落ちこぼれ魔女の戸惑い
「………、」
やられた。また教科書が水浸しだ。
どうしていつもこうなるんだろう。
彼女はレセル。カーデル村のレセル。ただの平凡な村娘だったのが、今では魔女の卵である。
ここ、バーレンデル王国は魔法が特化した国である。といっても、魔法が使えるのは特権階級の貴族か上級市民達だけで、レセルみたいな底辺の農民には普通、魔力持ちはいない。
レセルはある日、魔力に開花した。
きっかけは夏風邪を拗らせ、身体が衰弱してしまったのが原因だ。身体の防衛本能が暴走して、眠っていた魔力を引き出してしまったのだ。
検査の結果レセルの曾孫父が貴族の血を継いでいたらしく、その影響とのこと。
なんだそりゃ。それが、レセルの気持ちだった。
赤金色だった髪は真っ白な雪みたいになり、ふくよかだった身体は見事に痩せ落ちた。それだけならまだいいが、魔力を開花した人間は長じて寿命が長くなる。だいたい病気や、怪我がなければ200~300歳ぐらいで老化も緩やかになるらしい。
だが、その反動で子が出来にくいのだという。
貴族って大変なんだなと思っていたが、自分もじゃんと頭を抱えていた。彼女の中では村の誰かと結婚して、子供産んでのんびり暮らすつもりだったが、魔女に覚醒した今、嫁の貰い手なぞいない。貴族の嫁とか無理だし、良くて後妻、良くて妾だろう。
そんな後妻にも、妾にもなるつもりはさらさらないので、レセルは早々に結婚を諦めた。幸い、面倒見が良い村長が魔法学校に入学できるよう、取り計らってくれたおかげで今がある。
レセルが入学したアレイスタ魔法学校は魔力があれば、貴族であろうが農民であろうが入学を許されている学校だ。国内にいくつかある魔法学校の中でも異質で、家柄とか関係ない実力思考な学校であった。実際、ここの卒業生は実力者ばかりで王宮魔術師や魔女を多く排出している。学費も国持ちだが、この学校はある条件を満たさないと退校させられるという厳しい学校だ。
その条件とは、入学1年目に行われる精霊召喚魔法の試験で精霊と契約することである。
精霊と契約を結べば在学許可がおりるのだが、それは容易な事ではない。精霊が契約してくれるのは一か八かの勝負だからだ。精霊が気に入らなければ召喚者の前にあらわれない。それは何度やろうと同じこと。精霊は気に入らなければとことん気に入らない。頑固ではなく、そう裁定してしまうのだ。
貴族たちからすれば、それは酷いプレッシャーで、精霊契約を結べなかった子供は社交界に出されず、ひっそり下級魔術師として一生を終えるのである。
その精神的不安を彼等はレセルにぶつけるのである。身分も、学力も下のレセルを虐め、蔑めることで自尊心を保とうとする。レセルはそれをプチ不幸の延長だと割り切っていた。
魔女に覚醒してから彼女の友人たちは離れ、仄かな初恋を抱いた青年からは悪気はないだろうが化け物みたいと言われ、気の優しい近所からは腫れ物みたいな扱いをされる日々。
正直、よくわからない隣人よりイジメをする貴族たちの方がわかりやすくストレートに接してくれるので気が楽だ。だからって備品を壊されるのは勘弁してほしい。
読み書きだけで必死なのに、読むはずの教科書すら読めなくされたら授業に支障が出てしまう。
ただでさえ、自分は落ちこぼれなのに。
そう、考えると余計に気が重くなった。
虐めがエスカレートしているのは明後日の精霊召喚の儀式が近いからだ。
早く終わればいい。
自分もその儀式に挑むのに、レセルは他人事のようにそう思いながら、濡れた教科書を持ち上げた。
元々、魔女としての自覚もない。天才的な魔法のセンスもない。例え精霊が呼べなくても、下級魔術師として生きていけるなら何でもいい。
夢は持たない。
そう、レセルは本気で思っていた。
「レセル君、今君が置かれている状況を説明しよう」
「は、はい」
「精霊も人間と同じく国がある。火の国、水の国と、それぞれに精霊王がおり、精霊世界を統治している。なかでも力の強い精霊は精霊王から爵位を賜っている。君が契約した精霊はバザエクの聖典に書かれた三日三晩世界を浄化した特級の精霊。光の国、序列第三位の銀の公爵ルナエシル卿だ。つまり、君は正典に出てくる最強最悪の精霊と契約したことになる」
レセルはちらりと、レセルの髪の毛を楽しげに弄る、隣の精霊を見上げる。
ルナシエルと精霊契約して気絶してから目が覚めたら朝だった。
アレは夢かと思ったが現実は虚しく、奴はエプロン姿で普通にいた。「朝食できたよマイレディ!」とスパダリよろしく起こしに来たのに絶叫したレセルは悪くない。
(精霊は普段、契約者とこんなにベタベタしてたかな?担任の契約精霊さんは先生の陰に潜んでいたような?)
