表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

第一話 模範的な少女

 ――ねえ、ラーラ、私っていい子よね?

 いい子にしていたら身体が治るって、お医者様は言っていたわ。

 いい子にしていたら帰ってくるって、お父様は言っていたわ。

 でも、身体はちっとも良くならないし、お父様は私に会いにきてくれない。

 いい子って、何?もっといい子にならないと、お父様に嫌われてしまうわ。


 昔、セリーナがそう言って泣きついてきたことがある。

 健気で、可哀想な子だった。

 彼女の世界には、自分と、父と、お付きの医者と、召使いのラーラしかいなかった。

 狭い世界の中で、懸命に生きる、哀れな子だった。


「もう、お外には行きたくないわ」


 ある日、布団を頭からかぶって、セリーナは言った。

 ラーラが布団を取ると、セリーナの涙ぐんだ顔が現れた。


「私、ずっとベッドの中がいい」


 セリーナは、ちらと窓の外を見た。

 窓の外では太陽が輝き、どこまでも広がる青空と豊かに揺れる緑草が手を取り合っていた。

 ピーチチチ……どこからか聞こえる美しい鳥の声。


「私、知らなかったわ。

 太陽があんなに眩しいことも、虫があんなに気味が悪い事も、鳥があんなにうるさいことも、草があんなに痛いことも、雨があんなにぬるいことも、お友達があんなに怖いことも――

 私、知らなかった、知らなかったの」


 セリーナは両手で顔を覆い、震える声で嗚咽を漏らす。

 ラーラはなんと声をかけていいか分からず、その場に立ちすくんだ。


「知りたくなかった……」



――――――



「なあ、英雄ごっこしようぜ!

 俺は南の英雄で、お前は東の英雄、お前は女だから北の英雄な」

「えー、東の英雄は弱くてやだよ。

 俺も南の英雄がいいー!」

「あんたは不細工だから西の英雄がお似合いよ」


 街に出て買い物をしていると、子供たちの無邪気な声が聞こえてきた。

 南の英雄――チャス・ビューバック。

 彼は、魔王を三体倒したまごうことなき英雄だ。

 ラーラは枯れ専だったので西の英雄派だったが、南の英雄はいつも一番人気だった。

 そんな彼は、自分の耳と目を犠牲にして、娘の聴力と視力を治した。

 これは、英雄の美談になるのだろうか。

 これは、ただの英雄の自己満足ではないか。

 娘の体を治す前に、もっとやることがあるだろうと。

 父親として、娘に寄り添ってやる。――

 それが、彼が真っ先にやらねばならぬことなのではないか。


 あの父親は、果たして知っているのだろうか。

 娘が、父に嫌われているのではないかと気にしていることを。

 娘が、もう人形遊びをしなくなったことを。

 娘が、いい子であろうと父の前では仮面を被っていることを。

 あの父親は、おそらく知らないであろう。――



 ――――――



「セリーナ、どこにいるんだ?」


 休日。

 チャスは、家に帰っていた。

 残る魔王は、あと一体。軍にも余裕ができ、チャスの休みも多くなった。

 しかし、北は依然と緊張状態にある。

 相変わらず、チャスが家に帰れる日は多くはなかった。


「……」


 チャスの手を、なにかが触れた。

 それは、暖かく、柔らかかった。

 張りのある平たいもので、その表面には凹凸がある。

 その先に、細い棒のようなものが三、四……いや、五本。

 棒の先端には、硬いものが付いていて。

 それは、セリーナの左手であった。

 チャスの顔が自然とほころんだ。


『もじ ならった』


 セリーナはチャスの手の平に文字を書いた。

 一文字ずつ、何度も。


「勉強は、楽しいか?」

『うん』


 チャスの手の中に、ゆっくりと文字が綴られていく。

 チャスは、そんな娘の頭を撫でた。

 細く滑らかな髪が、手に絡みつく。

 ふわりと甘い香りが、チャスの鼻をかすめた。

 チャスは、娘の背中に手を回す。

 そのまま優しく抱きしめた。

 娘の感触が、あたたかい温もりが、全身に通っていく。


 ああ――これが、これこそが、自分の守りたかったものなのだ。

 自分の目を耳を、その全てを犠牲にしてでも、守りたかったものだ。

 彼女が普通の女の子と変わらぬ日々を送れて。

 彼女が屈託なく笑い、幸せな日々を過ごせるような。

 そんな日々が、ここにはあるのだ。


 


『――でも、あの子は本当に幸せなのかしら?』


 脳内に直接響き渡る、声。

 それは場所を選ばず降って湧き、チャスの頭痛の種になっていた。

 ある日の夜。軍部の空き部屋で横になっていたチャスは、耳障りな音を振り払うように寝返りを打った。


『あの子が笑えていると、幸せであると、あなたに知る術があるの?

 あの子の顔も見れないのに?声も聞こえないのに?』


 瞼の奥で、卑しい悪魔がケタケタと笑っている。


『そもそも、あの子は本当に視力と聴力が戻ることを、望んでいたの?

 ただの、あなたのエゴなんじゃなくって?

 父親として接してやれなかったからって、その代わりに自己犠牲で彼女を救う――ただの、あなたの自己満足なんじゃない?』

「黙れ」


 チャスはぎしぎしと歯軋りをした。

 悪魔の言葉の一つ一つが、錨のように身体に沈み込んでいく。


「セリーナは、元に戻りたがっていた。

 しきりに外へ出たがっていたし、花をあげると喜んだ。

 だから、俺はあいつの望みを叶えたんだ」


 チャスは、悪魔を否定するように声を張り上げた。

 あの、寂しそうにぼんやりと窓の外を見ている姿を、もう見たくはない。

 

『ふうん……でも、私は前の方が幸せだったと思うわよ。

 なにも知らないって、最も幸せなことだと思わない?』


 耳元が、くすぐったい。

 チャスは、もう無い二つの耳を強く塞いだ。

 戯言だ。こんなもの、全部――

 

『あの子、急に色々なことが分かるようになって、戸惑っているわよ。

 可哀想に、ベッドでぬくぬくと過ごせる時間は、もう終わったのよ』

「でも、セリーナは外の世界を知りたがっていた。

 ――それに、俺が死んだらあいつはどうなるんだ?

