懇親会 2
「ようこそいらっしゃいました、エリカ様、ルゥ様」
「お招き感謝いたします」
二人が部屋の中に入ると、ソファには既に客人と見られる貴族が一人、座っていた。
「こんばんは、貴女がアルパーソン様ですな? 私はマーグラ領を管理しているゲイン・マーグラです。若いのにこんな場所に来るなんて、大変ですなぁ。婚約相手を探すにはちょっと時期尚早だと思いますが。はっはっは」
「そんな言い方はなさらなくても、こんな時代ですからね。どうぞお二人はこちらへ」
ニコラスに案内されて椅子に腰掛ける。ゲインに近づいたところで、ルゥは強い香水の匂いで顔をしかめた。
「あと一人お呼びしているのですが、まだいらっしゃらないようですね」
「ふむ。マーグラ家の私を待たせるとは」
ゲインが息を荒くしながら席から立ち上がろうとするのを、ニコラスがなだめるように止めた。
「まあまあ、何か事情があるのかもしれません。……あぁ、そうだ。先ほど広間でとある貴族の方からワインをいただいて。これが属国の最上級のワイナリーのものだそうです。ぜひライン様に飲んでもらおうと思っていたのですよ」
ゲインは「ほう」と唸って、伸び放題の顎髭を弄りながら棚に向かうニコラスを目で追いかけた。
「これがそのワインです。普段なら私には手に入らないものですし、緊張してしまいますね。グラスは四つで――――」
その時、扉が勢いよく開かれた。
「ニコラス様、おまたせいたしました!」
現れたのは、従業員だった。明らかにもう一人の客人ではないとわかる様子だったが、彼に構っている場合ではなく……ガシャン!と大きな音を立ててワインを落としたニコラスの情けない表情を見るべきか、見ないべきか、そればかりであった。
「おい、驚かすんじゃない。お前のせいで貰い物のワインが無駄になってしまった」
「も、申し訳ございません! ニコラス様から部屋の掃除の命令を至急で受けたもので」
「そんな命令などしていない。はぁ。だがお前のおかげで掃除の必要ができたな、おめでとう。……皆さん、私は着替えて参りますので、少々お待ちいただければ」
ニコラスは奥の部屋へと消えていった。奥から誰かとニコラスの話す声が聞こえてきた。
「興が削がれてしまいましたな。もう一人の客人が女性でなければもう帰っているところだ」
ゲインは深い溜め息をついた。不遜で不機嫌な男が一人、おぼつかない手つきで掃除をする従業員が一人、彼らと同じ部屋に閉じ込められて、エリカもルゥも何かを言う気にはなれなかった。
程なくしてニコラスが戻ってきた。先ほどよりも多少は豪華に見えなくもない服装で。
「皆さま、失礼しました。……ダリア様がいらっしゃる前でよかった」
ニコラスが席に座ったタイミングで、扉がノックされた。
「ダリア・ジルフィートと、申します……」
「入ってください」
現れたのは儚げな表情をした妙齢の女性で、深々とお辞儀をした。
値踏みするようにそれを見ていたゲインは、黙ったまま怪しげに口角を上げた。
「何かあったのかと心配しましたよ。でも無事に来ていただけてよかった。これでお呼びした全員が集まりましたね」
ニコラスが従業員に出ていくようにサインを送り、パタンと扉が閉じられると、部屋には五人の貴族が残った。
「では、ダリア様はこちらに」
と、ニコラスが入口に一番近いソファを手で示したその時。
――――風の流れの変化を感じ取ったのはルゥだけだった。それと、光の当たり方の違和感。
(シャンデリアが落ちてくる!)
確認すると、思った通り天井付近の棒が折れて落ちてきていた。
(弾き飛ばすか……? いや、今の力で安全に守りきれる保証はない。エリカだけでも……!)