レセルは何とか状況を飲み込んで、学校にきたはいいが、朝イチで校長室に呼ばれたかと思うと、藍色の髪が印象的なイケメンお兄さんとオロオロする校長と圧迫面接をする羽目になった。
イケメンお兄さんの名前が、王宮魔術師長のルドガー・エリクセン師団長閣下と聞いて、気絶したくなったレセルは悪くない。
規格外のイケメン精霊のルナシエルは、レセルと目が合うと、にっこりと暢気な笑顔を浮かべている。
イケメンに挟まれてるが、恐怖とパニックの意味で心臓が痛い。
三日三晩世界を浄化した?
最強最悪の精霊?
ふわふわした感じのルナシエルになんかしっくりこない。思わずレセルは「まじで?」と王宮魔術師長をみやれば、冷たい視線を向けられた。なんか目線で「わかんねーのか?馬鹿か?」と言われた。
レセルの混迷はさらに酷くなった。
「君は 、彼の主人となった。その意味がわかるか?」
「….えーと、私の存在は、危険ってことですか?」
「… 自覚しなさい。精霊は契約した主が絶対だ。君が、誰かを呪えば確実に殺しにいくし、君が世界が無くなればいいと言えば本気で滅ぼしにかかる。精霊を甘く見てると痛い目に合うぞ」
「ひぃ」
「ちょっと、君。僕のレディを怖がらせないでくれないか?ああ、こんなに青褪めて……可哀想に。…怖かったろう?」
そうふわふわした声で言うと、レセルの頭を胸に抱き寄せるルナエシルにレセルの肩は跳ね上がる。「おめぇの方が怖いよ!」とその場にいた人間は全員思ったに違いない。
「あの、世界を浄化したって、ほんと?」
「ん?浄化?してないよ?マイレディ」
思わず聞けば、あっけらかんとルナエシルは即答した。
「浄化って言うのは殲滅だよ。塵ひとつ残さず、一切を無に帰すことさ!僕はちょっと害虫駆除しただけで、浄化なんてしてないよ。じゃなきゃ、人類は今頃全滅してて、君だってこうして産まれて来なかっただろう?」
(………凄く恐いことさらりと出来るけどやってないって、言われたような…?)
頭は悪くもない、鈍感ヒロインでもない普通のレセルは頭が痛くなった。
「僕がしたのは、えーと、なんだっけ?エリュシオンって国を砂漠に変えただけだよ?」
その言葉に、ルドガーは顔を真っ青にさせた。ルドガーの隣に座る校長の顔色はさらに酷い。
「……エリシュ砂漠の悲劇か」
その単語にレセルは世界地理の授業の内容を思い出す。
エリシュ砂漠は大陸の三分の一をしめる巨大な砂漠で、草木が一切生えない不毛の地だ。
日中は40度近い高温だが、夜になると零下まで下がる気温の落差が激しい場所である。
現在、エリシュ王国と言う国が統治しており、国益は主に砂漠を移動する商人の護衛の傭兵派遣や、魔物のからとれた魔石と呼ばれる宝石、加工品や貿易で財をなしてはいるが、食糧は海で取れる魚や海産物だけで、他の食料は完全に完全に外部だよりである。食の宝物庫っていわれた隣国アーチェラスの属国だったはずだと、レセルは思い出したがエリシュ砂漠の悲劇と言う単語に首を傾げた。
「…エリシュ砂漠の悲劇?」
「うむ、レセル君のクラスはまだ世界史はそこまでいっておらんようだな」
影が薄かった校長が、ここにきて咳払いした。うっかり校長の存在を忘れていたレセルに、校長は得意げに語り出した。
「かつて、世界最古の文明があった。それをエリュシオン文明。世界の中心と謳われ、その華やかな文明は人類史において類を見ない高度な文明だったといわれておる。空飛ぶ船や、最先端ゴーレムの開発、未だ人類がなし得ない技術力があった。しかし、その技術力は同時に格差社会を作った。為政者は自らを神だと言って憚らず、奴隷制度をしいて人が人の尊厳を踏み潰すような…圧政があったと伝えられていての、これをエリシュオンの圧政とよぶ。ここら辺は、一年生の二学期範囲だから覚えておきなさい」
「あの、校長。授業ではないので、手短に」
眉間をグリグリと抑えるルドガーに、「これは失敬、職業病でして…」とすっとボケる校長にレセルは「早く、話しを終わらせてくれ」と言うのをこらえる。世界史の授業を今されても困るのが実情だ。
「うむ、大地は砂漠化し、呪われているが如く植物は決して生えない。水脈があるにもかかわらずだ、これをエリシュ砂漠の悲劇と呼ぶ。……原因はエリュシオン文明の崩壊によるものと言われておるが、その理由が…」
校長は、怯えきった目でルナエシルを見る。逆にルナエシルはニコニコしていて怖い。
「……貴方はエリュシオン文明を三日三晩かけて消滅させたの?」
「三日三晩?そんなに時間をかけた覚えは無いかな。はて、何でそんなあやふやな伝承が残っているの?それこそ不思議さ」
「参考までに、害虫とは?」
ルドガーの問いにルナエシルは綺麗に微笑んだ。純真無垢な優しい笑顔で。
「内緒」
ルナエシルの謎が余計に深まった瞬間だった。