飛来する悪意
モンターニュフォール公と会談した数日後、私たちは公爵閣下が用意してくださった船の上にいました。
それは馬車二台を乗せて航行できる程の大きな船でした。
「わぁ……私、こんなに大きな船に初めて乗りました!」
「ルーナ様、お気をつけください。 万が一足を踏み外せば大変な事になりますので」
「っと……そうですね、気を付けます」
はしゃぐ私を、後ろに控えていたルドルフが窘めました。
今は“事情”があって、私の直衛をしているのはルドルフとトリスタンの二人が務めています。
「それにしても、ルドルフさんが船に強くて助かったよ! ね、ルーナ様!」
「そうですね……」
現在、甲板に出ているのは私、ルドルフ、トリスタン以外だと、船の舳先で周囲を警戒しているエンネアだけしかいません。
何故なら、シャルリーヌ、レオナール、リーズと四人いる従者の内の三人が船酔いになっているからです。
船酔いになっていない残りの者たちは手分けして船酔いをしている者たちの看病と、船底の馬の世話をしています。
「ほら、ルーナ様。 対岸が見えて来たよ」
トリスタンが船の進行方向を指さしました。
そこには見渡す限りの断崖絶壁が見えていました。
「わぁ……す、すごい……。 まるで世界の果てでも見てるかの様……」
「聞く所によると、ヴァンブレーヌ伯領に接する海岸線のほとんどは断崖絶壁となっている様ですね。 何でもここより少し北に行った所に断崖が低くなっている場所があって、そこに港町が築かれている様です」
「では、この船はその港町を目指しているのですね?」
「はい、その通りです」
「姫様、隊長」
話している私たちの後ろから、エンネアが声をかけてきました。
「ちょっと、気になる事が……」
エンネアはそう言うと、視線を周囲に巡らせました。
エンネアの視線の先を追って見ると、この船の周囲に何艘かの小舟がいました。
どの小舟も二、三人の人が乗っていて、網や銛を持っていました。
「漁船か、そう珍しいものでもないだろう」
「“今までの事”を考えたら“漁師に扮して”とも思ったんだけど……」
「一応、警戒しておく?」
「そうだな」
そう言うとルドルフはトリスタンとエンネアに小声で指示を出し、自らは傍らに置いてあった大きな盾を手に取りました。
私はトリスタンと共に甲板の中央に置かれてる馬車の所まで下がり、エンネアが船室に降りる階段の前に立ちました。
「ルーナ様は船室へお下がりを。 トリスタン、ルーナ様を任せる」
「了解、ルーナ様!」
私はトリスタンが差し出した手を取ると、馬車の影を出て階段の方に向かいました。
その時です……
「ピィィィィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
突然、馬車の上で伏せていた鷲馬が鳴き声を上げたのです。
「エステルッ!?」
「まさか! だって、周囲から殺気なんてッ!?」
今まで幾度となく危機を知らせてくれた鷲馬の鳴き声に皆に緊張が走りました。
エンネアは弓を構えて周囲の小舟を再度見渡しました。
トリスタンは短槍を手に取りました。
「どいつだ……どこから来る!?」
皆が警戒する中、海上に“何かを強く叩く”様な音が響き渡ったのです。
「え、この音は!?」
「ルーナ様ッ!!!」
突如として響き渡った音に私が気に取られていた一瞬の事でした。
私の方に“必死の形相”で駆けてくるルドルフが見えたのです。
ルドルフの腕が私に伸びたかと思った瞬間、私は荒々しく甲板へと引き倒されました。
そして、倒れ行く私が次に見たものは盾を構えたルドルフが“何か”に弾き飛ばされる光景でした。
「ルドルフッ!!!」
私の発した叫びが響き渡る中、ルドルフの大きな身体が甲板へと叩きつけられました。
ルドルフの持っていた盾は粉々に砕け散り、ルドルフの盾を持っていた腕があらぬ方向に捻じ曲がっていました。
「え……い、一体何が……」
「ふ、船を……断崖の方へ! いそげッ!!!」
私が戸惑う中、ルドルフが大声で周囲の船員に檄を飛ばしました。
その檄を受けた船員たちは慌てて甲板を駆け巡り船の舵取りを再開しました。
「ルドルフ、何が起こったのですか?」
「……“狙撃”」
「……え?」
「断崖の上からルーナ様を直接狙った狙撃です……」
「狙撃ッ!? 隊長、馬鹿な事言わないでッ!! “人の身の丈程の弩弓”でも“アルビオンの大弓”でもあんな距離は無理だッ!!!」
弓の扱いに長けたエンネアが狙撃は無理と叫ぶ中、ルドルフは重々しく呟きました。
「……“攻城兵器”だ」
「「攻城兵器ッ!?」」
「……咄嗟に反応して初撃は何とか防いだが、おかげで盾は砕かれて腕を持っていかれた」
ルドルフはそう言いながら忌々し気に、捻じ曲がった自身の腕に視線を向けていました。
「次弾の装填までには今しばらく猶予があるだろうが、私がこのザマでは次は防げんぞ。 ルーナ様を護れたとしても、船底に打ち込まれれば海原に投げ出されて全員、海の藻屑だ」
「そんな……どうすれば……」
私がどうすれば良いのか解らずに混乱する中、トリスタンが立ち上がりました。
「ルーナ様、僕が行きますッ!! エステルッ!!!」
「トリスタンッ!?」
トリスタンは愛騎の鷲馬を呼び寄せると、その背に跨りました。
ただ、鷲馬はトリスタンを乗せるには少々、身体の大きさが足りない様でした。
「エステル、無理をさせてごめん。 でも、“僕達”にしかできない事なんだッ!!」
「ピィィィーーーーーーーーーーーーーーー」
鷲馬はトリスタンの意志に答える様に甲高く鳴くと、翼を広げて大空へと飛び立ちました。
「トリスタン……」
「姫様」
トリスタンの背を見つめるだけの私にエンネアが声をかけてきました。
「エンネア?」
「あたしにトリス坊やの援護に行かせてください」
「相手は断崖絶壁の上ですよ!?」
「船が断崖の近くまで行けば……あたしならよじ登れます。 坊やの言葉じゃないけど“あたし”にしかこれはできない!」
私はエンネアの言葉を聞いて、ルドルフの方に視線を向けました。
ルドルフは無言で首を力強く縦に振りました。
「エンネア」
「はッ」
「トリスタンと共に私たちの命運を預けます、ご武運を!」
「我が弓と櫟の名に懸けて」
エンネアは私に略式で礼をすると、身につけている外套と革鎧を脱いで薄手の鎧下だけの姿になりました。
それから改めて革の籠手を身に着け、弓と矢筒を背負いました。
エンネアは身支度を整えると船員に声をかけて、断崖に向かって“空の樽”を放り投げさせました。
エンネアは船の後部まで下がると、勢いをつけて甲板を船首に向かって駆け出しました。
そして勢いのまま船首を蹴って海に浮かぶ空の樽へ、更に樽を踏み台にして断崖に飛びつきました。
断崖に辿り着いたエンネアは、私たちに手を振ってから断崖をスルスルと昇り始めました。