一瞬の出来事だった。エリカの上に覆いかぶさるように盾となる。ガラスが割れ、金属が擦れ、騒音と共に血が飛び散った。
それを目の前で見ていたダリアは口元に手を当てたまま動けず、ニコラスは間一髪で当たらなかったものの、ガラスの破片で怪我をしており、ゲインに至っては……即死だった。
ルゥの体は流血や怪我に反応して膜に守られるように硬くなる。金属の先が背中に突き刺されば、それ以上深くまでは刺さらない。
能力が解放されたことで頭は冴え、力も強くなる。できるだけ不自然にならないよう、エリカを避難させてから机と椅子の間で運良く助かったように気絶したふりをした。頬にエリカの手の温かさと涙の冷たさを感じるが、目をあけるわけにはいかなかった。
「だ、だれか! 医者を呼んでこい!」
奥の部屋からぞろぞろと出てきた人々に指示を与えるニコラスの声を聞いたのを最後に、ルゥは自己治療のための短い眠りについた。
それから一時間もしないうちに、その部屋は「現場」と呼ばれるに相応しい様子になっていた。
部屋に集められたのは、ニコラスの招待した人たちに加え、ニコラスの付き添いで来ていた何人かの世話役と、大勢の警察と、ホテルのオーナーだ。
ゲインの死体はすでに運び出されており、ルゥはその場で医者の治療を受けたのち、流血の様子もなかったので気絶しているだけだと判断され、ソファに寝かされていた。
「……ですから、設備の問題ではないはずです」
オーナーの言い訳がましい言葉に警察の男は深く頷いた。
「状況から判断して、ダリア様の殺人であることは明確でしょう。ダリア様、こちらへお願いします」
「いえ、私は……」
「すみませんが、認めていただけますか。こちらとしても、余計な捜査をする必要がなければひじょうに助かるのです」
「でも!」
「おわかりになりませんか、ダリア様。今白状していただければ貴族姓を剥奪などいたしませんと、そう申し上げているのです」
男の有無を言わさぬ態度に、ダリアは不承不承ながら前に出た。その後ろ姿をニコラスが心配そうな顔で眺めている。
「それがお互いのためです。ダリア様はその扉の位置から切断魔法でシャンデリアの根本を破壊し、ゲイン様を殺害した。そうですね?」
ダリアが男の前まで来たところで、しびれを切らしたエリカが口を開いた。
「あなた、それでいいの?」
何も言うまいと口を噤んでいたが、眼の前で冤罪が成立しようとしていることに我慢ができなかったのである。案の定、衆人の視線はエリカに集まる。
「だって……ダリア様は手袋をしていたわけだし……」
警察と揉め事を起こしたがる人などいない。彼らのエリカに向ける目は、奇異の目というよりも憐れみや同情といったものだった。
「シャンデリアの支柱を見れば扉の方向から切断されたということは素人にもわかるはずです。それに、ダリア様本人が認めているのに他人が口を出すことではないと思いますよ。エリカ様も共犯だと言うのであれば話は別ですが」
男がエリカを威圧するようにそう言うと、その視線を遮ってダリアが間に入った。
「すみません。私がやったんです。この子は……エリカ様は関係ありません。どうか――」
「少し待ってくれ。おそらくその人は無実だ」
そこへ、目覚めたルゥが声をかけた。
「ルゥ、もう大丈夫なの? もう少し休んだほうが良いんじゃ……」
「心配させてすまなかった。もう休まなくて大丈夫だ。それに今はあの人の疑いを晴らさなきゃいけないんだろう?」
「そうだけど……あなた何かわかるの?」
その場の全員がソファから起き上がるルゥに注目していた。
「彼女と入れ替わりで出ていった従業員が犯人だろう」
「まさか……」
「この部屋に手袋をせずに入ったのは彼だけだ。彼がやったとしか考えられないだろう」
それを聞いていた人たちが一瞬黙り込む。
ニコラスが苦笑しながら口を開いた。
「ルゥさん。その、従業員に切断魔法なんて使えないと思いますが……。いえ、万が一使えたとして、あの場所からダリア様を避けて放つなんて無理があります。何しろ切断魔法は制御が難しく、私でもあの状況で打てばダリア様を巻き込んでしまったでしょうし」
「……そうなのか?」
「ええ、そうね。私でも無理だわ」
ルゥは小声でエリカに尋ねると、考え込んだ。
一秒も経たないうちに、またエリカに耳打ちする。
「じゃあ、浮遊魔法でシャンデリアを浮かせることはできるか?」
