洗礼 1
「今日は珍しく客がいるんだな」
「ええ、ルゥさんのご友人だそうです」
ハルスとタイラーの視線の先には、出されたケーキにも手を付けずに俯くベティと、反対の席に座るルゥとエリカの姿があった。
「気の毒だが、居なくなった人を見つけることはできない」
「ルゥ……」
ベティの父親が一昨日の晩に、突然姿を消したのだという。夕食の最中、誰かに玄関に呼ばれて出ていった父親は食卓に戻らず、現在まで帰っていない。警察はもちろん動くはずもなく、頼れる人間を探して「ペトラ」という名前を手がかりにこの店を見つけたようだ。
「言い方は悪いが、人が消えるなんて珍しい話じゃない」
「でも、お父さんは何日か前から様子が変だったんです。だから偶然の事件じゃないって思うんです」
「目をつけられているのを薄々感じていたのかもしれない」
「……でも」
ベティは黙り込んでしまった。きまずい静寂が机を支配する。
「妙だな」
そう言葉にしたのはハルスだった。
「お前の親くらいの年の平民なら、襲われるとすれば金品狙いだろう。女や子供と違って誘拐しても売るアテに乏しいからな。仮に強盗だとすれば、店の金がそのままで本人だけ消滅しているのは不自然だ。その人でなきゃならない理由があったんだろう」
「じゃあ何か手がかりがあるかもしれないってことね!」
「さあな」
「ルゥ、私たちでなんとかしてあげられないかしら」
「……そうだな」
「ハルス、あなたも」
「俺は用事がある。それじゃ、また明日」
ハルスは足早に店を後にした。
「お店のことは大丈夫ですから。ルゥさんもエリカさんと一緒に行ってあげてください」
「了解した」
ポートラインの主な通りには番号がつけられている。エイド川に近いものから、一番通り、二番通り、三番通り、といったふうに。数字が大きくなるにつれて治安は悪くなり、数字がつかなくなったところからは無法地帯だ。
「もう、わかってたけどアイツって薄情な奴よね」
コーヒーハウスのある六番通りから、ベティの家のある八番通りまで三人は歩く。
「だが彼のお陰でヒントは得られた」
「ヒントねぇ……。そうだわ、ベティ。お父様の様子が変だったっていうのは、具体的にはどんな感じだったのかしら」
「ええと、説明しづらいのですが……。とにかく普段と違ったんです。ずっと続けてる仕事でやけどをしたり、私にいつもより早く寝ろと言ったり」
「うーん、それだけじゃちょっとわからないわね。ルゥ、どう?」
「さっぱりだ」
例の店についたところで、ベティが足を止めた。
「すみません、お母さんには言ってないんです。ルゥさんを探しに行ったこと。お母さんはもう諦めちゃったみたいで、私にも危ないから探しに行くなって。だから、お母さんの前では友達のふりをしてください」
「簡単に諦めていいことじゃないのに……。わかったわ。私たちに任せて! ルゥは何でもできるんだから」
「お願いします」
ベティは深々と頭を下げた。
妙に新しい店のドアを開けると、ベティの母が出迎えてくれた。
「あら、あの時のルゥさんね……」
「あぁ、お久しぶり。突然お邪魔してすまない。この間壊してしまったドアがどうなったか確認しに来たんだが、無事に直ったようでよかった。お店は閉めているみたいだし帰ろうかと思ったんだが……ベティが入れてくれたんだ」
「そういうことでしたか。今お茶を淹れますから、座っていてください。えっと、そちらのお嬢さんも」
エリカはぺこりとお辞儀をした。
三人は以前と全く同じ様子のダイニングに案内された。椅子も机も綺麗なままで、四人分の食事が並べば幸せな食卓になるだろう。
「ベティ、少し手伝ってちょうだい」
「……私が行こう」
ルゥがキッチンへと向かうと、ベティの母は驚いた様子でルゥを見下ろした。
「ベティにはエリカの話し相手になってもらっているから、代わりに私が来た」
「……そう、ありがとうございます。それならそこの火を止めて、スープを盛り付けていただけますか。お昼時ですし、是非ご一緒に」
「お言葉に甘えて」
狭く、至って普通のキッチン。うっすらと甘いような独特の香りが漂っている。奥の部屋のほうに大きなオーブンが見えるから、こっちは家庭用の台所なのだろう。
掃除が行き届いていないわけではないが、ところどころ散らかっている。
やはり、ベティの父が消えたことで動揺しているのだろうか。
ルゥがキッチンを物色しているうちに、あっというまに配膳まで終わっていた。
「さて、いただきましょうか」
ペトラが作るのと比べるとやや塩辛いスープを飲みながら、ルゥが詐欺師を撃退したときの話をする。話題が居なくなった父のことへ向かないよう、慎重に。
ベティの母は以前と変わらぬ様子で子供たちの話を聞いていた。まるで本当になにも起きていないかのようだった。
