奪われるような容姿ではなく、どこにでもいるような、三十代の中年男の顔であると。
そして、医務室のベッドで夜な夜なうなされているような、弱い人間であると。
「せめて後二、三週間は療養を務めなければ。
彼が不調のまま戦いに出ては、倒せる魔王も倒せなくなってしまうでしょう」
アレンは、一歩前に進んで言った。
総司令官はずっと目を細め、アレンを見る。
今度は、睨まれなかった。
「魔王は徐々に南下している。
――猶予はもう一週間だ、できるか?バルヤード」
総司令官の声。
アレンは、パッと目を見開いた。
「はッ!!」




