苦恋【第2話】
「あら、ごめんなさい、なんだか深刻な話をしてしまって。」
所川さんが涙をこぼしてる僕を心配するような顔を
しながらそうたずねてきた。
「あ、大丈夫です、、。」
僕は自分の中にある言葉を必死に探したが
大丈夫です、そう返すしかなかった。
ふたりの間に変なぎごちない空気が流れた。
僕はこのままこの空気を漂わせるわけにもいかず
何か別の話題を振ろうと必死だった。
そこでまさかの言葉を所川さんが投げかけた。
「あの、すいません、話は変わりますが、今夜仕事と終わったら時間ありますか?」
急に会話を変えてきたのである。
僕は今度こそ自分の中の言葉を探して答えた。
「えぇ、大丈夫ですが、何か用でも?」
僕は所川さんの様子を見ながらそう返した。
「用というか、佐藤さんに伝えたいことがありましてね、でも今会社じゃないですか?会社で伝えるより仕事と終わった後に別の場所で伝えたいなって。」
僕はこのとき、所川さんが愛を遠回しに伝えている事
など知りはしなかった。
「わかりました。っで、どこで会いますかね?」
僕は仕事終わりにどこで合流するかを聞いた。
「華雫河公園って知ってます?」
その公園はこの会社の近くにある、綺麗な川が
通っているまあまあ広い公園のことだった。
「はい、知ってますよ。」
「じゃあ、今夜仕事終わって、一旦帰宅して着替えたりするので、夜8時に会えますかね?」
「8時ですね。大丈夫ですよ。そうしましょう。」
「はい!ありがとうございます!」
こうして僕たちは今夜会う約束をした。
仕事が終わり、僕は家に帰って乾いた喉を冷えた
ビールで潤した後、約束したあの公園に向かった。
公園に着いた、が8時より少し前だった。
まだ所川さんの姿はなかった。
3分ほど、流れる綺麗な川や街灯を見つめていると
白いパーカーに黒いズボンを履いた所川さんが来た。
「すいません、もういらしていたんですね。」
初めて所川さんの私服を見た僕はなんともいえない
不思議な気持ちになっていた。
「あぁ、大丈夫ですよ。ごめんなさいね、僕はスーツのままで。」
「大丈夫ですよ。隣失礼しますね。」
所川さんは微笑みながら、僕の車椅子と並んでる
ベンチに隣り合わせになるように腰掛けた。
すると、所川さんは星が輝いている夜空を少しだけ
見つめた後、視線を僕に移し、話し始めた。
「あの、今回呼んだのは、伝えたいことがありまして。ごめんなさいね、疲れている中。」
「いえ、全然大丈夫ですよ。」
そう話すと数秒沈黙が続いた。
その沈黙してる間、2人の耳には流れる川の音だけが
優しく伝わってきた。
「っで、僕に伝えたいということとは?」
僕は思い切ってこの話を展開させようとした。
「あぁ、それがですね…」
所川さんはそう言うと、一度目線をベンチに落とし
瞳にほんの少しの涙を浮かべるとまた視線を僕へと
戻し、こう話し始めた。
「実は、入社してからずっと、佐藤さんのことが好きでした。優しくて、私が仕事を間違えたときも笑いをいれてくれて場を和ませてくれたり、年齢も近いのもありますし、その、佐藤さんのことが好きだったんです。前々からこうして呼んで、この思いを伝えたかったんです…。」
と所川さんは潤った真剣な瞳を僕に向け話した。
また数秒沈黙が続いた後、所川さんは言った。
「もしよかったら、私と、付き合ってください。」
僕はそう言われた瞬間、なぜ仕事終わりにこの公園に
呼ばれたのかなど、その意味を全て理解した。
今度は1分ほど沈黙が続いた。
また2人の耳には、優しい川の音が聞こえていた。
僕もこの流れで思いを伝えると決め、こう言った。
「実は、僕も所川さんが入社して、席も隣だったので、ずっと気になっていました。そして、僕も所川さんのことが好きだったんです。こちらこそ、こんな僕でよかったら、付き合ってください!」
僕がそう言った瞬間、川の音が途切れた気がした。
2人にまた静かな時が流れていく。
すると所川さんはベンチから立ち上がり笑顔で
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
と元気よく言った後、綺麗なお辞儀をした。
僕もすかさず、お辞儀をした。
こうして、車椅子の僕と余命半年の所川さんの
恋が始まったのである。
付き合って2ヶ月が経ち、ついに同棲を始めた。
近くのショッピングモールに買い物に行ったり
遠くの街まで出掛けて、夜景を見に行ったり
温泉、遊園地、観光地、海、山、キャンプなど
喧嘩、そんなことは一切なく、ただ楽しい時間が
あのとき、告白された公園に流れている川のように
優しく、流れていった。
所川さんも、僕も、あまりにも幸せな毎日だったので
2人とも余命のことなど全く意識していなかった。
これはあくまで僕から見た所川さんの様子である。
きっと本人は、ずっと笑顔だったが迫り来る余命が
怖くて怖くてたまらなかったと思う。
そして、とある夜。
仕事を終えて2人とも家に帰り、次はどこに行こうか
などと話していた。
そのときだった。
突然、所川さんが意識を失い、床に倒れた。
その光景を見た瞬間、僕の記憶から「余命」という
ものが全て蘇り、急いで救急車を呼んだ。
救急車は5分もしないうちにアパートに来てくれた。
所川さんに酸素マスクがつけられ、運ばれた。
僕も所川さんと一緒に住んでいるということもあり
救急車に付き添いということで乗った。
救急車は猛スピードで所川さんが入院していた
大きな総合病院を目がけて走っていった。
7分くらいで総合病院に着いた。
すごいスピードで所川さんが乗っている担架が
病院の緊急外来入口から病院内へと運ばれていく。
所川さんを乗せた担架は30秒もしないくらいで
手術室の中へと入っていった。
僕はひとりの先生に、ここで待っていてくださいと
手術室の近くにある椅子に腰掛け、余命という
なんともいえないものがあるが、どうにかしてまた
一命をとりとめてほしい、そうずっと祈りながら
手術室の近くの椅子の横で待っていた。
気がついたら、自分のスーツは涙でびしょ濡れで
涙のせいで視界がとても歪んでいた。
赤く光る「手術中」の文字さえも歪んでいた。
だが、僕には祈ることしかできなかった。
所川さんが手術室に運ばれて2時間が経った。
赤い「手術中」の光が消えた。
手術室のドアが開き、担当したであろう先生が
出てきて、僕の方へ歩いてきた。
僕は、助かっててほしいという気持ちだけを抱えて
車椅子を先生の方へ向け、視線も先生に移した。
涙はなんとか止まったが、瞳の奥は潤っていた。
「先生、所川さんは、、、。」
しばらく静寂が続いた後、先生は言った。
「誠に残念ですが、息を引き取りました。」
僕は、もう泣き崩れることしかできなかった。