「ふぅ、お昼ご飯までいただいちゃって、どうもありがとう。美味しかったわ」
「いいえ、ベティのお友達になってくださって、こちらこそありがとうございます。またいつでもいらしてくださいね。……さ、ベティは片付けを手伝ってね」
「はぁい、わかった……」
仕方なく二人で店を離れると、そのまま一番通りに向かい、ベンチに座った。
「優しそうなお母様だったわね」
「そうだな」
「ねぇ、何かわかったんでしょ。聞かせてくれない?」
「……このあたりで止めておくべきかもしれない」
「どういうこと?」
「相手は恐らく上級貴族か、それ以上の権力を持った何かだ。これ以上深入りすれば、君まで目をつけられてしまうかもしれない」
「何よそれ……」
エリカの手は震えていた。
「ベティのことだって一度は守ってあげたんでしょ? 私のことだって守ってくれて、すごくかっこよかったし、私はそんなルゥと一緒に居られるのが嬉しいの。……でも、私のためみたいな風に言って、困ってる友達を見捨ててほしくはないわ」
エリカの身の安全のことを考えれば、そんなわがままを認めるわけにはいかないのは明白だった。
何も言えずにいるルゥを置いて、エリカはコーヒーハウスへと帰っていった。
その日の夕方のこと。エリカとタイラーがいつも通りの適度に暇な仕事をしているところへ、ルゥが帰ってきた。
「遅くなってすまない、エリカ」
「……どこいってたのよ」
「少し調べたいことがあったんだ。明日、ベティの父親が居る場所へ行こう」
ルゥとエリカが列車に乗るのは、この街に来た日以来だった。向かった先は、グレートウォール駅。その名の通り、王宮を囲う城壁がよく見える。
「ここに女王様もいらっしゃるのね」
「そのはずだ。……今日の目的地はそこではないが」
「わかってるわよ。でもたまたま会えたりするかもしれないじゃない」
「会えるといいな」
この日はいつもより大袈裟な服装。ふたりとも貴族然とした格好で緑豊かな街路を歩く。
「それで、どうして教会に居るってわかったの?」
「ゴミ箱に燃えた紙が入ってたんだ」
「紙?」
「それも上質な紙だ。新聞紙に使われるようなのじゃなく、庶民には手の出せないような紙。特有の塗料が燃えたあとの匂いが残っていた。屋敷で以前、大量の書類を燃やした時に数日匂いが取れなかったことがあったんだ」
「へぇ、そんな匂い気づかなかったわ」
「それはきっとあの父親に届いた手紙だったんだろう。何かの悪い知らせで、それを家族に隠すために燃やしたんだ」
「なるほどね」
「それに、キッチンには赤い蝋が垂れていた。おそらく手紙の封蝋だろう。封蝋ごと燃やそうとしたのか、溶かして隠そうとしたのか……とにかくこんな時代に封蝋を使うような差出人なんて限られてくる。調べたところ、教会で使われているものだとわかった」
視線の先にある建物はいかにも権威的なデザインの建築で、その教会のシンボルと見られる模様が掲げられていた。故郷にあった教会は小さくて四角い倉庫のような質素な建物だったが、この教会の装飾の刺々しさといったら、見ているだけで体が痛くなってきそうだ。
「とにかく、偵察よね! しっかり調べてこないと……」
「いや、まずは怪しまれないようにしないと」
「それはルゥの方が心配よ! お辞儀の仕方ひとつだって、あんなに覚えが悪いとは思わなかったわ。ルゥにも苦手なことがあるなんてね」
「……迷惑をかけたよ」
建物に近づくと、無駄に大きな扉の前に立っていた男性が出迎えに来た。
「お二人がアルパーソン様ですね。私はこのセイレン教会の司教、アダム・セイレンと申します。遠いところご足労いただきありがとうございます」
「こちらこそ、急なお願いに快諾していただき感謝します、司教様。私はエリカ・アルパーソン、こちらは妹のルゥ・アルパーソンです。聖都に移り住んで間もないので使用人も雇っておらず、不格好な訪問となってしまったことをどうかお許しください」
「いえいえ、先代のアルパーソン様のことは伺っておりますゆえ、彼の評価とお二人の状況を考えれば、しばらくは目立ちたくないとお考えになるのも賢明な判断かと存じます。多くの貴族は家の為した過去の功績には興味などなく、きらびやかな生活のほうにばかり目がいくものですから、アルパーソン様に御息女がおられることなど知らぬ者も多いのでしょう」
「どうか私のために危険な発言をなされないでください、司教様。お心遣いは充分に伝わっております」
「これはこれは……。とにかくこのような状況でセイレン教会への訪問を優先してくださったこと、光栄に思います。さて、早速ですが参りましょう。こちらへどうぞ」
司教とエリカに続いて、ルゥも一歩一歩、怪しまれないようにと心の中で繰り返しながら歩いた。