 嫁に貰うことも、一人で生きていくことも出来ないあいつに、どうやって生きろというんだ?

 誰にも面倒を見てもらえずに、一人寂しく餓死してしまうかもしれない。

 誰にも気が付かれずに死に、墓も建てられず、ただただ朽ちていくばかりになるかもしれない。

 ――それだけは、嫌だ。

 俺は、あいつには平凡で真っ当な人生を送ってほしい」


 チャスは、声高にそう訴えた。

 そう思うことは親として当然のことではないだろうか。

 親が子の健常を願うことは、おかしなことなのだろうか。

 人並みの暮らしをして、人並みの幸せを得る。

 なにも多くは望まない。それだけでいいのだ。

 ――それすらも、願ってはならぬというのか?


『平凡で真っ当な人生を送って欲しい、ですって?

 それがどれほど困難なことか、身にしみてわかっているでしょうに。簡単に言ったものね。

 平凡って何?真っ当って何?

 あなたそんな人生送れたことないじゃない。

 自分が叶わなかった夢を、娘に押し付けているだけじゃない?』


 悪魔は続ける。

 べちゃくちゃと、いらぬおしゃべりを。

 ――どうして。

 どうしてこの女の声は聞こえるのだろう。

 どうしてこの女の姿は見えるのだろう。

 セリーナの声も、顔も、笑った姿も、その眼差しも、――

 自分が最も知りたいことは、一生知り得ぬというのに。

 聞きたくない声が、見たくもない姿が、頭にこびりついて離れない。

 代わりに、脳内に浮かぶ娘の面影が、どんどん遠くにいってしまう。

 ――やめろ。やめてくれ。

 これ以上、俺から家族を奪わないでくれ。


「……」


 さらさらと、揺れるカーテンがチャスの頬を撫でる。

 気がつけば、悪魔の姿は消えていた。

 全身が汗でぐっしょりと濡れている。

 心臓が激しく脈打つ。

 頭が割れるように痛い。

 深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせる。

 すると、吐き気が込み上げてきた。

 壁に手をやり、ゆっくりと立ち上がる。

 ふらつく体で、手探りで洗面台に向かう。

 そこで、吐いた。

 嫌な刺激臭が、ツンと鼻の奥を貫く。

 酸味を帯びた不味い味が、口の中を支配する。

 初めはどろりとした流動性のあるものだったそれは、徐々に液体へと変わっていく。


「……ッ」


 一通り吐き切り、チャスは荒い息をした。

 まだ、頭痛がおさまらぬ。

 しばらく耐え忍んでいるうちに、立っているのが辛くなった。

 その場にしゃがみ込み、そのまま意識を手放した。




――――――



「……」


 チャスが目を覚ますと、硬い布団の上に横たわったいた。

 アルコールの強い匂いが、鼻につく。

 慌てて起きあがろうとするも、眩暈がして上体がふらつく。

 すると、誰かの手が彼の肩を掴み、ゆっくりと寝かせた。

 そして、上から麻の布団がかけられる。


「誰だ?」


 チャスは怪訝そうに顔をしかめた。

 すると、何かがチャスの指に触れた。

 ざらざらとした質感で、薄く、端が毛羽立っている。

 紙だ。

 そして、何かがチャスの手を捕える。

 ゴツゴツとしたそれは、男の手だ。

 その手はゆっくりと動き、その動きに従ってチャスの指は紙の上で線を描いた。

 それは、文字だった。


『アレン・バルヤード』


 チャスの指は、そう書いた。

 アレン・バルヤード。

 軍部に駐在する軍医だ。


「――となると、ここは医務室か」


 そう呟き、チャスはため息をついた。

 まだ頭痛は止まず、身体は重い。

 おまけに熱があるのか、全身が火照っていた。

 ――体調管理を怠るなど、軍人としては失笑ものだ。

 チャスは脳内で自分を嘲笑った。


『おそらく 戦続きだった日頃の疲れが一気に出た』


 他動的に動くチャスの指が、続けて書く。


『一週間ばかりこちらで療養を 国王の許可は取得済』


 その文字に、チャスの目は見開かれた。


「一週間?魔王討伐はどうなるんだ」

『あなたの体調を見て再会 あなた無しでは行えない』


 文字は、冷酷に綴った。

 耳が聞こえなくとも、目が見えなくとも、彼は英雄なのだ。

 なにが起ころうとも、彼は死ぬまで英雄でなくてはならない。

 聴力を失い、視力を奪われ、それでも魔王を三体も討ち取った、英雄。

 人々の期待が、羨望が、チャスの身体に重くのしかかる。


「療養するなら家に帰りたいのだが」

『馬車の揺れは身体に悪い ここで安静に』

「……」


 チャスは、再びため息をついた。

 ――家に、帰りたい。

 セリーナの柔らかな手の温もりが、花のように優しい香りが、懐かしい。

 彼女は今頃、先生と筆記の練習に明け暮れているのだろうか。

 血生臭く、むさ苦しい戦場とは無縁の、緑豊かなあの家で。

 そこまで考え、頭痛が悪化し、チャスは吐いた。

 気持ち悪い感覚だけが、身体中を循環していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