「それならできるわ。発動の瞬間だけは手を前に伸ばしている必要があるけどその後は手を下ろしていても問題ないし……確かにあらかじめシャンデリアを切断しておいて浮遊を解除するって方法なら可能かも。……でもね、浮遊魔法って結構難しいのよ。私ならできるけど、貴族の中でもあれだけ重たいシャンデリアを浮かせ続けることができる人なんて限られてると思うし、まして従業員なんて」
「彼は普通の従業員じゃない」
「――――内緒話をするのはいいですが、これ以上時間を無駄にしたくありませんから言っておきます。仮に犯人がその従業員だったとしても、それを認めるわけにはいかないのですよ」
苛立ちを顕にしながら、警察の男は続ける。
「これだけ大きな事件はニュースになります。多くの人に届くのです。そこでもし、平民や下民が貴族を殺しただなんてことが知れ渡れば、もしかしたら自分たちにも貴族が殺せるかもしれないなんて思う輩が現れます。今この街で貴族の安全が守られているのは我々が貴族というものを神聖に見せているからなのです。つまり、貴族を殺したのは貴族でなければならないし、高貴なお方の死には複雑で壮大な陰謀がなければならない。おわかりいただけますね」
「それは……」
「悪事を犯した人間に罰を与えるのではなく、治安を守るのが仕事です。だから、多少の冤罪など仕方ないのですよ」
翻った男が部屋のドアを開けると、その向こう側には整った身なりの長身の男がおり、そのさらに奥に、一人の女性が立っていた。
「聞き捨てなりませんわね」
その女性は、次期女王、アム・クラリス・フィルガードだった。
「警察に対して王宮がそのように命じたことなどなかったはずですわ」
「これは、クラリス様! このような場所にいらっしゃる必要は……」
「あら、私が呼びつけた催しで事件が起きて、それを放置しろとおっしゃるの?」
「滅相もございません、ですが……」
長身の男がクラリスに何やら耳打ちをすると、クラリスは驚いた表情を浮かべて部屋の中に入り、エリカとルゥのもとへと歩いた。
「あら……。なるほど。そこのお二人、お名前は何て?」
「私はエリカ・アルパーソンと申します。こちらは妹のルゥ・アルパーソンです、クラリス様」
「エリカさんとルゥさんですわね。ふむふむ……。それで、私はルゥさんがさっき何か言おうとしたように見えたんだけど。事件に関して何か知っているんじゃなくて?」
「知っているというよりも、一つの可能性を推理しただけです」
「構いませんわ。事件の状況は聞いていますし、単刀直入にお願いしますわね」
「はい。事件が起きる前、この部屋に従業員が訪れたのですが、その男が犯人だと思われます」
「従業員の男が、ねぇ。それで?」
「彼は本来呼ばれていないにも拘らず、この部屋に清掃に来たんです。部屋に入るときに驚かすような音を立てて、そのせいでニコラス様がワインを落としてしまいました。その音に全員がニコラス様の方を向いていたので、その隙にシャンデリアの支柱を破壊したのでしょう。破壊してすぐに浮遊魔法でシャンデリアを持ち上げ、そのまま維持し、ダリア様と入れ替わり部屋を去るタイミングで魔法が切れて落ちてきた、そう考えれば説明がつきます」
「まあ、理屈で言えば可能ではありますわね。でも清掃に来るような従業員にそんな魔法が使えるとは思えませんわ」
「彼はおそらく貴族か、元貴族の者です。広間でクラリス様のお話の際に音楽が途切れるハプニングがありましたが、あのタイミングで音が切れても不自然さはなく、お恥ずかしながら私はハプニングに気づきさえしませんでした。曲が終わったのだと勘違いした人も多かったのです。ですが、その時に明らかにアクシデントに気がついた従業員が居たのです。それが彼でした」
「よく見ていますわね」
「たまたま顔を覚えていたのです。ですから、貴族出身の彼なら私の申し上げたような犯行も可能かと思います」
「おっしゃるとおりですわ。さぁ、警察の方々、聞いていましたでしょうし、早速その従業員を探してくださいまし」
困惑した表情を浮かべ、だれも動こうとしない。
「クラリス様、そのような子供の推理を信用するのですか」
「子供も大人も関係ありませんわ。それに、仮にこの事件の犯人でなかったとしても、あの類の音楽に精通した平民がここで従業員をしているというだけで不審ではなくて? この街の前に、私の滞在するホテルの治安を守ってもらえることを期待していますわね」
部屋からぞろぞろと人が出ていき、再び広くなった。
「さて、私たちも場所を変えましょう。お二人さん、ついてきてくださる?」
クラリスに連れられて二人が訪れたのは、彼女の部屋だった。
読みづらく苦しい箇所もあるかと思いますが精進できるようになんとか書き続けていこうと思います。