入口の扉は、まず小劇場のようなホールに続いていた。両端に並ぶ椅子や、祈る人々を越え、勇者像の前に司教が跪く。
「勇者様の祝福のあらんことを」
エリカが同様に跪いて唱えるのを見て、ルゥもそれに続く。
「それでは、参りましょう」
祈りを終えると、司教は二人を連れて、勇者像のさらに奥にある通路を進んだ。
ここまでが教会の宗教の部分であり、この先が宗教以外の部分である。
「お二人はもうご存知でしょうが、セイレン教会はこの国で最も多くのサービスを提供している教会です。この教会内での各種サービスはもちろん、聖都でも至る所に当教会傘下の施設がございます」
慣れた様子で喋り続ける司教。赤いカーペットの敷かれた長い廊下には、宝石で飾られた灯りがずらりと並んでいる。
「一番通りのホテルやレストランであれば、実にその半数以上で優待を受けることができます」
「まあ、それは魅力的ですね」
「はい。他の教会との違いはそれだけではございません。グレートウォールからポートラインまで広範囲にわたり、多くの支部を構えているのも特長の一つとなっております。ですから、どこにいらしてもお近くの支部から祈りを捧げることができますし、そこに駐在しておりますわが教会の使徒もお使いいただけます」
「使徒、ですか。申し訳ありません。聞き馴染みのない言葉でして」
「アルパーソン様は長らく南方におられましたから、無理もないことでございます。使徒というのは、簡単に申し上げますと我々の私兵です。身辺警護に情報伝達、お祈り次第でどんなことにでもお使いいただくことができます」
「不勉強でお恥ずかしい限りです。……しかし、それは頼もしいことですわね」
「そう仰っていただけて幸いでございます。……おや、アルパーソンお嬢様、祈祷室が気になりますか?」
外廊下を歩きながら、離れの建物を見ていたルゥに司教が気がついた。
「さすが、目の付け所が違いますね。セイレン教会の祈祷室は最大規模のものでして。ご興味を示されない貴族様もいらっしゃるのですが、あれも私共の大切な仲間です故、気にかけていただき幸せです。皆様からの寄付金の一部は彼らの福利厚生にも役立てられているのですよ」
祈祷室と呼ばれた大きな工場の外には、忙しなく荷車を押す人たちの往来で行列ができていた。荷車に積まれたのは魔法結晶。ベティの兄がいるのもあの建物なのだろう。
「それは幸いなことです。彼らの生活がより良くなるよう、私も願っています」
それから、飲食、衣服、宝飾品など、サービスを受けることのできる部屋をひたすら周り、事務室へと到着した。
「長い道のりをお疲れさまでした。一通りの見学を終えましたが、いかがでしたでしょうか。セイレン教会の魅力が伝わっていれば嬉しいのですが」
「ええ、充分に理解できましたわ。是非アルパーソン家も微力ながらご協力できればと思っております」
「そのお言葉に勇者様の祝福のあらんことを。では早速手続きに入らせていただきます」
司教は胸元から鍵を取り出すと、側に置いてあった箱を開け、中から一枚の紙とナイフを取り出した。
「それでは、ご署名をお願いいたします」
エリカはナイフを取ると右手の指に傷をつけ、血液を垂らす。ルゥにとっては彼女が傷つくのは耐え難いことであったが、ひたすらに我慢する。彼女とて、一人の偉大な魔法使いの娘であり、魔法使いが血液を使うことなど昔はよくあった話だ。時代のお陰で流す血が少ないことに、感謝するべきなのだ。そう言い聞かせながら。
血液はアルパーソンの家紋の形に広がった。その上から、エリカは自分の名前を署名する。
「ご協力、感謝いたします」
司教が手渡した白い布が、赤く染まっていく。そのうちに、血は止まったようだ。
「こちらこそ、このような素晴らしい教会に協力できますこと、喜ばしく思っております。後日入金いたしますので、それまでお待ちいただければと存じます」
司教は同じ箱にナイフと紙を入れて鍵を掛けると、二人を廊下へと促した。
「では、出口までお送りいたします」
また、無駄に豪華な廊下を歩く。枝分かれと階段の多い建物の構造だが、カーペットで導線が作られているため観光する分には迷うことはなさそうだ。
だが、ルゥには気になることがあった。
満遍なく教会を周ることができる導線だが、ある一部分を明らかに避けるようにできている。
「司教様、すみません。あちらの方には、何があるのでしょうか」
その避けていた方へと続く、簡素な通路を指してルゥは言った。
「アルパーソンお嬢様。そちらには行かれないほうがよろしいかと」
「……どうしてでしょう」
「洗礼室があるのです。悲しいことに、こういった部屋がときに必要となってしまうのです」
「悲しむべきことから目を背けていては、勇者様の聖心に近づくことはできません」
「仰るとおりです。どうしてもと言うのでしたら、ご案内いたしましょう」