洗礼 2
司教の後に続くと、先程までの豪華さとは打って変わって、まるで牢屋のような雰囲気になる。重たい扉を開けると、その先にあったのは、まさに処刑部屋であった。
声の響く室内の中央には拘束椅子が備えてあり、背もたれには意味深な穴が空いている。
「勇者様に尽くす教会に敵意を向ける異端者に、刻印を施すのです。刻印は体内の魔法回路と接続され、我々の意思でいつでもそれを焼き切り、その命を絶つことができます」
二人とも、何を言うのが正しいのかわからなかった。
「本来であれば異端者は即排除すべきところ、我々は一度だけチャンスを与えているのですよ。洗礼を受けた異端者は元通りの生活に戻り、教会と手を取る道を選び取るのです」
要するに、いつでも切り捨てることのできる駒を作っているということだ。
「今週は二人もの異端者が出てしまいました。そこに並んでいるのが異端者です」
司教の指差す先に、ベティの父親の姿があった。
「彼らは、何をしたのでしょうか。例えば、手前の、彼は」
「ああ、あの異端者は……。彼は以前、強い希望で息子をセイレン教会の祈祷室に入れてほしいと頼み込んできたのです。我々は広い心で彼を受け入れ、たった四年の従事で息子の学費の免除まで申し出ました。しかし今になって突然、息子を開放してほしいと言うのです。全く、恩を仇で返すとは」
大柄の男が、異端者を椅子に座らせて拘束した。
「魔法結晶の採掘は誰にでもできる作業です。しかし、祈祷はそうはいかないのです。魔法を使うことのできる人間にしかできない、崇高な仕事です。それに従事させてもらえることが、どれほど幸福なことか、彼にはわかっていないのでしょう」
棒の先に熱した印鑑のようなものがついた器具を、背中に押し付ける。
異端者の叫び声が部屋に響いた。
「痛ましい……」
「全くですね。見ていて気持ちの良いものではありません。さあ、帰りましょう」
強く握った拳が震える。怒りと、悲しみと、悔しさがこみ上げてくる。
「ちょっと、ルゥ」
エリカがそっとルゥの衣装を引く。
「おや、どうされましたか、アルパーソンお嬢様。お帰りはこちらですよ」
「……あぁ」
一時間後、グレートウォール駅にて。
「お客様、ご乗車しないのですか」
「人を待っているんだ」
「そうですか。失礼いたしました」
プラットホームで、銀髪の少女は乗るはずだった列車を見送る。
それからしばらくして、待っていたルゥのもとにエリカが駆け寄ってきた。
「ごめんなさい、少し時間がかかっちゃったわ」
「問題ない」
ルゥを待たせている間、何をしていたのか。それを聞かれると思っていたエリカは、あっさりしたルゥの返答に、用意していた言葉を捨てることになった。
「こうなったのは私たちのせいじゃないわよ。あの人もベティのもとに戻れるわけだし……教会だって無闇に人を殺すようなことはしないはずだわ」
「わかってる」
ルゥは心の整理がつかずにいるのかもしれない、エリカはそう思った。膂力や洞察力では頼りになる彼女も、この世界に産み落とされてからまだ数年なのだ。肝心な時に冷静さを欠くことも多く、衝動で過ちを犯す可能性だってある。
エリカにとって、ルゥは大切な妹なのだ。
「ベティは知らないほうがいいわね。……ほら、そんな顔してたら、不審に思われるわよ」
「わかってるさ」
帰りの列車の中で、ルゥは窓の外の人々を目で追った。
(あの中の一体何人が、刻印を背負っているのだろうな……)
それから数日が経った後のことである。ベティの父がコーヒーハウスを訪ねてきた。
「こんにちは。ルゥさん、少しお話をよろしいでしょうか」
ルゥは彼の後について店を出た。
「店の中ではだめなのか?」
「……静かな場所でできるような話ではないですから」
ルゥはこくりと頷いた。
「先日は教会で、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。偶然とはいえ、お見苦しいところを」
「いや、勝手に覗いてしまったのは私のほうだ」
「ああなることは想像できたのに。俺は愚かでした。……分不相応に気が大きくなっていたんでしょうね。すぐには息子を返してくれないと言われて、そこで引き下がればよかったんです」
ルゥは黙って聞いていた。謝りたい気持ちでいっぱいだったが、謝罪の言葉は彼の弱い心に追い打ちをかけるだけだと我慢した。
「司教から聞いたんですよね。俺の息子を解放してくれて、本当にありがとうございます」
「解放?」
「……ええ、あれだけ渋っていた教会が急に息子を家に帰してくれて。今は、昔のように皆で仲良く過ごせています。てっきりルゥさんがあの後司教にかけあってくれたのかと思ったんですが……」
「いや、私は何もしていない」
「……そうですか。そういうことにしておきます」
男は慇懃に一礼した。
「ありがとうございます。ルゥさん。俺は本当に感謝してるんですよ。あれ以降、教会からの指示もなにもないですし、そもそも俺の自由が無くなる程度、家族が以前のように揃うことに比べたら安いものです。だから、くれぐれも、家族には秘密にお願いします」
「わかった」
奥さんは気づいているだろう、ということは伝えないことにした。彼女もそれを望まないはずだからだ。
一人で店に戻り、エリカの向かいの席に腰をおろした。
「君が交渉したのか? ベティの兄のこと」
「そうよ。司教様も快諾してくださったわ」
本音を言えば危険な交渉をしないでほしいが、それを口に出すわけにはいかない。
「心配しないで、ルゥ。こういう関係の相手には、少しわがままを通すくらいのほうが良いってお父様も言ってたわ」
「そうだと良いのだが」
「大丈夫よ。それにね、私考えたんだけど……この街に来たからには、助けを求められたら全力で助けて、駄目だったものは諦める。私の知らないところは知らない。これが、お父様の言ってたことなんじゃないかって思うの。ほら、両手におさまる幸せを大切にしなさいって」
ルゥは自分の両手を見た。
この小さな両手におさまる幸せとは、どれくらいなのだろうか。
◇
時は遡って、教会の門にて。
エリカと交渉を終えた司教のもとへ、一人の男が話しかけた。
「よろしかったのですか、司教様」
「はっはっは、聞いておったのか」
「申し訳ありません」
「まあよい。アルパーソン嬢は年齢にしては中々聡明だからのう」
「祈祷室の労働力を一人増やすためには労働者の適性確認や身元の保証をする必要があり、短期での雇用は割に合わないと」
「もちろん。だからこの話を切り捨ててもあの子なら納得してくれただろう。だがな、あれはまだ若いとは言え、あのルーク・アルパーソンの娘だというのは確かなのだよ。何か裏の事情があってもおかしくはなかろう。恩を売るという意味でも、様子を見るという意味でも、安いものだ。わかるかな」
「……理解しました。父上の判断を信じます」
門の前でのその様子を上からじっと眺めていた男が一人、王宮の塔の中にいた。
「不思議ですね」
男は首を傾げたが、すぐに仕事に戻っていった。